之人冗悟2025福島春行脚@飯坂温泉(3/10, 11, 12)
2011年3月11日の『東日本大震災』は、マグニチュード9という巨大地震とその後の津波で、東北地方の太平洋岸に
未曾有 の被害をもたらした・・・が、この大震災の最も深刻な被害は、自然災害ではなかった ― 津波によって電源喪失した東京電力福島第一原子力発電所が水素爆発を起こし、まき散らされた放射能の恐怖が東日本の広域を覆うことになったのだ。関係各位の決死の努力により、放射能汚染の恐怖は去ったが、その恐怖の汚染源としての「フクシマ」が背負わされたマイナスイメージは根強く、地震・津波・放射能の直接的被害に加えて、福島県産農林水産物への風評被害をはじめとする様々な二次被害が、その後もずっと福島県を苦しめることになるのである・・・
・・・あれから14年、その福島県がどのような形で復興したのか、あるいは今なお当時の禍根が残るのか、この間(多忙ゆえ)一度として福島を訪れることのできなかった筆者(之人冗悟:のと・じゃうご=語学屋 / 第四回日経星新一賞グランプリ『OV元年』作者)は、2025年3月11日に福島県の飯坂温泉で開催されるという「東日本大震災追悼復興祈念式」への(一般人としての)献花かたがた、自分の目と足で「今の福島の空気感」を確認してこようと思い立った ― これは、その(3/10, 11, 12の)飯坂温泉郷二泊三日の旅の回想録 ― 取って付けたようなハプニングもイベントも(もちろんロマンスも)何もない、写真や動画の類いも一切ない、筆者の個人的感慨のみをつづった「バエない」旅の紀行文であり、飯坂温泉で大変お世話になった摺上川(すりかみがわ)沿いのこぢんまりした民宿「小松や」の女将さんとお姉さんに「はぃ、こうして、楽しい旅をして、無事東京に帰ってきました」と報告するための長~いお手紙みたいなもので、大方の読者の目を楽しますことを目的に書いたものではない・・・ので、福島県や飯坂温泉に特段のゆかりも関心もない方々は、門前にてお引き取り願っておいたほうがよいかもしれない・・・さ、これで言い訳完了ってこって、ダラダラ始めよっかな。
長々ダラダラ綴られた 雑文に延々付き合ってくれる奇特な読者へのせめてもの礼儀として、全体をいくつもの『章段』に分け、それぞれの内容はその『見出し』をクリックするたびに開/閉するような仕掛けを施してある。文章上の任意の箇所でダブルクリックすれば、その章段全体が閉じるようになっているので、つまらなければ「タタンッ!」って感じで畳んでしまえばいい。
一番最初の『福島弁、日本の公用語にしたらえぇんでないがぃ?』を読んでみて、面白かったら次のやつもまた開いて読んでみる、という形で、読み進むなり離脱するなりしてもらえばよいだろう。
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■プロローグ(於 東京)■
◆1◆ 『福島弁、日本の公用語にしたらえぇんでないがぃ?』
筆者(
之人冗悟 )は「語学屋」である。1986年から(大学受験生を相手に)自作英語教材作り&英文読解&入試対策を一手にこなす多忙な塾講師生活を開始、この間、30年以上に渡って地道に積み上げてきたノウハウ・資料・データベースを土台に、「これだけ覚えればまさに完璧!」と言える体系的・網羅的な知識を「インターネット上での自学自習」で身に付けられる「英文法」・「英単語」・「英熟語」(ついでにもひとつ、「古文単語/古典文法/和歌修辞法」)のWEBコンテンツ作りに取り組んできた・・・で、その長い長~いマラソン創作人生にようやく一区切りが付いたのが、この3月・・・その間ず~っと「創る」ばかりで「売る」ほうが一切御留守になっていたので、これからはその宣伝&販売戦略に頭を使わねばならない・・・ということで、思い付いたのが次の作戦である:
・・・そのための「宣伝チラシ」を作って福島県に出向いてビラまきしてこよう、というレトロでアナログな発想は、何でもかんでもネットでちょちょいと済ますお手軽な今の時代には逆に新鮮で面白いかも、という趣向である・・・が、震災発生このかた(とても気になり気に病んでもいたのに)福島に足を運ぶことが一度もなかった我が身の「おわび行脚 」の意味もある ― ビラまきで効果が上がればめっけものだが、そこそこ配っても何の効果も上がらなければ、「ビラ配りは効果ゼロにつき、別の宣伝&販売戦略に切り替える」という行動指針が立てられる。どっちに転んでも、失うものは何もない。何よりもまず、「福島の今」を、肌身で感じる旅そのものに、意味があるだろう・・・
・・・というわけで、「東日本大震災追悼復興祈念式」が行なわれる前日の3月10日に現地飯坂温泉へ行って会場の下見 ⇒ 翌3月11日には、式典が全て終わって会場から出て来る(=福島の明日を真剣に考える)人達に謹んで我が新作英語教材無料使用キャンペーンのビラを配布 ⇒ 翌3月12日には更なるビラ配布候補地まで移動、目的達成の後、東京へ帰る」 という計画を立て、それが実行可能か否かを確かめるべく、まずは「飯坂温泉観光協会」に電話してみることにした。
電話口で応対してくれた飯坂温泉観光協会の女性の口調は、あの福島県特有の語尾がクィッと上がる「尻上げ弁」 ― 完全な標準語でありながら、話の最後の微妙な抑揚が、聞く者の耳に心地良く、心にスーッと入ってくる。
之人冗悟 は「語学屋」である ― 英語に加えて千年昔の日本語(いわゆる「古文」)に関しても網羅的・体系的知識が身に付く語学教材を開発してきた人間である ― そんな自分の言語感覚にとって、今の世の「標準日本語」(いわゆる「NHKアナウンサー言語」)という代物 はまったく耐え難いまでに「非人間的な作り物言語」でしかない。東京以外で生まれ育った日本人ならば誰もがみなそれぞれの土地の「お国ことば」というやつを持っているはずだから、そのお国ことば(冷たい呼び方をすれば「方言」)と「標準日本語」としての「東京ことば」とを比べてみれば、両者の違いは感覚的に明確なはず ― 日本各地の「お国ことば」は血の通った人間の言葉だが、標準日本語としての「東京ことば=NHKアナウンサー言語」には人間的な温かみのかけらもないのである・・・それは構造的必然なのだ ― この「東京ことば」というやつは、日本全国から参勤交代で江戸城周辺に寄せ集められた「田舎大名 とその取り巻き連中」の間でのコミュニケーションを成立させるための「人工言語」として、あらゆる言語学的風土色を人為的に排して作られた「誰のお国ことばでもない」がゆえに「誰もに通じる共通語」なのだから・・・「江戸城内lingua franca(リンガ・フランカ=共通語)」と「日本全国どこでも同じNHKアナウンサー言語」との間には無論それなりの時代的相違はあるものの、「誰もの言葉であるために、誰のお国ことばでもない」という「お江戸・東京ことば」の人為的な非ローカル性(露骨に言ってしまえば「言語学的<去勢>」)の本質は変わらない・・・要するにそれは、各人各様の「お国ことば」を持っている「東京以外の日本人」にとっては「よそゆき言葉」なのであり、普段着で振る舞う時(=方言でのコミュニケーション)とは違った「不自然な虚飾」に満ち満ちた「うそつき言語」でしかないのである。
実に不幸なことに、この之人冗悟 は生まれも育ちも東京、じいちゃんの代から三代続いた江戸っ子ってやつなので、そのお国ことばは「東京ことば」ということになるわけだが、生まれ付き言語感覚が尋常一様でなく研ぎ澄まされていた自分にとっては、この虚飾に満ちた「東京ことば」の不自然なまでの「お行儀の良さ」が(ガキの時分からすでにもう)生理的に耐え難かった。こんな代物 が自分にとっての「お国ことば」だなんて、まったく冗談じゃねぇや!って気分だったから、そこそこ生意気 が許される年頃の小学校高学年あたりになると、自分は意図的に「お行儀の悪い言葉使い」へと(表面的にはともかく、内面的には)流れて行った ― いわゆる「江戸っ子ことば=べらんめぇ口調」への傾倒を強めていったのである ― この「江戸っ子のべらんめぇ調」ってやつは、ガラの悪いことおびただしい(おそらく日本一きったねぇ)くっちゃべりかたになっちまうわけだが、それは多分に「まるで去勢されちまったみてぇにお上品すぎる<江戸城リンガフランカとしての関東ことば>へのツラ当て」としての下品さなのであろう ― そこまで柄 が悪い代物 だけに、話し言葉でも書き言葉でも、この「べらんめぇ調」を自分自身の言語学的基調音とするわけにはさすがにいかなかったが、さりとてそうした「心の中の<お国ことば>」の一つぐれぇ持たねぇことにゃぁ、「人間的温もりを人為的に排除されたよそいき言葉としての<NHKアナウンサー言語>オンリーの言語生活」なんざ冗談じゃねぇや!というこの東京もんの満たされぬ気分・・・おそらく、よその土地の日本人には理解し難いであろうし、東京に身を置く大方の人間にも(よほど言語感覚が鋭敏な東京人以外には)共感してももらえまい・・・。
・・・幸いにして、と言うべきか、中学校に上がってからの自分には「英語」という興味深い言語学的傾倒対象ができたので、クソいまいましいまでに人間的温もりに欠けてインチキくさい「標準日本語としての&非お国ことばとしての東京ことば」への満たされぬ思いは、汲めども尽きぬ 知的探訪の泉としての英語学習がうまいこと満たしてくれた・・・けれども、英語という言語に習熟すればするほど、「標準日本語としてのNHKアナウンサー言語≒東京ことば」の持つ言語学的差別構造や虚飾に満ち満ちたケッタクソ悪い様々な特性への生理的嫌悪感は高まって行くばかりだった・・・ので、この之人冗悟 、今でもこの「東京ことば」ってやつが大キライなのである。「お国ことば」とは呼べないその人為的虚飾が鼻についてひどく気分が悪いのである。さりとて、自らの失われた「お国ことば」を渇望するあまり「江戸っ子ことばのべらんめぇ調」まで流れちまえば(お上品な「東京ことば」で言語学的に去勢されちまってやがる)大方の日本人からは相手にされなくなることもわかりきっているだけに、話し言葉に関しては(人前では覆い隠しているけれど)内心鬱々 とした思いを抱えたまま生きているのである。
さらにまた聞き苦しいことを言わせてもらえば、生まれも育ちも東京の自分にとって、「東京もん」以外の人間が「標準日本語としての、東京ことば(=<NHKアナウンサー言語>)」を話す際のあの「取って付けたような虚飾」は(その虚偽性を不愉快なまでに増幅する無意味に過剰な敬語使いまで含めて)実に耳触りである ― 要するにそれは「他人に何かを売り付けようとする販売員のセールストーク」であり、「自分の本心を他人に包み隠すための言葉のコート」でしかないのである ― そんなこと言われたって、東京人以外の日本人がよその土地の人間と話す際にはその「取って付けたようなNHKアナウンサー言語」で話すしかないわけで、彼らはそれを話す際の自分自身がまとっている「よそゆきのおべべ」をごくごく自然なものとして受け入れ着こなしている。それはそうで、「おべべ」を脱ぎ捨ててしまえば「はだか」になるしかない ― 大方の非東京人にとって、「標準日本語としての東京ことばの虚飾」を脱ぎ捨てた「お国ことばでの方言トーク」は、仲間内以外でそれをやれば「ハダカ踊り」の羞恥心 を呼び起こさずにはいられない性質のものなのである。 そのほぼ唯一の例外は、関西弁 ― 彼ら関西人はそのいかにも独特な「関西方言」を、方言としてではなく、「関西人としての自らのアイデンティティ」として堂々と人前で主張する自由を謳歌している ・・・が、そうして自らの「お国ことば」を「通常会話のデフォルト 言語」として誰はばかることなく口に乗せられる恵まれた境遇にある人々は、関西圏以外にはほとんど存在しないのである。関西弁よりもずっと由緒 正しき「京ことば」なんて、そもそも日本語の源流なのだから実に風情 があってよい言葉なのだが、京都人は浪速っ子 みたいにこれみよがしに自らの「お国ことば」を喋ろうとはしないようだ。関西人の「・・・なんちゃう?」は元気があってよいのだが、京都人の「・・・なんとちがぃますぅ?」にはオツに澄ました響きがあって、京都の人達も(京都人としての自らのアイデンティティを声高に主張する気概抜きには)なかなか口にしづらいもののようだ・・・このあたりの心情は、「標準日本語」としての「東京ことば」に飽き足りずにガキの時分から(やたらガラのわりぃ)「べらんめぇ口調」に(普通の東京もん以上に)執着心を抱いてきた自分にはよくわかる ― 京ことばが「日本一由緒 正しい京の都の御公家様(おくげさん)の言葉」であるがゆえに、それを口にすることで自動的に京都人がまき散らすことになる「うち、京都の人間やさかぃ(あんたはんとは違います)」という「由緒 の主張」が、他人にとっては心地良くない「驕り 」に響くであろうことをはばかればこそ、京都の人達は「京ことば」に(大方、無意識のうちに)封印を施すのである。そしてまたこの自分も、「標準日本語という名の上品ぶった虚飾言語としての、東京ことば」に代わる「俺っちのお国ことば」として「ほんもんの江戸っ子の言葉たる、べらんめぇ口調」に心情的には執着しつつも、それを実際口に乗せて「江戸っ子以外の連中」に向けて放てば、「ってゃんでぇぃ、こちとら江戸っ子よ、俺っちの口にするいささかガラのわりぃ物言いは、てめぇらみてぇなよそもんがくっちゃべる毒気を抜かれた虚飾言語としての東京言葉のNHKアナウンサー言語たぁ、ワケが違うんでぇぃ、べらぼうめ!」という形で「本物の江戸っ子でもないくせに、東京ことばを<よそゆき言語>として語るばかりの<言語学的ウソツキ人種ども>に、喧嘩 を売る」 ことになってしまう・・・ので、どうしたって「江戸っ子は、べらんめぇ口調に、フタをする」ということにならざるを得ないわけである。京都は明治時代まで日本の中心地、明治以降は東京が日本の中心地、その中心地の現地人たちは、「自らのお国ことば」を「エラそうにくっちゃべりくさりゃがって!」と(よそもんたちに)感じさせてはならぬ言語学的制約を背負わされているわけである。それでもやはり、「単語」レベルで封印を施したとしても「抑揚」レベルでお国ことばの地金 が出るのは自然なことで、いわゆる「標準日本語」を口にしていても自然ににじみ出る「京ことば」のはんなりとしたたおやかさは天下一品・・・大阪あたりの連中にゃぁ悪ぃが、同じ単語を使っちゃぁいても、関西弁と京ことばたぁまるっきり素性 が違うんだなぁ、これが・・・。
・・・とまぁ、
『扶桑語り(ふさうがたり)』 という「古文単語/古典文法/和歌修辞法」(要するに、今から千年も昔の京都の言葉と文化)の完全制覇用WEB教材の作者として「日本語の源流」にとことん精通しているこの筆者(
之人冗悟 )としては、その直系継承者たる「京ことば」のポイントは当然高いわけであるが、それとはまた違った形で
極めて好感度の高いお国ことばが「福島弁」 ― 言葉のお尻をクィッと上げることで、何とも言えぬ親しみやすさを演出できるこの言語は、思うに、日本で最も勝れて汎用性 の高いお国ことばなのではないか ― 完全な標準日本語(あの機械的で虚飾に満ちたNHKアナウンサー言語)を話していても、その語尾を福島弁に倣って 「クィッ!」と上げて結ぶだけで、どことなくあったかい「お国ことば」の息吹が宿る のだから。書かれた言語は「意味」さえ通ればそれでよいが、相手に語り聞かせる言葉には「心」が通わねば気持ちよくない ― 単なるインフォメーションを伝えるだけならともかく、ハート・トゥ・ハート・コミュニケーションが望みなら、言語学的息吹としての「お国ことばの温もり」が必要なわけで、「標準日本語としてのNHKアナウンサー言語」には機械的に欠落しているその体温を、いとも簡単かつ自然に与えてくれるのが「福島ふう尻上げ弁」なのだ。
実際、自分は、中学校時代、共に母方の田舎が福島県にある一人の友人との間で、語尾を「・・・だろう?」の代わりに「・・・だべ?/だっぺ?」で結ぶような「擬似福島弁」で対話をするのが常だった。他の男子が一人でも混じるとあっさり「標準語会話」に戻ってしまうのだが、その「みなし福島県人」の彼とのダイアローグになった途端また「尻上げ口調」での妙にあったかい会話になる。その早変わりが、実にあっさりできてしまうのが福島弁で、とにかく発話の終わりをクイッ!と尻上げしてやれば「標準日本語から福島弁へ」の転換作業は完了する。「抑揚」ひとつで「人の息吹の感じられない機械的な東京ことば」が「あったかい東北のお国ことば」に化ける ― こんな見事な
汎用的 お国ことば演出装置、福島弁の尻上げ口調以外にはまず存在しない・・・と思うのだが、当の福島の人達はそのことを、いったいどの程度まで自覚しているのだろう?
よそさまの「お国ことば」を「方言」として模倣する際にはoverdone(やりすぎ)に陥るのが常であって、
坂本龍馬 に
憧れる 非土佐人種がやたら言葉尻を「・・・ぜょ!」で結ぶのを聞けば現地高知県の人達からすれば違和感を禁じ得まいし、なんとなく自分の方言の際立つ特徴だけを拡大的にデフォルメ(
異形化 )して茶化して遊ばれているような不快感も生じるのが人情というものだろう。その点、よそもんから福島弁への歩み寄りは「語尾の尻上げ」一つで事足りる。単語そのものまで「・・・だばぃ?」に変えるまでもなく、標準的東京ことばの「・・・だよね?」のお尻だけ(<よ>にちょいと重みをかけて)クィッと上げて語ればもうそこそこ立派な福島弁になるのだ。このあたりのシームレスな可変性は、東京からさほど遠くない福島県の立地条件によるのかもしれないが、より東京に近い茨城の方言のイントネーションは実に独特で、非茨城県人による模倣は極めて困難である。かねてより
「あの機械的で偽善的で虚飾に満ちた<非お国ことば>としての<NHKアナウンサー言語>のせいで、日本人のコミュニケーションは、人間的にあり得ないほどまでにスポイル(阻害)されまくっている」と感じているこの筆者(語学屋 之人冗悟 )としては、「今のNHKアナウンサー言語を標準日本語の座から引きずり降ろし、ちゃんとした人の息吹の宿るお国ことばで代替すべし」という考えを(冗談抜きで)抱いている のだが、さりとて「関西弁」や「京ことば」といった独自のクセのある方言ではよそ者による模倣・
馴化 は難しい ― この点、
「福島弁」なら「発話のお尻をクィッと上げる」だけで、機械的に冷たい標準日本語に人の温もりが宿るのだから、現状の「標準日本語」のコミュニケーション阻害的なまでの冷淡さを解消する方法としては、最も手っ取り早く合理的なもの となろう・・・
・・・と、そういう想念を筆者の脳裏に一気に展開させてくれるほどに「温もり」を感じさせる「福島イントネーションの標準日本語」で語ってくれた飯坂温泉観光協会の女性の親切極まる案内によって、自分の手元には宿泊先候補として5つほどの旅館名とその電話番号が残った。自分が観光案内の女性に対して出したリクエストは、「一人旅のガイジン観光客が日本の情緒 を味わうのに打って付けの、こぢんまりとした昔ながらの民宿で、できれば英語が通じるお宿」 というもの ― 自分は三代続いた江戸っ子であってガイジンさんではないのだが、英語の単語/熟語が短期間でビックリするほど記憶できるWEB教材の宣伝ビラまきに行くのだから、まずはその宣伝活動の拠点となるお宿の人たちが「英語力を伸ばす必然性を痛感している」という条件が揃えばそれに越したことはない、ということで出したリクエストである ― が、飯坂温泉観光協会のあったか~い標準語福島弁の女性の「英語が通じるかどうかは・・・ちょっとわかりかねるんですけど」 という回答から判断するに、差し当たり飯坂温泉は、いま日本の各地を賑わしている(一部、オーバーツーリズムで荒廃させてもいる)「外国人旅行客のインバウンド景気」の渦中からは外れているようだ ― もし「ガイジンさんラッシュでもうタイヘン!」 という状況であれば、「エイゴ、OKデスカ?」 の問いに対する回答も自ずと違ったものになっていたはずだから。実際、飯坂温泉にどれほど外国人旅行客が足を運んでいるのかは現地に行ってみればわかることだが、飯坂温泉郷の旅館のみなさんには(たぶん観光協会の皆さんも含めて)「英単語/英熟語、増やせるものなら是非ぜひ増やしたいですぅ!」 という当方にとって好都合すぎる必然性は、ないようである。
飯坂温泉観光協会の女性に5つほど挙げてもらった宿泊先候補にWEB上で検索をかけてみて、掲載されている写真やら何やらはとりあえず拝見させてもらったのだが、その過程で「あまりにキレイに集客システムが整っている感じのサイト」や「大人数相手のホテルっぽさ」が感じられるお宿は(直感で)外させてもらった・・・というか、もう最初からなんとなく「あ、自分の落ち着く先の宿はここだな、たぶん」と感じた先が、「小松屋」 ― 正しい表記は「小松や」 だということは現地で知ったのだが、その「小松」の文字列に何となく気持ちが吸い寄せられてしまったのは、あの『日本沈没』を書いたSF界の巨星「小松左京」のゆえである・・・というか、その小松左京と並ぶ日本SF界黎明期 のもう一人の巨星、その名もズバリ「星新一」の名を冠した 「日経 星新一賞」という「理系的発想からはじまる(AI作者も応募OKの)文学賞」で第四回(2017年)グランプリを取って賞金100万円をもらっちゃった『OV元年』という1万字足らずのショートショートの筆者として、この之人冗悟(のと・じゃうご)の作品も掲載されている『星に届ける物語』というグランプリ受賞作(全11編)アンソロジーの文庫本が新潮社さんからつい先日に出版され、5冊も送付してもらったものの、英語教材作りの多忙に紛れてまだ開いてもいなかったその本を、今度の旅で読了させてもらおう、という心づもりでいる自分の目には、「こまつや」の文字がひときわ浮き立って映ったのも自然の成り行きというものである(・・・「星旅館」とかも別にあったならそっちになってたかもしれないけど・・・)
・・・そういうわけで、さっそく教えてもらった電話番号にかけると、うら若い女性の声で応答があった。声の感じだけから判断すれば、宿の娘さんの高校生とかそんな感じ、良い意味での初々しさというか、ヘンにこなれていない素朴な感じの第一印象である。もしもビジネスライクに「お電話ありがとうございます。こちら***でございます」というような応答だったなら、とりあえず宿泊料金や空室等を確認してから、もっと「こぢんまりとした個人経営っぽいお宿」を求めて別口にまた電話するつもりになったろう・・・が、「3月10日~12日まで、一人、料理のコースは最低料金のやつでいい」と、要約すればそれだけの話にあれこれ無駄な雑談を交えて話を進める過程で、さして面白くもないこっちの冗談を受けての(ふふっ)の笑い方の自然な感じも、東京で無数に飛び交う「ビジネススマイル」とははっきりと異なる(ちょっと失礼スレスレでホメさせてもらえば、はにかんだような感じの)好もしさ・・・一も二もなく、お宿は「小松や」に決定であった・・・結果から言ってしまえば、この直感は大正解。他のお宿に泊めてもらってもいないのだから相対比較で優劣を付けることはできないが、このお宿に二泊三日お世話になったおかげで、今回の旅は(まぁあれこれあったものの) かなり良いものになったと言ってよいだろう。
旅館 小松や
〒960-0211 福島県 福島市 飯坂町 湯野字橋本 1-1
■3月10日(月)(第1日目)■
◆2◆ 『新幹線、どうもこの頃、おかしくね?』
着替え・非常用食料・飲料水収容水筒・ノートパソコン・スマートフォン・電気ひげそり・その他電源周りの器具一式と、無料受講キャンペーン用チラシをギッシリ詰め込んだ大小2つのリュックを連結させて背負いながら、午前5時台の王子駅(京浜東北線)プラットフォームに立つ・・・駅には意外なほど大勢の乗客がいるが、服装からして旅行客ではない。通勤・通学のためにこんな早起きする人達がいるのかと思うと、数日前に「連結装置故障」とかいう滅多にない事故を起こした影響で通常ダイヤとは別運行をしている東北新幹線の乗車率も、かなり高いかも・・・指定席券は売り切れだったし・・・自由席で、はたして座れるだろうか?
発車時刻より20分ほど早く上野駅の新幹線ホームに到着。自由席にあたる1~5号車の客待ちの列に並ぶ人の数は、予想よりだいぶ少ない ― これなら、座れるかな?・・・と思ったら、定刻(6:10)にホームに滑り込んで来た新幹線には、既にギッシリ乗客が詰まっていた ― 上野駅が始発ではなかったらしい(ちょいと調べりゃすぐわかることながら、始発駅は「東京」であった)・・・参ったなこりゃ・・・座席を一渡り見渡して、空席に着くのを断念した自分の目が、進行方向から一番遠い三人掛けの座席と乗降デッキとを隔てる隔壁との間に、かろうじて身を滑り込ませることのできるウナギの寝床っぽいスペースを発見 ― いざという時に「座席代わり」に腰を下ろせるよう柔らかい衣類をギュウギュウ詰めにした大型リュックサックをフロアに置いて、その上に腰を下ろすことで「私設座席」を強引に確保することに成功した・・・こりゃあ、幸先良いのやら悪いのやら・・・
上野駅を満員状態で出発したその後も、大宮以降、乗り込んで来る乗客の数はなお増える・・・まったく、これじゃ新幹線じゃなくて通勤・通学ラッシュの山手線だな・・・早朝一番の東北新幹線が毎度毎度こんな状態であるとは考えづらいから、これも例の連結装置故障による東北新幹線ダイヤ大混乱の影響なのだろう・・・してみると、ウナギの寝床の私設座席とはいえ、窮屈ながらも身の置き所を確保できた自分は、やっぱり相当にラッキーだったと言ってよいだろう・・・にしても、肩幅にも満たぬスペースで、時々両肩を座席後部と隔壁にぶつけながら姿勢を微調整しつつ過ごす1時間半以上のヘンテコ着座姿勢は、お尻はともかく、腰には相当キツい・・・1時間ほど経過したところで、両足を前方に長く投げ出し、腰に掛けた体重を大型リュックのクッションで吸収する変則リクライニングシート状態になる・・・
・・・そんなこんなで、次なる停車駅は郡山 ― 事前に思い描いた皮算用では、郡山を出たあたりでおもむろにビラ配り準備に入り、福島駅に到着(7:37)したら猛ダッシュで東口バスターミナルへ直行して(中高生相手に)ビラ配り第一弾開始・・・のつもりだったのだが、このウナギの寝床に寝そべった状態ではそれも無理・・・とりあえず、福島駅に降り立ってから準備を整えることにしよう・・・
・・・と、思っていたところへ車内アナウンスが入る ― 「ただいま、郡山―福島間で、上り列車の点検作業を行なっている影響で、本車両は当駅でしばらく停車します。発車予定時刻がわかり次第お知らせします。ご迷惑をおかけしてまことに申し訳ありません」 ・・・あ~ぁ、ダメだこりゃ ― 本日(3月10日)福島駅前(東口)バスターミナルでのビラ配り計画第一弾は、これにて完全に頓挫・・・ま、いいや、とりあえず今日は福島駅周辺の「状況視察=中学生・高校生相手のビラ配りに好適な条件」を確認する作業にごゆるりと時間を費やすことにしよう・・・
・・・ということで、列車は、予定より13分遅れで福島駅に到着 ― 駅構内の長~い移動を経て、時刻は既に午前8時を回っている ― バス通学の学生で、こんな時間にターミナルにいる者の数は少ないだろうが、とりあえず、学校の制服姿でバス待ちしている乗客がいるような路線はどれか、目星を付ける作業を始めるとしよう・・・
◆3◆ 『福島駅前(東口)早朝のラッシュ~その後の閑散』
時刻は午前8時ちょい過ぎ ― 福島駅前(東口)からは、まるで同時刻の新宿副都心を思わせるような怒濤 の人波が駅の外れの陸橋方向へと流れて行く・・・「福島って、こんなに活気ある場所なのか!」と何となく嬉しくなり、その人群れを追って自分もズンズン歩いて行く ・・・のだが、これがまずかった ― 結果的には、お目当てのバスターミナルからはどんどん遠ざかってしまっていたのだ ― その人群れは、後でよくよく考えてみれば、福島市に集中的に所在している官公庁(福島市役所とか警察署とか)の関係者たちの通勤ラッシュ だったようだ・・・それに気付いて福島駅へと(かなりの距離を)引き返し、交番にいる親切そうなお巡りさんに「バスターミナルはどこですか?」と今更ながら確認してから現場に戻った時には、時刻は既に午前8時30分を回っていた ― 学生らしき乗客の姿なんて一人も見当たらないのも当然の(今頃バス待ちしてるなら確実に遅刻の)時間である・・・まぁ、我ながら何とも要領の悪いこって。
仕方がないから作戦変更 ― 福島駅から徒歩で行けるような立地条件にある高校を探して、下校する生徒たちへのビラ配り を考える・・・その過程で、福島駅周辺の商業的賑わいを肌合いで感じつつ、「14年後の復興具合」の定点観測 をしてみよう・・・
・・・と、そういう思いと重~いリュック2つを抱えて福島駅周辺をてくてく歩き回ることほぼ4時間 ― このひたすら疲れる徒歩旅行の成果は、これまた実に空しいものであった・・・
福島駅から徒歩圏内の学校としては、私立の「松韻(しょういん)」と県立の「橘(たちばな)」という2つの高校が並んで存在しているのを確認してはみたものの、両校とも、生徒達のいそうな気配が全くない。さては福島県では既にもう学校は春休みに突入しているのかと思いつつ、空しい足で福島駅へと帰る途上、広場にたむろしてスマートフォンでゲームしてる高校生とおぼしき男子3人を発見、「君たち、高校生? 学校はもう春休みがぃ?」 と(自分としては「ほぼほぼ福島弁」で)尋ねたところ、「違うっす。まだ春休みじゃないけど、受験体制だから、学校へは入れないんっす」 と、元気な男子言葉で丁寧に教えてくれた。東京の男子高校生でも何か問われればとりあえず「高校生らしく」返答はしてくれるので、福島駅周辺にジャージ姿でたむろしてスマホゲームしてるこの男子高校生たちをことさら「礼儀正しい」とか言って褒めるような福島びいきを演じるつもりはないが、福島に来て最初に声を掛けた相手からの反応としては、かなり好感度が高い ― とりあえず彼らを「ビラ配り対象第一号」として「今、こういうの配ってるんだげど、よがったら見でみて ― 英語、でぎるようになるよ・・・タダで!」 と「福島弁ふう安らぎことば(ダグダグ=濁音沢山入り)」で声掛けながら一人一人にチラシを渡すと、「タダで!」の声に合わせて「おうぉ!」 と数人で相槌 打ってくれるあたりが何とも他人思いの福島県の高校生って感じ・・・ま、肝心のウェブサイト上の教材見本版に彼らがアクセスしてくれなかったことは、アクセスログの記録から明らかなんだけど、彼らのおかげで「本日3月10日(もその後も)福島駅周辺での高校生相手のビラ配りは、無理」 という結論が出たわけだから、あの子たちにはしっかり感謝しておかねばなるまい ― スマホゲームの代わりにWEB上の我が教材見本(三択クイズ形式)をプレイしてそのポテンシャルに気付いていそいそ応募してきてくれたなら、一も二もなく「受講許可」あげちゃうんだけど・・・残念ながらそういう展開にはならなかったようだ。
・・・かくて、福島駅周辺での学生相手のビラ配りの当てが(本日も明日もその後も)完全に消滅したところで、後はひたすらそこいらを歩き回っての「繁華街としての福島駅周辺」の体感的品定めを(4時間ほども)してみた結論は、こう ― 「福島駅周辺は、官公庁の密集する県庁所在地であって、観光・遊興の街ではない」 ― 今回の自分にとっての「福島駅」は「飯坂温泉への乗り継ぎ駅」でしかない、というのが率直な感想である。福島駅から足でカバーできる「一等地」と呼べるような範囲内でも、「テナント募集」の看板付き物件や空き家とおぼしき家屋が(目立つというほどではないが)散見される。もっともそれは「東日本大震災と原発事故の後遺症」というよりは、「福島駅周辺の商業的条件の悪さ」に起因するもののように思われる。全然もうかってもいない私企業のヘボ経営者としてはおこがましい言い草ながら、この福島駅周辺での「商業展開」は、自分なら考えないと思う・・・なんというか、街全体から「やる気=お客を沢山呼び込んでみんなで栄えて行こうじゃないか!」という空気が、感じられないのだ・・・自分が訪れたのが平日の月曜日だったことと、どこもかしこも人・人・人の東京慣れした人間の感覚であることとを差し引いて考えても、商業的活気とは程遠いこの空気感は、かなり寒い。
それにしても、この福島駅周辺(徒歩カバー可能エリア)での「人との出会い」の少なさは、東京のゴミゴミさかげんにいいかげんウンザリしている自分には、かなりショッキングだった。4時間近くも福島駅周辺を歩けるだけ歩き回ったけれども、その間、出くわすものと言えば「ダダッ広いけど客足を感じさせない第二次産業系の敷地」と「道を行き交う自動車」だけ ― 福島駅前の限られた区画を外れたらもう「人間」には(ビックリするほど)出会わない 。駅からちょっと離れた場所で自分が経験した出会いらしい出会いとしては、お昼時まで歩きに歩き回ったその果てに、前述の(生徒の気配を感じない)県立橘高校前のベンチにリュック2つとヘタった身体を預けて、持参の明太子 入りおにぎりをほおばっている時に、目の前を妙齢の女性がお散歩させていたかわいいマルチーズと目と目があって、わんこが思わずビクッって後ろに飛びのく姿に、自分も女性も同時に(ふふっ)と笑いの合唱をしちゃったことぐらい。
後で「小松や」の女将さんにそういう自分の感想を伝えたところ、「このところ、不審者の出没とかで治安が良くないから、子供達は親が車で送り迎えするのが当たり前になってきている」とのことだった。広い県だけに車での移動が中心になるのはやむを得ぬこととはいえ、そうなるとどうしても「部外者」に対して「よそ者としての疎外感」を味わわせずにはおかない土地柄になってしまう。
日本各地の「観光立県」に比べて、福島県には「工場・農地・林野の県」のイメージがある。いずれも「縁の下の力持ち」としての産業で、それなくしては日本が困ったことになる営為ではあるものの、「他者に向けて歩み寄り、語りかけ、自分たちのファンになってもらう」という商業的方向性とは真逆の指向性が「福島県」全体にはあるように思われる ・・・先ほどは「日本一心安らぐ福島弁」のことをホメちぎった自分だが、そんな日本の擬似的公用語たり得るポテンシャル も、「他者に向かって語りかける姿勢」なしでは宝の持ち腐れ・・・さりとてこの福島県に他の「観光立県」並みの「愛想の良さ」だの「対外アピール」だのを求めるのも筋違いな気がするが、やっぱり部外者の素直な感想としては、「心安らぐ尻上げ口調に人品の良さ」といった折角の福島の良さが、よそさまにはあまり伝わっていない、というか、それを自らの「ウリ」として積極的にアピールしようという姿勢が感じられないのが、いささかもったいないというかもどかしい気がする・・・もっとも、そうした「出しゃばらない奥ゆかしさ」こそが福島県人の魅力という気もするだけに、何とも痛し痒し (=もどかしい)といったところ・・・。
・・・反対側の西口は、だだっ広い空間にタクシー乗り場や自転車置き場や大型バスが三々五々並んでいるばかりで、広場を越えた向こう側には、東口に輪をかけて、盛り場の空気感がまるでない。東京あたりへ直行するような大型バスが何台か停車しているようだが、乗り場にはバス待ちの乗客の姿は確認できず、バスの乗り場というよりは整備場のような感じだった。大きく立派な駅だけに、この寂寥感 は、何ともイタい・・・
・・・なんだか福島駅と福島市に関してはホメ言葉の一つも繰り出していない感じだが、「土地も商業的ポテンシャルも、まだまだだいぶ<伸び代>がある」という総括の仕方で、旅を先に進めよう。
◆4◆ 『「いい電」さ乗って、いざ飯坂温泉へ』
歩き疲れた昼下がり、福島駅に別れを告げて、飯坂温泉行きの飯坂電車(いい電)に乗る。駅舎の感じは、ちょうど自分の地元を走っている「都電」の駅を倍ぐらいまで広くしたような印象で、列車は二両編成、乗客の数もほどほどで、行きの新幹線みたいに
立錐の余地もない ような有様とはほど遠いのどかさである。窓には日差しよけが深く下ろされていたが、外の景色が見たくてそれを全開にした上で、2つを無理矢理1つにまとめた重たいリュックの二段重ねを座席の横に置き、ぼんやり車窓の外を眺めて発車の時を待つ。
ぼちぼち発車というその時に、おばあちゃんの二人連れが慌てて乗り込んで来て、二人並んで座れる空席を探してこっちの車両をウロウロ、あっちの車両をキョロキョロしている・・・どうやら、お目当ての二人分の並列空席が見当たらなかったらしく、一人はあちら側の車両の端っこに座り、もう一人はこっち側の車両に視線を移して空席を探し求めている・・・よくよく見れば、自分の腰掛けている座席から自分と二段重ね重量級リュックを取り去れば、あのばあちゃん二人組に並列シートをプレゼントできる状態、なおかつ自分の向かいの座席には一人分の空席がある・・・ということで、両手で抱えるとやたら重い段々リュックをぶら下げて、まだ立ったまま名残惜しそう にもう一人のばあちゃんの座席のそばで空席探しをしているおばあちゃんに向かって、「あそこに、二人並んで腰掛けられる座席、あるよ」と指し示してあげる・・・ばあちゃんは「あ、ほんどだ」と言ったものの、もう一人の既に着座しているばあちゃんのほうは(何故か)その座席を動くこともないまま、立っていたばあちゃんだけが自分の空けた二人分のスペースに一人で移動、自分はその真向かいの一人分スペースに二段重ねリュックを膝に乗せて抱え込む姿勢で座る ― 早起きした上にこの重い荷物を背負って四時間も歩き回り続けたツケで、アゴが自然とリュックの上へとへたり落ち、軽い午睡の誘惑にへたりこみかかっている・・・まぁ、飯坂温泉駅は終点だし、このまま25分ほど昼寝しながら到着してもいいだろう・・・とりあえず、列車が福島駅を出てからしばらくは、旅先で初めて見る景色への興味のほうが疲れや眠気を押しのけて、リュックにアゴを乗せてはいても、それが枕と化すことはなかった。
先ほどのばあちゃん二人連れは、列車が福島を出発してしばらくしてから、自分の眼前のシートにようやく仲良く二人並んで収まったようだ・・・景色から視線を例のばあちゃんに移すと、目と口と手のひらとで、「ありがとね」とこっちに向けて挨拶してきてくれるから、こっちも目と口と頭の角度で「うん、よがっだね」と挨拶を返す。自分が重そうなリュックをわざわざ膝上に抱えてはくたびれたわんこみたいにベターッとその上にアゴを乗せている姿を、ものまねジェスチャーで示しながら、二人してニコニコ笑っているので、こっちもかなりいいことしてあげた気分 ― 新幹線自由席でのウナギの寝床での床這い状態から郡山での13分の発車遅れを経て福島駅周辺でのビラ配り計画頓挫と、ここまであまりいい目を見ていない本日の旅程で、これは初の好転 である。
いくつか先の駅で、自分の隣に座っていた女子高生二人連れが下車すると、真向かいに座っていたばあちゃん二人が「なんが、こっちはまぶしいなぃ」とか口上を述べながら、自分の横に二人して移動してきた ― どうやらこれも、お礼のジェスチャーらしい・・・ということであれば、当方としてもやはり礼には礼で返さずばなるまい、ということで、そこから先はもっぱらこっちの一方的な自己紹介&雑学トークタイム・・・その内容についてはここで書き記すにも値しないことながら、一つだけ特筆すべきことは、こっちが「311の式典に出るためにやってきた東京人だけど、母方の田舎が郡山なので、福島弁で語らせてもらうね」と断わった上でひたすら「疑似福島弁」を繰り出しているのに、相手のばあちゃんは急に「東京ことば」にシフトしちゃったという「相手が東京人だと気付いた非東京人の話法」には実にありがちな展開 ― ここまでに何度も語っている通り、自分としては「福島弁ふう東京ことば」を新たな日本の公用語にすればいい、と思うほど本当に「福島弁の尻上げ口調」に惚れ込んでいるからこそ、福島の地にあっては「疑似福島弁一辺倒」で通すつもりで喋っているわけだが、東京人のくせに福島弁のマネをする相手に対して「自分だって東京言葉ぐらい話せますよ(だからあなたも標準語で話してください!)」という気分に駆られてしまうのが「非東京人」の言語学的反射行動 というものなのである・・・そうした行動に走らずにいられるのは、目下のところ、関西弁の使い手だけであるが、福島弁の「尻上げ口調」の持つ可変的汎用性 を思えば、福島県人にはもっと堂々と朗らか にその「優しいお国ことば」をみんなの前で使ってもらうことで、今の標準日本語の機械的冷淡さに「人間的温もり」を付加する貴重な役割を演じてほしいものなのだが・・・自分のそうした思いを込めたモノローグがいささかしつこすぎたのか、当初は「飯坂温泉さ行ぐんだ」と言っていたばあちゃん二人組は、終点1つ前の「花水坂(はなみずざか)」でそそくさと下車してしまったので、なんだか悪いことしちゃったかもしれない気分で終点の飯坂温泉駅に、自分は一人で降り立った。
◆5◆ 『飯坂温泉駅前より、摺上川にかかる十綱橋を臨む』
終点の飯坂温泉の駅の壁には、おっきな男の子が大喜びしそうな美少女キャラの絵柄が大々的にフィーチャーされている ― 「飯坂真尋(いいざかまひろ)」という名前が付いているから、飯坂温泉のイメージキャラなのだろう 。「飯坂」と聞いて自分が思い浮かべる女性キャラといえば、『独眼竜(伊達)正宗 』の側室の「飯坂の局(いいざかのつぼね)」、別名「猫御前(ねこごぜん)」 ― 演じるはたしか(舌っ足らずの喋りかたが特徴的な)秋吉久美子で、渡辺謙演じる正宗には「猫・ねこ」と呼ばれ、不機嫌な折りには「にゃあ!」とか言って殿を引っ掻く仕草を見せたりしていたが、駅壁ポスターの女の子もやっぱり猫系キャラなのだろうか? 顔立ちは猫系だが、まぁ美少女キャラはほぼ全員ネコ顔なのでキャラ付けの参考にはならないな・・・とかぼんやり考えつつ、飯坂温泉駅の改札口を出る。
駅を出てすぐ右手には、どことなく見覚えがあるような橋がかかっている。郡山の人間である母親は「飯坂温泉は橋を渡った向こうに川縁の温泉宿が並ぶ」 とその特徴を語っていたが、自分としては初めて見るのに妙に懐かしい感覚(既視感=デジャビュ感覚)があるのは、何故だろう・・・まさか母親の記憶が乗り移っているわけでもあるまいから、これはたぶん、この橋そのものが「昔懐かしい日本の温泉風景」を体現している ということだろう。橋の名前は十綱橋(とつなばし)、下を流れる摺上川(すりかみがわ)の段差を下り落ちる水のせせらぎが耳に心地よく響いてくるのは、雑踏と無縁の物静かな環境のおかげ 。万事につけてせわしなくけたたましい2025年の日本で、こうした閑静な温泉宿の風情 がまだ残っているとは・・・福島駅前方のだだっ広い空間に於ける人通りの異様なまでの少なさは、一時期のコロナ禍の頃に感じた世紀末感覚寄りの「居心地の良くない静けさ」だったが、そこそこの数の乗客と共に飯坂温泉駅前に降り立った自分の眼前・眼下に広がるこの静かに心地よい川のせせらぎのBGMつきの穏やかな景色と音色は、「程々の閑静感」 として、ただひたすらに心地良い・・・自分は温泉巡りのプロでもないので、他の温泉地と比較対照する形で軍配を上げることはできないが、この景観とこの静けさのマッチングは、オーバーツーリズムで崩壊しかねない構造的危うさを宿した「大人気観光スポット」では絶対に味わえない味わい であることだけは断言してもよいだろう・・・あまり誉めすぎのレビューを書いて、それに踊らされた旅行客が大挙して飯坂温泉に押し寄せて、この「ほどほどの閑静感」を台無しにしてしまうのも困るから、激賞も程々にしておくべきかもしれない・・・が、どうせこんなにやたら長~い個人的な旅の雑記なんて読む人間の数も程々以下だろうから、やっぱり誉めるべきところは素直に誉めちぎっておくことにしようか ― 駅を降り立った時の第一印象で温泉街の優劣が決するなら、この景観と川のせせらぎは、日本人の心の原風景としての温泉街のイメージスケッチの表紙を飾るにふさわしい と言えるだろう。
◆6◆ 『飯坂温泉観光協会』
時刻はまだ午後の2時台、「小松や」のチェックイン時刻の午後3時までは間があるので、明日3月11日に祈念式典が行なわれるという「パルセいいざか」の下見かたがた、その周辺の飯坂温泉郷をざっと一巡りしておくことにしよう。
駅前のこぢんまりした広場の真向かいには、先週、旅館予約段階で電話でお世話になった飯坂温泉観光協会の看板が見えるので、まずはそこに立ち寄って、施設の場所を尋ねることにしよう。
観光協会のドアを開くと、応対に出てくれた面倒見の良さそうな女性のその声には聞き覚えがあった ― 先週木曜日、電話で応答してくれたあの女性だ・・・さしあたっての目的地である「パルセいいざか」へのルートを、観光協会作成の飯坂温泉マップの上に赤いマーカーペンで記載してもらうなどして、またまた懇切丁寧な応対を受けた上で、おもむろに自己紹介させてもらう ―
「自分は、先週の木曜日に、英語が通じるこぢんまりした民宿はないですか?と電話で尋ねた東京人です・・・あなたは、声の感じでは、その時応対してくれた方だと思うんですが」 ・・・
・・・といったやりとりの結びに、例の(まだロクに配れてもいない)無料受講キャンペーンチラシ、ザッと眺めた観光協会勤務の人数分だけ挨拶代わりにカウンターの上にさりげなく置いて、教えてもらった通りのルートで明日の祈念式典会場までの道筋と駅からの所要時間の確認作業といこう。
案内所 飯坂温泉観光協会
〒960-0201 福島県福島市飯坂町十綱町3
◆7◆ 『「あっぷるピーチ」 in 「パルセいいざか」』
十綱橋から遠ざかる方向へと坂道を歩いて登る途上では、温泉宿らしきものはなく、民家や公園が並ぶのみ・・・やはり飯坂温泉郷は、摺上川沿いがメインなのだろう・・・延々登り続けてもなかなか目的地までたどり着けないので、ルートの再確認が必要かな、と不安になってきたあたりで、前方に
「パルセいいざか・・・この先」 という看板が見えてきた・・・結局、飯坂温泉駅前から歩きに歩いて約15分、前方左側に、これまで見てきた飯坂温泉郷のどの建物よりも巨大な構えの屋根を持つ多目的ホールっぽい「パルセいいざか」が見えてきた。その右側にも前方左側にも、かなりの収容台数を持つ駐車場がある ― 明日311の式典の後で、ビラ配りをするとしたら、あの駐車場がその舞台になるだろう・・・が、だだっ広すぎて、どこに拠点を定めるべきか、ちょっと目星が付かない感じ・・・まぁいいか、明日には明日の風が吹く・・・
・・・それにしても、今日は3月10日なのに、この暖かさはいったい何なんだ? 春まだきの福島の寒さを想定して、思い切り厚着してきたのが仇となり、分厚いジャンパーの下の上半身は半ばサウナスーツ状態・・・ま、雨や雪に降られるよりはいいけれど・・・この旅の初めからここに至るまで一切目にすることのなかった雪の名残 が、「パルセいいざか」の入口近くにだけぽつねんと消え残っているのは、建物の作り出す巨大な陰 が日差しをさえぎって雪解けを遅らせているせいなのだろう ― それほどまでにこの建物は、周囲に不釣り合いなぐらいの(地方のハコモノにありがちな) 巨大さなのだ。これだけ巨大な構造物なら様々な目的に使えることだろうが、飯坂温泉の湯治客向けの施設でないことだけは確かである ― 麓の飯坂温泉駅からエッチラオッチラ歩き続けて15分の距離を、車なしで移動して来る変わり者の旅行者なんて、そうそういるとは思えない・・・まぁ、ここに一人その変人がいるわけだが・・・
・・・その変わり者も、朝の8時からず~っと歩き詰め、やたら重たい荷物とやたら暖かい日差しにふさわしくない厚着のせいで、ここらで一休みしたい気分・・・といった所で、パルセいいざか入口に置かれた「あっぷるピーチ 営業中」の看板が目に入った・・・「小松や」のチェックイン時刻の午後3時まではまだ間があるし、べつに午後3時きっかりにチェックインする必要もない・・・ということで、その「あっぷるピーチ」なるカフェ目指して「パルセいいざか」館内に入る。
建物内では、明日の式典の準備の備品と関係者がちらほら目に付くが、肝心のカフェらしきものが見当たらない・・・改めて建物の外に出て、「あっぷるピーチ 営業中」の看板を再確認し、再び館内に入って案内図を見るが、場所の目星が付かない・・・なんだか次第に我ながら挙動不審な感じになってきた・・・館内正面の一段~数段高くなった所にいる女性二人も、何となく怪訝そうな 物腰でこちらを見ている・・・いささかバツが悪い感じなので、こりゃもう退散したほうがいいかな ― とりあえず、明日の式典会場の下見という目的は達成できたことだし・・・と思いつつ、前方を見ると、一段高くなったその区画には、いくつかの座席に交じって「あっぷるピーチ」の看板がある ― どうやら、あの正面の区画全体が、間仕切りも何もないカフェスペースになっているらしい・・・そのスペースの隅っこで、二人で雑談を交わしながらこちらを見ていた女性たちに向かって、「今、営業中ですか?」 と声をかけると、二人のうちの一人の女性が「はい、どうぞ」 と応え、それを合図にしたようにもう一人の女性はその場を去った ― どうやら、開店中ではあるものの、お客が一人も来ないので、お店の女性は知り合いの女性と雑談していたらしい・・・明日の祈念式典の設営準備が終わったら、それに携わっていた人達が大挙して疲れを取りにここいらの座席に陣取ることになるかもしれないから、今はその嵐の前の静けさといったところか・・・まぁ、疲れ取りが必要なことに関してはこの変人だって負けてはいないわけで、さしあたり今の段階ではこのお店もヒマそうなので、当方の存在が邪魔になることもあるまい・・・
・・・ということで、「重いリュック背負って歩き回り続けて疲れたので、何か甘~いやつ、ありますか?」 と尋ねると、「抹茶なんとかかんとかなんて、かなり甘いですよ」 とお勧めしてくれたが、東京の仕事場で毎日「抹茶オーレ」をチビチビ飲みつつキーボードを一日中カチャカチャやってる自分としては、仕事を離れたこの温泉地でまで「抹茶何たらかんたら」飲んでしまったら、「プルースト効果」(ある種の香りがそれと強く結び付いた過去の記憶を呼び覚ます現象)でこの場でノートパソコン広げて仕事おっ始めたくなったりするかもしれない・・・それはさすがにイヤなので、「抹茶は自宅でゲップが出るほど飲んでるんで、何か別の甘いやつがいいな・・・あ、冷たいオレンジジュースにしよう。それと、このイチゴの入った甘そうなケーキ、お願いします」 と注文完了。気持ちがホッと和んだところで、目の前にいるかなりヒマそうでけっこうおしゃべり好きそうで陽気そうなキレイな目をしたマスク姿のお姉さんに、いかにも怪しげな自らの素性 を明かして安心してもらうための(疑似福島弁での)自己紹介タイムの始まりはじまり・・・
・・・「いやぁ、それにしても今日は暖かい、っていうかもう暑いぐらいだねぇ・・・明日の復興祈念式典に出ようと、東京から来たんだけど、福島は寒かろうと思って思い切り厚着して来たのに、いやぁ暑いアツい、ジャンパーがまるでサウナスーツ状態だわ・・・例年311の頃は、こんな風にあったかいの?」 ― 「いぃえ、ここ数日急に暖かくなって。その前には雪も降ったんですよ」 ― 「雪も、この建物の日陰で初めて見たわ」 ・・・
・・・ってな感じでおしゃべりに付き合ってもらった末に、例のまだ全然減ってない無料受講キャンペーンチラシ、リュックに忍ばせたビニールケースの中からワシづかみでガバッと適当に取り出したやつをカウンターの上にドサッと乗せて、「よかったら見てみてね」 と(20枚ぐらい?)押し売り ― 「こんなに~?!」 と迷惑がるよりは面白がる感じのリアクション取ってくれたお姉さんに、福島駅周辺での「ビラ配り作戦空振り」の状況を説明した上で、「明日、祈念式典に来る人達相手にビラ配りしようと思ってるんだけど、式典には一般人は参加できないらしいから、式典が終わる3時40分頃までは会場の外で待機・・・明日もこのお店、やってます?」 ― 「あぁ~、それが今ちょっとわからないんです。ほら、明日は石破サン来るから」 ― 「あぁ、そらまぁ首相も来るわなぁ」 ― 「だから、ヘンな人が来ると困るんで、お店も開けられないかもしれないです」 ― 「ヘンな人が、来るの? 311祈念式典に?」 ― 「石破さん来るから」 ― 「あぁ~、なるほど。前の二人の首相にも、飛び道具でドンパチやらかしたヘンなのがいたからねぇ・・・そっか、首相が来ちゃうなら、そら警備も厳重にしなきゃならんわなぁ~・・・」
・・・どうやら、明日本番のビラ配りにも、早速暗雲が垂れ込め始めた感じである・・・が、明日には明日の風が吹く、今はとりあえずこの疲れてバキバキの足腰の筋肉に一時の休息をくれてやることにしよう・・・ということで、外の(何やら赤い花がいっぱいある)植え込みが見える窓際の席に着こうと思ったが、何だか日差しがヤケクソじみて暑そうだったので、そっちはやめて、お店のスペースのど真ん中にあるテーブルに座を占めさせてもらうことにした・・・お客は他に誰もいないので、完全貸し切り状態であるのをいいことに、荷物を椅子に下ろし、厚着で歩き回ったせいで中にうっすら汗までかいた体臭をデオドラントスプレーでごまかしてから、もう半ばジョークみたいな存在と化しつつある緑色の分厚く重いジャンパーを脱いで、本日、初めて、心底くつろぐ格好となって、明日の式典に向けて思いを巡らす・・・
・・・明日2025年3月11日の東日本大震災追悼復興祈念式への石破首相の出席は、震災復興関連予算の期限が切れるんだか新フェーズに移行するんだかの区切りで、今後どうなるかを巡って福島県内がそれなりにザワついているから、「今後も日本の上の方では 福島の復興を支援するから、安心してください」という口上を述べに来る、といった趣であろう・・・が、震災直後からこの国は、「復興特別財源確保」だの「復興大臣」だのといった「ハコ(=国民や企業から徴収した税金を差配するための枠組み)」だけ作っておいて、肝心の「金&労力の使い道(=どういう未来図を描いて震災後の東北をそこへと導いて行くか)」の(議論はともかく) ビジョンがまるで見えないままの十四年・・・だったようにしか、悪いけど、東京からの傍観者である自分の目には映らない・・・
・・・だからこそ、日本全体の中でもまず真っ先に人口先細りの波を受けることになる「福島以北のみちのく閑散地帯」が、今後確実に流入してくる諸外国からの移民(=純粋日本人ならぬ新日本人、旧名=ガイジンさん)と在来日本人との調和的共存の作法をまず日本で一番最初に模索&確立せねばならぬわけで、そんな福島県にとって(日本の他の地域よりもはるかに)重要なコミュニケーションツールとなる「英語」の必然性が高まる、という論理的必然の構図を見越した上で、「ならば、よその地域の日本人みたいに<受験>や<たしなみ>としての英語ではなく、<生きる上での必須ツール>としての英語を体系的・網羅的に短期間で確実に身に付けさせる最強の道具、作ったから、まずは福島県のみんなして、これ使って<英語通>になっでみっぺょ」という形で動き出したこの之人冗悟(Jaugo Noto)なのではあるが・・・
・・・まぁ、未来を抜本的に変える本物の変革というものは、当初は必ずみんなからソッポを向かれる宿命なのだから、無視されたり邪魔が入ったりするのはやむを得まい ― 新たな未来を切り開くということは、取りも直さず、今ある世の中を根底からひっくり返すことであり、大方の人間たちは本能的に「今のこの生活を揺さぶられてなるものか!」と思っているわけだから、「新世界へと人々を導く真の革新者」は必ずや「旧来の生活に固執する大方の人間たち」にとって「その存在そのものが目障りな異物」となるのである・・・これが2011年のあの大災厄直後の「すがりつくべき旧来の生活」というやつが根こそぎ土台から破壊された「まっさらな東北」が舞台であれば、我が「革新的英単語/英熟語習得教材」で「英語通揃いの福島県を作る」という構想に対する拒絶反応も比較的少なかったかもしれないのだが、当時はまだ作成準備段階だったのだから仕方ない・・・
・・・我ながらなんとも「間が悪い」展開だらけで苦笑するしかない感じだが、既にもう震災後14年、<復興>のあり方(≒国から出る復興予算の使い道)を巡って福島県内でも不協和音が響く頃合いになってから、今更「復興のお手伝い」もないもんだから、「復興から変身へ」などと銘打ったビラ作って「福島の明日を心底考える人々」に訴えかけるつもりで来たのだけれど・・・ここまでの流れからして、たぶん、うまくはいかねぇだろぅなぁ~・・・ま、いいさ ― 最初からとんとん拍子にうまく行ったのでは、物語が面白くなくなる・・・起承転結の流れの中で、最後に見事なドンデン返しを決めてみせるのが「日経 星新一賞 グランプリ受賞作家」の本分というものさ・・・
・・・などと、とりとめもない想念に身を委ねつつ、キーンと冷えたオレンジジュースとイチゴ入りケーキ(具体名、忘れた)で甘い物チャージ完了した頃合いで時計を見れば、時刻は既に午後3時を回っている・・・やっぱり確実におしゃべり好きそうなキレイな目をした陽気なお姉さんと、「もうまるで夏みたいだねぇ/夏は飯坂も昔と違ってひどく暑いんですよぉ~/避暑地って感じでは、ない?/いゃいゃ、飯坂って、湿り気多くって、夏はムシムシ暑いんですよぉ~」 みたいな立ち話をひとしきりしてからお店を出て、本日から二泊三日のお宿となる「小松や」目指して歩き出す。
喫茶店 あっぷるピーチ(in パルセいいざか)
〒960-0201 福島県福島市飯坂町筑前27−1
座って、飲み食いして、福島に来てから初めての心和む会話で気分もリフレッシュした足は、全行程下り坂であることも手伝って、飯坂温泉駅までサクサク進む。
十綱橋の手前で改めて眺めると、程々の広さの摺上川の岸に昔ながらのこぢんまりとした温泉宿が建ち並ぶ景観は(俗な言い方だが)「昭和の風情 」を感じさせて、心が和む。
そのこぢんまりと並んだ川岸の宿の中でも、十綱橋にかなり近いところに「小松や」の看板が出ている ― 「星新一賞」つながりで何となく選んだ「小松や」旅館だったが、立地条件としては最高の当たりクジを引き当てた感じだ。
宿に入る前から、ちょっと気分が浮き浮きしてきた。
◆8◆ 『「小松や」<青柳>川縁の眺望』
十綱橋を渡り、右折して少しばかり歩くと、二軒目の「小松や」旅館の玄関口には、当方を含め三組の宿泊客の名を記した「歓迎」の看板が出ている ― 玄関の自動ドアが開くと、正面の椅子やテーブルがある区画には動く人影がある ― お宿の人だか宿泊客だかわからないが、どっちにせよここはご挨拶しておく一手だ ―
「どうもぉ~! 今日から二泊三日でお世話になる、****ですぅ~」 ―
「はぃ~、どうも」 と応対してくれた甲高い声のマスク姿の女性は、宿の女将さんらしい ―
「では、受付で、ご案内させてもらいますから、どうぞ」
すぐ横の受付の奥の扉が開いて、若い女性が出て来て、
「お部屋は三階の<青柳>、お食事は地下一階、お風呂は地下二階で入浴時間は朝は6時から夜11時」 と説明してくれる ― 電話で聞いたあのちょっぴりはにかみ屋さんっぽい福島っ娘の声 ― どうやらこの宿の娘さんの女子高生というわけではなさそうだが、ついこないだまで学生でしたって感じのうら若い(声の通りにとっても)素直そうなお姉さんだ。
説明が終わって三階の部屋に移る前に、例の儀式 ―
「明日、パルセいいざかで行なわれる311復興祈念式典に出て、こういうビラを配るために、来ました。よかったら読んでみてね」 ― 十枚ほどチラシを置いてから、三階まで移動・・・エレベーターは(大地震の時に閉じ込められそうで)嫌いなので歩いて昇ろうかと思ったけれど、背中の荷物が「やめとけ」と囁くので、とりあえず今回はエレベーターのお世話になることにした。
部屋に入り、重いリュックを畳に下ろし、窓辺に立つと、眼下にはあの程々に狭い川幅の摺上川が流れ、すぐ左手で段違いになって下流へと落ちるこれまた程々のせせらぎの音が実に心地良く流れる。真正面には飯坂温泉駅の側面が見える。そして右手には、駅前広場の位置からは見えなかった十綱橋の下側の特徴的なアーチが(片側だけ)見える ― この景観だけで既にもう百点満点、受付で前払いを済ませた二泊三日料金のモトは十分取れた気分。
さらによく見ると、川面には、かわいい水鳥たちが、群れを成して泳いでいる。一番大きな水鳥は、二羽で横並びしたり直列で一直線に泳いだりしている。動きがどこまでもシンクロしていて、見ていて飽きない面白さ ― あの仲良しぶりは、たぶん「おしどり夫婦」ってやつなんだろう。実に微笑ましくてのどかだが、時折別のつがいが接近してきては、挨拶でも交わすのかと思いきや、意外なまでに大きく響く声で「グヮッグヮッグヮッ!」と叫びながら羽を広げて威嚇 したりする。どうやら、こんなのどかな川の上にも、縄張り争いがあるらしい。それにしたって、水鳥たちにはこの摺上川はじゅうぶん広いプールだから、一箇所を追っ払われたおしどり夫婦も、生活の場に窮する心配はなさそうだ。
おしどりたちより小さなサイズの鳥たちも思い思いに泳いでは、時折水中に没し、川魚のごちそうを探している。一番小さな水鳥たちは、5~6羽群れを成して水上の幼稚園児の風情 ― 鳥の名前に詳しいわけではない自分は、あぁいうかわいいヒナの群れを見ると「カルガモちゃん」という言葉しか浮かんでこない・・・のだが、そのカルガモ幼稚園児の危なっかしい群れは、よりにもよって摺上川の段差のあたり、ヘタすれば川の勢いで下流へと滝壺落としになっちゃいそうなギリギリの縁を、水勢に逆らいながらけなげにバタバタ泳いでいる。ハラハラしながら眺めていると、その群れの脇から一羽の鳥が音を立てて羽ばたいて、そのヤバそうな滝壺の下流の川面にあっさり着水した ― どうやら、カルガモちゃんたちが段差を下って川下に流されても、あまりマズいことにはならなさそうだ。
そうして程々に狭い摺上川の上に、程々の数の水鳥たちの、小さくのどかな世界が展開している ― これって、福島県、ひいては東北地方全体の、あるべき姿の縮図じゃないか ― ただひたすらに「数」と「金」と「名」を求めては、おしどりの縄張り争いとは比べものにならぬ姑息 で醜悪な収奪合戦に明け暮れる大方の人間たちの生きる世界とは、まるで次元の違う世界 ― そういう所に、今、自分は身を置いている・・・少なくとも、摺上川べりのこの宿に身を置く自分は、ヒマや非効率を目の敵 にして四六時中「グヮッグヮッグヮ~ッ!」と叫んでばかりの「東京人」ではない・・・まぁ、半世紀ぶりに口先に乗っけてる福島弁のほうはカタコトでなまってるんで、本物の「福島県人」ではねぇげどなぃ・・・
・・・ということで、心が程良くほぐれたところで、窓際を離れて畳の部屋に戻り、大小2つのリュックの中身を取り出して改めて確認する。大きなリュックの中身はもっぱら衣類 ― 行き帰りの新幹線で座席確保に失敗した場合に備えての「簡易座椅子」としての使い道を考えて、片っ端から丸めて突っ込んだクッション性抜群のその中身は、二泊三日の着替え類としては少々多すぎたようだ・・・が、しょせんは繊維の塊なので、重量感はない。重量増の原因は、ノートパソコンにスマートフォンに電気ヒゲソリと、それらに通電・充電するためのACアダプター類を納めた小型リュックのほう。
・・・こういう遠出のたびに毎度思うのだが、製品が違えば規格も違うためにいちいち別々のやつを持参せねばならないこのキチガイじみた不便を、いったいこの人類は、いつまで放置しておくつもりだろう? 電子機器の使用する電力にはバラつきがあるにせよ、それらに通電・充電するためのアダプター類は全世界・全製品で共通の規格を採用することぐらい、マトモにモノを考えるホモサピエンスの群れならば、出来て当たり前のことだろうに・・・各人各様に好き勝手なローカルルール作り散らす人間や企業や地域や国家のてんでんばらばらな自己主張のぶつかり合いで、グローバルハーモニー を奏でる ことなんて夢のまた夢・・・そんな世界の人間どもに、「homo sapiens:賢いサル」の呼び名は、まるでふさわしくないだろう・・・
それにしても、まぁ歩いた歩いた・・・ここ6年間、ひたすら部屋にこもって椅子に座ってキーボード叩きまくる生活をしていたというのに、こうして出し抜けに4時間も5時間も重いリュック背負って歩き回るなんて、我ながら無茶なことをするもんだ・・・畳の部屋の真ん中に敷かれた布団の上で、屈伸体操をしてみると、日頃使い慣れていない脚の筋が悲鳴を上げているのが感じ取れる・・・思えば、福島行きの新幹線のウナギの寝床で2時間近くも窮屈な姿勢で過ごすところから今日のテクテク行脚 は始まってるんだもんなぁ、そりゃ脚も腰も背筋も悲鳴を上げるわなぁ・・・
和室に付き物の低いテーブルの上に広げたノートパソコンに向かって座布団の上で明日・明後日の計画を練る最中も、膝と腰は、慣れない姿勢に文句を言い続けるので、何度も脚を組み直したり背中を伸ばして仰向けになったりしながらなだめすかす。自分はまだしも純粋日本人だからいいけれど、ガイジンさんだったらこの状況はキツいだろう ― 彼らにはやっぱり、西洋サイズのテーブル&チェアがなければ、座布団とちゃぶ台ではキツいはず・・・まぁ、そのキツさも「experience Japan:ニッポン体感」の一環として割り切ってください、と強弁することもできなくはないが、禅寺 での瞑想 体験ツアーでもない限り、「畳部屋の和室」にも「西洋タイプのデスク&チェア」や「フカフカベッドに見立てた敷き布団数段重ねのおもてなし」といった工夫がないことには、インバウンド旅行客のリピーター獲得は、難しいだろう ・・・
・・・というか、そのガイジンさん、福島駅周辺では一人も出くわすこともなく、飯坂電車の中で半ズボン姿のヨーロッパ系の人を一人見かけただけ ― 今日は月曜日だが、観光で日本に来る外国人には週末もウィークデイも関係ないわけで、どうやら福島は、インバウンド旅行客の取り込みには成功していないらしい ― 原発事故の負のイメージがまだ尾を引いているのか、それとも福島県自体が「観光の目玉」を欠くということか・・・いずれにせよ、かなり寒い感じである。
◆9◆ 『地下一階で夕食&女将さんと雑談』
午後7時、夕食は地下一階の食堂で取る・・・同日宿泊の3組のうち、もう1組(あるいは2組?)の年配の男女4名が既に食事を始めていた・・・
「失礼しますぅ~」 と(疑似福島弁で)挨拶して、一人用のテーブルへ・・・途中、機をうかがって、
「東京から311の祈念式典に出るために来ました。こういうことやってますぅ、よかったら見てください~」 と自己紹介しつつ、例のチラシをテーブルの端に人数分置かせてもらう ― この図々しさ、我ながら、だんだん板に付いてきた感じだ。
自分は食にはうるさくないので、出されたメニューの名前だの味わいだのについてつらつら書き連ねることはできないが、どれもこれもうまかった ― 3月10日の夕飯と、11日の朝・晩、12日の朝食、都合4食、おかずからおひつの中のご飯まで、全部残さず完食させてもらった、と書いておけば、どんな食事だったかは自ずと伝わることだろう ― やっぱ、福島のメシはうめぇわ ― 料理は最低料金コースのはずなのに、なんか、日を追うごとによくなっていったような気がするのは、飯坂温泉での旅全般の充実感の後押しによるものか・・・とにかく、よかったです。
そんな夕飯の席で、宿の女将さんとの挨拶代わりの会話が始まる ― 受付でお姉さんにドサッ!と渡しておいた「福島を『日本一英語のできる県』にする」のチラシ を見てくれたらしく、「お客さんが<エイゴの人>?」 みたいな感じで自然とあれこれ会話が弾む ― この女将さんなら、いろいろ話を聞けるかもしれない ― この14年間の福島復興の歩み、今の福島の問題点等、現地でしか聞けない話が聞き出せたなら、この旅をした甲斐 もあるというものだ ― 明日の311祈念式典でのビラ配りの頓挫という未来図まで(石破総理来訪のおかげで)半ば見えているだけに、自分の気持ちはもう「英語教材無料福音伝道者 モード」から「インタビュワーモード」へと切り替わりつつあった。
隣で先に食事をしていた年配4人組が先に席を立ち、膳を下げるためにやってきた女将さんと、再び会話 ― 震災当時は、この飯坂温泉は地震による被害が少なかったこともあって、太平洋岸(東電原発事故の中心地)の「浜通り」と内陸に奥まった豪雪地帯「会津」との中間地帯の「中通り」は福島県全体の人と物資の流れの「hub:ハブ(中継点)」として機能して、「旅館」というよりは「被災者・復旧作業員の一時宿泊所」としてごった返していたらしい。「想定外」だらけの前代未聞の大災害で、人や物資の流れを統括する「お上」の対応にはあれこれと不備が多かったので、不満の噴出する事態もあれこれあったそうだ。誰しもが住み慣れた家を追われ、原発事故による放射性物質拡散の見えざる恐怖におびえ、社会インフラの崩壊によって情報伝達も滞り、失われた生活をどうやって取り戻したらよいかの将来展望もないまま、ストレスの多い日々を送っていた震災直後の福島の人々・・・その後、原発事故の放射能被害が深刻な「浜通り」を除いて、帰宅困難者の数は減って行ったものの、そうして家へは帰れても、震災と原発事故さらには風評被害で、失われてしまった「昔の福島」のなりわいは・・・14年後の今、取り戻せたのか、今なおマイナスからゼロへの復帰も果たせぬままなのか・・・そのあたりの実感も聞きたいものだと思っていたのだが、飯坂温泉のような観光地=人の流れが生命線の土地柄では、2011年の震災以上に深刻だったのは、2020年に突如襲ってきたあの「コロナ・パンデミック」だったそうだ ― 「どうしてもやむを得ぬ用事以外では家を出るな、他者と接触はするな」という禁令は、飲食・接客の商売にとっては死刑宣告も同じ ― その経済的打撃に対しては、公的支援金は出たものの、その返済期限がもうじきやってくるので、コロナ禍以降必ずしも客足が戻ったとは言えない飯坂温泉でも、返済困難で廃業するところがこれから出て来てくるのではないか、との由・・・
・・・集客なくして経営なし ― 客商売は、つくづく、大変である・・・まぁ、我が合同会社ズバライエ/之人冗悟 としても、英語の「教材開発」ばかりで、その教材の「周知努力」を欠きっぱなしの日々からはぼちぼち脱却せねばならないわけで、他人事みたいに言ってはいられないのだが、コンスタントな客足を絶やさぬための営業努力に関しては、「語学屋」の自分と「小松や」さんみたいな観光業とでは、深刻さ・真剣度の程度が違う・・・
・・・などといろいろ考えさせてくれるぐらい、膳下げもそっちのけであれこれ語ってくれる女将さんは、エプロン姿の立ち姿が実にいい ― 何というか、「高級な松の盆栽の枝振り」みたいな感じで、直線に近い緩やかな曲線を描きながら立つそのエプロンラインの美しさは、人前に立つのが板に付いているといった趣である 。当人いわく「私、カラオケは苦手」 という話だが、ステージに立つのは決して苦手でもなければ嫌いでもない感じである。
食堂の前面には、小学校の講堂によくあるようなステージめいた小さな一角があり、そこはちょっとしたショーやカラオケの舞台として機能していたような感じだが、「カラオケ装置は、コロナの時にもう外しました・・・なんたってつばき飛ばしたらえらいことなんで」 という話だ。
・・・311にコロナパンデミック、「数百年に一度の大災厄」が、十年間隔で襲ってくる世の中で、生き残り、より良い明日を模索するには、懸命&賢明なヴィジョンが必要・・・そのあたりの必然性を、福島の観光業に従事する人々なら、他の人達以上に明敏に感じ取っていることだろう ― 「福島の中高生」にビラまいても何の反応もないようなら、次なるターゲットは「福島の観光業を何とかしよう」と真剣に考え抜いている人達がいいかもな・・・
・・・とりあえず、晩ご飯、ごちそうさまでした ― お料理も、お話も、とってもよかったです。
◆10◆ 『摺上川・十網橋・飯坂温泉駅・坂道の夜景を満喫してから、温泉に浸かり、フクシマの現状について考える』
夕食後、三階の<青柳>の部屋の窓際に座って眺める川縁の夜景は、これぞまさしく飯坂温泉といった感じ。川面を泳ぐ水鳥たちの姿が見えなくなってからは、飯坂温泉駅前を行き交う人々の動きをぼんやり見る。
駅前のお店もほとんどやっていない飯坂温泉では、夜の8時を回ればもう自分のような宿泊客は宿の外などうろつかないから、今あのあたりを行き交う人は、会社・学校帰りの地元の人か、日帰り旅行客かのいずれかだろう・・・日帰りで訪れるような観光スポットが飯坂温泉郷にはあるのだろうか? そういえば今日も日中、ちょうど「小松や」の受付で自分がチェックインしている頃合いに、あまり重くなさそうなリュックを背負ったジャージ姿の若い男性(というより男の子)が「***お願いします!」みたいな感じで何やら紙面にスタンプ押してもらったりしていた けれど、あれって「日帰り入浴」の手続きなのだろうか? あちこちの温泉宿に入湯料払っては「湯巡り」するような趣味が最近の若い男性の間では流行っているのか? ・・・何だかよくわからないが、単純な湯治客以外の客層(リュック背負った軽装旅行者)を呼び寄せる何かが、この飯坂温泉にはあるのかもしれない・・・そのあたりはまた明日、温泉郷巡りでもして確かめてみよう ― 311復興祈念式典が始まる(というか、終わる)時刻は午後4時近く、それまではひたすら(軽装で)この温泉郷を足で踏破してやる一手だな・・・
・・・ということで、本日の重装行脚 の疲れを癒やすべく、地下二階の温泉へ・・・脱衣所には先ほど夕食の席で見た年配の男性が着替えをしていた・・・「はぃ、お邪魔しますぅ~」 と疑似福島弁で挨拶するも、返答はなし ― そう、福島の男たちはおしなべて無愛想なのだ。
物心つく前から夏休みには母方の田舎の郡山に(主としてカブトムシ捕りに)いそいそ出かけていた自分には、ばぁちゃんもおばちゃんたちも女性はみんなおしゃべりなのに、男性陣は笑っちゃうほど無口というか口べたというか、そのヘンテコな対照ぶりが心に焼き付いているので、見知らぬ旅行客相手のこのじっちゃんの無愛想ぶりも、100%想定内の塩っからさ、ちぃ~っともおどろきゃしねぇべさ。自分の田舎のおじいちゃんなんて、夏休みに孫息子が来るとなるともう到着の何日も前からそわそわしては、カブトムシだのクワガタだのの詰め合わせ虫かごを準備万端整えておきながら、それをニコニコしながら孫に手渡す・・・のかと思いきや、孫の到着にも知らん顔して、ただ虫かごだけを孫の一番目に付く木の柱の釘んところさ引っがげでおぐだけ、そんなじいさまのぶっきらぼうで不器用な孫への愛情表現を、他の家族はみんな苦笑しながら眺めている・・・と、そんな感じだったんだよ 、と自分がみんなから聞かされたのは、おじいちゃんの葬式で郡山に行くことになった中学三年の夏休み ― もういいかげん「虫捕り」って年でもなくなったし、夏休みの田舎滞在も以前みたいに一週間丸々ではなく、三泊四日ぐらいで早々に切り上げるようになっていた自分は、折しも高校受験を翌年に控えたその夏は、「自分は受験だから田舎には行かない。みんな勝手に行って来て」 と早々に「福島の田舎卒業宣言」を切り出していたのだった ― そんな中でのおじいちゃんの死は、まるでこのつれない孫を呼び寄せるための悲しいイベントみたいで、なんともうしろめたい感じでいっぱいだった ― 身内で初めての葬式だったから、人の死とどう折り合いを付けてよいかわからぬ中学三年生の男子としては、頭と心がとっちらかる体験だったことは確かであるが、それよりも何よりも「もう、福島は、いいや」と見切りを付けてしまった自分のつれなさ に、今更ながら沸いてくる自責の念と、それを謝ろうにももうおじいちゃんはいないという寂しさとで、いたたまれない気分だったのである ・・・それまでは毎年列車に揺られて「安積永盛(あさかながもり)」で下車して橋を渡って到着していた「虫捕りワンダーランド」へ、東北自動車道を(おじさんの車の助手席で)膝の上にラジオカセットテープレコーダー抱えて座りながら、ばかデカいヘッドフォンから流れてくるThe Beatlesの『We Can Work It Out』 の歌詩の「Life is very short, and there’s no time for fussing and fighting, my friend.:人生ひどく短いんだから、ドタバタ騒いでケンカしてるヒマなんてなんだぜ、君」 の一節が繰り返されるたびに「人生、短いんだ・・・うん、そうなんだ」 という感覚が脳裏に刻まれて、同じ『The Beatles 1962-1966:ビートルズベスト曲集 赤盤』 のC面最後の曲『Norwegian Wood:ノールウェイの森』 にさしかかったところで、彼方の空を真っ赤に染めて、沈む太陽が地平線近くでやたらでっかく「さようなら」をしている姿に、じんわり涙のにじむ目を閉じて、ひたすらあの曲の単調な旋律だけを耳と心に刻んでいたっけ ― あの時の東北の地平線に沈み行く夕日の鮮烈な印象と重なって、『Norwegian Wood:ノールウェイの森』 は我が生涯の最も愛着ある一曲となったんだっけ(・・・だから、後々このビートルズナンバーとしてはかなりマイナーな曲のタイトルを冠した 小説を村上春樹が世に出した時には、なんだか自分の大事な思い出の空間に、大勢の他人がズケズケと割り込んできたような感覚に襲われて、あまりいい気持ちはしなかったものである )・・・
・・・とまぁ、そんな風に福島男の無愛想さには免疫ができている自分なので、湯船の中にまだ浸かっていたもう一人の年配男性に対する「お邪魔しますぅ~」 の疑似福島弁に何のこだまも返ってこなかったのも、へいちゃらであった。
・・・というか、おしなべて控え目というか慎重というか保守的というか冒険嫌いという特性が主たる県民性であると言ってよいであろう福島県のみんなに、「福島を『日本一英語のできる県』にする」 なんて訴えかけをしようという我が身の振る舞いが、亡くなった田舎のおじいちゃんとは逆方向の不器用極まる愛着表現だなぁ、という感覚を催して、思わず笑ってしまった・・・
・・・こうして相風呂となった見知らぬ相手との間で、自然に会話が展開するような社交性は、どう考えても福島県人(女性はともかく、福島男)のものではない・・・相手を気詰まりにさせても悪いので、このじっちゃんたちには、こちらからあまりなれなれしくしないでおいてあげるのがせめてもの優しさというものであろう・・・
・・・ということで、シャワーの前で丁寧に身体を洗ってから、じっちゃんとはなるべく離れた距離を取って湯船に浸かる・・・深い湯船に首まで沈むと、両手両足がプカプカ浮き上がる。ここんとこキーボード打ちっ放し作業のツケが出たのかやたらと痛む両肘のあたりを手でもみほぐすと、ヌメヌメとした温泉水特有の粘り気が感じられ、(あぁ温泉宿に来たんだなぁ)という気分になる。
そうして湯船に浸かりつつ、ぼんやり考えた・・・福島県の子供達は「大人に対する挨拶」に関して小さい頃から実にしっかり躾(しつけ)を受けているようであり、それはもう素晴らしいことなのだが、逆に大人の男たちは、「目下から挨拶され、敬われる立場」に安住してはいまいか? ― 「そういうものだ」と決めてかかっている物事には、たいてい、落とし穴が潜んでいるものである ― 「ならぬものはならぬのです!」 という会津魂は、愚直と笑われても義を貫く姿勢と捉えればそれはもう美しい哲学なのだが、「ならぬものの、どこがどうならぬのか、とことん突き詰めて考えた上で、ならぬ!と言っているのか?」 という問い掛けをぶつけられた時に、「ならぬものは何がなんでもならんのだ!」 の一点張りでは、誰からもそっぽを向かれ、嘲笑され、足蹴 にされて、終わりである ― 地べたにはいつくばったその「ひたすら頑固な愚か者」を傲然 と踏みつぶして「邪魔者掃除」するのを厭う 人間なんて、会津の里の外には一人もいない・・・という現実は、あの江戸の終わりから明治にかけての「戊辰 の動乱」がはっきりと物語っている。何がなんだかわからぬうちに「賊軍」にされて、何のために戦っているのかもよくわからぬまま「官軍」にコテンパンに打ちのめされて、無血開城した江戸城では果たせなかった「新政府軍による旧体制の血祭り」の舞台として会津のお城(鶴ヶ城)を好き放題蹂躙 された挙げ句、「新体制への反逆者」として最果て の地の斗南(となみ)へと追いやられた、江戸の終わりの愚直な福島県人たち ― 何がなんだかよくわからぬまま「中央(江戸/東京)のスケープゴート(身代わり)」としての貧乏くじを引かされる悲運にただひたすら耐えるばかりのその悲しい役回りは、14年前の原発事故が「フクシマ」に背負わせた負のイメージにそっくりそのまま重なる・・・あの事故は「<東京>電力」が引き起こしたものなのだから、その意味では「福島県は(またしても日本の中央にひどい目にあわされた)被害者」というのが福島県人の当然の感覚だろう・・・が、「その東京電力の原子力発電所のおかげでメシ食ってた<浜通り>」という図式からすれば、福島県(少なくとも浜通りの<原発城下町>)を一方的被害者扱いするわけにもいかなくなる ― このあたりの二律背反 状況を、福島県の人たちは、どう感じているのだろう? ― あの原発事故に関して、「浜通り」とそれ以外(「中通り」・「会津」)の福島県人の間では、立場の違いによって当然受け止め方の違いも生じてくるのではあるまいか?・・・「福島県の復興」というと、東京に身を置く自分の目と耳には「原発事故で故郷を追われた<浜通り(双葉町・大熊町・楢葉町といったよく聞く地名)>の被災者たち」の物語ばかりが飛び込んで来るが、あの原発事故の「純然たる被害者」はむしろ<原発城下町の浜通り(=太平洋岸)>を外れた<中通り(=福島市・郡山市・飯坂温泉等)>や<会津(=磐梯山 に猪苗代湖 、鶴ヶ城もある福島県最西部の豪雪地帯)>のほうのはず・・・なのだが、国による救済もメディアによる報道も「<浜通り>の被災者たち」にばかり偏っているように(東京の傍観者の目には)映る。目に見えてわかりやすい「被害者」が<原発城下町の住人たち>であるからこそ「国策として原発推進した日本国は原発事故の(わかりやすい)被害者の生活再建をしっかり支援します」という姿勢を示さねば(よその地の<原発城下町>に対しても)示しがつかぬからそういうことになるわけであろう・・・原子力発電所という「稼ぎ頭 」が消滅した<元 原発城下町>の再建に、国・福島県・そして浜通りの(<ゼロからの再生>の魅力に引かれて余所 から移り住んで来た若者たちが大勢を占める)住民たちがどのような目算を立てているのか、それは部外者の自分にはわからないが、福島の現実を肌身で知らぬ自分のような部外者の目にも、「無残に破壊された<元 原発城下町>に、新たな駅舎 ・店・街ができる」という絵柄は「バエる」ので、日本のお上もメディアもさも当たり前のように<浜通りの復興>に焦点を当てるわけだろう・・・が、世間への見栄えにばかり張り付いたそんな「復興」が、果たして「福島県の復興」と言えるのだろうか?・・・自分は決して「<浜通り>は<被害者>ではなく<加害者(=東京電力)への加担者>である」などと指弾するつもりはないのだが、「原発事故被害者のその後の歩み」という形で(東京で)目に飛び込んでくるのが<浜通り>ばかりで「<中通り>や<会津>は福島県ではない」かのごとき有様を見せ付けられ続けると、さすがに考え込んでしまう ― <中通り>や<会津>は「原発事故の被害者」ではなかったのか? 帰宅困難とか放射能汚染とかの直接的被害が最も大きかったのが<浜通り>なのはわかるが、「フクシマ=原発事故汚染地帯」という負のイメージによる被害に関しては、「誰もいなくなった双葉町や大熊町」よりも「風評被害の逆風の中で今まで通りの商売を続けていかねばならぬ<中通り>や<会津>」のほうが直接的被害者のはずなのだが、そちらに対する救済は、きちんと行なわれているのだろうか? ― この国のありようをつぶさに観察し続けてその根源的難点の数々を熟知する立場から言わせてもらえば、「目立たぬ被害者への救済」がマトモに行なわれた例し のないこの日本国にあって、<中通り>や<会津>が被った「原発事故の余波」に対する補償や「原発事故汚染地帯としてのフクシマの負のイメージ」からの立ち直りへの支援が、しっかり行なわれているとは、想像し難いのである・・・これが自分の単なる邪推ならよいのだが、自分の想像通りなら、「<浜通り>の復興モデル地区(=世間向けアピールのためのショーケース)」を外れた地に於ける「フクシマ」の負のイメージ払拭 は、国など当てにせず、<中通り>・<会津>の自助努力でどうにかするより他はない、ということになるだろう・・・さしあたり浮上してくる問題としては、例の原発事故で発生した大量の「汚染土」の最終処分問題があるわけだが、「とりあえず福島県内で保管しておいて、いずれは県外で処理」という日本国からの約束も、はたしてどこまで当てにしてよいものやら、怪しいと言わざるをえまい ― なにせ相手は、東日本大震災発生のその年(2011年)に(被災地東北の現実を完全に無視して)「<東京オリンピック2020>を予定通り開催申請」した鉄面皮 な連中なのである・・・その際には国際オリンピック委員会へのアピールポイントとして「(9年後の)日本が東日本大震災の痛手 から見事に復興したことを世界に示す<復興五輪>」などという無根拠・無責任・無神経な謳い文句 をいけしゃぁしゃあと打ち出した(まるで戦時中の大本営みたいなwishful thinking:自分にとって都合の良い夢物語ばかり思い描いている)ロクデナシ連中なのである・・・開催予定年の2020年には新型コロナウィルス感染症の全世界的蔓延 に歯止めがかからずその行く末も全く見通せぬ中で「人類がパンデミックに打ち勝った証しとして、1年順延の<東京五輪2021>を、大成功させようではありませんか!」などとホザいていた「現実無視の口先ばかりの身勝手先走り生物種」なのである ― そんな身勝手で無責任で鉄面皮 な日本の中央の連中相手に、「約束したからには、何がなんでも汚染土の最終処分は福島県の外で、責任をもってやってください」と迫っても、「いやぁ、あれから色々事情も変わりまして・・・」とか何とか言ってあっさり反故 にされるのが関の山、と思ったほうが現実的態度というものだろう ― 東京五輪も汚染土処理場も「とりあえず、連中があまり騒がないような<甘い予算や未来の見積もり>を見せておいて、実現にこぎ着けてしまいさえすれば、後はなんとでもなる」というのがこのダメな日本の毎度毎度のやり口なのである ― だから、「結局、約束は守られない」という最悪の結末を覚悟した上で、「全く当てにならぬ日本の中央の連中など当てにしない、100%自助努力による<フクシマの負のイメージ払拭策>」を必死になって考えるのが当然の手筋だろう・・・と、今の日本のことなどこれっぽっちも信じていないこの之人冗悟 は考えるのだが、実直な福島県の人々はどう考えるのだろう? ― 「国が約束したからには、何がなんでも必ず汚染土は県外に移して処理してください。約束は守らねばならぬもの。破ってはならぬもの。ならぬものは何がなんでもならんのです!」と、そういうことに、なるのだろうか? ― もしそうならばそれは、実に残念極まる「思考停止」であり、「過去への隷属」であり、「未来に向けての歩みの放棄」である ― そもそも「汚染土を何故福島県外で処理せねばならん」のか? それは「原発事故の後始末を、ことごとく福島県が背負わされれば、負のイメージがとことん定着してしまう」という感覚によるものではないのか?・・・だが、原発事故の置き土産としての「汚染土」や「プルトニウム」の処理を福島県以外の土地で行なってもらえばその分「原発事故に沈んだフクシマの負のイメージ」はプラスに転じるのか? 自分にはそうは思えない ― 「哀れなフクシマに救いの手を差し伸べた余所の地の人々の義侠心 を賛美するエピソード」に化けるばかりで、「救ってもらったフクシマ」は「正義感溢れる余所の土地の引き立て役」にしかならないではないか! それでも「日本全国から続々と救いの手が差し伸べられて、原発事故の汚染土が<義理堅い新生日本全土の礎 >となりました」というような美しき日本のおとぎ話が生まれるというのならそれはめでたい話だが、そんな夢物語の実現可能性がゼロであることは、「沖縄にばかり過重な米軍基地負担を負わせて頬被り を続ける日本本土の体質」を見れば火を見るよりも明らかであろう・・・そもそも「福島県から生じた厄介な廃棄物を、他県が敢えて引き受けるべき理由」はどこにあるのか? 「原発事故の<被害者>としての福島県に対する同情心」に期待するには、震災発生からあまりにも時間が経過しすぎているのではないか? はっきり断言するが、「フクシマ汚染土問題」なんて東京ではほとんど報道されないから、東京に身を置く人間のほとんどの意識の片隅にもないのである・・・そもそも「産業廃棄物の処理は、当該施設の存在する都道府県内で行なうのが原則」である以上、「原発を誘致した福島県には、原発関連で生じた廃棄物の処理責任がある」という論理を「原発事故被害者としての痛切な訴え」で突破するのは、無理があるのではないか?・・・そこまで考えたなら、この際、発想を逆転させて、「よその誰もが引き受けようとしない損な役回りを、敢えて 引き受ける<会津魂>」という戊申 の悲劇のイメージをむしろ積極的に前面に打ち出した上で、「原発事故に沈んだフクシマ」の負のイメージは、「汚染物質の県外処理」などという小手先の政治決着とは次元の違う「アッと驚く大逆転のイメージアップ」で(フクシマのことなどもはや忘れている日本の中央の連中を尻目 に、福島県だけの自助努力で、まるで降って沸いた奇跡のように)覆してみせるよりほか、もう、福島県の未来を切り開く道は残されていないのではないか?・・・酷なことを言っているように聞こえるかもしれないが、この之人冗悟 の目にはそれ以外のシナリオはまるで見えない・・・福島の人達の心の目には、いま、どういう未来図が見えているのだろう?
「ならぬものはならぬ!」の哲学の実践は、「何がどうならぬのか?」・「ならぬものをどうすればよくなるのか?」を巡る絶えざる自問自答の繰り返しの中でしか成立しない ・・・のだが、そのあたりのところをきちんと弁えて いる会津っぽが、いったいどれほどいるだろう?・・・「正義」を貫くためにはただ単に命を懸けさえすればそれでいいというものではない ― 愚直な思い込みの「正義」に殉じて 命を落とす頑固者のことなんて、本気で讃える 人間はいない・・・また、そんな「愚かな義に殉じて の犬死に 」を賛美したりする体質は、絶対に許されてはならんのだ ― 第二次大戦で、無為無策の愚かな日本国に命じられるがままに何の意味もなく犬死にした幾多の日本兵を「玉砕 ・散華 」などと言葉の上だけで美化したあの時代の日本人どもを、自分は決して許さないし、そうした連中の直系の末裔 みたいな日本人どもも、自分は、決して受け容れない ― 願わくば、今の世の福島県人が、「ならぬものはひたすらならぬ!」ではなく、「これはこれこれこういう点でならぬものだから、それを改めて、うまくなるようにすっぺ!」の合理的哲学の信奉者&実践者であってほしいもの ― もしそうでないならば、「フクシマの負のイメージ払拭 大作戦」の一環として「福島を『日本一英語のできる県』にする」過程で、「愚直な思い込み」を排して「論理・倫理・正義」を貫くとはどういうことか、英単語・英熟語・英文法と同時進行で学び取らせて、心の奥底から変身させてやろう ― そういう形で「語学+哲学」が身に付くような教材を、三十数年間、愚直な準備と試行錯誤を重ねて作り上げてきたこの之人冗悟 なのだから・・・
・・・あとは、「いらんものはいらんのです!」と食わず嫌いする福島県人 に、とにかくこの教材を使ってもらう算段を付けるのみ・・・なぁに、この三十数年の鈍牛 のような「創作」過程の辛苦 を思えば、この先の「営業」段階での難儀なんて、物の数にもはいりゃせん・・・
◆11◆ 『真夜中のサイレン』
温泉に浸かって気分も良くなったところで、エッチラオッチラ階段を昇り、三階の<青柳>の部屋の中を見渡せば、リュックの中身確認のために取り出したあれやこれやが散らかしっぱなし・・・明日は3月11日、ここは福島の地だというのに、いざという時即座に身なりを整えて避難できる態勢からは程遠いこのテイタラクは、ないだろう・・・
・・・ということで、万一緊急避難が必要になった時に往生せずに済むよう、リュックへの荷物の収納作業に取りかかる・・・明日の昼間の飯坂温泉郷徒歩巡りに備えて、小型リュックの中にはPC・スマホ・予備バッテリー・電源類に加えて例の(まだ山ほど残ってる)チラシを入れ、それ以外の荷物は、着替えを残して全て大型リュックに収納、万一の場合への即応体制を整えて、これで準備は万端だ・・・今日はおやすみ、また明日・・・
・・・そうして寝入ったその後で、夜中にふっと目が覚めた ―
窓の外、飯坂温泉駅の向こうの坂道のあたりから、「ブォーッ!ブォーッ!」と腹の底に響くようなサイレンの音がする ― 枕元のiPhoneに向かって「Hey Siri…今何時?」と問い掛ければ、「
3時33分です 」と答える・・・「午後2時46分」ならあのサイレンも納得だが、こんな夜中に
黙祷 や避難訓練もないもんだろう・・・
・・・慌てて飛び起きて窓の外を眺める・・・大地は揺れていないし、摺上川の水の流れも穏やかなものだ・・・地震・津波でないとすれば、次に疑うべきは火事・・・だが、夜の飯坂温泉郷を見渡す限り眺めても、暗い夜空を赤く染める火の手は、どこからも上がっていない・・・にもかかわらず、例の
「ブォーッ!ブォーッ!」 のサイレンは断続的に鳴り響く・・・やがてそこに
「ファォーン!ファォーン!」 の緊急車両のサイレンが加わって、
「起きろ!みんな起きろ!」 とでも訴えかけているかのようだ・・・が、聞こえてくるのは飯坂温泉駅のはるか彼方の坂の上の方 ― 十綱橋のこっち側には関係ない何かが起こっているらしい・・・もしこちら側で火事みたいな現実の危機が起こっているのなら、館内放送なり何なりで避難誘導が行なわれるはず・・・
・・・何とも人騒がせな
「ファォーン!ファォーン!」 のサイレンはその後も十分以上断続的に鳴り響いたが、火のない所に煙を立てるがごときオオカミ少年っぽいやかましさにも次第に慣れてしまった自分は、ふてぶてしくも寝入ってしまうことに腹を決めた ― いざ本当に避難ということになれば、寝る前にまとめておいた衣類&リュックの
整理整頓 がモノを言う ― 来るなら来やがれ、緊急事態・・・
・・・結局、午前3時台のあのサイレンは(少なくともこの「小松や」に関しては)全くの誤報、その後は何も起こることなく、3月11日の平和な朝を迎えた。
午前6時ちょい前には目が覚めていたので、午前7時30分の朝食前に、地下二階での朝風呂としゃれ込む。
湯船でまたも出くわした先客の年配の福島の無愛想じいさまへの
「おはようございますぅ~」 のご挨拶は、例によって不発、何のこだまも返ってこなかった。
・・・ここまでは「business as usal:平常通り何も変わらぬ」一日の始まり・・・この後、どういう一日が待っていることやら・・・
■3月11日(火)(第2日目)■
◆12◆ 『静かな朝食』
朝食は今朝もまた地下一階の食堂・・・年配の男女四人連れは既に朝食を取っているが、夕べに比べて妙に言葉数が少ない。午前3時半のサイレン騒ぎで寝不足なのか、はたまたゆうべ変なビラ押し付けてきた上に福島弁をマネしてしゃべる「怪しい東京もん」に今日もまた何かされるんでねぇかと警戒してるのか・・・まぁ、こっちの気のせいならそれでいいのだが、警戒させて気詰まりにさせちまったとしたら、そらぁえらい申し訳なぃこった・・・が、
「東京のもんが、福島弁を小馬鹿にしてマネしてやがる」 と思われて立腹させたとしたら、それはあちらの勝手な邪推、典型的なコンプレックスというやつだから、こちらが責任を取ってやるべき筋合いはない。
遠い昔のラジオの普及以降、日本全国津々浦々 で聞けるようになった「東京ことば」は、それを喋れるようになったからといって「外国語」を身に付けたかのような「たしなみ」を気取れるような代物 ではないし、その「東京ことば」を全国の人間たちがこぞってマネして喋るようになった現象の裏返しとして、「東京ことば」にウンザリしている「語学屋」之人冗悟 が「福島弁の尻上げ口調」を「機械的に冷淡なNHKアナウンサー言語に生きたお国ことばの息吹を通わせるアクセント」として口に乗せたからといって、「おめぇ、福島の人間でねぇべ? んだのに、なしておめぇが福島弁マネすんだ? おがしぃでねぇが?」 とか言われる筋合いはない ― 「ってやんでぇ、そっちだって<東京弁>のつもりで血の通わねぇ<NHKアナウンサー言語>くっちゃべることで日本語の非人間性増進に一役買ってるクチじゃねぇか! そんなてめぇっちが、おれっちの<福島弁風尻上げ東京弁>をとやかく言えた筋合いかってぇんだよ、このすっとこどっこいが! おととぃきやぁがれってんだ、べらぼーめ!」 ってな啖呵 切るようなマネは純朴な福島県人相手に可哀想すぎてできゃぁしねぇ が、「福島弁」を「日本人全員が見習うべき佳い ことば」として自覚的に認識していねぇその罪だけは、ちぃとばかし聞き捨てならねぇ感じだから、「福島弁を小馬鹿にするな!」みてぇなイチャモンつけてくる野郎にゃぁ、この江戸っ子語学屋の之人冗悟 、黙って曖昧 笑いに逃げ込むつもりは毛頭 ねぇぜ、そこんとこは覚悟してくんな ・・・って、ったく、なんてガラ悪ぃ言語なんだろね、この<べらんめぇ口調>ってやつぁ・・・「福島弁」・「尻上げ口調」をやたら持ち上げたがる江戸っ子冗語の心根 が、ちったぁわかってもらえっかな?・・・ま、わかってくれよぅがくれめぇが、俺っちゃぁ「疑似福島弁」使い続けるけどな・・・
・・・そんな静かな朝食もそこそこ進んだところで、女将さんがやってきた・・・ゆうべの午前三時半頃の例のサイレンの件を話題に乗せると、「**のほうで、火事と、それから行き倒れが一件、あったんだそうで」 との話・・・行き倒れ?・・・地元の人なのか、よその地から迷い込んできた社会的弱者の遭難なのか、あまり深くは突っ込んで聞かなかったが、東京あたりの不夜城 で飲み歩いた果ての急性アル中で行き倒れ、というのとはタチが異なる末路であることだけは確かだろう・・・
・・・そこそこ雑談を交えた後で、女将さんいわく「今夜の夕食はお部屋にお持ちします。7時半でよろしいですか?」 ・・・まぁ、お隣の年配さんたちとは会話が成立しないことは既に証明済みなので、あえてこの食堂に自分が食事を取りに出向いてくるべき必然性もないから、部屋で一人の夕食もべつに悪くはない・・・というか、これは「ヘンなビラ配っては福島弁マネしてしゃべる東京もん」との同席では気詰まりだ、とあちらの年配グループから宿の方に申し入れがあった結果かもしれない ・・・そうだとしたら、今朝の朝食の席でのあちらさんの不自然なまでの無口ぶりにも妥当な 説明がつくわけで、ここはひとつ、よそさまに余計な迷惑かける種は、自ら摘み取っておくのが人としての筋だろう。江戸っ子・江戸っ子とやたら強調しておきながら、自分自身の「粋(いき)じゃねぇ振る舞い」のせいで人様に迷惑かけ続けるなんてのはますますもって不粋の極み 、江戸っ子にゃぁあるまじき振る舞いだから、そういうことなら(いや、そうじゃねぇかもしれねぇが) とにかくまぁ今夜の夕飯は部屋で一人で取ることにしよう・・・
・・・とかなんとかお隣さんへの邪推めいた想念が一瞬頭の中をよぎったが、女将さんの追加説明でその邪推は吹っ飛んだ ― 「今夜はこの食堂に団体さんが来るもんで」 ― あ、はぃ、納得しました・・・その団体さんに、またまた例のビラ配られちまうのも、何だしねぇ~・・・
◆13◆ 『福島を日本一「英語のできる県」にする!ことに之人冗悟がこだわるワケ』
今日は3月11日、午後の4時頃を期して「パルセいいざか」で「本番」のビラ配りのメインイベントが控えている ― 「福島を日本一『英語のできる県』にする!」という例のやつである・・・が、そもそも福島県人でもない東京もんの之人冗悟 が、なんでそうまで「フクシマ」にこだわるのか、福島県人を英語の達人にして一体どうしようというのか、その理由を述べておかぬことには、この雑文全体の存在理由も霞んでしまうだろうから、ここで自らの立場をはっきりさせておこう。
■1)忍従か、単なる沈黙か? ― 福島の思いがまるで伝わってこなかったこの14年間の意味が知りたい
2011年3月に福島第一原子力発電所が水素爆発を起こした直後から、ネット上では感情的な「反原発」の叫びが
怒濤 の勢いで荒れ狂っていた・・・が、熱しやすく冷めやすい日本人の常として、この多分に感情的な「原発ヘイト」の動きなんて、そうそう長続きするものではないだろうと自分は思っていた。ネットというものは「いまキテる流れ」に乗ることしか考えていない連中の悪ノリによって後先考えずにロクでもない方向へと流れてしまうものだから、原発事故発生直後に「反原発」を叫ぶ連中の大声もそうそう長くは続くまい&早いとこ静まってほしいものだ(さもないと、今後の原子力発電との向き合い方に関する冷静で合理的な議論も始められないではないか!)と思っていた・・・実際には、ネット発火の「反原発」の流れは生身の抗議活動よりもはるかにしつこく尾を引いて、「原子力発電とどう向き合うべきか」のマトモな議論が成立しそうな空気も一切ないままに何となく「今はもう再生可能エネルギーの時代でしょ?」みたいな流れが十年ほど続いた挙げ句の果てに、またぞろシレェ~ッと「議論なきままの原子力エネルギー復活の国策展開」が(大衆の目を盗むようにして)行なわれている、という毎度おなじみのテイタラク(この流れは、一般国民の目を盗んでの「武器輸出国化による経済立て直し政策」がいつの間にか日本の既定路線と化していた、というのとまったく一緒・・・ヤレヤレ)・・・
そんな原発の是非を巡る(かなり残念ではあるもののおおよそ最初から予想されていた)ゴタゴタ状況の中で、この
之人冗悟 、たった一つだけ大いに心配していたことがある。それは、感情的な「!反原発!」を叫ぶ連中のおみこしとして<フクシマ>が担ぎ出されてしまうこと ― 「原子力発電はひとたび事故が起こればこんなヒドい不幸を招くのだということ、<フクシマ>を見ればわかるでしょう?」という形で原発が招く不幸を象徴する<負のアイコン>として利用されたり、さらには一歩進んで「我々<フクシマ>は、周辺住民に多大なる被害と不幸をもたらす<原子力発電>に対し、その被害者として、断固反対します!」という形で福島県そのものが「反原発最前線」となってしまうこと ― ちょうど「ヒロシマ・ナガサキ」が都市ぐるみで「核兵器反対のアイコン」となっているように、「フクシマ=反原発のアイコン」となる道を自ら突き進んでしまうのではないか、と危惧したのである。
自分は、原発反対派でも原発推進派でもどちらでもないが、「感情的で後先考えぬ反原発」に対しては理知的にこれを非とする立場である。冷静で合理的な議論によって「原子力発電から他の電力へのエナジーシフト」を推進しようというのであればそれは大いに結構なことだが、「原発の水素爆発で死ぬほどコワい目にあった」ことへの感情的反発から、原子力を悪者に仕立て上げ、身の回りから消し去るべき「
穢れ 」として有無を言わさず排斥するというような挙動は、「今後の電力を巡る冷静な議論」の妨げにしかならない ― そうした振る舞いを「自分が世間に名を売るため」に行なっている(としか見えない)一部の連中の叫びには心底ウンザリしていた自分は、そうした
跳ねっ返り どもに担ぎ出される形で「フクシマは反原発の
総本山 」というような状況になってしまったなら、原発事故の後始末もかなり厄介なことになるぞ、と恐れていたのである ― 「人々に不幸をもたらす原子力」を「キライ! 消えて!」と叫ぶ人々に囲まれていたのでは、原子力発電関係者の仕事はやりづらい。今まで人類が経験したことのない
未曾有 の大事故であれば、その事後処理から得られる「原子力(の危険性の再認識と安全対策の向上)に関する新たなパースペクティブ(視野・展望)」が原子力関連研究を大いに推し進める力になる ― 原発事故の被害者にとっては不愉快に聞こえるだろうが、科学の進歩の最大の原動力は「失敗から得られる知見」なのである ― そうした科学技術的進歩の可能性も、もし福島県が「反原発県」としての立場を強く打ち出したならば、大いに阻害されることになる。原子力関連の企業に就職しようとする者の数が減るのは仕方ないとしても、原子力研究そのものが「日本人全員から
忌み嫌われる <ケガれた科学>」としての
烙印 を押されてしまえば、福島県の原発事故の収拾を図るのに外国(例えば原子力発電積極推進国のフランスあたり)の科学者・技術者の手を借りるばかりで、日本人の自助努力による事後処理の可能性を日本人自らの「原子力ヘイト」で殺してしまうことになる・・・
・・・と、そういう危惧を抱いていた自分にとっては幸いなことに、福島県が自ら「反原発」の立場を
標榜 する場面は(東京に身を置く自分の目に付くところでは)一切なかった。「ひどい目にあわされたフクシマに代わってモノ申す!」と叫ぶ「外野の有名人(&売名人)たち」のピィチクパァチクをよそに、当の福島県からの抗議や怒りの声は(東京に身を置く自分の耳には)ほとんど飛び込んでくることもなかったのである。原発事故を起こした張本人である東京電力の
御粗末 な事後処理の数々に対する福島県の(というより日本全土の)怒りの声は(当然のこととして)しばしば聞かれたものの、「原子力発電そのもの」に対する非難の声は、当の福島県をまるで「台風の目」のごとき無風状態で包みつつ、周囲の「反原発の非福島県人たち」だけが叫んでいる、という状況であった(ように東京に身を置くこの自分には見えた)・・・この状況に、「やっぱり、福島県人は我慢強いわぁ。あれほどヒドい目にあわされても、外野で荒れ狂う声をよそに、
他人様 への
恨み言 を声高に叫ばないとは・・・クレーマーだらけの東京あたりとは、
人品 が違うわ!」と賛嘆と
安堵 に胸をなでおろした自分ではあったが、逆に、そのあまりの「音無しの構え」には、次のような疑念をも抱かざるを得なかった:
▲A)東京にいる自分の耳には入ってこないだけで、実は、福島県内では「原発への怨嗟 の声」が荒れ狂っているのではあるまいか?
▲B)震災被害への対応で手一杯の福島県人にとって、SNSなんかで「被災者としての思い」を発信している余裕はなかった・・・ので、その後もずっと「音無しの構え」が続いているのではあるまいか?
▲C)「!原発反対!」と叫ぶ外野の声が<フクシマ>をダシに使う形で勝手にネット上などで暴走している状況を見て、「こういう人たちと同じ地平に身を置くのは得策ではない」と感じた福島県人たちは、「原発」に関して自らの立場を明確にすることを避けるようになったのではあるまいか?
▲D)原発事故の直接的被害者である<浜通り>の住人たちは福島県外に避難しているため、彼らの声は「フクシマからの声」ではなく「(メディア演出による)哀れな避難民の嘆き」として報道されるばかり、その一方で<中通り>・<会津>の福島県人たちは放射性物質拡散に伴う自分達の商売への風評被害の拡大を恐れて、「原発事故を巡る話」を語るべきではない「ケガれ」として封印する方へと流れていったのではあるまいか?
▲E)「原発城下町」としての経済的恩恵に加えて「原発事故の(わかりやすい)被害者」としての補償も手厚く受けている<浜通り(を追われた元住民たち)>とは対照的に、「原発の経済的恩恵」からは遠く「原発事故被害者」としての補償は薄い<中通り>や<会津>の人々としては、「原子力発電そのものの是非」よりも「原発事故被害者に対する救済措置」さらには「震災復興(予算)の不均衡」を巡る(中央の政治に対する)不満のほうが大きいのではあるまいか?
▲F)同じ福島県内でも、「反原発」の立場を強く打ち出してしまった人々とそれ以外の人々との間では分断があり、「福島県全体としての原子力発電および原発事故の後始末に関する統一的立場」というものが定まらないため、県外に身を置く者に対して「福島県の声」が響いてこない状況になっているのではあるまいか?
・・・こうした疑問の解消にも(若干 )期待して、自分は、今回の福島への旅に出たわけである ― とにかく、東京に身を置いている者の目と耳に入ってくるのは「<浜通り>の**地区の避難指示解除」といった物理的状況ばかりで、「福島の人達の(嘆きの声以外の)胸中の思いを伝える声」が響いてこないので、現地に実際足を運んで、聞けるだけ多くの福島県人の生の声が聞きたかったのだ。
・・・「忍従」は福島県人の大いなる美徳ではあるが、「沈黙」は決して得策ではない ― 語らぬ思いは存在せぬも同然なのだから ― あれほどの一大事の被害者としての思いに封印を施すのは、「歴史の生き証人」としての自らの責務に対する怠慢であろう・・・だから、あの大震災と原発事故と風評被害の一連の災厄をくぐり抜けてきた福島県の人々には、心の奥底に刻まれた傷跡を言葉にしてほしいのである ― どうせなら、世界中の人々にわかってもらえるよう、「英語」で(も)語ってほしいのである ― 黙して語らぬ「Fukushima」は、世界中の人々にとっては「Chernobyl(チェルノブイリ)」の同義語として「原発事故の闇」の中に永遠に閉ざされたままなのだから ― その「世界に向けてフクシマの思いを語る」ために「福島を日本一『英語のできる県』にする!」お手伝いがしたい(&之人冗悟が開発した英語教材を使ってもらえばそれが確実にできる!)のである。
■2)合同会社ズバライエ(ZUBARAIE LLC.)が稼いだ分の税金は(東京ではなく)福島に納めたい
これまで「教材作り」一本だった
之人冗悟 の仕事も、今年からはいよいよ「販売」で利益を追求できる段階に(合同会社ズバライエ設立後13年めにしてようやく)入る・・・が、そうして稼いだ利益に対して課される税金の納付先が「東京五輪2020⇒2021」みてぇなロクでもねぇ企画に
他人様 の税金を勝手に投入しくさりやがる「しょーもねぇ東京都」ってぇのには、どうにもガマンならねぇ・・・ってなわけで、「ふるさと納税」とかの返礼品目当てではない本式の福島県への貢献として、「合同会社ズバライエの本拠地を、東京都から福島県に移す」ことを真剣に検討している・・・そんな当方としては、事業本拠地移転先として好適な<中通り>あるいは<会津>の然るべき地を探す旅を(今回の飯坂温泉郷訪問を皮切りに、今年いっぱいかけて)行なうつもりでいる ― 当方の教材の持つポテンシャル(潜在可能性)をきちんと認めてくれる人々に巡り会えればその地に新たな根を下ろすかもしれないし、不幸にしてどの土地の人にもその価値を認めてもらえなかったならば(残念ながら)福島県とのご縁はなかったということになるかもしれない(そうなったらそうなったで、「東京都」みてぇな汚れた金満大都市ではない「ふさわしい納税先」として、日本の各所に足がかりを求めるまでのことである)・・・この
之人冗悟 、頭の中身は合理的だが、行動基準に関しては「運」と「縁」とを重視している ― 然るべき時に然るべくして出会った人や物との関わりを大事にする ― 今回の「飯坂温泉
春行脚 」が何のご縁ももたらさぬ空振りに終わったら、次は「会津若松
桜行脚 」にでも出向いて新たなご縁を探せばよし、いずれにせよ福島県内のめぼしい土地を一通り回らせてもらってから最終的な事業拠点移転先を(ひょっとすれば、
之人冗悟 当人の転居先をも)決めるつもりでいる・・・が、同じ福島県でも<浜通り>は御遠慮申し上げるつもりである ― 原発事故で破壊されているからではない; 若い人達を呼び寄せてゼロから街を再建する実験場として、国からもメディアからも(えこひいき、とまでは言わないが)比較的厚遇されている土地には、この
之人冗悟 /ZUBARAIE LLC.の手助けは必要あるまいと考えるからだ ― 福島県を手助けするならば、「原発事故の<目立たぬ被害者>」の集まる<中通り>か<会津>がいい・・・国もメディアもノーマークの地から、「アッ!と驚くフクシマの奇跡の新生」をブチ上げたいのである・・・
・・・「
大風呂敷 広げやがって!」と思うだろうか? ― だったら、これが単なる
誇大妄想狂 の
大言壮語 かどうか、以下のWEBリンク/バーコードから、実際の教材を見て判断してほしい:
・・・「日本人英語学習者としてこれ以上を覚えようとしても現実的に不可能」なレベルの英単語/英熟語(さらには英文法)を、「網羅的・体系的な知識として提供」するのみならず、「三択クイズの反復プレイによって確実に覚え込ませる」という、今までこの世に存在した例し のない画期的な英語教材群・・・世界中探してもこれに匹敵するものはないこれらの教材群を、合同会社ズバライエは、今後「英語を外国語として学ぶ必要に迫られている世界中の学習者向け」に各国語版を開発する形で世界的に展開してゆく予定である ― さしあたり、日本に負けず劣らず英語学習に苦しめられているお隣の韓国や、英語学習熱が世界一加熱している中国向けの「Korean / Chinese versions」を(他者の創作物に対する敬意のカケラもない盗作野郎どもに海賊盤を作られてしまう前に)作成するつもりである ― そうした営為によってもたらされる実りがどの程度のものになるか、さほどの創作的想像力なしでも容易にソロバン勘定 は弾ける はずだが、当方、既に完成済みの「語学教材の外国語版移植作業」という(比較的楽な)仕事以外にも、さらにとっておきの「とてつもなく巨大な知的産業のタマゴ」を孵化 させる里として、福島県の<中通り>・<会津>の然るべき地を物色している ― そうした事業を未来永劫 引き継いでもらうためには、福島県の人たちに「日本一英語のできる人たち」になってもらわねばならぬわけである。
■3)人口先細りの流れの中で、もはや避けては通れない「諸外国から入来する<新日本人>」とのコミュニケーション障害回避のためにも、国際公用語としての英語への習熟は必須
これは何も福島県だけに限った問題ではないが、お世辞にも「外向的でコミュニケーション上手」とは呼べない福島県人(特に、男性陣)にとって、もはや「純粋日本人」だけでは人口の下支えも不可能になった地元をコミュニティとして成立させるために必要な「外国からの移民」との意思疎通ツールとしての「英語」を使いこなせる準備は、今からしておいたほうがいい。福島県は「諸外国からの旅行客の落とすカネで潤う観光立県」のイメージからは程遠い感じだから、鎌倉・京都・大阪といった「インバウンド景気」に沸くよその土地の人々ほどには「英語を使いこなす必要性」を感じていない人々が多いはず・・・だが、東北地方はおそらく日本で最も早く人口先細りの波を受けて「一過性の旅人ではなく、永住する新たな地元民としての、外国からの入来者」を必要とすることになるはず・・・暗い話に聞こえるかもしれないが、現実は現実として受け止めた上で、いち早く「日本一英語ができる県」になってしまえば、そこから開ける未来の可能性は(日本の余所の土地よりも)かなり大きいはず。東京・大阪といった大都市では、外国人は「稼ぐため」に来日し、「使い捨て労働者」として心身をすり減らすことになる ― そんな非人間的な生活に疲れた「外国人労働者」を、「新たなる定住者」として温かく迎え入れる里としての好感度向上のために、「英語で問題なくコミュニケーションが図れる、日本では例外的な地域としての、フクシマ」を今のうちに構築しておくべきだろう ― いずれそう遠くない将来、「諸外国から入来する<良質な移民さん>」の誘致合戦が日本の各地で展開されるようになる・・・ちょうどいま、日本じゅうの地方自治体が「ふるさと納税」の誘致に血道を上げているように・・・「そんな未来はイヤだ!」という福島県人は、「いま現在、自分たちがどの程度まで<インバウンド景気>の波に乗っているか」を考えてみるとよい ― 「将来の地元人口の下支えのため」ではなく、「いまの福島を観光で盛り上げるため」だけにでも、「日本一英語のできる県」になっておくのは、悪い考えじゃないでしょう?
・・・といった之人冗悟 の思いをA4用紙両面いっぱいに思いっ切り書き連ねた「福島を日本一『英語のできる県』にする!」のビラを配りに、いざ「パルセいいざか」へ!・・・と出向くまでにはまだまだたっぷり時間があるから、それまでの時間は、昨日(3/10)は部分的にしか果たせなかった「飯坂温泉郷探訪徒歩ツアー」としゃれこむことにしよう。
◆14◆ 『飯坂温泉郷散策 to 「oncafe:オンカフェ」』
「飯坂温泉郷探訪徒歩ツアー」に出かけるべく準備を整えて一階ロビーに出たところで、またまた「小松や」のおしゃべり好き(そう)な女将さんに(夕刻から来訪予定の団体客さん向けの準備の忙しい合間を縫って)震災発生の2011年当時からコロナ禍を経て今に至る14年間の飯坂温泉ひいては福島県のお話をあれこれ聞かせてもらうことができた ― 中でも特に印象深かったのは、例の「原発事故で発生した汚染土の県外処理」の件 ― 福島県の中と外とでだいぶ温度差のある(はずの)この問題に話題が及んだ時、女将さんは、次のようなことを言ったのだ:
・・・この福島でも、原発事故後しばらくはそれこそ定時連絡的に「**マイクロシーベルト」という放射能汚染の話題がメディアで流れ続けたけれど、それもあのコロナ・パンデミックを境にまるでウソのように消え去って、「今日はどこそこで何人の感染者発生」という数値報告へと入れ替わった・・・福島の実家にいる親と離れて生活するのは不安だからということで、よその、福島よりもっと感染者数の多い土地で暮らす人が戻って来ようとしたところが、「厄介なウィルスをよそから持ち込まれたらたまったもんじゃない」という地元の人達の拒絶の風当たりが強すぎて、結局泣く泣く帰郷を断念した人だっている・・・そんなこんなで、福島県だからって必ずしもよその土地より<311>や<原発事故>への意識が特に高いということはないんじゃないか・・・コロナウィルスに感染するのを恐れて他人の地元への里帰りを拒絶する福島の人間がいるくらいだから、例の放射能まみれの<汚染土>を、福島県以外のよその土地に受け入れてくれと言ったって、「はい、ではうちで引き受けましょう!」と手を挙げてくれるよその県がないのは、無理もないことなんじゃないか・・・戦争の置き土産みたいな不発弾が、沖縄とか、戦争被害の激しかった土地ではいまだに思い出したようにポッコリ出てくることもあるでしょう? ああいうイヤな過去からの置き土産、よそさまの県に引き受けさせて日本中に拡散してしまうぐらいなら、「フクシマ」だけに封じ込めるというのも、ありなのかも・・・決してそれを望むわけではないけれど、よそさまの人達が<汚染土>だの<プルトニウム>だのを受け入れたがらない気持ちは当然のことだし、そうなってしまったからって、よそさまのことをとやかく言える義理ではないと思う・・・コロナの頃に、この福島でも、よその土地からのウィルス持ち込み里帰り、拒絶する人達がいたんだからねぇ・・・。
・・・お断わりしておくが、「小松や」の女将さんが「福島第一原発の事故処理は福島県内で完結させるのが筋」という(日本の中央省庁の本音 めいた)意見を主張した、というわけではない ― 「フクシマで生じた<穢れ>をよそさまの県が受け入れたがらない気持ちは、わかる」と言っているだけである。「原発から生じる汚染土を福島県内で一時保管するための中間貯蔵施設を建設する際に、最終的な処理は福島県の外で行なう、と国が約束したのだから、何が何でもその約束は守ってもらわないと困る」という「ならぬものはならぬ!」の筋論を「福島県」が(立場上、当然)強く主張するほどには、「福島県人」は必ずしもそこに固執してはいない(のかもしれない)という一つの事例として引かせてもらっただけの話である。
・・・この女将さんの態度に象徴されるような「福島の忍従」に、「福島県で生み出された<東京>電力の電気を使って生きてきた人間」としては、何としても報いねばなるまいと思う ― 「東京都」が「原発事故の汚染土」を引き受けることはないかもしれないが、「之人冗悟 /合同会社ズバライエ」としては「福島を日本一『英語のできる県』にする!」ことでささやかな罪滅ぼしをさせてもらいたい&今後の事業の本拠地を東京都から福島県に移しての「納税&新たな仕事作り」での貢献をしたい・・・と、望んでいるわけなのだが、そんな思いのたけを綴ったビラ配りで、さて、どんな道が開けるものやら・・・
・・・女将さんとのお話を通じて、もう一つ明らかになったことがある ― 例の、飯坂温泉駅の壁に踊っていた&「小松や」の一階ロビーにも「いらっしゃいませ!」って感じで等身大のやつが元気に踊っている例の『飯坂真尋(いいざかまひろ)』という美少女キャラ、これはどうやら「温泉むすめ」という形で日本全国のめぼしい温泉地ごとに創案された「看板娘」の飯坂版らしい。女将さんいわく、「いま飯坂温泉を支えてくれてるのはこの『まひろちゃん』と、彼女推しの若い男性客 」なのだそうだ ― 昨日の午後、自分がチェックインする際に出くわしたジャージ姿の軽装男子は、この「いいざかまひろ」 を推すためにわざわざ飯坂温泉まで来て、「小松や」の受付で「スタンプ押してください!」 ってリクエストしてたわけだ ― あの時は「日帰り温泉巡り」かと思ったが、どうやら「自分好みの<温泉むすめ>ゆかりの地」をあれこれ巡る御朱印集め(っぽい)ツアーだったらしい ― <推し>の力で温泉地の町おこし、か・・・なるほどねぇ、自分はもうそういう年齢じゃないけど、その種の御朱印 集めめいたコレクター心理、コンプリート(完全制覇)せずにはおくものか根性、よ~くわかる ― なんたって自分はあの伝説の『仮面ライダーカード』マニア第一期生だし、その後も『タミヤ 35分の1 ミリタリーミニチュアシリーズ』に『静岡県模型メーカー共同企画 700分の1 ウォーターラインシリーズ』と、コレクター路線まっしぐらのがきんちょ時代送ってきたクチだから(・・・まぁ、どれもこれも女っ気のかけらもないコレクションだったけどね・・・)
・・・その他、昔の飯坂温泉の写真とかも見せてもらったし、女将さんが日本舞踊(その先代さんは長唄の師匠)やってたという話も聞かせてもらった ― どうりでスラッと立ち姿が佳い わけだ・・・カラオケは苦手らしいけど・・・
そんなこんなでおしゃべり上手(&間違いなくおしゃべり好き)な女将さんにずいぶん色々なお話を聞かせてもらっているうちに、時刻は午前10時20分・・・この間、スタンプ押し(=いいざかまひろちゃん推し)の若年男子1名、ガスだか清掃器具だかの保守サービスの男性2名ほどの来訪をテキパキさばきつつお話続けてくれた女将さんも、今夕来訪予定の「いいざかサポートクラブ」(・・・だったと思うけど、もしかしたら「飯坂真尋推しの会」かもしれない)の団体さん向けの料理の仕込みとかのお仕事もあるんで、新たな来訪者からお声が掛かったのを機に、厨房 のほうへと消えて行った・・・当方としては、実に貴重なお話聞かせてもらって、これでもうこの旅の取れ高は十分といった感じ ― 今日の夕刻のビラ配り、惨めにコケてももう大丈夫、自分の心は折れたりしないはず。
・・・女将さん、こんなヘンテコな客に熱心に語って聞かせてもらって、ほんどにありがどなぃ(・・・って、なまっでっがなぃ?) ― 飯坂温泉、ますます好きになってしまいました・・・ってなことで、ではぼちぼちその飯坂温泉郷探訪ツアーに出かけましょかね~・・・
。
。
。
飯坂温泉は、奥のほうには巨大資本チェーンの経営する大規模ホテルもあるようだけれど、 この摺上川沿いのこぢんまりした個人経営の民宿の風情 こそが「ザ・飯坂温泉」だと思う ・・・それだけに、後継者不在や資金難のあおりをモロにこうむりやすい個人経営のお宿が、櫛 の歯が欠けるように消えてしまうのはあまりにも惜しい・・・先ほどの女将さんのお話を胸に抱きつつ、飯坂温泉観光協会でもらった『飯坂温泉遊歩マップ』を参考に、まずは(女将さんお勧めの)「旧 堀切邸」目指して、十綱橋を背にして上り坂を歩く。
旧跡 旧堀切邸
〒960-0201 福島県福島市飯坂町東滝ノ町16
昨日は「パルセいいざか」目指して長い長い坂道を重い重いリュック2つ背負ってヒィヒィ言いながら歩いたせいで、視線の先はほとんど地べた、飯坂の街並みを眺める余裕はあまりなかったが、今日改めて見渡してみると、やはり、かつては経営していたお店の「櫛 の歯抜け」が目立つ ― 福島駅前のそれとはだいぶ違う欠落の多さは、飯坂温泉の「程々の閑静感」の源泉である個人経営のお店ならではの難しさなのだろう。
旅館業としては「団体客」が入らないとなかなか商売は苦しいという話だが、飯坂温泉のイメージシンボルとも言うべき「十綱橋」は、古くからある橋なので、団体客を運ぶ大型バスは通れない ― 普通自動車もギリギリすれ違える程度の広さのこの橋では、向こう側から杖をついたご老人が歩いてきたら、こちらは橋の欄干にへばりついてじっとしていないことには、車と歩行者の接触事故の元になりかねない・・・昭和情緒 を感じさせる温泉宿には、新たな時代に対応する工夫が、いろいろ必要なようだ 。
「温泉むすめ」の推し行脚 に来てくれる若い男性客もいいけれど、彼らはほとんど日帰り客みたい ― ゆうべも一番遅い時刻まで駅前広場で動いていたのは、リュック背負った男性客だった。アイテムだかスタンプだかのコンプリート目的で来てくれる個人客は、それはもう今の飯坂温泉には有り難い存在だろうけど、この温泉郷にはそれ以外にも「客を呼び寄せる新機軸」が必要だろう。
何よりもこの坂道だらけの道筋を、テクテク歩き回る難行苦行 をどうにかしないことには、川縁以外の施設の経営が成り立つまい・・・あまり多くはないお店の中で、「マッサージ」のお店が数軒あるのは、「坂の町飯坂」ならではのご当地事情なのかもしれないが、マッサージで凝りをほぐす以前に、登坂苦行をなんとかする工夫がないと、キツい よなぁ・・・
・・・とかなんとか露骨に叫ぶ膝と腰をどうにかこうにかなだめすかしつつ、当面の目的地「旧 堀切邸」に到着・・・施設内は見学無料、タダで浸かれる足湯もあるが、ここで疲れて靴脱いで足湯のお世話になってるようじゃ先が思いやられるから、とりあえず一通り施設内を見させてもらってからこの旧跡を出て、その他の施設、というかお店を探して歩く・・・歩く・・・歩く・・・のだが、開いてるお店がどうにも見つからない ― 女将さんいわく、「あ、今日は火曜日かぁ・・・このへん、火曜日定休のお店、多いのよ」 ということだったが、実際、歩いても歩いても開いてるお店なんて巡り会えない・・・まいったなこりゃ、最悪の場合、「小松や」までトボトボ戻って、非常用食料として持参したパン類&カロリーメイトで腹ごしらえするよりほか、ないかも・・・
・・・いささかヘタって坂道を進むと、前方に「oncafe 営業中」の看板発見 ― よかった、これで「小松や」まで空しく歩いて戻ってカロリーメイトで空腹を満たす事態だけは避けられそうだ ― とりあえず、お店に入る前に、その真向かいにある共同浴場前のベンチに腰下ろし、背負った小型リュックを下ろし、昨日に輪を掛けて暖かい日差しを受けてサウナスーツ状態になっているジャンパーを脱ぐ・・・
共同浴場 鯖湖湯(さばこゆ)
〒960-0201 福島県福島市飯坂町湯沢32
・・・と、何としたことか、小型リュックのショルダーハーネス(背負い帯)の片方が、今にもちぎれそうな何とも無残な状態になっているではないか!・・・まぁ、上野アメ横で2千円も出さずに買った間に合わせの荷物入れだからなぁ・・・ にしても、完全に引きちぎれる前の段階で発見できたのは、幸運だったと言うべきだろう・・・
・・・嬉しいような残念なようなアンビバレント(どっちつかず)な気分を抱えて、休業だらけの火曜日の救いの神「オンカフェ」のドアをチリンチリン!と音を立てて開けて、入口間近の窓際の席に座る ― このお店も、女性が切り盛りしている ― 観光地の接客商売っていうのはそういうものなのかもしれないが、つらつら思うに、この飯坂温泉に足を踏み入れてこのかた、旅館でもお店でも、男性従業員の応対を受けた覚えがない。「小松や」では食事の際の厨房 に若い男性従業員の姿が見えたけど、女将さんの話にちょくちょく出て来る「うちの主人」の姿もまだ目にしていない気がする・・・まぁ、福島の男性は(うちの田舎のおじいちゃんやおじさん周りを見回してみても)お世辞にも社交性が高い接客商売向きの性格ではないようなので、その分、女性が接客業でその社交的おもてなしの本分を発揮しているということなのかもしれない。
それにしてもやはり福島の女性はどことなく内気そうで、ヘンに馴れ馴れしかったり潔癖なまでに馬鹿丁寧な応対に終始したりといったところがない ― 少なくとも、「飯坂温泉観光協会」・「小松や」・「あっぷるピーチ」にこの「oncafe」と、この旅で出会った福島女性の誰もに共通するのは「出しゃばってこない優しげな社交性」 ・・・「小松や」の女将さんはちょぃタイプが違うけど、それでもやはりブィブィ言わせて場を仕切るような大都会によくいるタイプの「姉御肌 」とはほど遠い・・・その優しさに甘えて、「オンカフェ」の店員のお姉さんに「ペペロンチーノとオレンジジュース」 を注文するついでに、「あのぉ、もし針と糸があったら、貸してほしいんですけど・・・リュックがこんな有様なんで」 と頼んだところ、店の奥にいる別の女性とあれこれ相談してから出て来ては、「すみません、このお店には裁縫用具、置いてないみたいで」 との由・・・では仕方ない、この件は「小松や」頼みということにしよう・・・
「oncafe」では午前11時半からランチタイムということだったが、正午過ぎには次々お客さんが訪れて満員御礼 ・札止め 寸前 ― 飯坂温泉の定休日とおぼしき火曜日のお昼に営業している貴重なこのお店へと、やはり誰もが自然と流れてくるらしい ― できればもう少しここでくつろいで「水素水でいれてます」 というお店自慢のコーヒーを飲みながら、持参した『日経 星新一賞 グランプリ作品集: 星に届ける物語』の文庫本でも読もうかと思っていたのだけれど、そういう迷惑な長っ尻 を福島の皆さんの前で演じたりしちゃぁ江戸っ子の粋(いき)もへったくれもありゃしねぇんで、やたら分量の多いペペロンチーノと青物類に結構苦戦しつつも大慌てで食べ終えて、空席待ちのお客さんを発生させることなく無事勘定 を済まして外へ出る・・・リュックはもう背負うのも不安だから、担ぎ帯(ショルダーハーネス)二本まとめてわしづかみにしつつ、摺上川沿いの坂道をひたひたと歩いて宿へ帰ることにしよう。
喫茶店 oncafé
〒960-0201 福島県福島市飯坂町字 湯沢26
「小松や」へと帰る下り坂の途中、
「さぁ、下へどうぞ」 と誘うかのような階段を見付けて、ごくごく自然に降りてみると、そこは長細い公園になっていて、左端の部分には小さなお堂があり、その横には日差しよけの屋根の下にベンチがいくつか並んでいる・・・何より心安らぐのは、見下ろす摺上川の上に、水鳥たちが、春の日差しを浴びて楽しげに泳ぎつつ、時折例のユーモラスな縄張り争いの「グヮッグヮッグヮッ!」のBGMを聞かせてくれること・・・
公園 波来湯(はこゆ)公園
〒960-0201 福島県福島市飯坂町若葉町39
・・・左端のベンチには手押し車持参のお姉さんが足をベンチに投げ出す格好で、一心にスマホをいじっている・・・自分は右端のベンチに腰を下ろし、読みかけだった『星に届ける物語(日経星新一賞グランプリアンソロジー)』を読むことにする・・・
自分(
之人冗悟 )がグランプリ(&賞金百万円)をもらった2017年度の全作品と翌2018年度までのグランプリ作品は全部読んでいるが、2019年からは当方「英単語/英熟語教材の創作奴隷生活」を(この3月まで)6年間休みなしで続けているため、それ以降のグランプリ受賞作を読むのは今回が初めてだ。
この「日経 星新一賞」は「人工知能(AI)による創作も応募OK」という方針を初回から打ち出している珍しい文学賞なのだが、現段階ではまだAI作者によるグランプリは実現していないようである
(グランプリ未満の入選作にはAI作品も食い込んでいるらしい) 。
それと、今回、この作品集の著者略歴を見て「へぇ~」と思ったのが、明確に「作家志望」のグランプリ受賞者が(自分の受賞当時と比べて)やたら増えていること ― 「ユニーク作家への登竜門」みたいな位置付けへと星新一賞は
変貌 を遂げている(あるいは遂げつつある)のだろうか?
自分の書いた『OV元年』なんてのは自分自身の中にある「星新一らしさ」を自然になぞっているうちに出来ちゃった作品であって、作家志望ではまったくない「語学屋」の手なぐさみがグランプリ取っちゃったのは今振り返ると少々申し訳ないような気もするが、逆に言えば「!理系文学!」などという一般人にはいささか
敷居 が高そうな看板掲げている文学賞だけど、べつにバリバリの理系人間や作家志望でなくても、面白い作品書いて送ればグランプリ取れるかもよ、という(非理系星新一ファン諸氏への)応援メッセージにはなるかもしれないので、まぁあれはあれで、よかったのだろう・・・
ついでにその文庫本の著者略歴にも、今回「福島を『日本一英語のできる県』にする」 計画で福島県人に無料受講してもらおうとしている『QFEV:速修英単語』 と『MNECOLID:銘憶英熟語』 を「著者近作」として掲げつつ我が合同会社ズバライエのWEBサイト(https://zubaraie.com/ )も紹介させてもらっているのだが、今のところ、そっち経由でのWEBアクセスの形跡はゼロである・・・
・・・その新潮社から無料贈呈された文庫本を手早く読み終えたところで、ぼちぼち「小松や」へと帰投することにしよう ― ずたぼろリュック、直さなきゃいけないんでね・・・
・・・坂道を下って「小松や」に帰り着き、受付で古風な呼び鈴をチリリリ~ンと鳴らして、出て来てくれたはにかみ声のお姉さんから針と糸をお借りして、不器用な手付きと怪しげな縫い方で、けっこうな時間をかけて、ちぎれかかったリュックの肩口を丹念 に縫い合わせる・・・かなりの重量をかけたとはいえ、こうもあっさり破損するとは、やっぱ安物買いはダメだなぁ。リュックの中を開けてみれば、底の布のあちこちには虫食い穴が見えるから、今度は「底抜け中身ぶちまけトラブル」に襲われるであろうことも想像に難くない。東京に帰ったらもっと別のマシなやつを調達するか・・・でも、今度のこの既にもうじゅうぶん思い出深い旅の忘れ形見として、取っておきたい気分かも・・・
・・・またまた受付の古風な鈴をチリリンさせて、出てきてくれたお姉さんに裁縫セットと余らしちゃった糸くずをお返しついでに、一気に読み終えちゃった『星に届ける物語』の文庫本を「これ、良かったら読んでみて。自分(之人冗悟 )の作品も載ってるから」 と進呈する ― なんか、相手が読みたがっているかどうかもわからんあれこれを、やたらめったら贈呈しっぱなしだな・・・
・・・ま、何にせよこの旅もそろそろ大詰め、メインイベントの「東日本大震災追悼復興祈念式@パルセいいざか」でのビラ配り行脚 まで、あと2時間を切っている。
◆15◆ 『3月11日午後2時46分』
東日本大震災の発生時刻の14:46、「小松や」三階<青柳>の部屋の窓を開け放って眺める飯坂温泉郷に、特別なサイレンが鳴り響くことはなかった・・・そうだよなぁ、あれからもう14年も経っているんだもの、かしこまった式典の会場ではきっと全員この時刻に合わせて黙祷 を捧げているのだろうけど、それ以外の人達はもう、表敬的な哀悼の意なんて捧げてる段階はとっくに過ぎ去ってるんだなぁ ― また、それでいいのだ ― 花束や哀悼は、心の中で、大事な人達にたむければそれでいい・・・
・・・そんな14年後のこの式典に、自分のような「東京から来たよそ者」が加わっていったいどうしたいのかと言われれば、その真の目的は、「14年後の福島で、<震災復興>という言葉や営みが、いったいどれほどの意味を持つのかを、現地に出向いて肌合いで確かめてみること」 ― ビラ配りは実は二次的目的であって、要は「14年後の供養 」にわざわざ足を運ぶ福島の(あるいはそれ以外の土地からの)人間が、どれぐらいいるかを見に来たのである。
・・・麓の飯坂温泉駅から坂道を登って15分、そんな場所にある「パルセいいざか」まで、一般参加者として加わる人間がそれほど多いとは思えないが・・・さて、ではぼちぼち、その山道を登るとしよう ― 時刻は午後3時をちょっとばかり回ったところ。15分間で「パルセいいざか」に到着するとすれば、15時40分という式典の終了予定時刻にはだいぶ間がある ― が、石破総理が御来訪ということで、会場周辺には必ず警備のお巡りさんだのSPだのがウヨウヨしてるはずだから、こっちの側から「怪しい者ではありません、荷物検査なり身体検査なり、存分にどうぞ」 と言い寄って、身も心もキレイな一般人として、心置きなくビラ配りさせてもらおう・・・いざ、出立 !
◆16◆ 『三人のおまわりさん』
ビラだけでそれなりに重い、縫い合わせ補修済みの小型リュックをどてっ腹に抱えつつ、丸二日歩き回りっぱなしで相当くたびれてる重い足を引きずるように山道を登り、「パルセいいざか」の巨大な屋根が確認できる距離まで来たところで、道端に立っている警備のおまわりさんを発見。かなり若くて誠実そうな、優しい顔したお巡りさんだ。まずはあの人にご挨拶しに行こう・・・
・・・「警備ごくろうさまです。こちら、怪しい者ではありません。東京から、311の式典に、一般参加者として花を手向けに来ました。なんなら、荷物検査も、身体検査も、ご存分にしてください」
・・・まさか相手の一般人の側からこういう声掛けされるとは予想していなかったらしく、誠実そうなお巡りさんは、「あ、いいんですか? それでは、すいません、リュックの中身、確認させてもらいます・・・」 と、丁重に腰の低い態度で、中身の確認作業に入る ― 中身といっても例のビラだけ ― 他のリュックのポケットには、体臭消しのデオドラントスプレーと、小さなメモ帳に、筆ペンが入っているのみ ― リュックの中身を一通り確認してもらったので、今度はまたこちらからお巡りさんに「身体検査も、しますか?」 と声を掛けると、「あ、いいですか?・・・それでは、あの、こういう場合、別の担当者も呼んで立ち会う決まりになってますんで、いま、別の者を呼びますから、ちょっと待っててくれますか?」 という巡査による不審尋問時の規約通りの手順を取って、別の場所にいたお巡りさん2名を、念のために呼び寄せた。
彼が連れて来た二人の巡査のうち、一人は(なんだよ、ヘンなやつが来やがったな。面倒はゴメンだぜ) といった雰囲気満々の「今時の若い普通の警察官」、もう一人は片足が不自由らしく杖をついているそこそこの年配の巡査である・・・では、彼らを前に、一席ご披露申し上げましょうかねぇ ―
「自分は、今日の311復興祈念式典に参加するために、東京から来た一般人です。この14年間、福島の復興には一切手を貸すことができなかったのですが、このたび、新たに完成した英語の教材を福島県のみなさんに無料で使ってもらい、福島を日本一英語のできる県にすることで、新しい福島への変身のお手伝いをしようと思い、そのためのビラを、式典を終えて会場から出て来る<福島県の明日を真剣に考える人達>に手渡したいと思っています」 ・・・
・・・「ビラ配り」と聞いて、新たにやってきた警察官二人は、それぞれ怪訝 そう(あるいは、迷惑そう)な表情を浮かべたが、それも当方では想定内の反応である ― 「ビラを配る」ということは、相手に手が届く範囲へと接近するということであり、警察官的発想からすればそれは「相手に攻撃を加える(かもしれない)挙動」にほかならないのだから、「厄介なことしでかすんじゃないのか、こいつ?!」 というネガティブなリアクションが生じるのは理の当然なのである・・・ということで、追加説明かたがた、声の整調の時間が来たようだ ―
「ビラ配りとは言っても、駅前のポケットティッシュ配りみたいに相手にすり寄って押し付けるようなマネはしません(・・・ここで当方、おもむろに声を張り・・・) ♪ 福島を~ぉ・・・日本一英語のできる県・・・に、しよぉ~ぅ♪と歌いながら、ビラを両手でヒラヒラさせて、もらってくれる人に手渡します・・・♪ぁ、福島を~ぉ、日本一英語のできる県にするぅ~♪・・・といった感じの節回しで、なんかヘンなことしてる人がいるぞ、と興味を持ってくれた人達にだけ、ビラを手渡して、読んでもらおう、というわけです・・・」
・・・この説明でとりあえず巡査三人は納得したらしい。誠実そうな若いお巡りさんはしきりにかしこまり、杖をついた年かさの巡査は「そこまで福島のことを思っていただき、心より嬉しく思います」 と丁寧に腰を曲げてくれ、「今どきの日本の標準的警察官」はそうした二人を横目で見ながら(面倒だけは起こしてくれるなよ) みたいな迷惑そうな視線をあさっての方へと流している ― 三者三様、警察官だってそれぞれに個性の異なる人間だから、いろんな反応があるわけだ・・・
・・・とりあえずこれで、過剰反応した警察官に出し抜けに取り押さえられてつまらん騒ぎになる事態を回避する予防措置は講じた・・・
・・・が、案の定 と言うべきか、式典会場から「お偉いさんがた」が全て退散するまでは、「パルセいいざか」へはあまり近付かないでおいてほしい 、という趣旨の説明を受けた ― とりあえず、会場から一番遠い距離にいるこの三人の警察官には当方の「べつに怪しくない」素性 が伝わったものの、会場周辺の全ての警備関係者にその情報が共有されるわけでもない以上、会場へと近付くたびにまたすったもんだの起きる種はまだまだ残っているわけで、そうなるとこの場での最善策は、「おエライさんが全員消えるタイミングまで、ひたすらこの場で待つ」ことだろう ・・・
・・・この近辺にいるお巡りさんたちは、会場からの距離の遠さから言って、「VIP の退出状況」を具体的に知ることのできる立場にはないようだし、あまり会場の方をキョロキョロうかがって「ここにヘンなヤツがいるよ」と自己主張して見せるのもつまらない・・・
◆17◆ 『「パルセいいざか」内外での出来事』
・・・なんのかんので時刻は既に午後4時を優に回っている・・・たぶん、石破総理を初めとするお偉いさんがたはもうとっくに会場を後にしていることだろう。それ以外の
下々の参列者たちをバス乗り場で待ち受けてビラ配りするタイミングも、どうやらぼちぼち逸しつつあるようだが、まぁこうなりゃ焦っても仕方ない、一般人の献花が許される午後4時30分近くになってから、おもむろに会場に向けて歩き出し、まだ残ってる参列者がいれば、歌うたいながらビラをヒラヒラさせて、あちらさんからの食い付きを待つことにしよう ・・・
・・・そうして時刻はぼちぼち午後4時半、自分のすぐ前に、近所から歩いて来たらしい地元のご家族数名が、会場入り口の前に立っていたが、その中のお父さんの「入っていいってよ」 の声を合図に、自分も彼らのすぐ後に続いて、一般参列者として献花させてもらうことにした。
広くて立派な講堂の演壇上には、左側に日の丸、右側に福島県のマークが並び、献花台には既に退出した参列者の人数を示すかなりの数の白い菊の花が寝かされていた。その列の左端のほうに一輪の花を手向け、壇上から降りると、下に待ち構えていた福島のラジオ放送局(たしかFM福島)のインタビュワーが、マイクを持って「一言、お願いできますか?」と声を掛けてきた ― 「パルセいいざか」の立地条件の悪さからして、滅多に来ないであろう一般参列者の一人一人は、彼らメディアの人間にとってはかなり貴重なのであろう ― とりあえず、外でお巡りさんにしてさしあげたのと同じように(♪福島を~ぉ、日本一英語のできる県に、するぅ~♪ の歌まで付けて)マイクに向かって当方の本日の来訪の意を述べたけど、ま、放送で使われることは万に一つもないだろう ― ラジオ・テレビは広告収入が命、金を出してくれるスポンサー以外の誰かの個人的宣伝活動に手を貸すようなマネは、決してしないはずだから・・・
・・・ということで、会場内での献花を済ませたその後は、「パルセいいざか」正面玄関前でビラ配り態勢を取りつつ、わざわざ歩いてこの会場へ追悼の意を表しに来る人の数がどれほどいるか、数えることぐらいしか、もうやるべきことはない・・・
・・・と思っていたら、意外なことに、会場内の待合室あたりでバスの出発まで待機中だったとおぼしき高校生の集団の退出する場面に遭遇・・・早速「♪福島を~ぉ、日本一英語のできる県にしよぅ~♪」と歌いつつ、手渡せるだけの数の生徒たちにビラを配る ・・・手袋でワシづかみにしたビラは、一人に数枚も手渡す形になったが、余ったビラが彼ら経由でもらってくれなかった生徒の目に触れる機会を増やしたと思えばいいだろう・・・あっちにとっては迷惑かもしれないが、興味がなければ丸めて捨てればよいだけの話 ― とりあえずこれで、「福島県の高校生たちの、知的冒険指数」判定の種まきぐらいはできた ― 「どうせくだらん宣伝さ」ということで中身も見ずにポイ捨てせずに、そこに述べられている当方の誠意と、その先にある教材の実質とを、自らの好奇心と鑑識眼をもって実地検証してみようという人物が、あの中に何人いることか、はたまた一人もいないのか、そのあたりの結果を当該WEBサイトへのアクセスログから確認することで、今後の「福島県人に対する当方の戦略」の立て方の方向修正が可能になるだろう ・・・
・・・まださっきの高校生みたいな集団が出て来ないものかなぁ、と未練がましい視線を会場内に漂わせていたところ、「あ、来てたんですかぁ~?!」 という声がして、ふと見ると、昨日の午後に雑談に付き合ってくれた「あっぷるピーチ」のキレイなおねえさんが(マスクなしの姿で)会場内から出て来た ― 「うん、献花して、あとはビラ配り」 ― 「今日、お店、やってたんですよぉ~」 ― 「ぁ、そう~」 ― 「じゃ、失礼します~」 ― 「はぃ、さよなら」 ― なかなか良いご挨拶ができたので、もうこれで帰っても取れ高十分って感じだが、折角ここまでダラダラ粘ったのだから、この際、献花終了時刻の午後5時30分まで、全部で何人の一般参列者があるか、数えてみることにしよう ・・・
・・・その答は、自分を含めて「10組以下」 ― 「パルセいいざか」の立地条件の悪さ以前に、もう、表敬的哀悼のために式典に出るような時期は、とうの昔に終わっているということだろう ― 別に嘆かわしいことでもない、すでにもう「追悼」だの「復興」だのの時期は過ぎ、各人各様の「未来」をどうするかに必死の時期に入っている、ということだ・・・
・・・さてと、ぼちぼちこちらも退散するか・・・と、時計の針を気にし始めた頃、向こうからヨボヨボといった感じで歩いてくるおばあちゃんがいる。目をこらしてよく見ると、別にこの式典に花を手向けに来るわけではなく、黒い柴犬のお散歩らしい。おばあちゃんと柴犬は、「パルセいいざか」前の郵便局のところで一休み、黒いわんこは赤い郵便ポストの前で(たぶん定例行事の)スプレー散布を済ますと、もと来た道を引き返す・・・かと思いきや、大型バス駐車場の前の道でやにわに立ち止まり、頭を低くし後ろ足を立てた姿勢で「ウーッ!」 とうなって前方に向かって何やら威嚇 している ― その視線の先には、長々続いた勤務時間もぼちぼち終わりの安心感に、蒸れた 長靴を脱いで、片足をヒラヒラさせているバス誘導係のお兄さん ― おばあちゃんに先導されてそっちへ近付く黒柴ちゃんは、その足蒸れ お兄さんの直前でまたまた立ち止まり、今度は猛烈な勢いで「ゥ~ワンワンワンワンワン!」 と吠えかかる ― 「ごめんなぁ~、そんなに臭かったかぁ?」 ― 笑いながら謝罪するお兄さんの前を通り過ぎる間じゅう、黒い柴犬は「ワンワン!」 ずっと吠えっぱなし・・・しばらく歩いたその先で、なおも後ろを振り返っては、最後っ屁 みたいにまた一つ大きく「ゥワン!」 と吠えて、おばあちゃんとわんこの姿は夕闇に消えて行った ― この見事に愉快な光景のボーナスをもらって、満ち足りた気分で時計を見ると、時刻はすでに5時30分・・・
・・・ささやかな出会いに挨拶に笑いのおまけまで付けて、いろいろどうもありがとね、「パルセいいざか」さん・・・深々と頭を下げて、本日はこれにて、おしまい。
◆18◆ 『飯坂温泉最後の夜』
長い長い坂道をゆったり下って飯坂温泉駅前まで来ると、摺上川沿いに見える温泉宿の「小松や」の看板が、懐かしい我が家みたいに迎えてくれる・・・そのベージュの壁の一番右端の上の方にある<青柳>は、駅前から改めて眺めると、なんだか飯坂温泉で一番の眺望を誇る特等席のように思えてきた・・・宿を予約する段階では、「泊まれればべつに物置小屋でもかまわない」 みたいなこと言って、例のお姉さんから(クスッ)と素敵な笑い声をもらった覚えがあるのだけれど、実際は、ずいぶんと良い部屋をあてがってくれてたんだなぁ・・・
・・・その<青柳>の窓際で、今夜は初めて一人(食堂以外で取る)夕食である ― 眼下には川鳥たちの動きはもう見えないが、川のせせらぎを聞きながら、飯坂温泉駅の内外を行き交う「ほどほど以下の人の群れ」を遠目に眺めつつ、今夜も完食・・・
・・・さぁ、これでもう飯坂温泉でやるべきことは全てやり終えた ― 明日のチェックアウトは午前10時だが、会津若松まで出て鶴ヶ城 見物をするなら、もう少し早めに出立 するのもありかもしれない ― 夕食を運んできてくれた女将さんは、「明日の朝食も、朝8時にお部屋へお持ちします」 と言っていたので、もし午前10時前にチェックアウトするとしたら、その朝食のお膳を片付けてもらうタイミングでそう告げればいいだろう。
・・・夜の入浴は午後10時近く、例の年配の福島のじいちゃん二人とバッティングしないタイミングを選んで、一人のんびり貸し切り風呂を愉しんで、湯上がり後はすぐさま寝床に入る・・・どうか、今夜は、夜中のサイレンはかんべんな・・・
■3月12日(水)(第3日目=最終日)■
◆19◆ 『出立の朝の、突然の衝撃』
翌朝の目覚めは午前6時頃 ― もう朝風呂OKの時間だ、じゃ、最後にもうひとっ風呂、浴びてくっかな ・・・ということで、畳の上に置いた下着とタオルに手を伸ばした瞬間、曲げた腰に強烈な電気ショックが走った ― !!ウグゥヮッ!! ― 思わず悲鳴が漏れる・・・あぁ、出やがった、ギックリ腰め、なしてこのタイミングで襲ってくっかなぁ・・・まいったなぁこりゃ・・・いでででで・・・こりゃぁ、朝風呂は無理だな・・・動くのは、やめとこ・・・まぁ、腰を曲げねぇよぅ気ぃ付ければなんとかなっかな・・・いでででで!・・・ひでぇなぁこりゃ・・・今日帰るのはやめて、宿泊、伸ばすか?・・・いや、ギックリ腰は、痛みが去るまで何日かかっかしれたもんでねぇから、滞在いくら伸ばしてもキリがねぇぞこりゃ・・・あぁ、もう、今日は会津若松行きは無理だな・・・っつーか、こんな状態でまた新幹線自由席でちゃんとした座席にも座れねぇと、地獄だぞこりゃ・・・
・・・部屋に朝食が運ばれてくる午前8時までの間、寝床の上で必死に足腰の柔軟運動 ― ギックリ腰が一旦出たら、もう何をどうやっても激痛は消えない ― あとはひたすら、その激痛の衝撃に叫んだりのけぞったりせぬよう、慣れるしかない ― ということで、布団の上で寝返りを打っては「ウヮッ! 」、直立して片足ずつ膝曲げを試みては「グヮッ! 」、と、腰痛馴化 を繰り返す。痛みはそうそう鈍化してくれないが、その鋭さに何度も身をさらすことで、痛さにブザマに飛び跳ねたり叫んだりする挙動だけは避けるようにせねば・・・過去に2度ほどひどい目に遭って 、こいつとの付き合い方は知らないわけじゃない・・・慣れたとは到底言えないが、恐怖や不安や絶望とはもはや無縁、向き合うべき相手は単なる苦痛のみ ― 初体験者とベテランの違いは、そこにある・・・
・・・にしても、このタイミングはどういうことだ? 東京に帰り着くまで待ってくれないとは、なんとも底意地が悪いと言うべきか、それとも、昨日311のメインイベントまでは爆裂せずにいてくれたボロボロの腰の忍耐に、感謝すべきなのか・・・
◆20◆ 『ありがとう女将さん&お姉さん・さらば「小松や」&飯坂温泉』
やがて時刻は午前8時、朝食を運んできてくれた女将さんに、
「今朝起きた後、腰をかがめた瞬間に、ギックリ腰をやっちゃいました」 と告げる ―
「あらまぁ、それは大変」 ―
「まぁ、今までにも何回かやってるんで、動けないってほどでもないんだけど」 ―
「うちの主人もギックリ腰ですよぉ。体格は立派なのに」 ―
「日本舞踊で鳴らした女将さんから見たら、大の男がなんで腰悪くしたりするかなぁ、って感じだろうけどね」 ―
「いゃ、実は私もギックリ腰やってるの。ちょうどお正月の餅つきイベント、昔ながらの杵(きね)と臼(うす)使ってやってるタイミングで、いきなりギックリきちゃってねぇ、それはもう大変だったんだから」 ・・・
・・・みたいな感じの
同病相憐れむ トークでひとしきり強がり笑い演じた後で、ちょくちょく襲う電撃ショックに
「!うぐっ!」 と叫びを上げつつ、今朝の食事もきれいに完食・・・だが、お膳を入り口近くの畳の上に持ち運ぼうとした瞬間、凄まじいショックでしばし身動きできず、持ち運ぶ途中でひっくり返したりしたらかえって迷惑だろうから、畳の上をはいずるようにして、受付のお姉さんに内線電話して、お膳を下げに来てもらったところで、こう切り出した ―
「実は、今朝、ギックリ腰をやっちゃって、ちょっとマトモに動き回れそうにないから、福島駅から東京まで直通で帰れるバスの切符、電話で手配してもらえると助かるんだけど」 ・・・まったく最後までやたら手の掛かるお客さんである・・・が、それに対して嫌な顔ひとつせず、
「はぃ、わかりました・・・たいへんですねぇ~」 と、今回ばかりはちょっぴり心配顔のお姉さん、その彼女から10分と経たずに内線電話が掛かってきた ―
「はぃ、<青柳>の****ですぅ」 ―
「福島駅からだと、**時**分発新宿行きのバスの予約なら取れるそうです」 ・・・だが、ちょっとしっくりこないスケジュールだったので、
「うーん・・・じゃぁ、郡山発東京行きのバスだと、どうかなぁ?」 とさらにわがままなリクエストを出すと、
「そっちだと、12時25分発の新宿行きバスがあるそうです」 ―
「あ、じゃぁ、そっち予約しちゃおうかな」 ―
「バス会社の人は、べつに予約せずに郡山まで来てその場でチケット買えばOKだって言ってました」 ―
「ってことは、さほど混んでないから、余裕で乗れるってことかな?」 ―
「そうかもしれません」 ―
「うん、わかった、それじゃぁ、とりあえず、郡山まで出て、そこからバスで東京まで帰ることにします・・・チェックアウトの午前10時まで、部屋の布団の上で柔軟体操しておこうかな」 ―
「どうぞ、お大事に」 ―
「うん、いろいろほんとにありがとぅね」 ・・・
・・・ということで、食休みかたがた、布団の上で、片足ひねり・上体そらし・前屈姿勢と、様々な体勢を取りながら、電撃ショックへの耐性作りにチャレンジだ・・・しかし、足腰と機械類の不調は、身構えている時には起こらぬもの、寝転がってばかりいるとなんだかこのまま寝たきりになりそうでイヤだから、おそるおそる起き上がり、腰をなるべく曲げない姿勢での直立歩きトライアルに切り替える。ギックリ腰が痛むのは、腰の角度を前後左右に変える瞬間だ。さりとて、角度固定では身体はこわばるから、早晩、どこかで腰をひねり、思わず悲鳴が出るあの痛撃に見舞われることになる・・・
あぁ~ぁ、イヤだなぁ、これでもし郡山で東京への直通バスに乗れなかったら、また新幹線の自由席で立ちっぱなし ― そうなりゃもう、この旅の楽しかった思い出も、苦痛と脂汗 と悲鳴で上塗りされちまうだろうなぁ・・・終わりダメなら全てダメ・・・バスさん、席を空けて、待っててね・・・
・・・イヤ~な想念を振り払おうと、身体は自然と窓際へ向かう ― 摺上川を眼下に臨み、川を挟んで飯坂温泉駅の側面と向かい合う、飯坂温泉一の特等席 ― 見下ろす川面には、のどかな川鳥たちの世界が、程々の距離感と密度で展開している。窓を開け放ち、朝の心地よい空気に触れながら、右手に見える十綱橋の緑色っぽいアーチを目に焼き付け、左手の小さな段差を滑り落ちる摺上川のせせらぎの音を耳に刻む ― この音・この景色、これだけは、イタ~い帰りの
苦行旅 の悪印象で塗りつぶさせたりするもんか・・・
・・・ふと、川向こう、飯坂温泉駅直下の一段高くなった側溝っぽい水辺を見ると、一羽の白い鳥の姿が目を引いた ― 水面にお腹を着けてカルガモっぽく泳ぐ小さな水鳥たちの横で、一羽だけスックと直立して身動き一つしない姿が、その格別感をいやが上にも引き立てる。なんて名前の鳥だろう? 立ち姿はツルっぽいが、サイズは鶴にしては少々小さい気がする。白鳥でないことは確かだろうが、それにしても動かない鳥だなぁ。たまぁ~に首を折り曲げるだけで、ひとりぼっちでじ~っとしているあの姿・・・ギックリ腰で身動き取れぬ今の自分みたいだな、とか一瞬バカなことを考えて我ながら苦笑しながら眺めること10分ほど・・・やがて、眼前の空間を一羽の真っ白い鳥が大きな羽を広げて悠然と川下へと飛び去って行き、それに合わせてさっきのツルっぽい白い鳥も、飯坂温泉駅直下の側溝から飛び立って、後を追うように彼方へと消えて行った・・・なぁ~んだ、ちゃ~んと見事に飛べるんじゃん。しかも、ペアで楽しそうに。身じろぎもせずにいたのは、飛来する相棒を待ってたわけね・・・だまされちゃった ― きっとあの鳥の名は「白サギ」だな・・・
・・・そうこうしているうちに、時刻はほぼ午前10時 ― 良い思い出のいっぱい詰まった<青柳>の部屋を、最低のコンディションでのそのそと出て、エレベーターで一階まで降り、そろりそろりと受付まで歩いて、チリンチリンと呼び鈴鳴らし、
朗らか な笑顔で出迎えてくれたお姉さんに、<青柳>の部屋のキーを渡して、チェックアウト完了 ― さぁ、ここから先は重いリュックに加えて腰痛まで抱えたドキドキ道中だ・・・
・・・何はともあれ、二泊三日の充実した飯坂温泉旅行、それを支えてくれた「小松や」さんには感謝しかない ― 食事・温泉、何もかもみなとってもよかったです・・・最後のギックリ腰だけは余計だったけど・・・お姉さんにはあれこれお世話になって、ありがとうございました。女将さんにもどうぞよろしくお伝えください ・・・
・・・おっかなびっくり靴履いて、まるで地雷原を忍び足で進むような歩調で、慣れ親しんだ「小松や」の玄関を出てから改めて館内に向けて頭を下げて、飯坂温泉駅に向けてテクテク歩く。
・・・飯坂温泉駅のコンビニではマスカットジュースを買ってサーモスの水筒になみなみと満たす。二つあるリュックのうち、小さいほうの「小松やの糸」で補修済みのリュックには、電子機器類のほか、結局ここまで手を付けずに残った「被災時緊急食料」が詰まっている。東京行きのバスに座席を確保できたら、車中、こいつらで腹ごしらえをしよう・・・バスの切符が手に入ったらの話だけど・・・
・・・後で気付いたことながら、「小松や」のチェックアウトを午前10時きっかりまで(名残惜しさ に)待ってしまった結果、せっかくお姉さんが調べてくれた「郡山12時25分発新宿行き高速バス」の発車時刻には、もう、間に合わない時間になっていたのであった・・・ひぇ~・・・
◆21◆ 『福島⇒郡山・・・車窓の外に広がる光景』
飯坂電車(いい電)で福島駅まで出たところで、郡山行きの電車がそうそう滅多に出るもんじゃないことを初めて知る ― 30分ほど待たされて、郡山駅に到着する頃にはもう、12時25分発の新宿行きバスには乗れない ― まぁいいや、
「予約しなくても乗れる」 みたいなことお姉さんは言われたらしいから、一本遅らせても、何とかなるだろう・・・
・・・ってなことで、「薄皮まんじゅう」と「ゆべし」は(郡山ではなく)福島の駅ビルの売店で買っておっきなリュックの中にギュウギュウ詰めにする・・・初日には2つのリュックを背負って4時間以上あちこち歩き回った福島駅周辺だが、思い返せばあれが腰痛爆弾に火薬を詰めるような無意味にサディスティックな(=加虐性淫乱症 っぽい)行脚 だった・・・まぁ、今更言っても仕方がない、今はとにかくこの駅前で、なるべく腰に負担かけない姿勢でじぃ~っと郡山行きの電車の到着を待つことにしよう・・・
・・・かくて、郡山へと向かう車中の人となった自分は、電車の窓外に展開する福島の景色にじぃ~っと目をこらし続けた・・・
鉄道沿線に建てられたこぢんまりとした民家の数々が、なんだか同じセル画から複製されたアニメのコマの繰り返しみたいに見える ― 家の作りも外壁の色も、よその家のカーボンコピーみたいな感じのやつが、延々続いているかのような印象 ― 建てられた時期も建てた業者も工法も似通っているからこういうデジャビュ感覚が生じるのではなかろうか? 震災で倒壊したり原発事故の被害を被ったりした人達には国からの賠償金なり補助金なりが出て、それを使ってみんな一斉に家を立て替えたとかいうことになると、どれもこれも似通ったものになる・・・と、そういうことなのかどうなのか、答はよくはわからないが、印象としてはそんな感じである。
また、車中から見える木々の色が、どれもこれも灰色っぽいのがかなり気になる。これが単なる冬枯れの色ならよいのだが、風に乗って「浜通り」から飛来した放射性物質(セシウム)による汚染の結果のくすんだ死の色だとしたら、木々の生え替わるまでの期間の長さを思うと、その被害の根はかなり深いということになるだろう・・・これが「冬枯れ」なのか「セシウム汚染」によるものなのか、それを確かめるためにも、いずれまた(春の芽吹きの季節になってから)今度は「水郡線」に乗って水戸(茨城県)から郡山(福島県)へと移り変わる車窓の風景を彩る木々の色合いの違いを確認する旅をせねばなるまい・・・四月半ばには会津の鶴ヶ城も桜が満開になるはずだから、その頃合いにまたこっちへやってきて「観光客で最も賑わう頃合いの福島県」の空気感を ― とりわけ、外国からの来訪者の数を ― 肌身で感じる実験ツアーとしゃれこもう(・・・このギックリ腰が治ってからね・・・)
福島・郡山間の駅の中には、時折、何とも取って付けたように駅前に若い人達が集まっている所があるのが気になった ― 飯坂温泉駅で見た『飯坂真尋ちゃん神社』みたいな「スタンプラリーで集客戦略」の展開が行なわれている駅なのだろうか? ・・・何にせよ、人の集まり方が自然な感じではなかったから、『温泉むすめ』 かどうかは知らないが、いずれ人為的なキャンペーンによるもののような気がする・・・集客努力は大事だが、呼び寄せた客が駅周辺に張り付いたままあっさり日帰りで消えてしまうような「一過性の花火」めいたキャンペーンでは何とも心もとない・・・まぁ、そもそもそういうキャンペーン展開が行なわれているのかどうかも不明だが、この之人冗悟 の感覚では「福島に花火は似合わない」 ― もっとどっしりと福島の地に根を下ろした「推しの力」が、必要な気がする・・・
・・・そうして列車に揺られることほぼ50分、我が懐かしの駅「郡山」に着いた・・・
◆22◆ 『郡山駅から新宿へ・・・バス待ち時間=3時間超!』
列車待ちの時間まで含めて、福島駅からほぼ1時間半かけて郡山駅に到着 ― この駅に降り立つのは、中学生、ヘタすりゃ小学生の頃以来だから、優に半世紀ぶりである。
重い荷物と地雷原腰を抱えた身でトボトボ歩くこの駅のホームの印象は、人の少なさとも相まって、やたら広大な停車場のよう・・・何人かの駅員さんに「東京へ行くバス乗り場」の方向を尋ねたが、どうも要領を得ない ― ある駅員さんの指し示す方向と、別の駅員さんの示唆 する方向が、正反対だったりする ― 要は、それだけ多くのバスが郡山駅からは出ているということだろう。
しかし、今の自分のこのコンディションで、このだだっ広い郡山駅で、正解とは逆方向へ無駄足使って迷い込む余裕はない・・・ということで、この駅でも一番栄えていそうな出口(中央口)へ出ると、左の端にヨドバシカメラの大きな店舗が、右の端にはやたら多くのバスと乗客の列が見える・・・腰を爆裂させぬよう、にじり歩きでバス乗り場へ・・・行き先表示を確認すると、4番の案内に「新宿」とある ― どうやら、ここで正解のようだ。
その4番乗り場の真ん前にある案内所のおじさんに「次に出る東京行きのバスは何時ですか?」 と尋ねると、「15時50分」 との答え ― 今の時刻は12時半を少し回ったところ ― 「小松や」のお姉さんが電話で確認してくれた「12時25分発新宿行き」のバスをわずかの差で逃した結果、次のバスが出るまで3時間以上待つ羽目になったわけだ ・・・
・・・さっきの「福島⇒郡山」の移動といい、福島県での交通機関の乗り換えには、東京では考えられないほどの隙間 時間がやたら多く発生するようだ ― 「スマホいじりでヒマつぶし」の必然性がかなり高い地域性 ― 「WEB三択クイズの反復プレイで英単語/英熟語を完璧マスター」という我が教材との親和性、福島県は、高そうだ・・・
とりあえず、まずはバスのチケットを確保して、あと三時間(超)、何しようかな・・・今のこの腰では、初日に福島駅周辺でやらかしたような「郡山市内徒歩とほツアー」はとても無理・・・コインロッカーにリュックを預けて身軽になったとて、腰の爆弾はついて回る・・・このバス乗り場からあまり遠くへ離れる気にもなれないから、仕方ない、どこか適当な場所に座り込んで、春めいた陽気の下で日なたぼっこしながら、駅前広場を行き交う人々の姿をぼんやり眺めて過ごすことにしよう。
◆23◆ 『郡山駅前広場の優しい美しさ』
郡山駅前広場には、だだっ広い空間のそこかしこに植えられた木々を囲むようにして、丸い木組みの腰掛けがある ―
「どうぞ座ってくつろいでください」 と誘うかのように ― で、実際、実に多くの人達がそこに座っている・・・学生・会社員・子供連れ・ヒマを持て余していそうなおじさん(含 自分)・・・みんな、さも当たり前のように腰掛けて、ベンチの上での時を楽しんでいる。あるいは談笑、あるいは休憩、あるいは日なたぼっこに、そしてまた自分のように電車やバスを待つ間の時間つぶしのために、この駅前広場の着座空間としての重要性は、高いようだ。
東京の公共施設のベンチには、「浮浪者除け」の目的で、人が横たわることができぬよう、わざわざ何らかの突起物がその真ん中に突き出ていて、あの街の底意地の悪さを象徴する景物の一つとなっている・・・が、そういう悪意の代物 は、この郡山駅前広場には影も形もない。時間つぶしの必要性の高い駅だから、ということもあるだろうが、これはやはり「福島県人は東京の連中みたいにエゲツない悪意を他者に対してむき出しにすることができない人達だから」 と見るのが正しいように思える ― 本当に、福島の人たちが東京に出たら、「なんなのこれ? なんでこんなにムキになって、他人にひどいことしたがるの?」 と、呆然 とすることだらけなはずである ― 今の東京の基底色は完全に「悪意」 ― 上っ面 だけキレイに飾り立てた「現代のソドム」そのものなのである。1960年代からずっと東京暮らしのこの自分は、1990年代初頭のバブル崩壊以降のあの街の道義の退廃ぶりにはつくづく嫌気 が差しているのであるが、そうして狂って腐った今の東京の様態を、よその土地から東京へ流れ込んで来る「お上りさん」たちは、「これが東京の流儀なんだ・・・」と思いなし、「連中がそこまでトンガってるんなら、こっちも負けてはいられない」とばかり、自らも他者に対する敵意・悪意にさらに拍車を掛けることになる・・・そうして、底無しに(あまりの腐れぶりで神の怒りを買って滅ぼされたソドムやゴモラのごとく)劣化するのである、東京・大阪みたいな「余裕のないよそ者の手でどんどん(悪い方へ)作り替えられてしまう大都市」というやつは ・・・それを体感的に知ることができるのは、地元に根を張る人間のみ、一過性の渡り鳥(=東京を単なる遊び場・稼ぎ場としか見ないよそもの連中)にとっては構造的に認識不可能な真実なのである ― だからこそ、「三代続いた江戸っ子」でない限りは「純粋東京人」とはみなされないのである ― 大方の「東京の人間」は「純粋東京人」ではないから、「古里」でもない東京なんていくら汚しても平気だし、自分に対してつらく当たる「東京」への意趣返しとして、この街の「非人間化」に積極的に荷担する・・・東京はよそものだらけの大都会、通りすがりの連中が遠慮会釈 なしに汚し放題の巨大公衆便所みてぇなクソ溜めに成り下がっちゃぁいるが、そんな東京にだって「地元民」はいるのであり、自分のような「江戸っ子」は、よそものどもに好き放題汚されてどんどん荒廃してゆく「古里」を、複雑な愛憎をもって眺めているのだ ― 汚れて腐った今の東京なんざクソ食らえだが、腐ってもそこは「古里」、憎みきれない哀れな里なのだ・・・
・・・そんな感慨を込めて眺めるこの郡山駅前広場の「悪意不在」のすがすがしさは、春を思わせる午後の空気と相まって、何ともほのぼの好もしい・・・
・・・清掃員の胸当てを着けたおじさんたちが、用具を持って広い公園内を歩き回っている。駅の出口のところに「美しい駅を目指してます」 みたいな表示があったが、なるほど、こうした清掃員の人達の努力もあって、この駅前広場はこれほど清潔な美しさなわけだ・・・
・・・逆に想像を巡らしてみると、2011年からの数年間は、このあたりも「清潔うんぬん」なんて言っていられぬほど殺伐 とした有様だったのだろうから、そんな暗い時期への決別宣言として、「美しい駅を目指してます」 ということになるのかもしれない ― こりゃあ、この郡山駅前では、ビラ配りはできないな、チラシがブザマに風に舞い飛ぶ紙ゴミと化せば、こっちの心が折れる以前に、あの清掃員さんたちに申し訳ない・・・
・・・福島駅前では高校生の往来もほとんどなかったが、ここ郡山駅の昼下がりは結構な数の高校生たちが駅へと流れ込んでくる ― まぁ、ビラ配りはできないんだけどね(体調的にも心情的にも) ― 「福島」は官公庁の町、活気や人の流れは「郡山」が数段上 といった印象・・・さりとて、東京の池袋・新宿・渋谷みたいな「もういいょ、いいかげん途切れてよ、この人波」というレベルではない「程々の人通り」が、いぃ感じ 。本来なら駅のコインロッカーに重いリュックを預けて繁華街まで足を伸ばしてそちらの賑わいも体感して来るべきところだが、3時間の余裕はあっても腰に全然余裕がないので、仕方ない・・・
・・・それにしても、おととい・昨日・そして今日と、この暖かさは何なんだろう? 東北の三月初旬のイメージからかけ離れた気温の高さ ― 地球温暖化の進展と共に、「涼しい福島」のイメージもだいぶ変わってきているようだ・・・
・・・その暖かさのおかげで、本来なら駅構内の喫茶店あたりでツブすべき3時間を駅前広場のベンチの上で過ごせたおかげで、またしても自分は、とっても美しい光景を見ることができた ―
― 杖つき歩くおばあちゃんが、すぐそばを通りがかった女子高生2人を呼び止めて、彼女たちはさも当たり前のようにタクシー乗り場まで小走りに走って係員のおじさんに何やら尋ねると、おばあちゃんの元へ戻って乗り場まで誘導する。女子高生の一人は、おばあちゃんの手を引いて導こうとするが、片手に杖をついているおばあちゃんはもう一方の手を女子高生に握られた状態では歩くバランスが取りづらいらしい。親切のつもりで手を握ってかえっておばあちゃんを困らせちゃった女子高生は、(ぁ、どうしようどうしよう、ごめんなさい) とばかり、かわいい雀みたいに両手をばたつかせて恐縮、結局、おばあちゃんの歩みに合わせて、二人の女子高生もスローモーションみたいに歩き、タクシーに乗り込むまで見送った後で、何事もなかったかのように去って行った ―
・・・まったく、なんと美しい光景だろう! ― お年寄りへの親切を自然体で演じてみせる女子高生たちも美しいが、通りすがりの若者に声をかければ助けてもらえると信じ切っているかのようなおばあちゃんの姿もまた素晴らしい ― 福島県の子供たちは、とってもよい子に育っているようだ。
飯坂温泉郷でも、道で行き交う小学生たちはみんな、この見知らぬおじさんに向かって「こんにちは」 とあいさつしてくれた。「観光地」という土地柄、誰にでも愛想良くするように育てられているという側面もあるのかもしれないが、やはりこれは「程々の閑静感」のたまものだろう ― 東京みたいに異常にゴミゴミした人間だらけの住環境では、行き交う人はおろか会社や学校の人間たちにさえ、いちいち挨拶していたらキリがない ― 要するに、福島県は「人の数」も「人との距離」も東京みたいな「非人間的水準」ではないからこそ「人への優しさが発揮しやすい」土地なのである ― 東京みたいにとにかくやたらと人・物・金が集中する場所では、「人から人へのあるべき振る舞い」がまるで成立しない ― そのあたりの感覚は、地方を訪れた都会の人間と、地方から都会へ出て来た人とでは、いったいどちらが明敏に認識しているのだろう? 後者の場合はただひたすらに「都会の非人間性」に圧倒され、それに振り落とされまいとして「非人間的な都会人」たるべくムキになって自らの人品をおとしめる ことが多いはずであり、そうした人間に「人から人へのあるべき振る舞い」がきちんと成立する「人と人との程良い距離感」・「程々の閑静感」の良さが認識できる道理がない・・・その逆に、「やっぱり都会は自分には合わない」という挫折感に包まれながら「都落ち」して「田舎人」に戻った人 も、自らの挫折感を棚に上げて「都会には、人から人へのあるべき振る舞いが成立するような程良い距離感・程々の閑静感なんて、ないんだよ」 などと、都会の非人間性をあげつらうような精神的高みに我が身を置くことは、できないだろう ― 自分のような「生まれも育ちもずっと東京」の人間の目には歴然とわかる「人と人との程々の距離感・程々の閑静感の好もしさ」が、地方の人々にとっては「しょせん、田舎だから」という(劣等感とまでは言わぬまでも)引け目や照れくささでしかなかったりするのは(すばらしき方言としての「福島弁」と同様)、実にもったいない話 である。
先ほどの女子高生二人とおばあちゃんの間で演じられたような自然に美しく優しい光景は、東京あたりじゃなかなか見られないものだ ― 東京の高校生が不親切だからではなく、東京ではとにかく人も物も時間も何もかもがあまりにせわしなく流れすぎていて、おたおたしている人間に対しては「オラオラオラ、邪魔なんだよテメェ!」 という排除圧力が四周からズンズン覆いかぶさってくるので、自然体の人助けが成立する余地に乏しいのである・・・そんな都会の環境下での人助けは、思いっきり「慈善的」(ヘタすりゃモロに「偽善的」)に大上段 から振りかぶって力の限り演じないことには、なかなか演じきれるものではない・・・そういう「力任せ の親切」だって、親切であることに変わりはないのだが、郡山駅前広場で演じられた女子高生二人とおばあちゃんによる「自然体親切交歓会」に比べれば、どうしたって見劣りする ― 張り切らないと親切になれない街と、自然体で親切に振る舞える里とでは、人としての温もりが、違うのだ ― 郡山は、飯坂は、福島県は、実にいい所なのだ・・・そのこと、福島の人達は、どの程度まで自覚しているのだろう・・・
◆24◆ 『さらば、優しい福島県・・・その優しさを、世に伝えるには・・・』
・・・そうしてようやく午後3時50分、福島県での感銘深い思い出と地雷原のような腰を抱えて、自分は車中の人となった。バス内での座席は右列の最後尾。隣席は最後まで空席。全体的に空きが目立つ余裕の車内は、行きの東北新幹線自由席のすし詰め状態とは対照的 ― この旅で感じた
福島の本源的長所「程々の閑散感」 の締めくくりにふさわしい空気に包まれて、郡山を後にする。
郡山駅前の繁華街 ― できればこの足で歩き回って体感したかったその空間を、バスの車窓越しにじぃ~っと眺める。バスはあっという間に駅前エリアを過ぎ、やがて「帝京安積高校」の看板のあるグラウンド前を通り過ぎる。子供の頃の夏への扉「安積永盛(あさかながもり)」の懐かしい光景が見えてくるかもと期待しながら目をこらすけれど、それらしい気配も感じぬままに入り込んだ「須賀川」エリアが延々ず~っと続いている。
中古車販売店がこれでもかこれでもかと並んでいる印象は、商業展開とは縁遠い地方都市の共通特性だ。いま世界中では「ガソリン車から電気自動車へ」のクリーンエナジーシフトが加速度を付けて進行中。飯坂温泉で出くわした車の多くも、無音の動作にレシプロエンジン風のエミュレーションサウンドをかぶせた「シュイーン!」という音ですぐそれとわかる電気自動車になっていた。今後地球環境の激変に加速度が付いて、「地表の移動」が困難になった折りには、「自動車県」の東北の地はどうなるのだろう? 茨城以南の各地には、「危険な地表を避けて、地下鉄・地下都市へのシフト」の未来図がさほどSF的でない近未来の姿として思い描けるのだが、今の東北に「地下交通網の発展」のシナリオをあてがうのは(『オムニバイザー』なんて近未来ガジェットをネタに星新一賞取っちゃったこの之人冗悟 にも)ちょっとムリな感じ・・・
今回の旅では、改めて、「自家用車という名の孤絶空間」で各人各様に動く生活様式が、福島とそれ以南の日本人とを隔てる最も根源的な壁 だなぁ、との感を強くした ― 目的地まで「車」で行って、用を足したら「車」で帰る。その中間には「車の中のプライベート空間」があるだけで、他者と交わる「社交」の余地がほとんどない。それだけに、たまさか出会う「他人」に対する東北人の優しさは、都会人とは比べ物にならない温もりに満ちているが、否応もなく「他者と交わる場」に満ちている都会でなら可能な様々な出会いや商機は、今の福島県にはかなり乏しい 印象である。
さりとて、都会をマネして「人と人とが交わる場」を強引に増やそうとしても、「人口過密のゴミゴミエリア」という資本主義的商業発展の根源的要件を満たさぬ福島県に、それはムリ ― なまじ「人だくさんで商売繁盛」を目指したりすれば、今の福島の持つ「程々の閑静感」の魅力が損なわれてしまう 。
やはり、福島の(そして東北の)地は、「数を寄せての金もうけ」には本源的に向かない土地柄のようだ・・・今後の「東北の繁栄」の基盤になるのは、「一過性の渡り鳥たちが大量に落とすフン(=散財するカネ)」ではない(そんなもの求めたって、「渡り鳥」たちは「南へ、西へ」と向かうばかりだから、空しい結果は見えている)・・・目指すべきは「フン」ではなく「ファン」 ― 今時のはやり言葉で言えば「みちのく推し」の気持ちを、できるだけ多くの茨城以南の人々の心根に植え付けることで、その存在感を高めてゆく道を求める べきだろう。
例えばの話、「演劇」だの「音楽」だの「文学」だのといったなかなか売れない道を歩む奇特な人種の多くは、売れるまではマトモに食ってゆくことさえままならぬわけで、そういう連中のほとんどは、華やかな都会に憧れ 出ては、有名になる夢を胸に、アルバイト店員として商業界からいいように使いツブされるドン底の生活を送っている。そうした連中のごくごく一握りがやがてそれなりに名を成して、かつての「売れなかった時代の苦労話」として引き合いに出す都会での「自分の本当にやりたい事とは全然関係ないアルバイト稼業の数々」なんて、そのほとんどは芸の肥やしとして役立つ代物 でもなんでもない空しい苦労でしかない。「今に見ていろ!」の反骨の炎を胸にたぎらせる役には立つかもしれないが、そんな押し縮められたバネみたいな感じで胸中にくすぶる思いは、ちっとも健全じゃなく、建設的効用も薄く、数年程度ならともかく、十年も続けばもうそんな炎も燃えさしになって、「あぁ~ぁ、自分はいったい、何やってるんだろ?」のため息と共に、「夢への見切り」を促す心の重しにしかならない・・・
・・・そんな「芸事で、いずれ世に出てやる!」という思いを抱いた連中を、ごっそりまとめて、福島へ呼び寄せてしまったらどうだろう? 連中が「都会」へ出る理由は実に単純で、そこが「芸能・文化の中心地」だと信じ込んでいるからである。確かに、芸の殿堂は都会にしかない(地方に置いたって客が来ないんだから仕方ない)わけだが、いずれその大都会の華やかなステージに立つことを夢見る連中がいきなり都会に行ったとて、舞台になんて立てずに「使いつぶしのアルバイト店員」として商業界の手駒としての生活に忙殺されるだけ。芸事のイロハを学ぶために各種の学校や団体に所属するためのカネを稼ぐためのアルバイト生活が、結局、才芸を磨く余裕も未来への夢も根こそぎツブすことになる、という定番コースをたどるのがオチなわけである。
だが、考えてもみるがいい ― どうせ最初は「華やかな都会の舞台」になんて立つこともできぬなら、あえて都会に身を置く理由が、どこにある? 都会に身を置かねば学べぬあれこれなんて(「都会の非人間性」を実感する、みたいなマイナス要素以外で)いったい何があるだろう? 最先端の情報に触れるのに、「(ほぼほぼ無料の)ネット」を選ばずに「(死ぬほど働かないと身を置くこともできない)都会」を選ぶべき理由が、いったいどこにあるのだろう?
そしてまた、今の世の中、華やかな都会の舞台なんぞに立たずとも、ネット配信という形で誰もがステージの主役としての自分を全世界に向けて発信できるというのに、逆立ちしたって立てっこない有名な舞台が都会にあるから、という愚にも付かぬ理由で、わざわざ都会に身を置く理由なんて、まったくないではないか!?
演劇みたいな芸能は、一人で極めようとしてもダメで、どうしたってそれなり以上の数の仲間が必要だから、そういう奇特な道を追い求める仲間がたむろしている場として「都会」を選ぶ、という選択肢しかない現状に対して、東京からほどほど離れつつとことん遠隔の地でもない福島あたりは、「とりあえず、飢え死にせぬ程度に働きながら、芸事の修練に励む場」を、「仲間丸ごとごっそり引っ張る形」で提供できる 、まさに打って付けの里になるはずだ。
無論、福島県とて「食えない芸能人の卵たち」にタダメシ食らわせとくわけにはいかないのだから、「白鳥未満のみにくいアヒルの子たち」の方では「農繁期の畑仕事の手伝い」なり何なりで「使える人手」としての身の証しを立てつつ、「夢追うアヒルの子たちの群れ」の中で将来の夢を追いかけつつ、その成長ぶりは折々の「ネット配信」であまねく世界に発信すればいい・・・まぁ、その大方は「結局、自分は白鳥にはなれない」という現実に早晩気付かされて「アヒルの子」のまま夢をあきらめることになるわけだが、その時はその時で、「東北の草の根」として根付く道を歩むなり、よその地で別の人生を歩むなりすればよいわけで、いずれにせよ彼らの心根に「優しい福島」への愛着の種をまくことにはつながるのだから、福島県にとっても売れない未来の大物候補たちにとっても、これはWIN&WINの素敵な関係になるはずだ。
さらにもっと手っ取り早い話として、福島県に数ある温泉地、今回自分がお世話になった飯坂温泉をはじめとする「お客を呼ばないことには話にならない土地」なんて、そうした「芸能人の卵たち」の孵化地 としては、これ以上ないほどピッタリの場所だろう ― 「温泉むすめ 飯坂真尋(いいざかまひろ)」でそれなりの数の若い男性客を呼び込めるなら、「売れない頃にこの温泉地であれこれお世話になった、白鳥阿蒜(しらとりあひる)」のゆかりの地として、「ファン」にアピールする道を開拓すればいい 。
福島には、食い物も土地も豊富にあるが、人の数は ― 特に外国からの来訪者の数は ― 多くない。3日間の滞在中、この自分が福島県で目にした外国人の数は、飯坂電車内で見た西欧人男性1名、飯坂電車福島駅ホームで見た東南アジア系男性1名、福島駅切符売り場で見た西欧人男性1名、郡山駅前広場で見た西欧人男女カップル1組と南米系女性1名の、わずか6名のみ ・・・そこそこ盛っている日本の各地ではまずもって考えられない少なさである ― 福島県が「観光立県」ではないことを差し引いて考えても、これは「Chernobylled Fukushima:チェルノブイリ化したフクシマ」という14年前の原発事故がもたらした負のイメージが根付いたまま国際的にはまったく払拭 されていない(≒福島県側からの英語での世界へのアピールが全然足りない)ことの証しであるように思われる ― この異様なまでの外来者の少なさは、「外国人」の枠を取っ払った「観光客」全般に関してもそのまま当てはまるのではあるまいか? ― だが、逆に、よそから来る人々の受け入れ余地はそれだけ広いわけで、その受け入れ人材として「都会ではアルバイトに忙殺されるばかりの売れない芸能人志望」とか「いますぐカネに直結しそうにもない夢物語ばかり描いている頭でっかちの知識人」とかの「居着き系人材」にターゲットを絞ってみるところから、「有為の人材ゆかりの地として福島の名を上げる」努力 ― 「福島ファン」の数を増やす「推し活」 ― を始めてみたらどうだろう? 「一過性の渡り鳥たちの落とすフン(=散財するカネ)拾い」に明け暮れる日本のよその「インバウンド景気に沸く地域」ではどこもやっていないこと、やろうと思ってもできないこと ― 「渡り鳥の落とすフン拾い」ではなく「白鳥(になるかもしれないアヒルちゃん)のタマゴ育て」をする里になること ― そういう地道に有り難い「優しい地域おこし・人おこし」の道が、この福島以上に似合う土地は、そうそうないはずである。
◆25◆ 『那須高原サービスエリアで拾った、プチ幸福』
遠ざかる福島のこと ― この心優しき地の明日への道の切り開き方を、ボンヤリ考えながら眺める窓外の福島の大地にも、ぼちぼち日が落ちてきた・・・宿のお姉さんが調べてくれた「12時25分発新宿行き」に乗っていれば、東京に着くまで延々満喫できたはずの外の景色も、夕暮れのとばりに包まれてぼちぼち見えなくなりかかっている・・・やればできるはずの「白鳥の卵たち誘致」をしていない(と思われる)福島県のドンくささ以上に、この自分のなんとまぁ要領の悪いことよ・・・
・・・苦笑いしながら、もはや見るべきものもなくなりつつある窓外から、視線を車内へと移すと、前方のスクリーンに「那須高原」の文字が出て、ドライバー男性のもぞもぞした声が何やらブツブツ言っているから、ここらでトイレ休憩というわけなのだろう・・・ギックリ腰の自分としては、動き回らずに車中でじっとしているべきか、少しは違う姿勢を取って腰の負担を散らすべきか・・・
・・・バスは緩やかにカーブを描いてスピードを落とし、ブレーキの音を響かせて停車した・・・全然混んでもいないこのバスに、いったいどれぐらいの数の乗客がいるか確認する意味も込めて、ここは、最後尾からノソノソと、いったんバスを降りる一手だな・・・シートベルトを外すだけの動作でも「ギクッ!」と電撃の走る腰に負荷をかけぬよう、左右両座席の端を交互にわしづかみしながら、のっしのっしとバスを降り、サービスエリアへと身を運ぶ・・・
・・・どうやら定員の半分ほども客がいないっぽいバスを降り、曲げ伸ばしすると「ギクッ!」と痛む腰をなだめすかしながら、サービスエリア特有の巨大トイレへと向かう・・・
・・・ふと見ると、前方の駐車スペースに、小型のパス入れが落ちているのが目に入る・・・ぁはは、こいつぁまるで小中学生向けのロールプレイングゲームだな ― 選択「(1)拾って、落とし物係に届ける」・「(2)拾って、自分のものにする」・「(3)無視して、トイレへ進む」 ― この福島で(つぅか、もう栃木県だけど) (1)以外の選択肢なんて、あり得ないじゃん ― ん、待てよ、「(4)拾おうと腰をかがめて、ギックリ腰を悪化させる」 という隠れバクダン選択肢か、これは・・・まぁ、いいや、何にせよここは福島県(ほんとは栃木県) 、「拾って、落とし物として、然るべき場所に届ける」 よりほか、なかっぺよ?・・・ってなわけで、なるべく腰を折らぬよう膝だけ畳んで、落ちてるパス入れを慎重に左手でつかんで、目の前にあるお店のお姉さんに「すいません、これ、落とし物、すぐそこに落ちてたんだけど」 と声を掛ける・・・お姉さんは、「あ、ありがとうございます。それでは、お手数なんですけど、中に入ってインフォメーションの人に届けてもらえますか?」 と答える ― それはそうだよなぁ、お姉さん、商売中だもの・・・ということで、行き先を「トイレ」から「インフォメーション」へと修正して、ソロリソロリと建物の中へ・・・「(5)インフォメーションセンターがなかなかたどり着けない遠い場所にあって、バスの発車時刻に遅刻しそうになって、トイレを我慢してバスに戻ることになって、東京までの残りの道中、逃したトイレを後悔しながら、腰痛&失禁の恐怖と戦う」 なんてイジワル選択肢は、どうかカンベンな・・・
・・・建物に入ると、目指すインフォメーションセンターは、意外と近い場所にある・・・ソロソロと歩み寄り、受付のお姉さん二人に向かって、「これ、落とし物、あっちの地面に落ちてたから」 と言いながら半身で手渡し、そそくさと身をひねって、トイレに向かおう・・・とすると、案の定 、お姉さんたちは、拾い主である自分の素性 を確認しようとする・・・
・・・こういう遺失物は、持ち主が現われなかった場合には拾得者のものになる規定があって、以前に地元の飛鳥山公園前のT字路で学生の落とし物とおぼしき「G-shock」の腕時計を真ん前の交番に「これ、そこの都電の線路んとこに落ちてたよ」 と届けた時には、杓子定規 なおまわりから「住所・氏名・電話番号・その他諸々」 をまるで不審尋問みたいに問いただされて心底イヤ~な思いに駆られたことがある。こちとら親切心で届けただけで、持ち主が現れなかったからってこの拾い物を我が物にするつもりは毛頭ないわけで、もしそのつもりならわざわざ交番に届けたりはせずにテメェのポケットに忍ばせて立ち去る一手だというのに、そんな親切心を踏みにじるかのように「オマエの素性 を問いたださぬことには、こちらの職務が成立しないのだ!」 の一点張りでアホな尋問続ける利己的オマワリに心底ブチ切れそうになったものだ・・・ったく、日本の公務員どもは、「職務規定のくそまじめな遵守」で「人の真心」を平然と踏みにじりくさりやがるから、ケッタクソわりぃったらありゃしねぇ・・・今はもうその悪弊は、警察官・役人・学校教師といった昔ながらの石頭人種のみにとどまらず、ありとあらゆる層にまで「コンプライアンス遵守」の呪われた呪文とともに広まって、この国全体を加速度的に腐らせているんだけど・・・
・・・そういうわけで、このパス入れの落とし物を那須高原のインフォメーションのお姉さん二人に手渡した時も、職務規定上あちらさんが当方の連絡先とか尋ね出しそうな挙動を見せる前に、「落とし主が現れない場合・・・」 の説明が始まるが早いか、「いらない。もうバスの発車時刻過ぎちゃいそうだから。後はよろしく」 と背中向けて言い残して、自分はそそくさとその場を去った・・・
・・・トイレに入って少し人心地着いた自分の耳に、インフォメーションの女性の声で「T***K***さま、T***K***さま、御案内したいことがございますので、インフォメーションセンターまでお越しください」 のアナウンスが流れてくる ― なるほど、ああいう落とし物の落とし主を呼び出す場合、「落とし物がありますので」 とは言わずに「御案内がありますので」 と呼びかけるわけか ― 「落とし物」と公表したら不心得者 が「それ、自分のです」とか名乗り出てくる可能性があるが、「御案内」ならその危険性も減るものな ― しかし、こうして名指しで呼び出すということは、あのパス入れにはたぶん免許証かマイナンバーカードといった身分証明書が入っていたということだろう ― ということは、たとえ落とし主が既にこの那須高原を離れていたとしても、連絡先はわかっているわけだから、あの落とし物は確実に落とし主の手元に帰るわけだ・・・うん、めでたしめでたし・・・
・・・トイレでの用足しに加えて、ちょっぴりいいことをした清涼感に満たされながら、バス最後尾の座席に戻った自分の脳裏に、郡山駅前広場で見た天使のように優しい女子高生二人の姿が浮かぶ ― やっぱ、福島には(もう栃木だけど) 親切が似合うんだわなぁ・・・ひょっとして、12時25分のバスを逃したのは、あの天使みたいな娘っこ二人とおばあちゃんの<当たり前の親切劇場>を見せてもらうためと、ここであのパス入れ拾って<T***K***さん>の手元に戻して「やっぱ、福島(っつ~か東北)って、あったかいなぁ」 と感動してもらうお手伝いするためだったのかなぁ・・・うん、そうそう、そう考えると、万事すべてがいい感じ・・・<終わりよければ全てよし>だゎ・・・
・・・心底満ち足りた気分を乗せて、バスが那須高原を発車した直後、横殴りの雨がバスの車窓を叩く ― まるでこっちが車内に収まるまで待っていてくれたかのように ― それもまた手前勝手な満足感をくすぐったが、そうして車外の景色に自然と視線が引き付けられると、まだかろうじて見える那須高原に林立する木々の緑が、宵闇 の中にも鮮やかに映る・・・福島駅から郡山駅までの車窓の外に見た木々の灰色っぽい色合いとは、明らかに違う、濃い緑・・・やっぱりあの福島の木々の色は、冬枯れではなく、放射能のせいだったのかなぁ・・・震災後14年という年月は、人の営みはともかく、自然の営みが元に戻るには、まだまだ短すぎる時間なのかもしれない ・・・が、この那須高原の木々の緑は「たまたま常緑樹だっただけ」かもしれないので、これはやはり、鶴ヶ城の桜が満開になる四月半ばに改めて「京浜東北線⇒常磐線⇒水郡線⇒磐越西線」のノロノロ列車乗り継ぎツアーをして「車窓外に移り変わる木々の色」を確認する必要があるだろう(・・・まぁ、今のこの腰の状態じゃぁ、それも難しいだろうけど・・・)
《後日追記: 2025年4月19日に改めて訪れた福島県(郡山⇒会津若松)の鉄道沿いの木々には、春の緑の色合いがちゃんと宿っていた。枯れ木も多かったものの、そこに放射能の影響を感じ取るのはどうやら過剰反応だったようである》
◆26◆ 『雨降り・渋滞・そして・・・!王子!』
もう外の世界には、対向車のヘッドライトと、遠くに光る建物の灯り以外、何も見るべきものがなくなった・・・後はひたすら、じっとして、新宿のバスターミナルに着くのを待つばかり・・・最後尾の座席であるのをいいことに、リクライニングシートを倒せるだけ倒して、睡魔よさぁ来るならこい、の体勢を取ったあたりで、バスの運転手さんが例のモゾモゾ声で
「ただ今、前方が渋滞しております」 みたいなことを言うと、車はゆるゆるスピードを落とし始めた・・・
・・・ぁはは、やっぱ、こうなるか ― 自分は、誰かに何かいいことをしてあげると、直後に必ず、厄介事 が降りかかる のだ・・・知り合いのパソコントラブルを丸一日かけて解決してやったその時は、帰り着いた我が家のPCのハードディスクがこれみよがしにクラッシュした・・・さっき書いた「落とし物を交番に届けて20分以上足止め食らってあれこれ個人情報を引き出されてブチ切れそうになった」なんてのも「他人への親切を(その他人以外から)仇 で返される、の図」の一つである・・・この旅の間の三日間、まるで春みたいに暖かい陽気と晴天に恵まれていたのに、ここへきて急に雨模様、おまけに交通渋滞も加わって、新宿駅午後8時帰着予定が9時~10時になり、夜の冷たい雨に打たれて、ギックリ腰が悪化する、みたいな展開が「パス入れ届けて人助けして、いい気分」へのしっぺ返しとして、これから襲ってくるのだろうか? ・・・だとしたら、他の乗客のみなさんには、俺っちの親切のとばっちり食らわせて、悪ぃことしちまったかもなぁ・・・とはいえ、義を見てせざるは何とやら、バスがやたら遅れちまったら、カンベンな、みんな・・・
・・・その後は、再度のトイレ休憩以外は取り立てて何のイベントも起きることなく東京へ向かうバスは、先刻の案内通り、ほどほどノロノロ進んでは、思い出したように快調なエンジンのうなりを上げて走る、という「ゴー・ストップ/ストップ&ゴー」道中を繰り返す。
外は完全な闇の中、バスが今どのあたりを進んでいるのか見当が付かない・・・時刻だけは、バス最前列のスクリーンに表示される時計があるので、いま午後7時をそこそこ回ったところだとわかるものの、渋滞の影響で新宿到着がどの程度遅れるのかまでは見当も付かない・・・たぶん、8時じゃなくて夜の9時とかになるんだろう・・・長丁場 になってもいいように、できれば寝入りたいところだが、腰にひねりが加わるたびにビリッ!とくる痛みのせいで、眠れない・・・
・・・やがて時刻は8時も間近、ふと耳に飛び込んで来た車内アナウンスが「次は、おうじ」 と告げる ― いま、王子って聞こえたけど、王子って、あの王子か? ― 下車する人がいるらしく、車内に響く「ピンポ~ン」 の音 ― 前方のスクリーンには「 王 子 」 の表示 ― 窓の外へと目をこらすと、夜を感じさせぬ町灯りに照らし出されたその光景は、見まごうことなく、我が最寄り駅の京浜東北線「王子駅」界隈 のそれであった・・・そうか、郡山から、東北自動車道使って東京まで帰って来たんだもんな、新宿より先に王子に着くわなぁ・・・
・・・それにしても、何とまぁラッキー! バスが夜の新宿に着いたなら、酒臭い乗客に囲まれて、山手線で20分以上、ヘタすりゃ立ったまま巣鴨か駒込まで、ギックリ腰と重いリュック2つ抱えての最後の苦行 が待っていたはずなのに、よりにもよって「王子駅前」に停まってくれるとは!
・・・All is well that ends well ! ― 行きの新幹線の遅れとビラ配りは残念な感じで、ギックリ腰は余計だったけど・・・いや、待てよ、そのギックリ腰こそ「親切していい気分・・・のツケの前払い」だったのかもしれない ― 何にせよ、終わりよければ全てよし 、こりゃまぁ実に、良い旅だったわぁ~・・・
・・・王子駅前 ― というより、地元民である自分の感覚で言えば「モスバーガー前」で停車したバスから下車した時には、さっきまで降っていたらしい雨も上がっていた。でっかいリュックを下ろして背負い、小さいリュックは前に抱え込みながら、信号渡って都電の線路をまたぎ、飛鳥山公園外周の登り坂をハァハァ言いながら家路をたどる。途絶えることのない車のヘッドライトの白い波、テールランプの赤い帯に、ゴミゴミした東京に帰って来たんだなぁという実感がよぎる・・・「小松や」の窓から眺めた飯坂温泉の夜の坂道で、時折見えた赤・白の光の、あのいとおしい閑散感とは別物の、それでいて何となくホッとするこのせわしなさ・・・自分は、やっぱり、東京の人間なんだなぁ(そりゃそうだ、もう60何年、ここで暮らしてるんだから)・・・
◆27◆ 『ぶじ、かえる』
いよいよ我が家もすぐそこというあたりで、一人の女性が街角の地べたに向かって腰を折り曲げながら、何やらじ~っと観察している ― 自分はその角を左に折れねばならぬのだが、その最短進入コースのあたりで、女性は、コートのポケットから取り出した細長いスマホを地べたに向けて、何やら写真を撮っている ― つられてこちらも地べたに視線を落とすと、黒っぽい
干物 みたいなやつが転がってる・・・と思ったら、それが二つに分かれて、一方がもう一方の上にピョコン!とばかり乗っかった。
「あ、カエルちゃんだ!」 とこちらが思わず叫び、スマホ片手の女性もつられて
「ふふっ」 みたいな声にならない笑い声を上げる ― そうか、そうだよなぁ、もうすぐ春だもんなぁ、あったかい陽気と、今日のこの雨に誘われて、カエルっこも土ん中からはい出して来んだなぁ・・・
・・・ひょっとして、ギックリ腰抱えつつもこうして無事帰って来た自分のことを、
「ぶじカエル、おめでとう」 と出迎えてくれたのかもなぁ・・・
・・・そのカエルちゃんに気付いて、道ばたにたたずんでスマホでパチリとやっていたこの女性がいてくれなかったら、自分も気付かず通り過ぎていたんだろうから、うん、どうもありがとねぇ、お姉さんも、カエルちゃんたちも・・・
・・・かくして、二泊三日の何ということもないながらも何とも言えず味わい深い福島への旅を終え、自宅の風呂場の体重計に乗ってみると、出発前より2キロも目方が落ちていた・・・あれだけたらふくうまいもの食っておきながら・・・まぁ、あちこち歩き回ったもんなぁ・・・ちなみに、リュック2つの重量を改めて計算してみたら、15kg ― これ背負ってあれだけ歩き回りゃぁ、そりゃ体重も落ちるわなぁ・・・
・・・次にまた福島さ行ぐ時は、新幹線はやめでぇ、リュックもキャスター付きのスーツケースに変えでぇ、行きも帰りも高速バスに揺られて行くことにすっぺ。
ともあれ、あれこれいろいろ、ありがとなぃ・・・またくるよ、福島 (・・・ギックリ腰が治ってがらね~)
◆28◆ 『事務的後記』
ビラ配りの成果については、「まったくなし」 ― 紙面上で「みてみてね」と宣伝したWEBサイト上の「英単語&英熟語習得用WEB教材(見本版)」へのアクセス数は(3月18日現在)「ゼロ」である ―
「福島を『日本一英語のできる県』にする」には、現地の人々にビラまいてみるやり方では効き目なし 、という実証実験の成果が得られたということで、早速別の方法による周知宣伝活動に移行せずばなるまい。
・・・さしあたり、
『QFEV:速修英単語』 / 『MNECOLID:銘憶英熟語』 への無料アクセス権の提供は、今回お世話になった飯坂温泉のみなさん経由の「口コミ」のみに経路を限定する、なんてやり方がいいかもしれない ―
「いいざかまひろ」 を推すために「小松や」の受付まで
「スタンプ押してくださ~い!」 とやってくる若い男性客の眼前に
「タダで覚える英単語/英熟語(いいざか温泉観光客限定)よろしかったらどうぞ」 みたいなエサまいておいて、「飯坂温泉たずねてみたら、なんか、タダで英単語も英熟語もやたら暗記できちゃって、ラッキー!」みたいな口コミでジワジワ広めるやり方である
(「福島県人」の英語力増進という当初のもくろみは崩れちゃうかもしれないけど) ・・・そういう「自分で拾ったプチ幸福」でないと、人は、たとえどんな良いものでも「タダですから、やってみて」と勧められたって
(駅前で配られるポケットティッシュみたいに) 有り難迷惑にしか感じぬもの・・・という実証的気付きを得られただけでも、この福島県飯坂温泉行き二泊三日旅行の費用対効果は(ビジネス的にも)十分あったと結論付けてよいだろう・・・心情的には十二分ということは、この長~い旅行記の追記で今更付言するまでもないだろう。
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