★蛍の光はけっこう意味深 ― さやか、不思議な片思いに戸惑う★
さやか:この短歌、ほかのとは全然ちがう響き・・・
冗悟:前の二つの春の郷愁の詩とは、違う?
さやか:はい・・・ほかのどの短歌とも違う。ほんと、こんな短歌、今まで出逢ったことないわ。
冗悟:この詩、好き?
さやか:はい・・・なんでだろう・・・この響き、うぅん、この景色、目の前に美しく浮かんでくる、耳じゃなく、心にでもなく、視覚的に私の想像力に美しく訴えかけてくるわ。
冗悟:季節は?
さやか:初夏、夜、池の近く・・・ぁ、ちがう、小川のそば、とってもきれいな水が流れて背景にはかすかな水の音・・・あたりはとっても暗くて、街灯とかはもちろんなくて、虫の声も聞こえず、外界の物音も一切なし ― ただ、蛍の光のかすかなきらめきだけが、闇の中で静かに揺れている・・・美しい、ほとんど神秘的なまでの美しさだわ。
冗悟:ということは、これは君の目に訴えかける詩であって、頭で解釈するやつじゃないんだね。
さやか:この詩を視覚的に味わうのに、頭なんて必要ないと思います。
冗悟:目に効く短歌、ってかい?
さやか:はい、新古今短歌みたいなオツムひねり歌じゃないです。
冗悟:それは言えてるね・・・じゃ、ということで本日はこれまで、かな?
さやか:いゃーん! そんな早く終わっちゃ・・・
冗悟:この短歌について、何か質問、ある?
さやか:ちょっと待ってくださいね・・・「蛍」って、平安調短歌の中では人気テーマだったんですか?
冗悟:それは微妙な質問だね:八代集約9,700首のうち、「蛍(または夏虫)」の登場回数は29回・・・「郭公」の270回や「雁」の115回、「鶯」の66回に比べるとあまり人気者とは言えないけど、「蝉」28回や「蟋蟀(きりぎりす・・・現代語で言えばコオロギ)」18回あたりとはまぁいい勝負・・・そんな感じだけど、さやかさんの感想は?
さやか:対抗馬たちはみんな耳で人間に訴えかけるのに、「蛍」だけは声なき光で静かに訴えかけるんですね。
冗悟:素晴らしい! 君の洞察力はほのかな蛍の光の何十倍もまばゆく輝いてるね、さやかさん!
さやか:冗悟サンはウグイスと同じくらいわたしを気持ちよくさせるツボを心得てますね。
冗悟:鳥好きのさやかさんの口から出たその褒め言葉は、また格別だね。
さやか:はい。でもまぁ、冗悟サンからわたしへのほめ言葉は今回に限ってはかなりおおげさすぎますね。だって「蛍は大声で鳴く代わりに内側から静かに光を放つことで人の気持ちに訴えてくる」って事実は、もうすでにこの短歌が指摘してるじゃないですか。
冗悟:さやか嬢は聡明な上に謙虚なんですねぇ。
さやか:「蛍」みたいに?
冗悟:「さやか」って名前は、蛍の淡い光にかぶせるにはいささかまばゆすぎるとは思わない?
さやか:わたしの名前、冗悟サンの目にはそんなにまばゆく見えますか?
冗悟:見えるね~・・・だって「さやか」の語源は「冴ゆ=鋭く見える、鋭く聞こえる、鋭く感じる、鋭くなる」だもの。
さやか:あぁー、ほんとだ、考えてみればそうですね! わたし、自分の名前がそんなにまばゆいなんて、言われるまで気付きませんでした。思い知らせてくれてどうもありがとうございます、冗悟サン!
冗悟:自分がどれほどまばゆい存在か思い知ったからには、気分転換にもぅ一つ新たなレッスンなんてどうかな、ちょっぴり「頭でっかち」なやつ?
さやか:ぜひお願いします!
冗悟:オッケー、じゃいくよ ― 「偲びに燃ゆる蛍」から思い付いたイメージを言ってみてくれる?
さやか:他の人にうるさく訴えかけることもせず、闇夜に静かに光を放つ蛍・・・最近のネット上にはびこるうるさい目立ちたがり屋の群れとは正反対のイメージ。
冗悟:うーん、まぁ、現代社会の概括的批評としては悪くないけど、平安調短歌の文芸批評としては少し物足りないかな。じゃ、意識の焦点を絞ろうか ― 「偲び」という言葉から、さやかさんは何を思い浮かべる?
さやか:「しのび」から思い浮かぶもの、ですか?・・・そうですねぇ・・・「忍者」、「忍びの者」。
冗悟:音もなく闇夜に潜む隠密のスパイ戦士、その目的は、敵の本拠に忍び込んでの偵察や暗殺・・・ってかい?
さやか:ぁー・・・暗闇にかすかに光る蛍にしては、血なまぐさすぎますね。
冗悟:まったくだね。じゃ、こういう質問に変えようか ― 闇夜の蛍は静かに光を放っているけれど、彼らは辛抱強く何を待っているのかな?
さやか:私たちが気付くのを待ってます。
冗悟:「私たち」って誰のこと? 「人間」かな?
さやか:はい・・・もしかしたら「ほかの蛍」かも。
冗悟:オッケー、人間や、他の蛍が、自分に気付いてくれるのを待っている ― で、実際気付いてもらえたならば、次に彼らはどうするかな? 自分の存在を感じ取ってもらえたその後で、彼らは何が起こるのを期待するかな? さやかさんなら、蛍を見つけたその後で、何をする?
さやか:わたしが蛍を見つけたら、歩み寄って行ってこの手の中にすくい取るでしょうね。
冗悟:君は蛍が好き?
さやか:はい、蛍、好きです。きれいだから。
冗悟:それはよかった。とうとう答えに辿り着いたね ― 君は蛍が好き・・・というか「彼」が好き ― それこそ「彼」が「君」に望むことなんだよ、さやかさん ― 「彼」は「君」に見つけてもらいたい、それから「君」に愛してもらいたい、さらには「君」を愛したい、相思相愛の関係でね・・・君に見出され、君に愛され、君を愛する ― それこそが、哀れな蛍がひそかに望んでいることなんだ、暗闇の中でほのかに光りながら君の目にささやかな訴えかけを行ないつつ、蛍はそれを望んでいる。
さやか:ちょっと待ってください・・・それじゃこれ、恋の歌、ってことですか?
冗悟:実は、そうなんだよ。
さやか:えぇーっ・・・わたし全然そんなこと予想してませんでした。ただ「きれいだなぁー」って感じただけで。
冗悟:君としてはただ闇夜のほのかな光に魅かれただけ、だけど「彼」のほうでは「君」に見出してもらえて嬉しく思った・・・そして「君」に愛され「君」を愛することを夢に見た、ほのかな相思相愛の光の中で・・・君と彼とでは、まるで違う絵を思い描いていたんだね。光の当て方次第で、物事は全然違って見える・・・恋って、不思議だろ?
さやか:不思議すぎます・・・これって、「恋歌」として取らないとダメですか?
冗悟:つまりこう言いたいんだね ― この短歌、夏の美しい夜の記憶に残る一風景として心に大事に刻んでおくことはできませんか、って?
さやか:はい。無理ですか?
冗悟:まぁ、いいんじゃないかな・・・君のことを好きで好きでたまらない男がいたとして、そんな彼と共に過ごしたひとときを、君の美しき青春時代の記憶に残る一風景として大事に心に刻んでおくこともできないではない、ってのと同じようにね。日本の女の子がよく言う台詞(で、男子の側としては聞かされるとヘコむ例のセリフ)の「お友だちのままでいましょうね」ってやつは、相手が男でも詩歌でも、ともに有効だからね・・・相手側の気持ちがどうあれ、それが女性の特権ってやつさ、それと読者のね。男も詩歌もただ自分の気持ちを訴えるだけ ― その訴えかけにどう応えるかは、君しだいだよ、さやかさん。
さやか:それならわたし、この詩は単純に夏の自然の美しい一風景として受け止めさせてもらいます。
冗悟:それでいい。「愛」ってやつは、始まる時は美しいけど終わりはめそめそ湿っぽいのが常だからね。そこ行くと、自然の美ってやつはずっと変わることなく不滅だから。いつまでもずっと美しく記憶に残るものにしたいなら、詩歌でも男でも女でも、色恋絡めずに自然な関係でいるのがいいのかも・・・時にはね、いつも常にとは言わないけど・・・とまぁそういうことで、今日はぼちぼち「さよなら」言う頃合いじゃない、さやかさん?
さやか:今日のぶんのさよならなら、いいですよ・・・またすぐお会いしましょうね。
冗悟:じゃーまたねー。
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7)(寛和二年内裏歌合によめる)
なくこゑもきこえぬもののかなしきはしのびにもゆるほたるなりけり
「鳴く声も聞こえぬものの哀しきは偲びに燃ゆる蛍なりけり」
『詞花集』夏・七三・藤原高遠(ふぢはらのたかとほ)(949-1013:男性)
(花山天皇主催の「寛和二年内裏歌合」での詠歌)
『秋の虫たちの鳴き声もしみじみと哀れだけれど、声も立てずに仄かな光に身を焦がすばかりの蛍のほうが、まるで燃える想いを内に秘めてじぃーっと恋い焦がれている人のようで、身につまされるものがありますね。』
(in the Imperial TANKA competition in Kanna-ni-nen)
Men, women, even insects all cry about
Wooing or mourning their covetous love.
Deeper feelings silently grow and
Ultimately glow in speechless fireflies.
なく【鳴く】〔自カ四〕(なく=連体形)<VERB:chirp, cry>
こゑ【声】〔名〕<NOUN:the voice, sound>
も【も】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(OBJECT)>
きこゆ【聞こゆ】〔自ヤ下二〕(きこえ=未然形)<VERB:I can hear, sound like>
ず【ず】〔助動特殊型〕打消(ぬ=連体形)<AUXILIARY VERB(NEGATIVE):not>
ものの【ものの】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(CONCESSION):although, all the same>
…although we can’t hear them cry
かなし【悲し】〔形シク〕(かなしき=連体形)<ADJECTIVE:piteous, pathetic>
は【は】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SUBJECT)>
しのぶ【偲ぶ】〔他バ四〕/〔他バ上二〕(しのび=連用形、転じて、名詞)<VERB:feel affectionate to, be deep in love>
に【に】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(REASON):by, due to, because of>
もゆ【燃ゆ】〔自ヤ下二〕(もゆる=連体形)<VERB:flame up, glow out, be on fire>
ほたる【蛍】〔名〕<NOUN:fireflies>
なり【なり】〔助動ナリ型〕断定(なり=連用形)<AUXILIARY VERB(CONFIRMATION)>
けり【けり】〔助動ラ変型〕過去(けり=終止形)<AUXILIARY VERB(DISCOVERY):I found out>
…what is really sad to see is a firefly burning bright with voiceless affection inside
《naku koe mo kikoenu monono kanashiki wa shinobi ni moyuru hotaru nari keri》
■夜に光る自然の光から、言葉にならない心の内の恋情へ ― 蛍のほのかな光は、現代人にはかすかすぎて隠喩(メタファー)としては識別不能■
平安調短歌が人間以外の存在を扱う際の「非感情移入の原則」に忠実に、短歌に登場する「蛍」もやはり、暗闇に光るそのほのかな光の背後に隠喩(メタファー)としてのメッセージを忍ばせている。だが、そのきらめきの背後のメッセージはあまりにもほのかすぎて、何世紀もの間ずっと短歌を無視し続けてきた現代人には、まるで見えない謎となっている。
以下に示す短歌は『古今集(905年)』(八代集の初代)から引いたもので、「蛍」を含む歌としては最初期のものである。一見、夏の昼夜の自然の情景にしか見えないその陰に潜む隠れたメッセージが読み取れるかどうか、試してみてほしい:
《あけたてばせみのをりはへなきくらし よるはほたるのもえこそわたれ》『古今集』恋・五四三・よみ人しらず 明け立てば蝉の折り延へ鳴き暮らし 夜は蛍の燃えこそ渡れ(・・・解釈は、以下の文章を参照)
・・・上の短歌に、何かただならぬ感情が含まれていると、感じただろうか? 現代日本の読者のほぼ全員がこれを「暑い夏の昼間と幾分涼しい夏の夜の描写」だと思ったことだろう。「セミ」と「ホタル」はただ単に日中の暑さと夕刻の涼しさの象徴ぐらいにしか思わなかったことだろう。だが実際にはこの短歌、「恋」の部立に属するのである・・・まだ釈然としない人のために助言すれば、「鳴き暮らし(=日中はずっと泣きっぱなし)」の主語を「蝉」から「我」に変えてみるとよい。「燃えこそ渡れ(=ずっと燃え続けている)」の方は、形の上の主語「蛍」を「我が心」に変えてみるとよい。そうすれば「私の心は一晩中あなたの愛(あるいは、身体)を求めて燃え盛っている」の解釈へとたどり着けるだろう。
それにしてもこんな恋歌では、比較的内向的なものが多い平安調短歌の基準に照らして見てもなお、あまりにもその愛のメッセージが薄らぎすぎて見えない感じである。「蛍」の文字が心の中の詩的蛍光灯のスイッチを入れて「私は何も言わないけれど、あなたのことを思い続け、胸の内ではあなたの愛を求めて熱く燃えているのです」という隠れたメッセージを浮き上がらせてくれない限り、恋する思いは伝わるまい。
密かに燃える恋心の象徴としての「ホタル」の隠喩的存在感は薄く、例えば「雁」の「空飛ぶ伝言係」や「冬の訪れを告げる者」としての確立されたイメージほど際立つものではないけれど、それはそれとして、「蛍」=「言葉に出さない恋心を胸に宿す者」としてのイメージが平安貴族の間に確立されたのは、次に示す第二勅撰和歌集『後撰集(950年頃)』収載の短歌のおかげである:
《つつめどもかくれぬものはなつむしの みよりあまれるおもひなりけり》『後撰集』夏・二〇九・桂の親王に仕える幼い召使いの少女 作 包めども隠れぬものは夏虫の 身より余れる思ひなりけり(・・・通釈は、以下の文を参照)
・・・この短歌の出だしには次のような詞書がある:
『桂の親王の「蛍を捕へて」と言ひ侍りければ童女の汗衫の袖に包みて(=かつらのみこが「蛍をつかまえて」と言ったので、幼い少女がこれをつかまえてかざみの袖に包んで)』
・・・だが、こんな短い説明では、この短歌がどんな状況で作られたものか、我々としては途方に暮れるばかりであるし、「童女」の口から出た「夏虫の身より余れる思ひ(=蛍の身体からあふれ出した感情/私のような身分卑しき召使いの少女にとっては夢のまた夢の思慕)」の背後に潜むメッセージもまた謎のままである。
こうした場合、その詩を取り巻く状況をより詳しく説明した物語が懸案の短歌ともども紹介されて、日本の文芸ジャンルに言うところの「歌物語(之人冗悟の私的英単語では’lyricalogue’)」として世に出る場合が時折ある。今回紹介した「蛍」にまつわるこの短歌の場合、この歌を主役として展開する『大和物語(やまとものがたり:950年頃)』 の挿話として、次のような形で語り伝えられている:
(・・・古文原文・・・)『大和物語』四〇・「蛍」
桂の親王(孚子内親王:ふしないしんのう=宇多天皇皇女)に、式部卿の宮(敦慶親王:あつよししんのう=宇多天皇皇子)住み給ひける時、その宮に侍ひける髫髪(うなゐ=襟首のあたりで髪の毛を切り束ねているまだ幼い少女)なむ、この男宮(=敦慶親王)をいとめでたしと思ひかけ奉りけるをも、(敦慶親王は)え知り給はざりけり。蛍の飛び歩きけるを「かれ捕らへて」と(孚子内親王あるいは敦慶親王が)この童に宣はせければ、(少女は)汗衫(かざみ=大人の女性の場合は肌着として着用;元服前の少女は夏用の薄い常服として着用)の袖に蛍を捕らへて、包みて(孚子内親王よりはむしろ敦慶親王に)御覧ぜさすとて聞こえさせける。
包めども隠れぬ物は夏虫の *身より余れる思ひなりけり
*「蛍の体内から溢れ出る光」と同時に、貴人に仕える卑しい身分の少女としては「高貴な敦慶親王への身の程知らずな恋心」の意味をも込める
(・・・以下、現代語訳・・・)『やまとものがたり』第四〇話・「ほたる」
敦慶親王(♂あつよししんのう)が桂の親王(♀かつらのみこ=孚子内親王:ふしないしんのう)のもとに恋人として通っていた頃、桂の親王に仕えるまだごく幼い召使いの少女が敦慶親王を見て(なんて素敵な王子さまなんでしょう)と恋心を抱いた・・・が、敦慶親王はそのことを知らなかった。ある日、敦慶親王と桂の親王が周りを飛び交う蛍を見て「あれをつかまえて」と少女に命じた。少女は蛍をつかまえて、彼女の汗衫(かざみ=現代のスリップに近い薄い肌着で、大人の女性は下着として着るが、少女の場合は夏の常服として着ていた)の片袖の中に蛍を入れて、敦慶親王の前にその袖を差し出して見せた。少女の袖は、中に閉じ込められた蛍の放つ薄明かりでランプのように光っていた。その光に添えて、少女はこんな短歌を詠んだ:
《つつめどもかくれぬものはなつむしの みよりあまれるおもひなりけり》包めども隠れぬものは夏虫の 身より余れる思ひなりけり(袖の内側に包んでもほんのり外へ洩れ出る蛍の光のように、あなた様をお慕いする私の恋心も隠しきれずに洩れ出してしまいます・・・身分違いの卑しい召使いの私には、身の程知らずの恋心なのですが)
・・・「夏虫」が「蛍」の意味だということはすぐわかるだろうが、「その蛍、どこで光っているの?」と疑問に思う人はいるかもしれない ― この詩の文言中には「光」も「燃ゆ」も「火」も見当たらないからだ・・・しかし、実際には、ちゃんとあるのである・・・見えないだろうか?・・・まぁそれはそうだろう、君には見えっこない。誰一人見えるはずがないのだ、はっきりとそう言われない限り・・・で、言われて初めてびっくりするのだ ― 「火(ひ)」は「思ひ(おもひ)」の中にあり ― と・・・これでもまだ見えないか? よろしい、ではこれならどうだろう ― 「おも<ひ>=思慕」の文字列の中には「<ひ>=火」がちゃんと、あるでしょう?・・・あるいは「私のおも<ひ>の中には<ひ>が燃えさかっているのです。はっきりと私が口に出してそう言わない限り、あなたにはそれが見えないでしょうけど」と言われたほうが、詩的感覚により強く訴えるだろうか・・・「口に出して伝えぬ限り相手には見えない我が心の中の恋の炎」、それが「思ひ=おも<ひ>」の陰に隠れた「火=<ひ>」の掛詞の正体である・・・王子さまに寄せる小さな召使いの少女の恋心を表わすのに、この<おも’ひ’>の中に隠れた捕らえにくい<’ひ’>ほど打って付けの表現は他にあるまい?
言葉も発せぬ恋心の隠喩(メタファー)としての「蛍」の微妙なイメージがその詩的立ち位置を平安調短歌の中で確立したのは、上に示した『後撰集』と『大和物語』(いずれも950年頃成立)の歌と挿話のおかげである。
有名な歌人源重之(みなもとのしげゆき)の手になる次の短歌も、上に紹介した物語を念頭に置いて作られたものに間違いない:
《おともせでおもひにもゆるほたるこそ なくむしよりもあはれなりけれ》『後拾遺集』夏・二一六 音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ 鳴く虫よりも哀れなりけれ(音も立てずにただひたすら胸の内に燃えるような恋心を募らせる蛍のほうが、鳴き声で人に訴えかける虫よりも、しみじみと胸を打つ)
これを始めとする沢山の素晴らしい短歌を作ったにもかかわらず、源重之は、朝廷の役人としての官途には恵まれず、976年に下級官吏として京都を離れてからは、いくつかの地方官として仕えた末に、紀元1000年、60歳前後で、東北地方でその生涯を閉じている。「口に出しては語らない、胸の内に燃え盛る思い」とは、この場合ひょっとして、文学的偉業にもかかわらず恵まれなかった下級官吏としての彼の不運な人生への嘆き、なのかもしれない。重之が上の「蛍」の短歌を作ったのが正確にいつのことだったのかは不明だが、今回の話の冒頭を飾った《なくこゑもきこえぬもののかなしきは しのびにもゆるほたるなりけり:鳴く声も聞こえぬものの哀しきは 偲びに燃ゆる蛍なりけり》よりも古い作品、と言ってまず間違いないと思われる。今回の冒頭の短歌は、藤原高遠(ふじわらのたかとお)というこれまた著名な歌人の手になるもので、その制作期日は寛和二年六月十日(西暦986年7月19日)、「花山天皇内裏歌合」での詠歌である。
有名な小説家の紫式部(むらさきしきぶ)もまた、上に掲げた短歌たちへのオマージュ(敬意)を捧げるべく、自らの『源氏物語(1008年)』の作中人物の一人「玉鬘(たまかずら)」の口ずさみの形で、次のような短歌を披露している:
《こゑはせでみをのみこがすほたるこそ いふよりまさるおもひなるらめ》『源氏物語』二五帖「蛍」 声はせで身をのみ焦がす蛍こそ 言ふより勝る思ひなるらめ(声には出さずに胸の内を焦がす蛍のような内気な恋心のほうが、口に出して言う恋情よりもきっと強いのでしょう)
蛍がたとえいかに明るく燃えても、現代では、上掲のエピソードや短歌群に精通した例外的に優れた文化人でもない限り、そんな蛍がひそかな恋心に胸の内を焦がしているとは想像もつくまい。ほのかにまたたく蛍の光を透かして、平安貴族のみが密かに愛好した微妙に排他的なその含蓄美を見つめる才芸の持ち主に対してのみ、平安調短歌の「蛍」は特別な魅力を放つのである・・・そんな蛍の愛好者なんて、今日ではほとんど見られないのも当然の話である(もちろん「自然からのひたすら美しい贈り物」として蛍を愛好するだけなら、上はどうでもいい背景知識ではあるのだけれど)。
実際の会話相手の提供はしませんが、「さやかさん/冗悟サン」との知的にソソられる会話が出来るようにはしてあげますよ(・・・それってかなりの事じゃ、ありません?)
現時点では、合同会社ズバライエのWEB授業は、日本語で行なう日本の学生さん専用です(・・・英語圏の人たちにはゴメンナサイ)