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31短歌29)「現実」より「夢」がいい時 ― さやか、祖父母への恋着と、自分を現実へ引き戻したものについて、思い出す

29)(子におくれて侍りける頃、夢にみてよみ侍りける)

うたたねのこのよのゆめのはかなきにさめぬやがてのいのちともがな

「うたた寝のこのよの夢の儚きに醒めぬ頓ての命ともがな」

藤原実方(ふぢはらのさねかた)

♪(吟)♪

★「現実」より「夢」がいい時 ― さやか、祖父母への恋着と、自分を現実へ引き戻したものについて、思い出す★

冗悟:「子」を中心に展開する短歌をもう一つ・・・これって、君には悲しすぎるかい、さやかさん?

さやか:はい、裏返しで ― 子供の頃におばあちゃん・おじいちゃんの夢を見てた自分を思い出します。よく夢に見ては目が覚めて、(あぁ、もういないんだ)って気が付いて、それでもベッドにしがみついてまた寝よう、もぅ一度夢の中で会おう、ってがんばりました。

冗悟:うまくいった?

さやか:いいえ。ママがいつも来てわたしを起こすんです・・・ママ、さやかはバカな子になっちゃったと思ったみたいです、脳味噌の病気か何かで。

冗悟:君があんまり眠りすぎるから?

さやか:はい。ほんと、心配してました、それでわたしを病院に連れてって、わたしそこでお医者さんに打ち明けたんです。

冗悟:それまでは両親に、わけ話さなかったの?

さやか:言いませんでした。パパとママはさやかのことおばあちゃん・おじいちゃんから引き離そうとしてると思ってたから。もし理由を言ったら、もうわたし絶対寝かしてもらえなくなる・・・バカな子でしょ?

冗悟:かわいいお孫ちゃんだね・・・おじいちゃん・おばあちゃん、今でも君の夢に出てくる?

さやか:たま~に。「キャンピングごっこ」以来、あんまり出て来なくなりました。

冗悟:「キャンピングごっこ」?

さやか:病院から帰ってきた後、わたしたち ― ママとパパとわたし ― 幾晩か一緒に寝たんです、ちょうどキャンプ場に来てるみたいに。ある晩、眠りに落ちると、おばあちゃんとおじいちゃんが夢に出てきて、にこにこ笑いながら、手に手を取って、あっちへ行くんです・・・太陽の中へ入って行くみたいに見えました。わたし、まぶしくて、いきなりガバっ!て飛び起きました・・・「おばあちゃん! おじいちゃん! おいてかないで!」って泣きながら・・・って、ママとパパはそう言ってました。もう朝でした。わたし、また眠って夢の中でおばあちゃんとおじいちゃんを取り戻そうとしました。その時、ママがわたしを優しく抱いて、言うんです ― 「行かないで、さやか ― さやかいなくなったら、ママもパパもさびしいよ」 ― それ聞いてパパもわたしとママのこと一緒にギュって抱き寄せてくれました・・・すごくぎゅーって抱き寄せてくれて、(わたし、一人じゃないんだ)って思いました・・・それからはもう、おばあちゃんもおじいちゃんも、前ほどたくさん出てきません。きっと安心したんだと思います、(もう、さやかのことはママとパパに任せて大丈夫)って。

冗悟:グッときちゃう話だね、この短歌よりかにずっと感動的だよ。

さやか:だといいんですけど・・・またおばあちゃんとおじいちゃんのこと夢に見て、ベッドから起き上がらずに両親のこと心配させてみようかな・・・バカな娘、ですか?

冗悟:かわいいわが娘 ― 俺ならそう思うね。

さやか:そしてまたわたしのこと抱き寄せてくれますか? ママのこと引き戻してくれますか? 家族のつながり、しっかりつなぎ止めてくれますか?

冗悟:正直言って、俺にはわからない。いいのはいつも最初だけ、繰り返しやマネっこじゃ、初回を越えることはできないし、一度しか存在し得ないもの、二度やっちゃいけないものもあるからね・・・覚えてるかい?(第十一話参照)

さやか:パパもママも、最初のこと忘れてくれてたらいいのに。

冗悟:あるいは、最初のこと、思い出してくれたらいいのにね。

さやか:あるいは、おばあちゃん・おじいちゃんがみんなの夢に同時に出てきて、わたしたちのこと引っ張り戻してくれたらいいのに。

冗悟:そうなったら素敵だろうね・・・君の家族のこと、うまく行くように祈ってるよ。

さやか:ありがとうございます。今日はもう帰って寝ます、おばあちゃん・おじいちゃんに、わたしたちのこと引っ張って元に戻して、ってお願いしてみます・・・おやすみなさい、冗悟サン。

冗悟:おやすみ、さやかさん。いい夢を。

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29)(子におくれて侍りける頃、夢にみてよみ侍りける)

うたたねのこのよのゆめのはかなきにさめぬやがてのいのちともがな

「うたた寝のこのよの夢の儚きに醒めぬ頓ての命ともがな」

『後拾遺集』哀傷・五六四・藤原実方(ふぢはらのさねかた)(?-999:男性)

(我が子に先立たれてしまった頃、その子が夢に出てきた時に詠んだ歌)

『ふっと眠りに落ちたその夢の中で、今は亡き我が子に出会った・・・けれども目覚めてみればそれは夢・・・考えてみれば、目覚めて戻ったこっちの現実だって、まるで夢のごとく儚いもの・・・どうせなら、こんな夢みたいに頼りない現実なんていらないから、さっきのあの夢の中でずっと、そのまま醒めずに一生を過ごすことができたなら、どんなにかいいだろうに。』

(when seeing the child in a dream that died only recently)

My child I surely had in a dream that instantly passed.

In life I don’t any more… in the past, did I?… I’m not sure.

Life is as fleeting as a dream… o that I’d never wake again!

うたたね【仮寝】〔名〕<NOUN:a nap, shallow sleep>

の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):’s, of, belonging to>

…in a vision in my nap

―掛詞(KAKE-KOTOBA):start―

(A)

こ【子】〔名〕<NOUN:my child>

の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):’s, of, belonging to>

よ【夜】〔名〕<NOUN:the night>

…I saw the child [I’ve lost only recently]

(B)

こ【此】〔代名〕<PRONOUN:this, here>

の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):’s, of, belonging to>

よ【世】〔名〕<NOUN:the world, life>

…I saw the flashback of my life

―掛詞(KAKE-KOTOBA):end―

の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):’s, of, belonging to>

ゆめ【夢】〔名〕<NOUN:a dream, illusion>

の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SUBJECT)>

はかなし【儚し】〔形ク〕(はかなき=連体形)<ADJECTIVE:fleeting, transient, evanescent>

に【に】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(REASON):because, and so>

…how fleeting is this dreamy illusion [my child, my life, everything in it]

さむ【醒む】〔自マ下二〕(さめ=未然形)<VERB:wake up, get out of a dream>

ず【ず】〔助動特殊型〕打消(ぬ=連体形)<AUXILIARY VERB(NEGATIVE):not>

やがて【頓て】〔副〕<ADVERB:without being awaken, the way it is, be left as it is, untouched>

の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(MANNER):the way, how>

いのち【命】〔名〕<NOUN:my life>

と【と】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(OBJECT)>

もがな【もがな】〔終助〕<INTERJECTION(PRAYER):how I wish>

…I wish I had not woke up [and could spend the rest of my life in another, less less piteous reality in my dream]

《utatane no ko no yo no yume no hakanaki ni same nu yagate no inochi to mogana》

■人生物語としてはさほど真実味、なし ― 藤原実方 ― 芝居上手で軽薄な道楽者■

 この筆者(之人冗悟:Jaugo Noto)は「芸術作品はその作者とは切り離して考えるべし(逆もまたなり)」という確固たる信念を持っている。和泉式部(いずみしきぶ)と太宰治(だざいおさむ)の作品がその作者の人生の物語と不可分に結び付いた独特な特性については以前に指摘したが、さりとてこの筆者が彼らの傑作を愛するのはそうした人生と作品の不可分性ゆえのことではないし、芸術作品愛好上必要な度を越したところまで彼らの私生活に深く立ち入ろうとは思わないし、ましていわんや「太宰の個人的なお友達」になりたいなどとは絶対に思わない(・・・「和泉の恋人」というのなら話は別だけど・・・)。筆者は、昨今の日本の「文芸界」が恥も外聞もなく執拗に「作者」の顔と名前の売り込みに血道を上げてその商業的価値を高めることで「作者」の名前だけで自動的に売れる(「作品」の質など殆ど無視!みたいな)ところまで持って行こうという風習に対しても、ひたすら嘲笑を禁じ得ない。「作者をどんどん売り込みまくる」のが「真剣なお仕事」たり得るのは「金儲けしたい連中」に限っての話・・・この筆者の仕事は「より良い質の作品を作ること」であってそれ以外の如何なる営みも筆者の仕事ではない・・・両者の違いがわからぬ連中はことごとく、この筆者の世界とは(個人的にも芸術的にも)無縁である。

 ・・・とまぁ、そこまで言い置いた上でようやく安心して、ここに掲載した短歌の作者である藤原実方(ふじわらのさねかた:生年未詳-999年)の実人生を読者に紹介することにしよう。結論から先に言う ― 実方こそは平安貴族の一典型、優雅で尊大で浮気者で無責任だが、人前での振る舞い方はこの上なく垢抜けしていて、言葉を巧みに操っては女を口説くのに打って付けの美しい詩を作るものの、その作品は本物の短歌の目利きの心に訴えかけるには役者が足りない、そんな男である。彼は数知れぬほどの女たちと浮き名を流している。五人の男子の父親であることが知られているが、噂によれは更にあと二人の男子と一人の女子の父親でもあるという ― が、この短歌の中の「子」がそのたくさんの子供達のうちの誰を指すものかは誰も知らない。ひょっとしたらどの子もまるで指していないのではないか、と勘繰ることだってできるのだ・・・何故か? それは、「さめぬやがての<いのちともがな>」(=このまま夢見ている間に私の人生が終わってしまえばいいのに)というのはその当時大流行の言い回しであって、あまりにも多くの歌人が使い倒していたので、それが実方独自のもの、あるいは実方の実生活に根差した本心であるとは、なかなかに信じ難いからである。更にまた「うたた寝のこのよの夢」というのは二通りに取れる曖昧な言い回しであって、「うたた寝の此の世の夢」と書いた場合には、かの有名な寓話「邯鄲の枕(かんたんのまくら)」を示唆することになる ― 夢の中で世俗のありとあらゆる喜びと悲しみを体験した後でふと目覚めてみるとほんの数分間うたた寝をしただけのことだった、という例のやつである ― この詩の脈絡では当然この言い回しは「うたた寝の子の夜の夢」として解釈すべきなのだが、さてそうなると問題が一つ起きてくる。ここで筆者は読者諸君に質問したい ― 実方は何故彼の「死んだ子」の夢を「うたた寝」の中で見ているのだろう? 「夜」に夢を見ていると言い張っておきながら、ヘンではないか? 諸君は「夜」に「うたた寝」するか? この実方という男、「死んだ子」のことを気に病むあまりに「夜」もまともに寝られずに「うたた寝」しかできない睡眠障害に陥っているのか? それともこの男、公務を家に持ち帰って真夜中の残業に励んでいるというのか? それはあり得ない話である! 実方は朝廷での実務に無能かつ無責任なことで悪名高い男だったのだから。彼は左遷されて京都から陸奥国へと追いやられたが、その地で彼に求められた仕事は、中国(具体的には「」王朝)との交易に必要な砂金の採取・・・だったのだが、彼はその任務を全く果たすことが出来ず、この実方の職務怠慢は後々までも尾を引いて、後任の役人までもがその責めを負わされたのである(その中の一人には和泉式部の最初の夫だった橘道貞も入っていたりするのだが)・・・ということで、詩人としてのこの筆者(之人冗悟:Jaugo Noto)の結論は、こうである ― 実方はただ単に言葉遊びを演じているのだ。「邯鄲の枕」と「亡き子への追慕」という贅沢二股を掛けながら、恐らくはこの短歌の詠歌状況に都合良く合うように「詞書」の文言への小細工まで施した上で。彼の「子」が父親よりも先に死んだのは事実かもしれないが、その父親の泣き声は、前回のエピソードでの和泉式部の母としての泣き声ほどには迫真の響きをもって響いてはこないのだ・・・わかってる、わかってる、「こんなこと平然と言い張るとは、何て皮肉なヤツだこいつは」と思われるのはわかっている。筆者は別に読者に対して「この短歌の美はニセモノだ!」と思い込ませたいわけではない ― むしろ逆なのだ ― ひょっとすればそれほどまでに不純な動機で作られたかもしれない詩が、まことに本物っぽく聞こえることもあり得る、ということを思い知らせたかったのである。そしてもしそれが読者の心に「本物」として響いたなら、その詩は「本当に素晴らしい」のである・・・たとえ事実の上では「本物ではない」としても・・・これはそういう詩なのである。

 筆者自身は、藤原実方とは実生活の中では言葉を交わすのさえ絶対にしたくないクチではあるが、この短歌は読者諸君に紹介する価値があると見た(真実性に欠ける可能性はあるにせよ、である)。「ニセモノの」状況にコロリとだまされることを恐れることはない。読者は読者で独自の「作り物の」状況をいくらでも想像してもらって構わないのである ― もしその「作り物状況」によってその詩の(読者にとっての)「迫真度」がいくらかでも増すのであれば・・・それがこの、とても、とーっても美しく悲しい詩の、我々に教えてくれる教訓である。

 参考までに、西暦1000年前後に於ける「命ともがな」なる言い回しの人気の高さの実証例として、似たもの短歌を三つほど掲げておこう:

《わすれじのゆくすゑまではかたければ けふをかぎりのいのちともがな》『新古今集』恋・一一四九・高階貴子(たかしなのきし・・・一条天皇中宮定子(ていし)の母) 忘れじの行く末迄は難ければ 今日を限りの命ともがな(「君のことを忘れはしない」と誓ってくれたあなた・・・だけどその誓いがこの先ずっと変わらず続くのは難しい・・・だから、私の命も今日この日限り、あなたに愛されていることを確信したままで、いっそこのまま尽きてしまえばいいのに)

《こよひさへあらばかくこそおもほえめ けふくれぬまのいのちともがな》『後拾遺集』恋・七一一・和泉式部(いずみしきぶ) 今宵さへあらば斯くこそ思ほえめ 今日暮れぬ間の命ともがな(今夜だけ、たった一晩だけでもあなたと一緒に過ごせたなら、私はきっとこう思うでしょう ― 「この幸せが続いている間に、私、いっそ死んでしまった方が幸せだわ」って)

《あすならばわすらるるみになりぬべし けふをすごさぬいのちともがな》『後拾遺集』恋・七一二・赤染衛門(あかぞめえもん) 明日ならば忘らるる身になりぬべし 今日を過さぬ命ともがな(明日になったら私はあなたに忘れ去られる身になるでしょう・・・私いっそ今日が終わるまでに死んでしまいたい)

 君の将来の参考に供すべく、さやかさん(そして、まだ恋をよく知らない全ての少女たちへ)、これから紹介するのは「遊び人のロマンチックな空っぽポエム」のラインナップ・・・後々泣きたくなかったら、見せかけだけの美には、ご用心:

1)《ときのまもこころはそらになるものを いかですぐししむかしなるらむ》『拾遺集』恋・八五〇 時の間も心は空になるものを 如何で過ぐしし昔なるらむ(貴女にお逢いできずに過ごす時はほんの一時だろうと心の中が空っぽになるというのに、あなたと知り合う以前の私は、いったいどうやって過ごしていたのでしょうか?)・・・「元輔が婿になりて朝に(もとすけがむこになりてあしたに=清原元輔の娘婿になった翌朝に)」

・・・[清原]元輔って、誰でしょう? 彼は著名な短歌の歌人、その娘さんもまた著名な随筆家で、名を清少納言と言い、『枕草子』を書いた人。それならこの手紙、実方が清少納言に、最初に肉体関係を結んだ直後に送った「後朝の文(きぬぎぬのふみ=情事の翌朝の恋文)」でしょうか? その可能性はありますね・・・でももしそうだとしたら、実方は清少納言のこと、たいして愛してなかったのでしょう・・・理由は、さやかさんならわかりますよね、思い出に残る我らが「恋歌談義」の「いの一番」に出てきた次の短歌のこと、忘れてなかったら ― 《あはざりしときいかなりしものとてかただいまのまもみねばこひしき》『後撰集』恋・五六四:よみ人しらず 逢はざりし時如何なりしものとてか 只今の間も見ねば恋しき(あなたと出会って恋をして、そうなる前だって私は生きていたわけだけど、いったいその頃はどうやって生きていたんだろう、と不思議に思えるくらいに、今の私はもう、一人で過ごす一瞬一瞬が耐え難いほどに、あなたのことが恋しくて逢いたくてたまらないのです)(第十七話参照)

・・・かくも有名な恋の歌、そのままなぞって送るなんて ― 「あなたへの私の愛情なんて、所詮その程度」と言っているみたい・・・あるいは実方、「この有名な詩、御存知ですか?」と彼女に謎かけしてるのか?・・・どっちに転んでも、可哀想な清少納言。

2)《なにせむにいのちをかけてちかひけむ いかばやとおもふをりもありけり》『拾遺集』恋・八七一 何せむに命を賭けて誓ひけむ 行かばやと思ふ折りもありけり(どうして命まで賭けてあんなこと誓ってしまったのだろう・・・「会いに行かなきゃ!」・「彼女を愛するためにも、生きなきゃ、死ぬわけには行かない!」と思う時も、あるというのに)

・・・「詞書」には『女を恨みて「さらに詣で来じ」と誓ひて後につかはしける』とある ― 実方はまず、女性に対して恨みを抱いてみせる ― あまりに強い恨みから「もう二度と来るものか!」と彼女の前で誓ってみせる。その後で、彼は彼女にこの短歌を送るのだ。彼が前回彼女の前で演じて見せた「命を賭けての誓い」を逆手に取りながら・・・だが、彼は本当に「命を賭けて」誓ったのだろうか? そうは思えない。彼は後々この短歌を送ることができるように、わざと言葉を荒げてみせただけ、というのが本当のところだろう。恥知らずなまでに浅い実方らしい芝居がかった振る舞い・・・こういうペラい役者が大見得切って演じる舞台の上に、君なら乗ってみたいかな、さやかさん?

3)《ちぎりこしことのたがふぞたのもしき つらさもかくやかはるとおもへば》『千載集』恋・七八〇 契り来し言の違ふぞ頼もしき 辛さも斯くや変はると思へば(あなたは私と交わした約束を破りました・・・が、それを私は恨むよりむしろ、頼もしいと思っています・・・だって、破ってはいけない約束さえこうして破るほどの心変わりの名人のあなたなら、今は冷たいその態度だって、コロッと変わってまた私に優しくしてくれるかもしれない、って思うから)

・・・ぅん、まったく、いかにも伊達男気取りの実方らしいや、どこまでも前向きで、恥知らずなまでの立ち直りの早さ、自己中心的な楽観主義、この男、君がどんなにんでも、「いや!」の答えは絶対に受け付けない、「いやょいやょ、は、いい!のうち」と思い込んでる「押して押しまくれば最後にゃ女を押し倒せる・・・ハズ!」ってタイプの典型的粘着質男・・・想像してごらん、さやかさん、こんな男にしつこく付きまとわれたら、「どんな女も自分の魅力には絶対逆らえないはず」って信じ込んでる懲りない自信家ストーカーのターゲットになっちゃったら、どうする?・・・どうりで一条天皇もこの生き物を降格させて陸奥までブッ飛ばしちゃったわけだ。その地にて、この傲慢で優雅な気取り屋は、乗ってた馬の下敷きになって、馬の重みで押しつぶされて死んじゃった。笠島道祖神の前で「こんな日本の片隅の卑しい神様なんぞにいちいち敬意なんて表していられるかぃ!」みたいな挑戦的態度で馬から下りるのを拒否したものだから、神様のが当たって、死んじゃったんだってさ・・・それが「或る貴公子の一生」最後の一幕・・・お気の毒さまでした。

・・・というわけで、少女たちよ、男の舌先三寸のキレイな言葉を真に受けたりしちゃ、いけないよ。

・・・それはそれとして、読者諸君、詩を味わうその時には、作者の人柄なんて決して気にしてはいけません ― その詩が好きなら、それでよし;そうでない時は、残念でした。

「英語を話せる自分自身」を自らの内に持つということは、「さやかさん/冗悟サン」みたいな会話相手が隣にいるみたいなもの。
実際の会話相手の提供はしませんが、「さやかさん/冗悟サン」との知的にソソられる会話が出来るようにはしてあげますよ(・・・それってかなりの事じゃ、ありません?)
===!御注意!===
現時点では、合同会社ズバライエのWEB授業は、日本語で行なう日本の学生さん専用です(・・・英語圏の人たちにはゴメンナサイ)

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