★「友達」から「恋人」への片道切符 ― さやか、冗悟の昔の失恋を問いただす★
冗悟:こんにちは、さやかさん・・・ようこそ「恋の向こう側」(the other side of love)へ!
さやか:恋の向こう側・・・あぁ、前回お別れの時に言ってたそのせりふの意味、今わかりました ― 恋に破れた人の寂しい短歌、って意味なんですね?
冗悟:そうだよ。それ以外の何か想像してた?
さやか:「恋愛」のもっと深~い部分までわたしを一緒に連れてってくれるのかと思ってました ― 17歳の女の子の想像もつかないような異次元の世界へ。
冗悟:それはそれでなかなか魅力的だけど、それをやっちゃったらこの詩的快楽の二人旅もおしまいだろうね。
さやか:そうなんですか?
冗悟:そうだよ。身体の喜びが度を過せば、頭の喜びはたいてい死んじゃうものさ・・・おっとっと、忘れるところだった ― 女性と「恋愛」について語り合う時には「慎重に」だったね。(第十七話参照)
さやか:「女子高生と一緒の時は」って前は言ってました・・・もしわたしが二十歳だったら? もっと大胆にオープンにお話できますか?
冗悟:君が実際二十歳になってからまた聞いて。
さやか:わかりました、そうします。その時には今日言ったことの責任、取ってくださいね、冗悟サン。
冗悟:前にも言ったけど俺、夢の中で言ったことには責任取れないよ。(第十九話参照)
さやか:わたしたち今、二人でおしゃべりしてます、夢の中じゃありません。
冗悟:俺にはまるで夢みたいだけど。
さやか:わたしたちの会話、そんなに素晴らしいですか、冗悟サン?
冗悟:会話は素晴らしいし、君はとっても聡明で美人だし、普通の男のどんな夢も及ばない夢だと思うよ。
さやか:冗悟サンは普通の男じゃありません。それに、わたしの宣言、もう忘れちゃったんですか? ― わたし、女の子としての魅力じゃなくって、わたしの内面の中心核で冗悟サンを引き寄せるつもりなんですからね、わたしの中でどんどん育って、たとえ若さは失っても決して損なわれることのないコアな魅力で、あなたを魅了してみせますから。(第二十話参照)
冗悟:あぁ、覚えてるよ。その君の中で常に瑞々しさを失わないコアの育成に、俺も協力する、って誓ったんだっけね。
さやか:覚えててくれてよかったです。じゃ、そろそろ「恋の向こう側」のお話、始めましょ?
冗悟:いいよ。もっともこの短歌の真のほろ苦さ、君にわかるとは思えないけど。
さやか:どうしてそう思うんですか?
冗悟:君は失恋したことがないから・・・だよね?
さやか:ありません。冗悟サンは?
冗悟:俺がいったい何年生きてきたと思う?
さやか:自分でも覚えてないほど長生きしてきたんでしょ? 自分でも数え切れないほど多くの失恋も経験してきたんですか、冗悟サン?
冗悟:一度で十分なことも世の中にはあるんだよ。向こう側の顔はどれもみな違うけど、こっち側に残るものはいつもだいたいおんなじさ。
さやか:どんな感じなんですか?
冗悟:君に教えてあげたいのは山々なんだけどね。
さやか:また「慎重に」なってるんですか?
冗悟:いや、ただうまい言葉が見つからないだけさ。
さやか:冗悟サンが「うまい言葉が見つからない」なんてうそでしょ? 「言葉」はいつだって冗悟サンの有能な手下じゃないですか。
冗悟:千万言費やしたって伝えきれるものじゃないんだよ、恋を失った時の心の痛み ― どれほど辛いか、どういう感じで痛むか ― は、ね。
さやか:それじゃ、「恋の向こう側」についてのこの会話はこれでもうおしまい・・・それで、いいんですか?
冗悟:うーん・・・わかった、それなら何とか言葉にしてみるよ ― 「できれば忘れたい;けど、どうして忘れられるものか・・・」
さやか:なんですか、それ?
冗悟:男が恋に破れた時に言う台詞。
さやか:どうして「忘れよう」とするんですか?
冗悟:思い出すと心が痛むからさ。
さやか:忘れちゃったら、「過去」はどうなっちゃうんですか?
冗悟:彼女と一緒に過ごした「過去」のこと?
さやか:はい。それ、記憶からサッと消しちゃえるんですか?
冗悟:いや、できないね・・・できればどんなにいいことか。
さやか:どうして彼女との過去を「消したい」なんて思うんですか? 彼女と一緒にいたこと、後悔してるんですか?
冗悟:いや、そうじゃない・・・それは確かに、自分の人生から永遠に消去したいような悔やまれる場面はいくつかあるよ、でも彼女と一緒にいたことを後悔なんてしてない・・・概して言えば、ね。本当に愛した女性でなけりゃ、自分の人生の一部になることを許すもんか・・・仕事の場合は当然、別だけどね。
さやか:(…)わたしとの今のこのおしゃべりって、「仕事」ですか?
冗悟:違うよ。何で聞くの?
さやか:べつに・・・お話、続けましょ。
冗悟:あぁ、いいよ・・・何の話だったっけ?
さやか:彼女と一緒にいたことは後悔してないけど、彼女のことを記憶からできれば消去したい、って思ってる・・・それは何故?
冗悟:思い出すと心が痛むからさ。
さやか:それ言うの二度目です。彼女のこと思い出すと、ほんとに痛いみたいですね。
冗悟:いつだってそうさ。
さやか:ずっと後になってからも? 他の女性と恋愛してる時でも?
冗悟:他の女に恋してる時は、たぶん、昔の彼女のことは忘れられると思うけど・・・でも思い出すたびいつだって心は痛むよ・・・失恋した直後ほどひどくはないけど、それでもいつだって、そこそこ、痛むものさ。
さやか:彼女のこと「消したい」ですか?
冗悟:あぁ、できることならね。
さやか:ただ単に記憶の中から消すんじゃなくて、彼女の存在を「抹消」したいですか、彼女がこの世から殺害されて消えちゃえばいい、って思いますか?
冗悟:そんなこと思わないに決まってるだろ・・・マトモな人間なら誰もそんなこと思わないさ・・・もっともこの世の中にはマトモじゃないイカれた男女も多いけど。
さやか:なら、彼女には生きててほしいですか?
冗悟:あぁ、当然だよ。
さやか:彼女には生きててもらいたい ― あなた抜きで? 他の男性と一緒に?
冗悟:うぅん・・・それは・・・
さやか:彼女には幸せになってもらいたいですか、不幸になってもらいたいですか?
冗悟:彼女には幸せな人生を送ってもらいたいよ。
さやか:彼女には、他の男性と一緒に幸せになってもらいたいですか? あなたと一緒じゃなくて?
冗悟:うーん・・・彼女には幸せになってもらいたい、俺がそこに居ようがいるまいが。
さやか:どっちがいいですか、彼女があなたと一緒に幸せに暮らすのと、彼女が他の男性と一緒に幸せに暮らすのと?
冗悟:それはもう前者さ、もちろん。
さやか:もちろん・・・でも、彼女の人生は今ではもうあなた抜きで生きる運命、あなたと彼女は別れちゃったんだから・・・そうですね?
冗悟:その通り。
さやか:あなたは今でも彼女に幸せになってもらいたいと思っているけど、今やあなたは「彼女を幸せにする権利」を失ってしまった・・・そうですね?
冗悟:その通り。
さやか:もしあなたが彼女を幸せにしてやれないのなら、もはやあなたには彼女と一緒にいる理由は何もない ― たとえ「記憶」の中でさえも・・・そういうことですね?
冗悟:うーん・・・たぶん、そういうことだと思う。
さやか:今までに、ある女性に恋して、恋に破れて、その彼女に失恋した後でもまだ時と所を共有し続けた経験はありますか、クラスメートとか仕事の同僚とかの形で?
冗悟:・・・たぶん。
さやか:「はい」か「いいえ」で答えてください。
冗悟:はい。
さやか:彼女と時と所を共有するなんてバカげてる、お互いどうしもう二度と人生を共有できない関係なのに、って感じましたか?
冗悟:あぁ、俺にとってはちょっとバツの悪い経験だったよ。
さやか:彼女のほうはどう見えましたか? あなたと同じくらい決まり悪そうに見えましたか?
冗悟:彼女のほうは至って自然に振る舞ってたように俺には見えたけどね。もっとも心の底でどう感じてたかはわからないけど。
さやか:彼女にはすでにもう新しい恋人がいましたか?
冗悟:どの「彼女」?
さやか:ぁ・・・どの女性でも。あなたは、昔の恋人たちよりも自分のほうが失恋からの立ち直りが早い、と思いますか?
冗悟:それは絶対ないね。俺はとっても立ち直りが遅い。立ち上がるのもかなり遅い方だけど。
さやか:そうだろうと思った・・・あなたは永遠にずっと彼女の「恋人」でい続けたいんですよ、彼女の「良いお友だち」としての自己イメージに作り替えればいいのに。
冗悟:彼女の良いお友達?
さやか:はい。同じ懐かしい日々の記憶をほんわかと共有する、良いお友だち。「彼女の恋人」から「彼女の良いお友だち」に変わること、あなたには不可能ですか?
冗悟:うーん・・・難しい、と思う。
さやか:昔の恋人たちと今も「友情」続いてますか? 彼女たちと今でも時々会ったりメール交換したり、してますか?
冗悟:その質問には答えずにおきましょう・・・後はご想像にお任せします。
さやか:わかりました・・・詮索しすぎて決まり悪い思いさせちゃって、ごめんなさい、冗悟サン。
冗悟:全然問題ないさ。君の好奇心は満たせたかな?
さやか:はい、ありがとうございました。なんだか、冗悟サンのことだんだんわかってきた気がします・・・というか、「男の人のこと」わかってきた、って言っていいのかしら?・・・冗悟サンにとっては、あるいは一般に男の人にとっては、「友情」と「恋愛」はとにかく両立しないもの、みたいな印象を受けました。ただのお友だちのままでいる間は女の人との友情も保てるけど、ひとたび彼女の恋人になったらもう、彼女との恋に破れた後で再び「お友だち」の立場に戻る道は残されていないみたい。それって、わたしにはすごくヘンな感じです。
冗悟:君は、昔の恋人の「良いお友達」になってる自分の姿、想像できるの、さやかさん?
さやか:もちろんです。せっかく人生の中で好きになった人のこと、わたし、一人も失いたくありません。記憶の中でも実生活の中でも。
冗悟:昔の恋人の結婚式に、「花嫁」じゃなく「招待客の一人」として列席することなんて、できる?
さやか:うーん・・・答えるのが難しい質問だけど、でも、はい、列席します。花嫁さんに決まり悪い思いはさせたくないけど、でも彼も彼女も私に結婚式への招待状を送ってくれたってことは、彼らの幸せを私にも祝ってもらいたいってことだろうから、私も心の底から祝福します。彼の奥さんになる女性ともわたし良いお友だちになりたいです、彼女がそれを許してくれるなら。彼らの子供たちにも会ってかわいがれたらいいなぁ、多少なりとも共通の縁で結ばれてる同じ家族の一員として。彼らの一人一人を自分の人生の大事な宝物として胸にしまっておきたいって、わたし心底そう思います。冗悟サンは、あるいは男性全般は、そうは思わないんですか?
冗悟:ああ、そうだろうね。女性についてもみんながみんなさやかさんみたいに感じるかどうか、俺には疑わしいけどね。
さやか:たぶんわたし、「友情」に関して貪欲すぎるんだと思います。
冗悟:あるいは「恋愛」のわがままさについてあまりにも知らなすぎる、のかもね。
さやか:たぶん。でもわたし、たとえ冗悟サンと別れた後でも、ここでのわたしたちの幸せな会話のすべてを「消去」しようなんて絶対思いません、そのことだけは確実に言えます ― わたし、あなたのこと絶対忘れません。
冗悟:もちろん ― 俺たちのこれは「知的な二人旅」・・・「恋愛」じゃないからね。
さやか:それはあなたの感じ方でしょ、冗悟サン。
冗悟:君はそれ以外の感じ方してるわけ?
さやか:その質問にはお答えせずにおきます・・・どうぞご想像ください。
冗悟:オッケー、想像させてもらうよ、それなりの思慮分別と慎重さをもって、ね・・・まぁ結局この短歌は「男向け」のもの、女性向けのものじゃなかった、ってことだね。
さやか:少なくともわたし向けじゃありませんでした。でも、そのお話をあなたと一緒にするのは面白かったです・・・というか、冗悟サンの過去について尋問するの、楽しかったです。
冗悟:楽しんでくれて、よかったよ。次回の作品は、俺たち双方にとってもっと楽しいやつだといいね。それじゃまた、さやかさん。
さやか:またすぐ逢いましょうね、冗悟サン。
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22)(題しらず)
かたみこそいまはあだなれこれなくばわするるときもあらましものを
「形見こそ今は仇なれこれ無くば忘るる時もあらましものを」
『古今集』恋・七四六・よみ人しらず
『今となっては、あなたが残して行った形見の品が、私にとっては仇敵のようなものです。これさえなければ、あなたのことを忘れる時もあるでしょうに、これがあるばかりにどうしてもあなたのことが忘れられないのです・・・それなのに、捨てられないのです、この形見も、あなたとの切ない思い出の数々も・・・』
The memento of broken love that she left behind
Has turned out to be the archenemy of my heart.
Forget her I could without it…
But how could I ever desert it?
かたみ【形見・記念】〔名〕<NOUN:a memento, token, keepsake, memory of love>
こそ【こそ】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(EMPHATIC)>
いま【今】〔名〕<ADVERB:now, at present>
は【は】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(TIME)>
あた【仇】〔名〕<NOUN:the enemy, adversary>
なり【なり】〔助動ナリ型〕断定(なれ=已然形係り結び)<AUXILIARY VERB(ASSERTION):certainly is>
…now [that I’ve parted from you] the souvenir [of the past love] has become my archenemy
これ【此】〔代名〕<PRONOUN:it, this>
なし【無し】〔形ク〕(なく=已然形)<VERB(NEGATIVE):be absent, nonexistent>
ば【ば】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(CONDITION):if, when>
…if it were not for this [reminder of my past loving memories]
わする【忘る】〔他ラ下二〕(わするる=連体形)<VERB:forget, get someone out of one’s mind>
とき【時】〔名〕<NOUN:the time, occasion>
も【も】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSIBILITY):may possibly>
あり【有り】〔自ラ変〕(あら=未然形)<VERB:be>
まし【まし】〔助動特殊型〕推量(まし=連体形)<AUXILIARY VERB(SUBJUNCTIVE)>
ものを【ものを】〔終助〕<INTERJECTION>
…there would be moments I could spend without remembering [the good old days I shared with you]
《katami koso ima wa ata nare kore naku ba wasururu toki mo ara mashi mono wo》
■「恋の形見」は男どものお気に入りのオモチャ■
統計的証拠で実証するのはなかなか難しいのだが、平安調短歌の「恋歌」の世界では、「男」と「女」の間で開きがあるように思われる ― 「もうじき終わりそうな恋愛」について語るのは「女」の仕事;「既に終わってしまった恋愛」について語るのは「男」の仕事、といった具合に。女性は「未来/子孫志向」なのに対し、男性は「過去/記念品志向」なのだ。
今日でもなお、女性の「恋愛話」は「現在」にかなり偏っているように思われる。女性が話すのは主として仲間内の誰かさんが今現在付き合っている(あるいは仲違いしている)男の話である。これに対して男性の方は、今現在の自分の恋人や妻のことをデレデレにのろけたりドロドロに罵ったりする場合はかなり少なくて、過去の恋愛について思い出して語ったり後悔してみせたりする場合がずっと多い。
以下の短歌はいずれも(当然のごとく)男の歌人が作ったものである:
《つれもなくなりぬるひとのたまづさを うきおもひでのかたみともせじ》『千載集』恋・七八二・藤原長能(ふじわらのながよし) つれもなくなりぬる人の玉章を 憂き思ひ出の形見ともせじ(今はもう私に対して冷たくなってしまったあの人からかつてもらった手紙の数々を、辛い思い出の形見・・・になんてするものか!)
・・・最後の最後でこの男性は、過去にこだわらない決意を固めている;が、言い換えてみればこれは、過去からの決別を果たすためにはそれほどまでに断定的な決意表明が必要だった、ということである・・・この男がそれらの手紙を相変わらず大事に取っておき、時々取り出しては悲しい過去の思い出に溜息つくことだって、「ない!」とは誰にも言えないのだ。
《わかれてはかたみなりけるたまづさを なぐさむばかりかきもおかせで》『千載集』恋・八五四・久我通基(こがのみちもと) 別れては形見なりける玉章を 慰むばかり書きも置かせで(お別れした後に残される形見とも言うべきものが、あの人からもらった手紙の数々・・・それも、懐かしく取り出して気持ちを慰めるほどの数すらももらっていないなんて、何とも悲しい限り)
・・・「愛情の欠如」は恋の最中の女性にとっては由々しき問題だが、その恋も終わってしまえば、女性にとってそれは全く何の問題にもならなくなる。然るに、過去の恋愛に対するこの男の態度の違いを見よ!・・・「この男、彼女のことをもっと優しく慰めてあげればよかったのに、自分が受け取った手紙の数の少なさを嘆き悲しんでるなんて、サイテイ! 彼女からの手紙の数の少なさは、過去志向のこの男のしょーもない愛着の自業自得の結果だわ」・・・と、この詩を見たら女性はそう言うだろう;それはわかっている ― それはわかっているけれど、男はそれでも、過去を振り返っては、虚しい記念品を見て嘆き悲しまずにはいられないのである。
実際の会話相手の提供はしませんが、「さやかさん/冗悟サン」との知的にソソられる会話が出来るようにはしてあげますよ(・・・それってかなりの事じゃ、ありません?)
現時点では、合同会社ズバライエのWEB授業は、日本語で行なう日本の学生さん専用です(・・・英語圏の人たちにはゴメンナサイ)