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之人冗悟 2025(福島県)五色沼・大内宿・郡山紀行(6/17, 18, 19)

之人冗悟(のと・じゃうご) 2025(福島県)五色沼・大内宿・郡山紀行(6/17, 18, 19)
文字総数75430(原稿用紙枚188分)/黙読所要時間157分(2時間37分)/音読総時間262分(4時間22分)
♪筆者音読♪
 東日本大震災の大地震と津波と原発事故による放射能拡散とその後の風評被害(2011年~現在)と新型コロナウィルスの全世界的蔓延による商業全般への壊滅的打撃(2020~2023年)という度重なる未曾有の大災厄の余波から、今の福島がどの程度復興したか(あるいは未だその傷跡が癒えていないか)を肌身で感じ取るための福島行脚 ― その第三弾の今回は(前回の「鶴ヶ城の花見」の際と同じく)「会津若松」に軸足を置いて(磐梯山の麓のマウンテントレイル)「五色沼自然探勝路」ならびに(意外にも福島で一・二を争う人気観光地)「大内宿」を訪問、併せて、前々回(3/10,11,12)の「飯坂温泉探訪」の帰路に立ち寄りつつも(ギックリ腰のせいで)駅前広場より先まで足を伸ばせなかった「郡山駅前」の商況観察の旅をしてきた。
 福島への旅も三度目ともなると、今のこの地の抱える問題点があれこれハッキリ見えてくる ― 東日本大震災からの「復興」と言えば(太平洋岸の)「浜通り」の「原発事故の無残な破壊の跡からの復興」ばかりが話題に上る福島県であるが、(内陸の)「中通り」と(西端の)「会津」に関しては「震災の直接的被害としての物理的損壊」は(浜通りほどには)深刻でないものの、「原発事故で汚染された<フクシマ>」という(現実とはかなり異なる)マイナスイメージによる風評被害が根強く尾を引いたまま、その後のコロナショックも加わって、福島県外から訪れる人々の客足はかなり鈍い印象であり、そのダメージ払拭のための施策も(旅人としての自分の目には)まるで見えない感じだった。物的ダメージよりも心的イメージダウンが大問題の「中通り」や「会津」にとって、必要なのは「復興」ではなく「新生」だったはずである・・・が、そうした「新たな芽吹き」の気配は、今回の旅からは(一部の街を除いて)まるで感じられなかった・・・はっきり言って、今のままの「飯坂温泉」・「会津若松」・「猪苗代」といった観光地では、そのあまりの寂れぶりに、県外からの訪問者の多くは再び訪れようという気にはならないだろうし、その一度きりの訪問で自分が抱いた「寂れたフクシマ」のイメージをネットを通じて拡散して世間に根深く定着させることで外来訪問者の減少にまた拍車を掛けるという悪循環が、終わらない ― 終わらせるには、新たな形で生まれ変わり、その新生イメージで「原発事故に沈んだフクシマ」のマイナスイメージを塗り替えるしかない・・・のだが、今の福島は、新たな何かを生み出すための「産みの苦しみ」には挑まずに、終わりの見えない「引き潮の憂鬱」にただ漫然と耐えている・・・ようにしか(旅人である自分の目には)映らない。福島県人はなまじ辛抱強いばかりに、本来なら決然と立ち向かい打ち破るべき「逆境」に対してもただひたすら耐え忍ぶばかり、その淀んだ空気の行き着く先に何が待っているのかは想像するのも辛いから、先々のことはあまり考えず、今はひたすら我慢するだけという「終末病棟のような淀んだ空気感」に満ちている・・・冷淡な言い方だが、それが「福島の今」を肌身で体感するために彼の地を四ヶ月間に三度訪れた「福島びいきの東京者」の客観的な見立てである・・・
 ・・・が、しかし、淀んでいるのは「街の空気」であって、「街行く人々の心」は「淀み」からはほど遠い「人としての温もり」に満ちている ― この点、「街」は盛っていても「人心」は狂って腐って淀みきっている東京あたりの「neo-Sodom(ネオ・ソドム:現代の神呪都市=神に呪われし悪徳の都)」とは別格の風土が「会津・福島」にはある ― それは「バブル景気とその崩壊を境にして道義も魂も腐り果てたケッタクソわりぃ東京」に対するこの筆者(之人冗悟:のと・じゃうご)の「60年来の江戸っ子としての憤激」の反動的感傷としての「福島へのえこひいき」ではない ― 街に活気はないけれど、民の心は死んではいない ― それを体感させてくれるような会津若松での感動体験を書き残すことが今回の旅行記の主たる目的と言ってもよいくらいである。

 それに加えて、この「眠れる街」の会津若松を目覚めさせる方策をもまた(この「気の良い街・気持ちの良い街」を気に入った気前の良い旅人からの風変わりな贈り物として)別立ての「企画書」の形でいくつも書き並べておいた・・・まぁ、「他者への思いやり」に比べると「自分(たち)をより良くするための新たな一歩を決然と踏み出す積極性」がまるでない(現状の)会津の民だから、これらの「会津若松復興案」をわざわざ開いて見てみようとする会津っぽなんて(現時点では)一人もいない可能性がかなり高いだろうが、それならそれでべつにかまわない ― この之人冗悟(Jaugo Noto)は「語学屋」(時々SF物書き)であって、「起業家」だの「街興し請負人」だのといった怪しげな肩書きで生計を立てようとするフワフワした連中とは全く異質の「substantial work:ハッキリとした中身のある仕事」で勝負する仕事人、この意味では「口八丁手八丁の商人」ではなく「鈍牛のような粘り強さが取り柄の百姓」そのもの(≒福島県人)であるから、これらの「会津若松復興案」は「売り物」としてではなく、会津の潜在的魅力に魅かれた旅人からの<ここをこうしたら絶対もっと良くなる・・・のに、もったいないなぁ>という「部外者なればこそ見える岡目八目の野次馬要望書」として(会津若松とは関係ない<ハイエナあきんどども>に食い荒らされるブザマな展開を百も承知で)タダで一般公開するものである ― これらのアイディアをちゃっかり盗んで会津若松なり別の街なりに売り付けて金儲けしようとする魂の腐ったハイエナどもが何匹出現しようと一向にかまわない ― それを「実現」まで押し上げてくれるのであれば、生粋の会津っぽだろうが余所者のハイエナだろうが、閲覧大歓迎である・・・まぁ、ウカウカしてるうちに会津以外の地に横取り実現されちゃう可能性もないではないが、そうなったらなったで「會津ときたら、相も変わらず要領が悪いこって」と苦笑い浮かべて受け流すしかあんめぇょ・・・ということで、興味がある人/ハイエナさんがいれば、以下のページからあれこれ選んで御覧あれ(・・・「部外秘」扱いのページなので、開くには「ユーザー名/パスワード」が必要だけど、「是非ぜひ見たい!」という人には、メールで問い合わせてもらえれば、教えます):

(會津を愛す旅人からの)会津若松復興案
 長々ダラダラ綴られた雑文に延々付き合ってくれる奇特な読者へのせめてもの礼儀として、全体をいくつもの『章段』に分け、それぞれの内容はその『見出し』をクリックするたびに開/閉するような仕掛けを施してある。文章上の任意の箇所でダブルクリックすれば、その章段全体が閉じるようになっているので、つまらなければ「タタンッ!」って感じで畳んでしまえばいい。
 最初から全部開いて「本」の体裁で読みたい人は、すぐ下の「Open Book(見開きモード)」のボタンを、「本文」を閉じて「見出し」だけに戻したければ「Index(見出しモード)」のボタンを押してもらえばよい。

■6月17日(火)(第1日目:東京⇒会津若松)■

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◆1◆ 『居眠りバスで会津若松までひとっ飛び』♪筆者音読♪
◆2◆ 『開いてる店も歩いてる人もまばらな大町通りを、<会津若松《復興》四案>のビラ配りに歩く』♪筆者音読♪
◆3◆ 『<素泊まり宿>と<飲み屋街>のシナジー(協調効果)・・・が、現状成立していない神明通りのエレジー(哀歌)』♪筆者音読♪

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■6月18日(水)(第2日目:五色沼 & 七日町)■

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◆4◆ 『五色沼散策は午前中でサッと終わらせて帰るのがよかっぺょ』♪筆者音読♪
◆5◆ 『修学旅行の小学生で”賑わう”大町通りに、明るい未来はあるか?』♪筆者音読♪
◆6◆ 『大町通り<若松食堂>での気付きと嘆き』♪筆者音読♪
◆7◆ 『<助けが要るものを見て見ぬ振りはしない>会津っぽの心根』♪筆者音読♪
◆8◆ 『七日町通りの復興方程式は、大町通りや神明通りには通用しない』♪筆者音読♪

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■6月19日(木)(第3日目:大内宿 & 郡山)■

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◆9◆ 『ロケーションだけでもう満点の”會津山中の隠れ里”大内宿の旅は、人情味も満点だった』♪筆者音読♪
◆10◆ 『会津鉄道の窓から見る「西若松ニュータウン」の姿に「the Borg Hive:ボーグの蜂の巣」を連想する日本人は、自分だけ?』♪筆者音読♪
◆11◆ 『会津若松と郡山 ― 対照的な二都市の昔と今』♪筆者音読♪
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