8)(男に忘られて侍りける頃、貴布禰に参りて御手洗川に蛍の飛び侍りけるを見てよめる)
ものおもへばさはのほたるもわがみよりあくがれいづるたまかとぞみる
「物思へば沢の蛍も我が身より憬れ出づる魂かとぞ見る」
和泉式部(いづみしきぶ)
★語り手の心の中へ一直線&何にせよやりすぎはよくない ― さやか、率直&天才の意味を意識する★
冗悟:これまた「蛍」、されど今回の蛍の光は前作よりずっと明瞭・・・この詩、さやかさんのお気に召したかな、そうでもないかな?
さやか:こんな短歌、今まで出逢ったことないわ。
冗悟:その一言、また聞けて嬉しいよ・・・つまり、気に入ってくれたんだね?
さやか:気に入ったなんてもんじゃないです。もっとずっと、わたし・・・もうトランス(恍惚状態)、ぽわーん、ってどこかに連れて行かれちゃった感じ。
冗悟:トランス・ポワーンか・・・で、行き着いた先はどこ? この詩の舞台の「御手洗川」の川岸かな?
さやか:まっすぐ詩人の心の中へ・・・あるいは、無数の蛍の群れの中まで一直線。言葉で言い表しようがないこの感覚・・・これってただもう・・・「詩」だわ!
冗悟:「詩だわ!」は簡単便利な感嘆文だね。
さやか:じゃ、冗悟サンはどう言い表わします?
冗悟:うん、まぁ、俺には俺なりの言い方があるけど、自分の口で言うよりも君の口から聞きたいね、さやかさん。この詩は君を「ストレートに連れてった」って言ったね、詩人の心のど真ん中へ、あるいは・・・どこだっけ?
さやか:あるいは無数の蛍の群れの中まで一直線。
冗悟:さやかさん、すごい! 君は決して的を外さないね・・・ど真ん中をビシッと射抜いちゃう、こういう「open book(包み隠さず開かれた相手)」の場合はもう確実に。
さやか:「オープン・ブック」?
冗悟:そう、この詩はすっかりはっきり明け透けで、隠し事など何もない、美辞麗句もてあそんだりしない、言外のほのめかしも何もない、気取りや見栄で飾らない、他人様はこれ見てなんて言うだろぅなんてこと一切意識してない。彼女はただ、光の雲になってさまよう蛍を見て自分が感じたことを素直に表現してるだけ。この詩はすっかり開け放たれた「オープン・ブック」なのさ。小さな子供が紙の上に書き出した、生まれて初めての日記帳の第一ページ目みたいにオープンで、他人の視線をまるで意識してない・・・それでいてこれ、紛れもなく「詩」そのもの、気取った技巧も何もなしに、彼女は自らの感覚だけを材料に「詩」を生み出してる ― これぞまさしく天才だよ。
さやか:天才・・・誰ですか、この詩人?・・・「和泉式部(いずみしきぶ)」? 冗悟サンは彼女のこと天才だと思います?
冗悟:「詩だわ!」ってのと同じく、「天才だわ!」ってのもまた安直すぎて俺の大嫌いな言い回しだけど・・・でも彼女はやっぱり間違いなく「天才」だね。
さやか:どうして嫌いなんですか、「天才だわ!」って言い回し?
冗悟:理由は山ほどあるさ。まず第一に、「天才!」って言い回しは、一見超人的に見える偉業の陰に隠れた人間個人の奮闘のドラマを否定するから嫌い。第二に、そうした壮大な偉業をいかにして達成し得たのかの深層へとより深く分け入ってみようとする努力も全てみな「天才!」の一言の前に崩れ去るから嫌い。第三に、「天才!」と叫んで崇めるその相手と同じくらいあるいはもっと凄い何かを自分も成し遂げてやろうという気分を挫くから嫌い ― だってそうだろ、「天才!」以上の何かになろうなんて、アンタ一体何様のつもり?ってことになる・・・「天才!」の存在を認めたその瞬間に、君はもう永遠に「天才以下」の何かに甘んじる運命に陥るのさ。真に偉大な事など何一つ成し得ないごくごく普通の人間の一人に成り下がっちまう・・・大っ嫌いだね、「天才!」なんて・・・もっと続けようか?
さやか:は、ぁ・・・はぃ、おねがいします。
冗悟:うむ・・・まぁ、やめとこ。「天才」ってやつの話はもういいや。それよりか、この詩の中で和泉式部が何を成し遂げたか、そっちの話に深く分け入って行こう。いいね?
さやか:はい。
冗悟:和泉式部は「蛍」を隠喩(メタファー)として使ってるかな?・・・前回のエピソードの中の藤原高遠(ふじわらのたかとお)や源重之(みなもとのしげゆき)や紫式部(むらさきしきぶ)たちの「蛍」の詩みたいに?
さやか:隠喩(メタファー)じゃないと思います。こないだの詩はみんなこの和泉の詩とは響きが違ってました。
冗悟:「違う響き」か、いいねぇ・・・どう違ってた? 響きの違い、言葉で言い表わせるかな?
さやか:(…)この和泉の詩と比べたら、こないだの詩はどれもみな・・・にせものっぽい響き・・・あ、ゃだ、わたしまた言い過ぎちゃった・・・
冗悟:いいんだよ、それで。思った通りストレートに率直に、俺の前ではそれでいい。俺の前以外では話は別だよ。君と俺との間では、心に浮かんだこと何でもためらわずに口にすればいい ― 「率直は正解の母」だからね。でもまぁ敢えて君に代わって言い換えれば、高遠(たかとお)や重之(しげゆき)や紫式部(むらさきしきぶ)の「蛍の詩」はどれもみな、あの『大和物語』の中でりりしい敦慶親王(あつよししんのう)におませな恋をしちゃった幼い童女の純真な心から生まれたオリジナル(原典)の短歌に対して、優雅なる敬意を表しているだけ、ってことだね。
さやか:かわいいお話でしたよね、わたしあれ好き。
冗悟:そうだろうね・・・純真で率直なお話だったから。
さやか:はい・・・ぁ、そうか、「率直度数」のちがい ― あの幼い童女の詩やこの和泉のすごい詩がほかの詩とぜんぜん違う理由は、それですよ。童女と和泉の詩は率直なんです。恋をした少女の心からすーっと出てきた詩と、恋人に捨てられた女性の心から率直に出てきた詩・・・和泉、男に捨てられたんですか?
冗悟:詞書にはそう書いてあるね。
さやか:女が恋に破れると、心が身体を離脱して空中にさまよい出るんですか?・・・蛍の姿になって悲しい光を放つんですか?
冗悟:俺に聞かないでくれる、さやかさん、俺、女性に見える?
さやか:いいえ。でも時々『大鏡』の世界からポンと飛び出してきた人っぽく見えるから・・・冗悟サンなら何でも知ってるんじゃないかしら、って思っちゃった。
冗悟:『大鏡』の中の百年以上生きてる老人だって、何でも知ってるわけじゃないさ・・・「女性心理」ともなればなおさら男の手に余る。俺としてはむしろ君に聞きたいよ、さやかさん、あまりにも衝撃的な状況に圧倒されて、和泉が言うような一種のトランス(恍惚状態)に陥っちゃったこと、君にはある?
さやか:(…)前に一度、人生終わっちゃうんじゃないか、って感じたことあります。わたしが・・・
冗悟:・・・続き、聞かせてくれる?
さやか:わたしが・・・まだ幼すぎて自分が「女」だってことよく知らなかった頃・・・意味、わかります?
冗悟:うんぅん・・・つまり・・・顔面真っ青、目の前真っ白になっちゃったんだね・・・「赤いもの」見ちゃった後で?
さやか:はい・・・ほんと、ショックでした。周りの世界がグルグル回ってわたしの上に崩れ落ちてくる気がしました。
冗悟:失神しちゃった?
さやか:しそうになりました。
冗悟:さやかさんにとっては大変な経験だったんだろうね。
さやか:ほんと、大変でした・・・ゃだわたし、なんでこんなこと冗悟サンに話してるんだろ?・・・
冗悟:俺の前では率直でいいんだ、って感じたからだろ・・・でもまぁ俺が君なら、他の人の前ではこんな個人的すぎる打ち明け話はしないけどね。
さやか:絶対しません、冗悟サンだから話したんですよ・・・ところで、これって元々何の話でしたっけ?
冗悟:女性を襲う衝撃的状況、あまりにショッキングすぎて心も頭も身体を抜け出して空中にさまよい出て蛍の姿になって光を放つ、そんな状況・・・これって、誇張抜きで、和泉が男に捨てられた時の本物の感覚だって、さやかさんそう思う?
さやか:そう思います。和泉式部の私生活については何も知らないけど、この詩はわたしの心にじかに訴えかけてくるから、そこに込められた感情は本物なんだ、って感じます。
冗悟:ずばり言ってくれたね、さやかさん ― もしその感情が本物なら、詩には真実の響きが宿る・・・詩がもし真実っぽく響かなければ、その詩は何か「感情」以外のものを出そうとしているってこと。大方の平安調短歌の出し物は「感情」ではなくて・・・どう言ったらいいかな?・・・芸術、美辞麗句、学者めかした高度な何か・・・とにかく平安調短歌は非感情的だから、この和泉式部の詩みたいに現代の読者の心にモロに響く魅力を放つ純粋に個人的な感情を歌った短歌は、平安時代には本当に珍しいんだよ。
さやか:だからこの詩はこんなにもユニーク(唯一無二の存在感あり)なんですね。
冗悟:平安時代の他の歌人たちが「蛍」を引っ張り出す時、彼らはただその「蛍」を詩の引き金(poetical trigger)に使ってるだけなんだ。
さやか:「詩の引き金」?
冗悟:「引き金=トリガー」ってのは銃の一部品で、それを引くと銃口から弾丸が飛び出す仕掛けさ。「蛍」という詩の引き金をちょいと引けば、銃口からは閃光が走る ― 暗闇にかすかな蛍の光が見える ― それが今度は読者の心に刻まれた記憶に火を着けて、「蛍の静かな光」は「胸に燃える物言わぬ秘めたる愛情」の象徴だ、と認識する・・・この一連の過程が一種の知的連鎖反応として展開するんだ。だから、光の閃きとそれを見た者の反応との間には、かなりの時間差がある。蛍の光に秘められた隠喩(メタファー)の意味を知らぬ読者が相手だと、何の反応も起こらない・・・和泉式部のこの詩には、そうした連鎖反応が必要だと思うかい?
さやか:思いません。この詩はもっとずっとダイレクトにわたしの気持ちに響いてきます。
冗悟:そう、その違いなんだ。和泉のこの短歌では、「蛍」は「詩の引き金」じゃないんだよ。それは火薬であると同時に銃口の閃光でもある。詩が完結した瞬間にはもう火薬が炸裂して銃口から光を放っている。密かに燃える恋のアイコン(象徴図柄)としての「平安調蛍」に関する深遠な知識なんて、この詩の場合、必要ないんだ。何一つ「反応」する必要はない。男に捨てられてこれからどうしたらいいかわからず全く途方に暮れて茫然自失の和泉の状況を、まるで我が事のように体験する「詩的恍惚(poetic trance)」の世界へと、読者はすでにもうダイレクトに引っ張り込まれているんだからね。
さやか:和泉式部の実生活の物語だからこそこんなにも感動的、ってことですか?
冗悟:だと思うよ。平安時代の他の短歌はみな詩人の実体験の感情に基づいていない、などと言うつもりはないけど、その「リアル(真実性)」の本質が ― さやかさんの言葉を借りれば「率直度数」が ― 和泉式部の場合、次元が違うんだよ。彼女は詩の中で自らをさらけ出すのに何のためらいもない。
さやか:彼女、率直な詩人だったんですね?
冗悟:うん、君と同じかそれ以上に率直だね、さやかさん。平安時代の他の歌人よりはずっとずっと率直だったね、唯一の例外は鎌倉時代の初めの西行法師(さいぎょうほうし)のみ。和泉式部の率直さは現代詩人をも上回るぐらいさ。現代の詩人ってやつは、およそ考え得る限りのありとあらゆる目新しくて気の利いた表現手法で自らの内面をさらけ出すことを「仕事」にしてるけど、そんなの見せびらかされた観客のほうはただあっけにとられるばかりで、結局「ふふーん、あぁ、そう?」って鼻でせせら笑ってそっぽ向いちゃったりするわけだけどね。そういう現代のお笑い草の露出狂どもと和泉式部との違いは、和泉は常に美しく我が身をさらした、ということ。彼女はいわば自らの詩の中でハダカになることを恐れなかったし、読者もまたハダカの彼女を見たがった・・・詩の中でね。大勢の男たちが彼女のお部屋の中でハダカの和泉を見たがったのと同じくらい熱烈に。
さやか:和泉式部って娼婦だったんですか?
冗悟:違う、ちがう! ただ、当時としては最もスキャンダラスな(何かと噂の多い)女性の一人だったことは間違いないよ。今ならゴシップ新聞の一面を常に飾ってるような女性だったんだ。彼女は大江雅致(おおえのまさむね)という中流の官僚の娘で、幼い頃は召使いの童女として冷泉天皇の奥方の昌子内親王の元に仕えてたんじゃないか、という説もある。思春期の彼女はまず十八歳頃にそこそこ裕福な貴族の橘道貞(たちばなのみちさだ)という男に嫁いでる。彼女の名前の「和泉」というのは夫が朝廷の任務で赴任した先の地名から取ったものだよ。
さやか:その男性 ― 橘道貞(たちばなのみちさだ) ― が彼女を捨てたんですか?
冗悟:そう。
さやか:こんな才能豊かな女性を、どうして捨てたんだろう? 有り余る才能がいけなかったのかしら?
冗悟:彼女の詩的天才に加えて、有り余る美しさもまた罪作りだった、ってことだろうね。
さやか:彼女、そんなに美人だったんですか?
冗悟:彼女のめくるめく恋愛遍歴から察するに、男にとってはたまらないほど魅力的な女性だったんだろうと思うよ、詩人として信じられないほど優れていたのと同じくらいにね。
さやか:そんなにたくさんの恋愛経験がある女性なんですか?
冗悟:二人の異なる男の妻になって、冷泉天皇の二人の高貴なる王子さまの為尊(ためたか)&敦道(あつみち)兄弟の愛人になって、その他複数名の男性たちともねんごろな関係を結んでいたことが知られている女性、だよ。
さやか:(…)それもすべて橘道貞(たちばなのみちさだ)に捨てられたせいですか?
冗悟:最初の夫との離婚は確かに「引き金」にはなったろうけど、その後の彼女の冒険や受難の「原因」ではなかったと思うよ。「火薬」は、それもド派手にはじける火種のほうは、和泉式部自身の中にあったんだ。
さやか:比類なき美と詩的天才、ですか?
冗悟:何か一つのことにとんでもない才能がある人は往々にして、その才能を帳消しにするようなとんでもない欠落を他方面では抱えてるものさ。
さやか:・・・ちょっと好奇心湧いてきちゃった ― 冗悟サンにも、とんでもなく欠落してる何か、あったりします?
冗悟:ははぁ・・・俺の言葉、モロに真に受けてくれたんだね、さやかさん・・・んでもって俺のことを何か特定の方面ではとてつもない才能の持ち主とみなしてくれてるわけだ、こりゃ嬉しいや・・・よし、それでは感謝の印として申告しちゃおう ― 我がとてつもなき欠落は物質的財産方面にあり ― 俺、ものすごーく貧乏だぜ・・・好奇心、満たせたかな、さやかさん?
さやか:えー・・・ほんとに?
冗悟:本当さ。俺は物質的観点から見ればほんとにとっても貧乏な男、その「知的偉業の素晴らしさ」に見合うだけの貧乏人、ってとこかな・・・ どう、これでおあいこ、公平なんじゃない?
さやか:公平じゃないですよ・・・あなたはもっと・・・報われるべきです。
冗悟:報われる? 何で? お金で?
さやか:はい・・・ほんとうに貧乏なんですか?
冗悟:君の前で貧乏人のフリする必要がどこにある? さやかさんは税金の取り立て屋じゃないだろ? 君、こんな貧乏な男とおしゃべりしてたんだって気付いて、不幸かい?
さやか:いいえ、わたしが言いたいのはそういうことじゃなくて・・・つまりその・・・あなたはきっともっとお金持ちになります。
冗悟:その点は同感だね。実際、今ほとんど財産ゼロなんだから、これ以上お金持たない男になろうったってなれるもんじゃない。
さやか:うぅん、そうじゃなくって、わたしが言いたかったのは、あなたみたいに教えるのがすごく上手な人なら、お金稼ぐのに何の苦労もないはず、ってことです。
冗悟:「金儲け」は残念ながら俺の専門外でね。それにまた「金」ってやつは、それを最も強く欲するヤツラのとこに行くものであって、それを最も切実に必要とする人や最も値する人のところには流れて行かないものなんだ。正直言って、俺、「金」ってやつとはどうも相性が悪くってね、それと「金」を崇め奉る人間どももみぃーんな苦手・・・君がそういう連中の一人じゃないことを祈るよ。
さやか:ちがいます、わたし・・・ただ・・・
冗悟:ただ・・・君はただ俺の言ったことが本当かどうか知りたかっただけ、なんだよね ― 特定方面での極端なプラスは、他方面での極端なマイナスで、両者トントンに均されちゃう傾向がある、ってこと ― 実際ほんとそうだ、ってこと、示せたんじゃないかな、こうして君に、この俺の極端に世間離れした部分を、かなり劇的なやり方で見せてあげたわけだから・・・どう、このレッスン、ちょっぴりおびえちゃったかな、さやかさん?
さやか:わたし・・・ちょっともぅ、どうしよう、って思っちゃいました、正直言って・・・冗悟サン、ほんとにお金が嫌いなんですか?
冗悟:それほどでもないよ、「金」の方から俺に引っ付いてくる場合はね。俺の方から「金」にすり寄ることはしないけど。俺にはただ「金」なんかよりもっと他に好きな物事や人たちがいっぱいあるってことさ・・・もちろん君も含めてね。
さやか:ありがとうございます、それ聞いてほっとしました。それと、とっても印象に残るレッスン、どうもありがとうございました。
冗悟:「プラス/マイナスは手に手を取っておあいこで」理論のこと?
さやか:はい。わたしにはものすごく印象的でした。
冗悟:印象ってのは妙なものでね、ほんのありきたりの一分前の印象が、ずっと強烈な十分前の印象を完全に消し去っていたりするもんだよ・・・和泉式部の「蛍」の短歌の中に純粋な天才のきらめきを発見してすごく感動したこと、覚えてる?
さやか:はい、もちろん。でも・・・そう、おっしゃる通りですね、まるで昨日のレッスンの出来事みたい。
冗悟:何事に於いても、過度の潤沢は果報に非ず、ってこと、これでわかったろ?
さやか:わかりました。
冗悟:ということで、もっといいものは次回のレッスンのためにとっておくことにして、本日はこれまで、ってことにしようかな?
さやか:はい。どうもありがとうございました。じゃまた、すぐに次のレッスンで。
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8)(男に忘られて侍りける頃、貴布禰に参りて御手洗川に蛍の飛び侍りけるを見てよめる)
ものおもへばさはのほたるもわがみよりあくがれいづるたまかとぞみる
「物思へば沢の蛍も我が身より憬れ出づる魂かとぞ見る」
『後拾遺集』雑・一一六四・和泉式部(いづみしきぶ)(978-?:女性)
(男に忘れられてしまった頃、貴船神社に参詣し、御手洗川に蛍が飛び交う姿を見て詠んだ歌)
『苦しい想いに胸焦がし、一人、夏の夜道を歩いていると、水辺に光る儚い蛍の光が、まるで、肉体から抜け出した私の魂が所在なげに漂っているみたいに見える。』
(on fireflies flying around Mitarashi river near Kifune, where the author paid a visit when she was deserted by a man)
As I wander around mountain streams,
Lost in thought on fruitless love,
Is it my soul evading my body
Glittering in the dark in the form of fireflies?
もの【物】〔名〕<NOUN:various things>
おもふ【思ふ】〔他ハ四〕(おもへ=已然形)<VERB:think about, ponder, brood over>
ば【ば】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(TIME):when, as, while>
…as I get lost in thought
さは【沢】〔名〕<NOUN:the waterside, riverside, quagmire>
の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(PLACE):at, in>
ほたる【蛍】〔名〕<NOUN:fireflies>
も【も】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(ADDITION):even, the very, also, too>
…even fireflies at the riverside
わ【我】〔代名〕<PRONOUN:I, me, myself>
が【が】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):’s, of, belonging to>
み【身】〔名〕<NOUN:the body, flesh>
より【より】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(PLACE):from, out of>
あくがれいづ【憬れ出づ】〔自ダ下二〕(あくがれいづる=連体形)<VERB:wander off, split off>
たま【魂】〔名〕<NOUN:my spirit, soul>
か【か】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(INTERROGATIVE):?>
と【と】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(COMPLEMENT)>
ぞ【ぞ】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(EMPHATIC)>
みる【見る】〔他マ上一〕(みる=連体形係り結び)<VERB:it seems, it looks as if, I feel as though>
…look as if they were [burning bright fueled by] my soul wandering off from my body
《mono omoe ba sawa no hotaru mo waga mi yori akugare izuru tama ka to zo miru》
■日本の伝説 ― 純粋なものとニセモノ■
和泉式部は議論の余地なく平安短歌世界最大のスーパースターである。巧みな言葉使いで読者の想像に訴えかける彼女の才能はそれだけでもひたすら素晴らしく他の追随を許さないが、ここに引いた「蛍」の短歌のような彼女個人の感情を吐露した作品に於いては、彼女の私生活(平安貴族にはスキャンダラスな形でよく知られた和泉の人生)がその内面世界の詩的表現の上に二重写しとなることで、彼女の文学的天才の輝きは倍増する。この意味に於いて、和泉式部は現代世界のスーパースターたちにどことなく似ている。彼女のユニークな人気の源泉は、その詩のみにとどまらない。彼女の女としての人生の浮き沈みへとどっぷり深く感情的に入れ込むからこそ、我々は和泉式部を(彼女の詩もろとも)より深く個人的に愛することになるのだ。そうした我々の「和泉式部の愛し方」は、「ジョン・レノン(1940-1980年)の愛し方」に似ていないでもない ― 「和泉式部を/ジョン・レノンを知る」ということは即ち「和泉を/ジョンを愛する」ということなのだ ― 彼らの歌を愛するということは、彼らの人生そのものを愛することと一緒なのだ。「蛍の短歌(1001年頃)」や「ジョンの魂(1970年)」といった形で我々を彼らの人生へと引っ張り込むガイドツアーの中で、愛好者は「和泉の/ジョンの人生」をまるで我が事のように疑似体験することになる。紀貫之(きのつらゆき)の短歌を愛好する時、誰がそれを作ったかなどまるで気にすることもないが、そうした非個人的鑑賞態度は、和泉式部やジョン・レノンあるいは西行法師(さいぎょうほうし:1118-1190年)の多くの歌に関しては成立しない。彼らの人生の喜びや悲しみへの個人的共感抜きには、彼らの歌に深く入れ込むことはできないのだ。
そうした個人的吸引力の強さゆえに、「和泉式部」や「西行法師」の名は、当然のごとく、後の時代の書き手たちの手になるつまらぬこぼれ話を山ほど生むことになる。創造性に欠け想像力のかけらもなく偉大なる先人の名を引き合いに出す資格など全くないゴミカス物書きどもが、「和泉」や「西行」の名を惨めに汚すことになるのである。ここで紹介した短歌もまた、『後拾遺集』の中では次に示すような「貴布禰明神の神の御返答」と称するニセモノ短歌と仲良く並んで紹介されている・・・この厚かましい編者のはからいのせいで、和泉の完璧なる詩の美しさも台無しである:
おほんかへし(神様からの有り難い返歌)
《おくやまにたぎりておつるたきつせの たまちるばかりものなおもひそ》『後拾遺集』雑・一一六五
この歌は貴布禰の明神の御返しなり。男の声にて和泉式部が耳に聞えけるとなむ言ひ伝へたる(・・・この短歌は有り難い貴船明神の神様から和泉式部の歌への返歌である。男の声で和泉式部の耳に聞こえた、と言い伝えられている)
奥山に滾りて落つる瀧つ瀬の 玉散るばかり物な思ひそ(山奥の滝を流れ落ちる水が浅瀬の部分で弾けて飛ぶような、そんな強烈な恋情に身を砕くような真似はやめなさい)
・・・この種の「紙の上の神さま」どもの安っぽい声がクソやかましく鳴り響くこの日本国に於いては、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)のような偉大なる創造者の天才性を真剣に味わおうとする試みも、ほとんど不可能になってしまっている ― 短歌世界には「伝 人麻呂(言い伝えによれば、人麻呂作品、だそうな)」というニセモノが恥知らずに書き散らされてまるで洪水のような有様なのだから。「他者には真似できない独自の創造性」というものへの敬意を(昔も今も)欠いたこの国に於いては、真のカリスマ(神懸かり的な超人的異彩)が穢れなき純粋な姿で時を越えて生き残ることは、極めて困難なのである。
実際の会話相手の提供はしませんが、「さやかさん/冗悟サン」との知的にソソられる会話が出来るようにはしてあげますよ(・・・それってかなりの事じゃ、ありません?)
現時点では、合同会社ズバライエのWEB授業は、日本語で行なう日本の学生さん専用です(・・・英語圏の人たちにはゴメンナサイ)