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31短歌24)恋の拷問への対処法 ― さやか、恋愛カウンセラーを演じる

24)(題しらず)

こひてしねこひてしねとやわぎもこがわがやのかどをすぎてゆくらむ

「恋ひて死ね恋ひて死ねとや吾妹子が我が家の門を過ぎて行くらむ」

柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)

♪(吟)♪

★恋の拷問への対処法 ― さやか、恋愛カウンセラーを演じる★

冗悟:さぁ今回は、俺たち二人のお気に入り歌人「柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)」の素直な短歌だよ。ひたすらまっすぐで、前回のやつみたいにややこしくないやつだから、何でも好きなこと考えて言ってくれて大丈夫・・・ということで、これ、どう思う、さやかさん?

さやか:彼、恋の「向こう側」(on the other side of love)の人ですか(第二十二話参照)、それとも恋の「裏側」(on the reverse side of love)ですか?(第二十三話参照)

冗悟:それはわからない。ひょっとしたらまだ一方通行の片思い段階で、彼女の側では彼が自分に恋してることすら知らないかもしれないよ。

さやか:その場合、事は簡単です ― 彼はただ彼女に告白すればいいだけ・・・じっさい「恋わずらいで死んじゃう」前に。

冗悟:君の助言は正しいし要点をきちんと突いているね・・・もしかしたら彼の「弱点」を突いてることになるかもしれないけど。

さやか:どういう意味ですか?

冗悟:男には、好きな女性に告白できない場合だってある、ってことさ。

さやか:たとえば?

冗悟:たとえば「女生徒に恋しちゃった男性教師」とか。

さやか:冗悟サンとわたしのこと言ってるんですか?

冗悟:そう想像するのは君の自由だし、答えをボカすのも俺の自由だね。

さやか:わかりました。心に留めておきます、冗悟サン。

冗悟:さてと、恋のどっち側に彼がいるにせよ、一つはっきりしていることがある ― 彼女は彼のもとへは来てくれない、ってこと・・・彼女は別の誰かのところへ行こうとしているんだ、車に乗ってね。その車がこれがまた牛に引かせる「牛車」ってやつで、実にノロくてやかましい車なんだ、ギシギシ言う車輪の音がうるさくて、隣近所に嫌でもその存在は知れ渡ることになる、それが彼の心には苦痛でね、まるでこう言ってるみたいだから ― 「さぁ、いま私、恋人のところへ行く途中なの、でもそれはもちろん、あなたじゃないのよ」・・・これって、彼にとってはひどい拷問だとは思わない?

さやか:(…)わたしはそうは思いません。

冗悟:ほぉー・・・君の愛する男が他の女性とのデートに向かうのを見ても、君は辛くないの?

さやか:辛くないと思います。彼は他の女性に恋してる、わたしじゃなくって、ただそれだけ。彼、彼女と幸せになればいいな、って思います。わたしはわたしで、それ以外のことで、ひょっとしたら彼以外の人と、わたしなりに忙しくしてるだろうから。

冗悟:うぅーん・・・

さやか:わたし、何か間違ったこと言ってますか? 考え得る三つの場合にぜんぶ自分を当てはめた上で、わたしにとってはそれで全然問題なし、って結論に達したんですけど。まず第一に、まだわたしが彼に告白してなかった場合ですけど、OKです。もし彼が他の誰かと恋人どうしになったら、わたしは彼のことあきらめるか、彼が彼女と別れるのを待つか、ひょっとしたらわたし自身が他の男の人と恋に落ちるのを待つだけの話です。第二に、もしわたしが彼と恋愛した末に別れた後なら、これもまたOKです。彼が心の痛手から立ち直って今はもう新しい人生を始めたんだってわかって、わたし、うれしいと思います ― 再出発おめでとう、です。第三の場合は、恋の裏側の「再生(rebirth)」ってやつですけど、これってわたしにはちょっと考えられません、だって彼とは、心の中の思い出だけでわたし十分満足してるだろうから。もう消えちゃった恋のろうそくにもう一度火をしたい、って気持ちにはならないと思う。ただ、そういうおねだりを彼が実際してきた場合にわたしがどう反応するかは、わからないですけど。

冗悟:ヒュー!・・・

さやか:こんなこと、いかにももっともらしく言うべき立場じゃないことはわかってます、だってわたし今まで恋愛したこともないし、ましてや失恋なんてしたことないんだから。でもいずれにせよわたし、彼が他の女性のおうちに行くのを見ても、そんなに傷つかないと思います・・・どう思います? わたしバカなこと言ってますか? 冗悟サンにマイクお渡しします、どうぞ。

冗悟:知りたいな、君のこと「さやか」って名付けたの、誰?

さやか:両親ですけど。どうして?

冗悟:君の名前は君の性格を完璧に言い当ててるからさ ― 鋭敏にして明瞭、まるで日本刀の切っ先に走る稲光みたいに。君はまさに「冴やか」さん、その名に相応しい女性だよ。君の御両親の先見の明に、拍手!

さやか:さやかのこと、ほめてます? からかってます?

冗悟:君の論理の明晰性にひたすら感動してるだけさ・・・今の君には想像の域を出ない何かに関してすら、それだけ明晰な論理を組み立てられるなんて、すごいことだよ。

さやか:わたしの論理なんて空中楼閣絵に描いた餅だ、って遠回しに言ってるんですか?

冗悟:結果的にそうなっちゃう可能性もあるね、実際に君が恋して、その恋が終わっちゃったその後では。でもそれはそれとして、その「牛車のショック」に対して予め身構えておくことは、いいことさ、全然悪いことじゃない・・・実際「ギッシャ・ショック」に見舞われた時に、恋に酔わないうちに組み立てた君のシラフの論理がきちんと効き目を表わしたとしたら、おめでとう! ― 君は、自分の感情の中の論理の通じない野生の部分を、見事に論理で組み伏せたことになる ― それって女性としては並大抵のことじゃないよ、男にとっては言うに及ばず。そしてもし、恋の「向こう側」に立たされた君が、その知性で組み立てた怜悧な論理では手に負えなくなっちゃった場合には、おめでとう! ― 君は今や、人間の感情の中でも最も単純にして最も不思議な部分を、他の人類のみなさんと一緒に、分かち合う立場になったわけだ ― パーティへようこそ!・・・別に誇るべきことでも恥ずべきことでもないけれど、「この天地の間には君の哲学では想像も及ばぬ何かがあるのだよ」ってことを知れば、それなりの慰めにはなるだろうよ・・・覚えてるかな、この台詞(第十話参照)

さやか:ハムレットがホレイショに言ったせりふ・・・というか、冗悟がさやかに説教してるせりふ?

冗悟:君のことを本当に誇らしく思うよ、さやかさん、君はとっても物覚えがいいし、考え方は鋭いし、話術も素晴らしい ― そんな君ほどの完璧な女性でさえ、恋に落ちたら盲目状態、考えられないほどおかしな考えや感覚や行動に陥ってしまうかもしれない・・・今の君は、その違いを知るのに打って付けの立ち位置にいるんだよ ― 「恋に酔う前の冷静な論理」と、「恋の最中のイカれた情熱」と、ひょっとしたら「恋に破れた後の手の付けられない心の痛み」の三つの違い。君はその三つの全てを知り得る立場にある・・・俺のほうは二つだけ、あるいは一つかな?・・・もうじき一つもなくなっちまう・・・おっといけない、あまり独り言が過ぎると、何もかも台無しだ・・・さ、マイクをお返しします、さやかさん。

さやか:うーん・・・わたし、何しゃべればいいんですか、冗悟サンがぜーんぶ言っちゃった後で?

冗悟:「恋わずらいで死なない方法」について語ったらどう? 狂おしいほど、死にそうなほど、恋に落ちちゃってる男に向かって、君ならどういう助言を送るかな?

さやか:できるなら、告白しなさい。

冗悟:できない時は?

さやか:告白できないなら、たぶん、恋する相手を間違えてます。どこか他に目を向けなさい、そうすれば、ちゃんと恋しても大丈夫な相手の女性が見つかるでしょう。

冗悟:もし見つからない時は?

さやか:何か他のもの、べつに人間じゃなくてもいいです、愛しても大丈夫なもの、深く愛せるものを探しましょう、勉強でもスポーツでも趣味でも仕事でも、何でもいいから。

冗悟:うぅーん・・・分別のある助言だね。

さやか:あまり面白くない、ってみなさん思うでしょうね・・・恋したことも失恋したこともない女の子の口から出たものだから。

冗悟:かもね。でも、未来の君にとってはとっても興味あるものになるはずだよ。

さやか:わたしにとって?

冗悟:そう。君が誰かに恋したり恋に破れたりしたその時に、今日君が言ったことを思い出してごらん。時の鏡を透かして君自身の心をき込んで、こう言ってごらん ― 「ゎぁ、あなたって17にしてもうそんなに大人だったの!」あるいは「まーぁ・・・あの頃のあなたって、ほんと子供ね。ごらんなさい、今の私を・・・どれだけ大人になっちゃったことか!」 ― 未来への投資として、素晴らしいと思わないかい?

さやか:はい・・・ありがとうございます、冗悟サン。

冗悟:俺の方こそ礼を言うよ、さやかさん。とっても真剣に想像を巡らしてくれて、ありがとう。君のおかげで、ややもすれば味も素っ気もない寂しい男のぼやき節が、けっこう意味あるものになったよ ― 少なくとも未来の君にとっては、ね。

さやか:今日わたしが言ったこと、覚えておくことにします・・・それと、あなたが今日言ったことも。

冗悟:俺の退屈な独り言なんて忘れちゃっていいよ。あんなの、君の啓示的演説に比べればものの数にもならないから。

さやか:はい。でもわたし、「男性教師が女生徒に恋しちゃった」の部分だけはちゃんと心に留めておきます。冗悟サンは告白できないんだし、わたしは自由に想像していいんだから。

冗悟:あぁ、君はいくらでもロマンチックな想像をもてあそんでいいんだよ、そうすることで俺との会話の楽しさが増すなら、ね・・・でも残念ながら、「恋」を巡るこの会話は、次のエピソードだけでもうおしまいなんだけどね。

さやか:心配しないで冗悟サン、恋は終わっても人生はまだまだ続くし、わたしたちの関係もまた続くんだから。

冗悟:この詩的冒険が進むにつれて、君はますます先生か哲学者みたいになってきたね。

さやか:旅の最後までたどり着いた時に、わたしがいったいどんなふうになってるか、想像もできないでしょ?

冗悟:あぁ、まったくその通り。その素晴らしい「変化」で、これからも俺を楽しませ続けておくれ、さやかさん。

さやか:はい、そのつもりです。今日はどうもありがとうございました。じゃぁまた。

冗悟:またね。

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24)(題しらず)

こひてしねこひてしねとやわぎもこがわがやのかどをすぎてゆくらむ

「恋ひて死ね恋ひて死ねとや吾妹子が我が家の門を過ぎて行くらむ」

『拾遺集』恋・九三六・(『万葉集』巻十一)柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)(c.660-c.720:男性)

『つれないあの人を乗せた牛車が、ぎっし・ぎっしと音を立てて、私の家の前を素通りして行く・・・「私に焦がれて死になさい、恋煩いで死になさい」と言わんばかりの残酷な足音だけを残して・・・』

‘I wanna see you die, I wanna see you die…’

I hear the cart singing past my front door

With my past lover in I’m dying to see in vain.

こふ【恋ふ】〔他ハ上二〕(こひ=連用形)<VERB:love, yearn for, crave after>

て【て】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SIMULTANEITY):and, while>

しぬ【死ぬ】〔自ナ変〕(しね=命令形)<VERB:die, perish>

…die of too much love of me

こふ【恋ふ】〔他ハ上二〕(こひ=連用形)<VERB:love, yearn for, crave after>

て【て】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SIMULTANEITY):and, while>

しぬ【死ぬ】〔自ナ変〕(しね=命令形)<VERB:die, perish>

…love me so desperately as to despair of your life [without me]

と【と】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(OBJECT)>

や【や】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(INTERROGATIVE):?>

…is that what you are trying to tell me?

わぎもこ【吾妹子】〔名〕<NOUN:the woman that I love>

が【が】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SUBJECT)>

わ【我】〔代名〕<PRONOUN:I, me, myself>

が【が】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):’s, of, belonging to>

や【家】〔名〕<NOUN:the house, residence>

の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):’s, of, belonging to>

かど【門】〔名〕<NOUN:the gate, front-door>

を【を】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(PLACE):through, before>

すぐ【過ぐ】〔自ガ上二〕(すぎ=連用形)<VERB:pass, go away>

て【て】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SIMULTANEITY):and>

ゆく【行く】〔自カ四〕(ゆく=終止形)<VERB:go, travel>

らむ【らむ】〔助動ラ四型〕現在推量(らむ=連体形係り結び)<AUXILIARY VERB(QUESTION):I wonder>

…I can hear the woman I’m dying to meet [in vain] passing my front door in her ox-driven cart

《koite shine koite shine toya wagimoko ga waga ya no kado wo sugi te yuku ramu》

■「芝居は続く;この俺なしでも」なんて考えに、男は耐えきれない・・・女は、どうか?■

 恋愛の果てた後の男女の差について、筆者は常々不思議に思ってきた(ベッドの中での二人合同運動会直後の男女それぞれの行動の違いについて、ではない) ― 男どもが(筆者の知る男の多くが)自らの失ったものについて思い悩みうなだれる一方で、女たちは(筆者の知る限り男より女の方が)新たなあれこれ(人間関係であれそれ以外であれ)で忙しく立ち回るようになるのは、何故だろう?

 まだ青春時代の最初の頃の筆者は、女だって男みたいに恋の終わりには思い悩んでうなだれるものだと信じて疑わなかった(筆者の周りのメロドラマはみなそう教えてくれたから)。やがて筆者も大人になって恋に落ちたり恋に破れたりするようになると、「事実は小説よりも奇なり」ということが次第にわかってきて、その「小説」というやつの大部分は(メロドラマも含めて)男の手で書かれたものであると(あるいは男によって確立されたドラマの方法論に構造的にどっぷり影響された女の手で書かれたものであると)わかってきて、そういうドラマの作者は「恋が終わったその後は、女だってやっぱり思い悩んでうなだれるはず」と信じて疑わないのだとわかってくると、事態は異なる様相を呈し始めた。

 女が思い悩んでうなだれるものであることを ― そして大声で泣き叫ぶものであることを ― 筆者としては全く否定するものではない・・・ただしそれは「恋が終わった直後」の話である。彼女らの叫び声はとっても大きいから、よほど鈍い男でないかぎり「あぁ、彼女、恋に破れたばかりなんだなぁ」と誰でも気付く。だがそうした女の叫び声は次第しだいに静まって行く ― 新しい恋人を見つけるか、それ以外の新鮮な興味で彼女らをひたすら辛い失恋の痛手から救い出してくれる何かを見つけたからである。女性は、失った何かを、新たに見つけた何かや誰かによって埋め合わせることで立ち直るのだ。これに対し、男が何かを失うと、長いことただもう一人でじぃーっと思い悩んでうなだれるばかりで、女みたいに泣き叫ぶことはしない。中には幸運な男もいて、自分で自分を苦しめる孤独な苦境から、新しい女性の優しい愛の抱擁に包まれながら救い出されるような場合もあるけれど、救ってくれそうな女性の前でそういう甘い救出劇を求めて物欲しそうに泣き叫ぶ野郎がいたら、そんなのとても「男」とは呼べない。「助けて-!」と泣き叫んで許されるのは女・子供だけ、男はそんなことするもんじゃない!・・・何ともまぁ自殺的な愚かしさではあるのだが、それでもやはりこれが「男の論理」に違いないのだ・・・もっとも、この「男」の定義にはそろそろ書き換えが必要かもしれない。男どもの多くがどんどん「女」みたいになって行く一方で、女性の多くが「男」たらんと頑張っている世の中だから ― もっともそうして「男みたい」になりたがる一方で、彼女らは昔ながらの「女ならでは」の特権を今なおしっかり握って手放したりしないけど(・・・男性諸君よ、「不公平だ!」とは叫ばずに、ただもうぶつぶつ「まったくこれだから女ってやつは・・・」と独り言つぶやくだけにとどめておきたまえ ― 女性たちから嫌われたくないなら、ね)・・・なんにせよとにかく、「男女平等」は着実に進行中の模様である ― 男どもをかつての孤高の(そしてしばしば馬鹿らしいまでに危なっかしげな)「男らしさ」という王座から引きずり下ろす形で。

 上の短歌と以下に示す短歌はみな、男の歌人が書いたもの、あまりにも「男らしい」がゆえに、歌の中で一人溜息つく以外にどうしていいかわからなかった男どもの嘆き節である。これらに共通する哀感を一言で言えば「もはや自分が何の役も演じられなくなった舞台の袖に座っている役者の嘆き節」といったところか。どんな女性との関係に於いても「自分が主役」以外の関係には満足できない(というか、考えるだに耐えられない)のが男というものなのだ・・・そこから男の寂しい悲喜劇(tragicomedy)の長期興行が始まるわけだ。これに対して女性の方は、一つの芝居のヒロインから別の舞台へと、かに巧みな変わり身を演じる ― かつての相方が新たな共演者共々演じる昔懐かしい舞台の袖にだって、観客の一人として座って平気で観ている(新しい恋人と並んで座ってそれを眺めている限り、なーんにも問題なし、なのである)・・・さてと、この筆者の言の正しさ、証明してくれる「寂しい男の嘆き節」を御覧いただこうか:

《あふことのたえてしなくばなかなかに ひとをもみをもうらみざらまし》『拾遺集』恋・六七八・藤原朝忠(ふじわらのあさただ) 逢ふ事の絶えてし無くばなかなかに 人をも身をも恨みざらまし(今となってはもう叶わぬ想い・・・その相手のあなたに、今でもこうして会わねばならぬなんて、なんと残酷な仕打ちでしょうか。いっそ全く会わずにいれば、つれないあなたや、我が身の不幸を、こんなに恨むこともないでしょうに)

・・・前回のエピソードの道命法師(どうみょうほうし)の短歌 ― 《あひみしをうれしきこととおもひしは かへりてのちのなげきなりけり》逢ひ見しを嬉しき事と思ひしは 却りて後の嘆きなりけり(あなたとお互い気持ちが通じ合い、深いお付き合いができるようになった頃は、それはもう幸せだったあの頃の私ですが・・・そしてまた今日はそんな懐かしいあなたに久々に再会できて嬉しく思った私ですが・・・それもこれもみな、今にして思えば、お別れした後の嘆きの辛さを増すばかりだったようです) ― (第二十三話参照)あれと似たところのある歌である。唯一の違いは、道命の短歌は「恋の裏側」での恋愛再生をおねだりする歌と解釈できないでもないのに対し、こちらの短歌はただもうひたすら「恋の向こう側」で嘆き悲しんでいるだけ、ということだ。

《いでていにしあとだにいまだかはらぬに たがかよひぢといまはなるらむ:》『新古今集』恋・一四〇九・在原業平(ありわらのなりひら) 出でて往にし跡だに未だ変はらぬに 誰が通ひ路と今はなるらむ(あなたと最後に愛し合ったあの夜に部屋を後にした時とまるで変わらぬ様子なのに、今はこの通い路を通っていったい誰があなたの元へと通っているのでしょうか?)

・・・男というものは、かつて恋人と一緒に足繁く通った昔の馴染みの場所へは二度と近づくものではないらしい。裏返して言えば、男たる者、後々も(彼女同伴でも一人きりでも)ずっと足繁く通い続けるに決まっている場所は、女性とのデートスポットから外したほうがよいらしい。

《きみこふとかつはきえつつほどふるを かくてもいけるみとやみるらむ》『後拾遺集』恋・八〇七・藤原元真(ふじわらのもとざね) 君恋ふと且つは消えつつ程経るを 斯くても生ける身とや見るらむ(あなたに恋を打ち明けて、「いや」と言われて、消え入るようにすごすごと退散したこの私・・・あれから随分時は経ちましたが、恋する男としての私は死んでも、一人の人間としては今なおこうして生きています・・・そんな私を、あなたはどう見ているのでしょうか? 「私に拒絶されたら死んでしまう、とか、大袈裟なこと言ってたわりには、今ものうのうと生きてるわね、あの人・・・」と、そういう目で見ているのでしょうか・・・)

・・・かつてのエピソード《きのふまであふにしかへばとおもひしを けふはいのちのをしくもあるかな》昨日迄逢ふにし替へばと思ひしを 今日は命の惜しくもあるかな(昨日までの私は、この恋が成就するならば命と引き替えにしてもいい、あなたとの逢瀬えばもう死んでも構わない、とまで思い詰めていたというのに・・・こうして恋が成就した今となっては、あなたと一緒に過ごすこの幸せな命が、惜しくて惜しくて仕方がない、いつまでもずっとこのままでいたい、と感じるようになってしまいました)(第十八話参照)のところで詳しく述べた平安調短歌の「恋ひて死ぬ」論理をよほど熟知していないかぎり、この短歌は解釈できないだろう。

・・・自分がすでにもう降りてしまった舞台の袖で男がぼそぼそつぶやく嘆き節は、どれもこれもみなあまりに力なく、生気もなく、味気ないものばかり・・・この文章をそんなめめしい男どもの独り言で締めてしまったのでは読者にとって興醒めだろうから、ここは一つ「女性」に頼る必要がありそうだ ― 筆者の知る限り最も「恋愛上手」な女性に頼んで、この物語のフィニッシュを飾ってもらうことにしよう(・・・あるいは「彼女の物語の続きを演じてもらおう」と言うべきか?):

《すてはてむとおもふさへこそかなしけれ きみになれにしわがみとおもへば》『後拾遺集』哀傷・五七四・和泉式部(いずみしきぶ) 捨て果てむと思ふさへこそ悲しけれ 君に馴れにし我が身と思へば(あまりの悲しさにもうこの身を捨ててしまおう、になって仏門に入ろう、と、そう思うのさえ悲しい・・・この身は、あんなにも愛してくれた愛しいあの人の「形見」なのだから、あの人の思い出ともども捨て去るなんて、とてもできない)

・・・これは和泉(978年頃-没年未詳)が恋人の敦道親王(あつみちしんのう:981-1007年)に先立たれて(まだ赤子の男の子ともども)一人ぼっちで置いてけぼりにされた時の嘆き節である。参考までに申し添えれば、和泉は敦道親王と付き合う以前にはその兄の為尊親王(ためたかしんのう:977-1002年)と(彼が死ぬまで)付き合っており、その彼との交際が始まったのは和泉がまだ最初の夫の橘道貞(たちばなのみちさだ:生年未詳-1016年)の妻であった(が、実質的にはもう別れていた)当時のことである。和泉は1013年に二度目の結婚生活を藤原保昌(ふじわらのやすまさ:958-1036年)との間で始めているが、そこに至るまでの間、彼女の愛の物語は、舞台の上に現われては消える幾人もの男の役者たちと共に、途切れることはなかったのである。

・・・男どもが恋の始まる前にも終わった後にも幾度も「恋ひ死に」する一方で、女性たちは生きて愛する営みをやめはしないのだ ― かつての恋人たちのことはそのほんわかとした思い出の中で相変わらず愛し続けながら、ずっと、ずっと・・・。

「英語を話せる自分自身」を自らの内に持つということは、「さやかさん/冗悟サン」みたいな会話相手が隣にいるみたいなもの。
実際の会話相手の提供はしませんが、「さやかさん/冗悟サン」との知的にソソられる会話が出来るようにはしてあげますよ(・・・それってかなりの事じゃ、ありません?)
===!御注意!===
現時点では、合同会社ズバライエのWEB授業は、日本語で行なう日本の学生さん専用です(・・・英語圏の人たちにはゴメンナサイ)

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