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ある日、エヌ氏がテレビをつけると、鼻で絵筆をくわえたゾウが、カンバスにむかって何かかいていた。できあがったものをみると、ピカソの描いた絵のようでもあり、幼稚園児の書いた字のようでもあった。どっちだろうとエヌ氏が頭をひねっていると、テレビの中で司会者が「これはゾウの自画ゾウですね」と言った。言ってから一人でゲラゲラ笑っているところをみると、どうやらダジャレのつもりらしい・・・が、どう見てもそれは象の自画像には見えなかった。
ここでエヌ氏はふと思った ― 「象の姿を描いたものなら、それは<画像>であると同時に<象形文字>ではないか!」
(われながら理知的な発想だ!)とエヌ氏は自画自賛したが、客観的に見てこれは先ほどのテレビ司会者の「ゾウの自画ゾウ」と大差ないような気がする・・・それはそれとして、エヌ氏はさらに自らの頭の中で、言葉遊びをエスカレートさせた ― 「象の自画像」⇒「象の自我像」⇒「有象の自我像」⇒「無象の自我雑」⇒「像の自我増」⇒「憎悪のギガ増」・・・
象形文字とは面白いもので、こうして似たような音や形を持つ言葉をあれこれこね回しているうちに、エヌ氏の想像の中で何か新しくおかしなものがだんだん形を成しつつあった・・・が、絵柄と字面がこんがらがって、先ほどのゾウ画伯の作品みたいに、何がなにやらわからない感じになってきたので、エヌ氏はひとまず頭の中のカンバスに背を向けて、何か関係ないことをボーッと考えることにした ― 昔、星新一が「一見まるで関係ないもの、正反対のものどうしの結びつきから、優れたアイデアは生まれる」みたいなことを書いていたのを思い出したのだ。
「そういえば、星新一に、ゾウが出てくる話があったなぁ、なんだったっけ?」
それは『友を失った夜』と『服を着たゾウ』という物語だったが、エヌ氏はそのタイトルを思い出せなかったので、インターネットで「星新一 ぞう」で検索してみた。検索結果の中に『服を着たゾウ』の文字列を発見したエヌ氏は(あぁ、そうだそうだ、「お前は人間だ!」と人間に催眠術かけられたゾウが「人間らしい振る舞いとは何か?」を真剣に考え誠実に実践するうちに人間以上に人間らしくなって人間相手の商売で大成功を収めて大金持ちのゾウになる話だった)と即座に思い出して納得したが、いくつか並んだ『服を着たゾウ』の下に、エヌ氏としてはいささか納得しかねるヘンな文字列があった ― (いわく)<第4回 日経「星新一賞」公式ウェブサイト・・・理系的発想からはじまる文学賞>
・・・?「<理系>的発想からはじまる<文学>賞」?・・・
一見、対立的概念を並べたように見えるこの文言も、エヌ氏には、さっきの「ゾウの自画ゾウ」なみの出来の悪いギャグに思えた ― ゾウが自らの絵を描けば、当人(あるいは当ゾウ)が「これは私の<自画像>です!」と言い張っても自動的に「それが<象形文字>というものです!」と言い返されてしまうように、ハイテクだらけの今の世の中を舞台に「文学」を書けば、それは自動的に「理系」の物語になってしまうのではないか? だとすれば「<理系>的発想からはじまる<文学>」って何だ? 「<文系>の<文学>」とどう違うんだ? 人と人との対立葛藤の心理描写だけから成り立つ物語が「<文系>文学」か? だが、その対立し合う人たちのトゲトゲした気持ちの根っこの部分を掘り下げてゆけば、人を人とも思わぬ出来損ないの機械文明がもたらす日常的ストレスの蓄積と人間性の永続的劣化現象がある・・・そう考えれば、今のこの世の中で「<文系>文学と<理系>文学の線引き」なんて、出来ないんじゃないのか?
エヌ氏は、少年時代に星新一を読みまくって育った(職能的には「文系」の)物書きだったので、テクノロジーの進歩を手放しで礼賛するような種類の人々を斜め上から見下すようなところがあった・・・「進歩/退行」、「科学/迷信」、「優等/劣格」、「恩恵/危害」、「道徳/悪徳」、「上品/下品」、「大人/子供」、「人間/動物」、「宇宙人/地球人」、「正義/邪悪」、「加害者/被害者」、一見まるで正反対のものどうしの間に杓子定規な線引きをしてそのどちらか一方に肩入れ&安住するのは(論理的・倫理的・現実的に見て)間違いの元だし、(文学的に言えば)優れたアイデアが生まれる妨げにもなる ― それが、星新一の幾多のショート・ショートや随筆がエヌ氏に教えてくれたこと ― それだけに、「文系」と「理系」の間に(エヌ氏にとっては不可解な)一線を引いて(「星新一賞」の名の下に!)「<理系>的発想からはじまる<文学>賞」を選ぶという人たちが、「象の自画像」と「象形文字」の線引きをどう演じてみせるのか、エヌ氏としては、ムラムラと(少々意地悪な)興味がわいてきた。
「よおし、それなら、ちっとも<理系的>じゃないけどとっても<星新一的>な<純文系的>(だけど<純文学的>じゃない)物語を書いて、送り付けてやろう ― <理系>と<文系>の間に<星新一賞>選考委員の面々がどう線引きするのか、見せてもらおうじゃないか!」
実際には「線引きも何もなしにあっさり読み飛ばされて落選するのがオチ」という程度の文学賞に関する世間知も当然備わっているエヌ氏ではあったが、読み飛ばされて落選したって、べつにどうってことはない。一万文字程度の小話を、勝手知ったる星新一タッチで、特別な取材努力もせずに頭の中のイメージだけで書き上げる執筆活動なんて、エヌ氏にとっては「ゾウ画伯の自画像描き」も同然の手軽い芸当だったからだ(もっともそれは人生で一回きり、二度とは出来ない芸当だろうから、千回以上やってのけた「星新一のマネ」と言うのもおこがましい話だが)・・・まぁ、その出来ばえもまた「出来損ないのピカソ絵」か「幼稚園児の手習い」みたいな代物かもしれないが、それはこの際どうでもよかった。要するにこれは、「<星新一的>なるものとは何か?」に関するエヌ氏の純私的な心の自画像なのだ。自画像は描くことそのものに「描き手にとっての意味」がある。「描き手以外の誰かさんにとっての意味」なんてどうでもいい。「象の絵」だろうが「象形文字」だろうが、「理系」だろうが「文系」だろうが、見た人がそれをどう形容・評価しようともそれはそれで正解であり不正解であって、どっちにせよそんなこと、描き手/書き手のゾウ画伯ことエヌ氏自身にとっては、本当に、どうでもいいことだったのだ・・・
・・・が、どうやらそのエヌ氏の小品《OV元年》は、「第4回 日経<星新一賞>選考委員」の面々の目には「理系のピカソ絵」に見えたらしい。エヌ氏のもとには、予想外の賞金100万円と「星新一賞グランプリ受賞作家」という嬉しいタイトルが転がり込んできた。前者はすぐにも何やら怪しげな用途に消えてしまいそうだが、後者は一生モノの王冠として、エヌ氏のゾウみたいに毛のない涼しい頭の上に燦然と輝き続けることだろう・・・ただ、その「星新一賞受賞作家」という魔法の勲章のせいで、今後「例の《OV元年》みたいな近未来SFふうショート・ショート書いてください。字数は少なめ、原稿料はお安めでお願いします!」みたいな依頼が舞い込んできたら困るなぁ、というのが、目下のエヌ氏の心配のタネである・・・まぁ実際には(今のこの出版不況の御時世に)そんな心配は杞憂というものだろうが、《OV元年》がグランプリ取っちゃうような思わぬ偶発事件も現に起こっているだけに、所詮は毛がない、じゃなかった、しがないゾウ画伯のエヌ氏としては、ここらで一発、自己弁護の伏線を張っておく必要がありそうだ・・・
お後がよろしいようで。
「肩の上の秘書」(in『ボッコちゃん』)
「妖精配給会社」(in『妖精配給会社』)
「ささやき」(in『おせっかいな神々』)
「鏡」(in『ボッコちゃん』)
「エデン改造計画」(『午後の恐竜』)
「儀式」(in『マイ国家』)
・・・蛇足ながら申し添えておくが、これら星新一の傑作たちをただ読んでマネしたからって「星新一賞」がもらえるような「理系的発想からはじまる文学」が書けるとは限らない。大事なのは(幼年期の星新一作品への没入による)「精神的DNAの仕込み」なのである。それさえあれば後々の人生で「星新一賞」が取れるような物語が書ける、とは言わないが、星新一的メンタルDNAを幼年期に組み込まれた人間が一定数以上存在すれば、地球人類に《OV元年》は決して訪れないであろうことだけは、保証してもよい>
*参考資料1)[日経 星新一賞]公式サイトより
> その中には、理系的な発想力によってつくられた物語が数多くあります。
> 「理系文学」ともいえるそれらの作品は、文学としての価値のみならず、現実の科学をも強烈に刺激してきました。
> すぐれた発想は、いまもまだ読み手の心をくすぐり、次なる発想を生みだしているのです。
> 今、日本に必要なのはこの圧倒的想像力。
> 我々は「理系文学」を土俵に、アイデアとその先にある物語を競う賞、
> 日経「星新一賞」を開催します。
*参考資料2)上でさんざん「理系/文系の線引きなんて、ナンセンス!」とか書いておいてこう続けるのもアレではあるが、「星新一賞受賞作家」の先輩として、この賞への応募を真剣に考える後輩諸君のために(&別の文学賞に送ったほうがよさそうなヘンテコ原稿読まされる選考委員の苦労を減らすためにも)、<之人冗悟(のと・じゃうご)おすすめの(たぶん「理系的」と呼べる)星新一傑作選>を参考までに掲げておくのも、悪い考えではないと思う(『文庫本名』とページ番号は、この筆者が夢中になって読んだ当時の新潮文庫のもの)
・・・賞取りたい人も、ただ単に面白い読書体験がお望みの人も、ぜひ御一読(or御再読)あれ:
『ボッコちゃん』より:
<ゆきとどいた生活>P.169
<肩の上の秘書>P.217
『ようこそ地球さん』より:
<殉教>P.347
『悪魔のいる天国』より:
『おのぞみの結末』より:
『マイ国家』より:
<調整>P.63
<夜の嵐>P.69
<首輪>P.212
<宿命>P.220
『妖精配給会社』より:
<ひとつの装置>P.141
<遠大な計画>P.168
『宇宙のあいさつ』より:
<治療>P.172
<繁栄の花>P.266
『おせっかいな神々』より:
『ひとにぎりの未来』より:
<進歩>P.148
<番号をどうぞ>P.159
<ある建物>P.175
<はい>P.241
<フィナーレ>P.285
『だれかさんの悪夢』より:
『さまざまな迷路』より:
『かぼちゃの馬車』より:
<確認>P.97
<新しい遊び>P.163
『盗賊会社』より:
<仕事の不満>P.94
<夕ぐれの行事>P.179
・・・この他、「(インターネットはおろかパソコンも普及していない時代に)あり得べき未来の対人関係のありよう」として今や既に現実に(&問題に)なっているSNS社会を予見した「理系的」作品として:
なんてのもあります・・・が、「日経<星新一賞>」は、その種の「手っ取り早くカネに結び付く<実現可能な理系的サービスの元ネタ>」を(協賛企業に名を連ねている日本の会社の開発部門が実際に商品化してお金儲けするための参考資料用に)掻き集めるための口実として用意されているわけでは、ないでしょう・・・だって、もしそうなら、そんな「金の卵を産むニワトリ」とも言える理系的アイデアを「文学賞」の名の下に(膨大な研究開発費がかかるはずのネタをタダ同然で!)一般人の想像力の中からちゃっかり拝借しちゃおう、なんてマネは(天下の「日経」や名だたる日本の協賛企業連ともあろうものが)コッ恥ずかしくて出来っこないでしょうからね(・・・ね?)
*参考資料3)当人自身「現代の寓話(=現実離れした舞台設定で、人生の処世訓をさりげなく教えるイソップ物語ふうのお話)」を創作上の理想の一つとして思い描いていた星新一の作品(・・・但し、彼の理想の寓話とは「寓話になっている」ものであって「寓話にしている」ものではない:⇒<SFと寓話>『きまぐれ暦』p.218)には、「寓話的」だけど「理系的」ではない物語もたくさん出て来るわけで、その種の「ファンタジー」や「文明批評」の辛口風味ももちろん「星新一的」ではあるのだけれど、そうした作品群はおそらく<日経「星新一賞」>の主催者側が言うところの『「理系文学」ともいえるそれらの作品は、文学としての価値のみならず、現実の科学をも強烈に刺激してきました。』の対象からは外れる(・・・と この筆者は考える・・・)ので、以下に示すような「<非理系的>星新一傑作集」は、「物語のhub(ハブ=放射線構造の中心)」ではなく、ややもすれば機械的で単調になりがちな理系構造物としてのSF物語が読者を飽きさせるノッペラボウな代物に陥らぬよう「端々にちりばめられた破風(はふ)」として、そのピリ辛なケレン味で読者の「人間的(≒文系的)感性」を刺激する隠し味として用いるよう心掛けることで(物語作者的にも星新一賞選考委員的にも)おのぞみの結末に近づける・・・といいんじゃないか・・・とこの筆者は推測する;ので、上に示した「理系的」物語ともども、「星新一って何者か?」を感じ取るためにも(ここで紹介する123編ぜ~んぶ)読んでみてはいかがでしょうか?:
『ボッコちゃん』より:
<月の光>P.43
<生活維持省>P.87
<鏡>P.124
<闇の目>P.176
<波状攻撃>P.203
<プレゼント>P.213
<欲望の城>P.263
『ようこそ地球さん』より:
<不満>P.83
<待機>P.130
<空への門>P.148
<霧の星で>P.164
<蛍>P.191
<愛の鍵>P.211
<小さな十字架>P.215
<探検隊>P.249
<最高の作戦>P.254
<テレビショー>P.263
<開拓者たち>P.272
<復讐>P.282
<処刑>P.301
『ボンボンと悪夢』より:
<囚人>P.112
<宇宙のネロ>P.141
『悪魔のいる天国』より:
<ピーターパンの島>P.85
<もたらされた文明>P.140
<相続>P.228
『おのぞみの結末』より:
<要求>P.167
『マイ国家』より:
<語らい>P.61
<商品>P.162
<友情の杯>P.183
<雪の女>P.198
<服を着たゾウ>P.248
『妖精配給会社』より:
<分工場>P.186
<春の寓話>P.221
<友だち>P.244
『宇宙のあいさつ』より:
<危機>P.49
<気まぐれな星>P.59
<宇宙の男たち>P.81
<その夜>P.143
<景品>P.199
<適当な方法>P.217
<タバコ>P.244
<奇妙な社員>P.298
『午後の恐竜』より:
<契約時代>P.25
<午後の恐竜>P.35
『白い服の男』より:
<悪への挑戦>P.43
『妄想銀行』より:
<さまよう犬>P.92
<女神>P.94
<海のハープ>P.102
<鍵>P.117
<古風な愛>P.151
<黄金の惑星>P.177
『おせっかいな神々』より:
<マスコット>P.77
<保護色>P.106
<箱>P.129
『ひとにぎりの未来』より:
<はじまり>P.78
<破滅の時>P.188
<平和の神>P.256
『だれかさんの悪夢』より:
<きっかけ>P.125
<飛躍への法則>P.242
『未来いそっぷ』より:
<やさしい人柄>P.109
<ある夜の物語>P.197
<たそがれ>P.255
『さまざまな迷路』より:
<出口>P.178
『かぼちゃの馬車』より:
<虚像の姫>P.20
『エヌ氏の遊園地』より:
『盗賊会社』より:
<最高のぜいたく>P.168
<助言>P.190
『夜のかくれんぼ』より:
<はじめての例>P.111
<一家心中>P.136
<幸運の公式>P.270
・・・こんどこそホントに、お後がよろしいようで。
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・・・とか言いつつさらにまた、「その筋のプロ」の方々への挑戦状をば、もう一つ・・・
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そもそもその「Noto Jaugoって何者?」って疑問が浮かんだ人は、
こちらまでどうぞ⇒https://zubaraie.com project@notojaugo.com
(10500字・・・制限字数オーバーにつき、落選?)
…以上は、第4回グランプリ(『OV元年』)作者のひとりごと
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