★あまりに多すぎてどれがどれだかわからない ― さやか、冗悟相手に初勝利を飾る★
冗悟:さて、この短歌を見て何か「デジャ・ビュ(前に見たことある)」感、沸かないかな、さやかさん?
さやか:わたしも今それ言おうとしてたところです。実際、記憶の中に似たようなイメージが多すぎて、どれがどれだかわからないくらい。
冗悟:オッケー、それなら手当たり次第列挙しちゃおうか。最初は何?
さやか:それはもうやっぱり「荒城の月」 ― 歌詩は思い出せないけど、あの曲の全体的な雰囲気はこの短歌にそっくりです。
冗悟:確かにあの曲のメロディーは、この短歌には打って付けのBGMになりそうだね。お次は?
さやか:うーん、それが問題・・・似たような短歌、ほんとそっくりな短歌、前に見てるはずなんだけど、どうにも思い出せなくて・・・。
冗悟:舌先ぎりぎりまで出てきてる感じ?
さやか:ぇーと・・・そうでもない感じ、舌の上いたるところっていうか、口ん中じゅうというか、あっちこっちに散らばってる感じです。
冗悟:一つの短歌がバラバラになって散ってる感じ? 同じムードのいくつもの短歌が記憶のあっちこっちで出たり入ったりの感じ?
さやか:後者です・・・ぅーん、降参。たぶん冗悟サン、ちゃんと答え知ってるんでしょ?
冗悟:実は、同じ感情の枠組みから出てきた短歌をいくつか集めて用意してあるんだ・・・見てみる?
さやか:ぅーん・・・正直言ってわたし、見え見えの典型的なやつにはあまり興味ないです。
冗悟:はは・・・いかにも君らしい答えだね、さやかさん。君は予想だにしないものが好きなんだね?
さやか:予想を超えたまったく新しいものが好き。だから冗悟サンとお話するの大好き。この短歌もそのお仲間もぜんぶ忘れて、何か新しくて予想外のお話、始めましょ!
冗悟:いいよ、それなら、古いけど君にとっては予想外なやつはどうかな?
さやか:なんですかそれ?
冗悟:クイズさ。春夏秋冬の季節の中で、平安時代の短歌で最も多く語られる季節はどれでしょうか?
さやか:(…)あえてこの場で問題にするってことは、「秋」だと思います。
冗悟:すごぃ! どうしてわかったの?
さやか:答えは冗悟サンの言葉のあちこちに散らばってます ― 「the same mold(同じ枠組み)」とか「typical(典型的)」とか、そういうステレオタイプなイメージを再三繰り返してるし、今日の会話の出だしのせりふも「デジャ・ビュ(=前に見たことある)」だったし、この短歌に似たやつ事前に幾つか選んで用意してあるって言うし・・・ということは、「秋」はそういう同じ類型的な枠組みから生まれた型通りの短歌でいっぱい、という結論・・・になると思うんですけど、合ってます?
冗悟:俺の言うべき台詞、君に全部取られちゃった感じだよ、シャーロック・サヤカ・ホームズ君!
さやか:今回に限っては君はあまりにも見え見えだったよ、ミスター・ジャウゴ・ワトソン君。
冗悟:一本取られた! 参りました!
さやか:やったー! 冗悟サンへのわたしの初勝利に、乾杯!
冗悟:訂正 ― 「初勝利」ではないよ。
さやか:ほんとに? じゃ、さやかが最初に冗悟サンをノックアウトしたのはいつ?
冗悟:最初に君に逢った時 ― 一番最初の紀貫之(きのつらゆき)の短歌を君がストリップショーにしちゃった時・・・覚えてる?(第一話参照)
さやか:《そでひぢてむすびしみづのこほれるを はるたつけふのかぜやとくらむ》・・・もちろんおぼえてます、忘れっこないでしょ、あの詩のおかげでわたしたち出逢ったんだから。今ではわたしのお気に入りの短歌です。でも、あの第一話の時にはわたし、冗悟サンを負かした記憶ないんですけど・・・というか、冗悟サンに助け出してもらうまで、シッチャカメッチャカでズタボロだった気がする。
冗悟:そう、君はひたすら自分で自分を混乱させて、俺には次から次へと愉快なクイズの絨毯爆撃加えてくれたよね ― あれで俺、君に参っちゃったわけさ。もう完全に確信したね ― 「この子しかいない! この子は質問をやめない、確信が持てるまでは納得しない。この子は理想的な教え子になる。理想的なゲストだし、理想的なホステスになる・・・」
さやか:「理想的なホステス」?・・・エッチな意味じゃないですよね?
冗悟:知的にソソられる一連の会話の「理想的な女性司会者(ホステス)」さ、日本の短歌に興味ある全ての人々向けの教育プログラムのね・・・十代のかわいい女の子相手のおしゃべりに飢えてる男向けの、じゃないよ。
さやか:冗悟サンは、飢えてない、ってことですね?
冗悟:おかげさまで君がいてくれるからね、さやかさん。
さやか:わたし、あなたの「飢え」を満たしてます?
冗悟:知的に、ね・・・それ以上何か言ってほしい?
さやか:うぅん・・・あなたの・・・お役に立ててるってわかっただけで、満足です。
冗悟:「お役に立ってる」どころか、君の存在はもっとずっと大きいよ、このショーにとってはね。まぁとにかく今回の短歌はあまりにも類型的すぎて君を感動させるに至らなかったみたいで、知的にも感情的にも満足させてやれなくて悪かったけど、鋭い知的探偵の「冴やか」嬢の堂々たる勝利に免じて、許してね。次回はもっと面白いやつに出会えることを期待しつつ、それじゃまた。
さやか:ありがとうございました。じゃぁまた、すぐに。
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13)(河原院にてよみ侍りける)
すだきけむむかしのひともなきやどにただかげするはあきのよのつき
「集きけむ昔の人も無き宿にただ影するは秋の夜の月」
『後拾遺集』秋・二五三・恵慶法師(えぎゃうほふし)(986に行幸参加記録あり:男性)
(かつて栄華を誇った源融(みなもとのとおる)の別荘だった河原院での詠歌)
『昔は大勢そこに集まっていた人々もいたろうに、今は誰一人宿すこともない野辺の寂しい古い家を、秋の夜の月だけが今も変わらず訪れては、優しい光に包んでいる・・・行き交う人々はみな仮の世の旅人、月日もまた百代の過客なれど、変わらぬものは夜の空の月・・・』
(at Kawara-no-in)
A large vacant house with old inhabitants gone
Stands out in silent embrace of the gentle autumnal moon.
すだく【集く】〔自カ四〕(すだき=連用形)<VERB:gather, flock together>
けむ【けむ】〔助動マ四型〕過去推量(けむ=連体形)<AUXILIARY VERB(IMAGINED PAST):perhaps there used to>
むかし【昔】〔名〕<NOUN:the past, old days>
の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):’s, of, belonging to>
ひと【人】〔名〕<NOUN:people, folks>
…people of olden times that must have flocked together there
も【も】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SUBJECT)>
なし【無し】〔形ク〕(なき=連体形)<ADJECTIVE:be absent, nonexistent, not to be found>
やど【宿】〔名〕<NOUN:the residence, house>
に【に】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(PLACE):on>
…they’ve all gone leaving this residence empty and lonely
ただ【唯】〔副〕<ADVERB:only, solely>
かげ【影】〔名〕<NOUN:moonlight, the lunar beam>
す【為】〔他サ変〕(する=連体形)<PRO-VERB:do(=cast moonlight on)>
は【は】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SUBJECT)>
あき【秋】〔名〕<NOUN:Autumn>
の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):’s, of, belonging to>
よ【夜】〔名〕<NOUN:the night>
の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):’s, of, belonging to>
つき【月】〔名〕<NOUN:the moon>
…the moon is the only one that embraces it in radiant beam
《sudaki kemu mukashi no hito mo naki yado ni tada kage suru wa aki no yo no tsuki》
■人は来てはまた去るのみ、変わらずあるのは自然のみ ― 平安調短歌の伝統的テーマ■
上の会話の補足として、八代集に登場する四季に関する統計データを掲げておこう:
秋の部立=1,300首・・・「秋」の語を含む短歌総数=1,003
春の部立=1,095首・・・「春」の語を含む短歌総数=767
夏の部立=542首・・・「夏」の語を含む短歌総数=153
冬の部立=522首・・・「冬」の語を含む短歌総数=101
「秋」が他の季節を圧倒するのは、平安貴族の邸宅内で催される屋内向けの(短歌の詠み交わしが主役の)集いに打って付けの季節だからかもしれない。だが、おそらくはそうした社交的背景のせいもあって、「秋」の短歌の世界は、美しき型にはまった陳腐な作品だらけ、集った人達の間で「これはまぁ見事ですなぁ」などと誉め合うのにはぴったりだけれど、「春」の短歌が新たな始まりの季節の再生感覚に心突き動かされて作られているのに比べると、概してあまり純粋に感動的な作品とは言えない。
秋の短歌にももちろん素晴らしい作品はあるけれど、その多くにはあまりにも数多くの「親戚」が付きまとっているので、新鮮な感動がない・・・ひょっとしたらこれは、「焼き直し」の誘惑と必死に戦う現代詩人ならではの感覚かもしれない ― (自分では作らずに)ただ(たま~に)郷愁に満ちた美麗な詩を読んで楽しむだけの人々は、たまたま出くわしたキレイなやつを楽しんでくれればそれでよいだろう・・・そうした人が自分なりのお気に入りを発見するお手伝いとして、以下、候補者リストを並べておく:
1)同じ歌人(恵慶法師:えぎょうほうし)が同じ秋の感覚を同じ場所(河原院)で詠んだ歌:
《やへむぐらしげれるやどのさびしきに ひとこそみえねあきはきにけり》『拾遺集』秋・一四〇 八重葎繁れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり(人には見捨てられて雑草ばかりが生い茂る宿なのに、「秋」だけは見捨てずに今年もまたやって来たのだなぁ)
2)同じ歌人(恵慶法師:えぎょうほうし)が、人に打ち捨てられた庭に咲く春の桜の花について詠んだ歌:
《あさぢはらぬしなきやどのさくらばな こころやすくやかぜにちるらむ》『拾遺集』春・六二 浅茅原主無き宿の桜花 心安くや風に散るらむ(草木もまばらな野原の中の、主人もない宿に寂しく咲いた桜の花が、風に散っている。見る人もない今、いったいどんな気持ちなのだろう、心穏やかではないだろうに)
3)同じ歌人(恵慶法師:えぎょうほうし)が、秋の紅葉を詠んだ歌:
《きのふよりけふはまされるもみぢばの あすのいろをばみでややみなむ》『拾遺集』秋・一九九 昨日より今日は勝れるもみぢ葉の 明日の色をば見でや止みなむ(昨日より今日のほうがより濃く色付いた紅葉の葉っぱは、明日は更に色鮮やかに染まっていることだろう・・・が、その明日の姿を私は見ることもなくお別れしなければならないのだなぁ)
4)同じ歌人(恵慶法師:えぎょうほうし)が、主人のいなくなった家の庭に咲く秋~冬の菊の花について詠んだ歌:
《うゑおきしあるじはなくてきくのはな おのれひとりぞつゆけかりける》『後拾遺集』秋・三四七 植ゑ置きし主は無くて菊の花 己れ独りぞ露けかりける(植えた主人はすでにもうない宿の庭に、菊の花だけがひとり寂しく咲いている。その花にかかった水の雫は、まるで亡き主人を悼む涙のようだ)
5)同じ歌人(恵慶法師:えぎょうほうし)が「主人のいない家」という毎度おなじみのテーマについて詠んだ季節不明の歌:
《いにしへをおもひやりてぞこひわたる あれたるやどのこけのいははし》『新古今集』雑・一六八五 古へを思ひ遣りてぞ恋ひ渡る 荒れたる宿の苔の岩橋(今は誰一人渡ることもないためにもうびっしりと苔で覆われている石作りの橋の上を、遠い昔を恋しく思い出しながら、一人渡るこの私)
オマケ-1) 紀貫之(きのつらゆき:866-945)の手になるもう一つの「デジャ・ビュ(前に見たなぁこれ)」 ― の古いやつ:
《とふひともなきやどなれどくるはるは やへむぐらにもさはらざりけり》『新勅撰集(1235年)』春・八 訪ふ人もなき宿なれど来る春は 八重葎にも障らざりけり(人はもう誰一人訪れることもなくなった荒れ果てた宿なのに、それでも律儀に今年もやって来た「春」は、庭に生い茂る雑草など気にしないのだなぁ)
・・・この短歌は恵慶法師の一連の作品よりも古いが、八代集には収められていない ― おそらくは「もうたくさんだよ、こういうのは」と編者たちが感じていたからかもしれない・・・唯一、藤原定家(ふじわらのていか)だけが、八代集以降初の勅撰和歌集である『新勅撰集』の一作としてこの詩を選ぶことで、偉大なる「創業の父」への敬意を表した形である。
オマケ-2) 奈良帝(ならのみかど=平城天皇:へいぜいてんのう:774-824年)の手になるさらにまたもう一つの「デジャ・ビュ(前に見たなぁこれ)」 ― の大昔のやつ:
《ふるさととなりにしならのみやこにも いろはかはらずはなはさきけり》『古今集』春・九〇 古里と成りにし奈良の都にも 色は変はらず花は咲きけり(今はもう京都に首都の座を譲って「かつての都」となってしまった奈良の都にも、花だけは今年もまた色も変わらずやってきてくれたのだなぁ)
・・・おそらくはこの短歌こそがその後の全ての追従者たちの「遠い昔のご先祖さま」。
オマケ-3) おんなじ古い夢をしつこくもう一度・・・晩秋の夜ではなく早朝の夢として:
《すだきけむむかしのひとはかげたえて やどもるものはありあけのつき》『新古今集』雑・一五五二 平忠盛(たいらのただもり:1096-1153) すだきけむ昔の人は影絶えて 宿守るものは有明の月(かつてはそこに集っていたのであろう人々はもう誰もいなくなって、今この宿を守るのはただ一人、夜明け空に忘れ去られたようにかかる夕べの名残の月のみ)
・・・この大胆な「再放送」の主は、かの有名な平清盛(たいらのきよもり:1118-1181年)の父であるとともに侍としては史上初めて清涼殿(せいりょうでん=京都の宮廷の中でも最も権威の高い場所)への昇殿を許された人物である。そういう事情もあって、忠盛(ただもり)は平安貴族たちにとっては強烈な憎悪と嘲笑の的であった・・・ひょっとしたらそれこそが、このあまりにも明け透けな盗作短歌が「さむらいのみやび」として『新古今集』に採録された理由なのかもしれない・・・貴族の美しさを真似してみたところで、侍ふぜいにできることといったらせいぜいこの程度でおじゃるよ、みたいな感じで。
同じものの過度の繰り返しは、何もないよりはまし・・・(それとも何もないほうがまし、だったであろうか?)
この記事の最後は、あの郷愁に満ちた「荒城月」の昔懐かしい歌詩で締めくくることにしよう:
<荒城月>
作詞:土井晩翠 作曲:滝廉太郎/編曲:山田耕筰
春高楼の花の宴
巡る盃影さして
千代の松が枝分け出でし
昔の光今いづこ
秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁の数見せて
植うる剣に照り沿ひし
昔の光今いづこ
今荒城の夜半の月
変はらぬ光誰がためぞ
垣に残るはただ葛
松に歌ふはただ嵐
天上影は変はらねど
栄枯は移る世の姿
映さむとてか今も尚
ああ荒城の夜半の月
(・・・以下、現代語通釈・・・)<荒れ果てた昔の城を照らす月>
春の花盛りには城の高層階で宴会が催されたものだった
列席者の間を巡る祝いの杯の上の酒の水面に月の光が照り映えて
千年の月日を経ても変わらぬ縁起の良い庭の緑の松の枝を透かして見える月明かり
そんな昔の栄光は、今はどこへ消えてしまったのだろう
秋には戦いの旅に出て、野営の陣地にも白い霜が降りた
空に輝く月の明るさは、鳴き渡る雁の群れの数さえはっきり数えられるほど
勝利を祝って大地に突き刺した剣の上に、輝かしく寄り添ったあの月明かり
そんな昔の栄光は、今はどこへ消えてしまったのだろう
いまは荒れ果ててしまったその城に、夜の月がかかっている
昔も今も変わらぬその月明かりは、いったい誰のために照るものか
壮大な城を支えた石垣の上を、今は蔓草のみが虚しく這っている
千年変わらぬ繁栄を祈って植えられた松は、夜の風に虚しい音を立てている
空の上を振り仰げば、月の光だけは今も昔と変わらない
天下を眺めれば、かつて栄えたものもやがて滅びて変わらぬものなど何もない
そんな無常の人の世のさまを映し出そうとしてなのか、今なお変わらぬ昔の姿で
荒れ果てたこの城を今夜も照らす、この夜の月
実際の会話相手の提供はしませんが、「さやかさん/冗悟サン」との知的にソソられる会話が出来るようにはしてあげますよ(・・・それってかなりの事じゃ、ありません?)
現時点では、合同会社ズバライエのWEB授業は、日本語で行なう日本の学生さん専用です(・・・英語圏の人たちにはゴメンナサイ)