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日経「星新一賞」(第1~4回)グランプリ受賞作のマジメな詳細分析

====「日経 星新一賞」(一般部門)第1回~4回
歴代グランプリ受賞作のマジメな詳細分析====
by 第4回グランプリ『OV元年』作者 之人冗悟(Jaugo Noto:のとじゃうご)

 グランプリ取っておいてこんな告白するのも恐縮だが、自分は「日経星新一賞」については何一つ予備知識もないまま(ネットで見つけてただ何となく)自分が考える「星新一らしさ」満載のショートショート(処女作)一本書いて送っただけ。しかもその「オチ」がブザマにコケて失敗作に終わる恐怖に駆られて、『OV元年』の執筆&投稿直後(2016年9月23日)から、星新一賞グランプリ内定の電話報告(2017年1月31日)に至るまでの4ヶ月間、この作品のことは完全に意識の中から消し去っていた。WEB上で発表される中間審査通過作品中に自分の拙作が含まれているか否かの確認もせずに(オバケこわさにフトンにくるまって目をつぶるチビっ子みたいに)「星新一賞そのものを完全に無視」していたのである。

 そんな無為無策というか泰然自若の無手勝流だったからこそ、「<理系的発想>から始まる文学賞」という文言にとらわれることなく自由奔放に書いた「<理系的発想>はともかく<星新一的興趣>だけは豊かな作品」でグランプリに手が届いたのだと思う・・・実際のところ、今回に先立つ過去3編の星新一賞グランプリ受賞作品の「傾向と対策」の検討作業から始めていたとしたら、その3作品が生真面目に撒き散らす「バリバリの理系っぽさ」に頭を掻いてこの賞を疎遠に感じ、「純文系(というか非理系)の物書き」の分際でグランプリ受賞することはなかったばかりか、作品執筆&投稿の気概すらも失せていたことだろう。

 そんな自分が今年度の(自分以外の)入賞者たちの作品を拝見したのは、授賞式前々日の2017年3月10日・・・これに先立つ過去3回の日経星新一賞入選作品群については、3月12日の授賞式終了後かなり時間が経ってから(「グランプリ受賞の感想文」めいたものを書く必要に迫られた際に)これまでの各年度の「グランプリ受賞作のみ」ざーっと読んで「星新一賞全体の流れの中に於ける『OV元年』の位置付け確認作業」をさせてもらっただけ・・・それほどまでにモノグサというか研究不熱心なこの之人冗悟が書く「星新一賞グランプリ4作品の傾向と対策」に、来年度以降の応募者にとって読むべき効用が宿るとすれば、それは「<理系ならざる者>ならではの岡目八目の客観的視座」ということになるだろう。

 そういう「純文系(純文学系ではない単なる非理系)の傍観者的視点」で眺めてみた場合、(一般部門グランプリ以外の入選作についてはいざ知らず)各年度で頂点に立った作品に関して見ると、当然の事ながら、その根底には「理系的であること」以上の「隠れた訴求点」というか「文学的・文芸的・文明論的な潜在的メッセージ」が(かなり判り易い形で)存在するのが見て取れる。「理系の衣」で包み揚げしてはあっても、「理系文学」を美味たらしめる決め手はやっぱり「ゴテゴテと説明的な(読者の大脳皮質の勉学的緊張を伴う)科学的能書き」ではなく「読者の心に直接訴え掛け情緒的興奮を呼ぶ人間的(≒文系的)隠し味」の方なのだ。その「理系の天ぷら粉」と「文系の具材」とのバランスがかなり「理系寄り」に傾いていた第1&2回のグランプリ受賞作に比べて、第3回では少々「センチメンタリズム」というか「男のロマン」というかとにかく「文系的」な方向へとシフトした感がある・・・そこへ更に追い打ちを掛けるように今回の之人冗悟の(非理系的)拙作『OV元年』がグランプリ取っちゃったわけだから、これはもう、生真面目に「表面的な理系っぽさ」の追求に走り過ぎて「文学的面白味」との均衡を喪失した作品よりも(多少理系っぽさに欠けてはいても)「星新一的な物語の面白さ」を前面に押し出してグイグイ読者を引っ張る作品が欲しい、という日経星新一賞選考委員の面々からの「<理系文学>に恐れをなして応募をためらっている潜在的入選者候補の<文系物書き諸氏>へのラブコール」とみなしてよいのではないか、という気がするのである。

 その反面、第3回・第4回と立て続けに「文系的興趣」に軍配を上げてしまったことへの反動から、次回の「第5回日経星新一賞」の選考過程では「理系らしさ」の再評価が行なわれる(=文系作者にとってはシンドイ年度になる)可能性も、十分あるだろう。このあたりは大学入試問題と同じことで、「難題が多すぎて受験生のハードルを上げてしまった(平均点の低い)翌年度の問題は<軟化>/安易な出題で受験生のハードルを下げ過ぎてしまった(平均点の高い)翌年度の問題は<難化>」という「難軟シフト」が潮汐流のごとく寄せては返すのがこの種の「選考試験」の常なのだから、2年連続で「(文系寄りの)エンターテインメント的訴求力」に流れすぎた反動で、来年度のグランプリには「(バリバリ理系の)科学的説得力」が売り物の作品が選ばれたとしても、それは自然な流れというものだろう・・・が、そんなこと言われたって「自分には文系的物語しか書けない」という作者にはどうしようもないことだし、「理系的知識は豊富だが文芸的な筆の冴えの持ち合わせはない」という人の書いた説明口調のクドい単調文物が入選する可能性もあり得ないわけだから、まぁあんまりこの種の「文理潮汐流」について気にしすぎる必要はないだろう。気に掛けるべきは「理系の衣よりも文系的具材の旨味」であって、「外側を包む理系の天ぷら粉」の配分が「肝心カナメの文系的メッセージ」の「引き立て役」として佳い味を出せるように(&勘違いして「主役ヅラ」してのさばることのないように)心掛けて書くこと・・・「日経星新一賞入選の心得」としては、その程度の事で、よいのだと思う・・・そもそもが「予想を裏切る意外な結末」が持ち味の「星新一」の名を冠する文学賞だけあって、この賞では選考委員の顔ぶれも毎年変わるし、その専門分野(≒作品の評価に直結する「個人的好み」)も意図的にバラエティに富む形にしてあるのが「日経星新一賞」のユニークなところで、有り体に言えば、「傾向と対策」がほとんど意味を為さない「先の読めぬ意外性満載の文学賞」なのだから・・・その事を、グランプリ受賞してから今更のように実感したこの呑気な第4回星新一賞受賞作家の言う事を、正しい助言と見て自分なりの「星新一っぽい力作創り」に励むか、研究不熱心な文系野郎の無根拠な世迷い言として退けて「理系らしさの追求」に走るか、それは、以下の「(一般部門)グランプリ受賞作の具体的検証報告4連発」を読んでから、各人各様に自己決定していただきたい・・・(以下、敬称略)

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第1回(2013年度)日経星新一賞グランプリ『「恐怖の谷」から「恍惚の峰」へ ~その政策的応用』(遠藤慎一)
★表向きの「理系」性★
折れ線グラフ・棒グラフ・大脳活性域色分け図・数値評価対照図等の「理系的グラフィックス」を駆使した「科学論文そのもの」の形式で(旧人類である生身の人間の)対人的好感度/反感度発生のメカニズムを(新人類である人工知能が)理知的に解明している。
■「文系」的隠し味■
人が他人に対して抱く印象について ― 恐らくは作者自身の個人的対人感覚の反映であると同時に(ある程度以上の知性水準を持つ)読者全般にも通底する感覚であると思われる ― 以下の「反感・好感の5つのレベル」を述べる上で、「ノベル」でも「エッセイ」でもない「<生身の人間>相手の実験観察を<人工知能>がまとめたレポート」という「理系SF」の形式を採ることで、「独断的随想」としてのそしりを招くことなき玄妙な説得力を生み出している:
1)「自分より極端に劣っている」と感じた相手は、「取るに足らぬ無意味な存在」として無視する(ので、好感・反感の対象外となる)
・・・作品中に特定の用語がないので之人冗悟ふうに自作すれば”下賤の崖下(げせんのがいか)”とでも言うべき状態
2)「自分に近いが、明らかに自分より劣っている」と感じた相手が自分に向かって健気に歩み寄りを示す場合は(自らの優越感を満たしてくれる相手への御褒美として)高い好感度を示す
・・・これまた作中に用語が定義されていないので之人冗悟自作フレーズで評すれば”満悦の裾野(まんえつのすその)”とでも形容すべき状態
3)「自分とは違う」・「自分より劣っている」と感じていた相手の知性や行動様態が「違うくせに、なんとなく自分に似ている(あるいは、自分を超えつつある)」と感じた場合は、薄気味悪い存在として、恐怖に近い反感を募らせる
・・・作品タイトルの一部を成す”恐怖の谷”の状態
4)相手の異質性への違和感や反感(”恐怖の谷”)も、「あぁ、この相手は自分とは全然違う、自分はこの相手にはどうしたって敵わない!スゴい!こいつはまるで<神>だ!」と感じさせる水準まで飛び抜けてしまうと、畏敬に近い好感(あるいは崇拝)に変わる
・・・作品タイトルのもう一つの柱”恍惚の峰”の状態
5)「優越者への陶酔的好感度(”恍惚の峰”)」も、「相手の凄さ」が度を越してしまい「極端にスゴすぎて、何がなんだかワケがわからず、もうついて行く気も起こらない」という当惑を生じる段階まで突き抜けてしまうと、「自分には無関係・無意味な存在」として、「恐怖に近い反感(”恐怖の谷”)」とも「恍惚的・崇拝的好感(”恍惚の峰”)」とも無縁の ― 極端に劣った相手への侮蔑的無関心(”下賤の崖下”)と同種の ― 「完全なる無視(=好感・反感の対象外)」の反応へと戻ってしまう
・・・またまた作中にない決めフレーズを之人冗悟ふうに自作するならば”超俗の虚空(ちょうぞくのこくう)”とでも呼ぶべき状態
★グランプリ受賞の決め手★
「理系的発想から始まる文学賞」&「人工知能による応募も可」という「日経星新一賞」の募集規定を(その第1回目ということもあって)真正面から文字通り受け止めて生真面目に投げ返して来た「ド直球&ド真中」のバリバリの理系性横溢の作品・・・でありながらも(グラフ多用の理系的外観だけで恐れをなして敬遠さえしなければ)意外とスラスラ読めるエッセイ風味の(良い意味での)ミスマッチ感覚が、(当然ながら知性水準の極めて高い)選考委員の面々の「好感のツボ(≒恍惚の峰)」にハマったのだろう・・・が、その「バリバリの理系的外観」は、下手すれば(当然ながら”非理系的”で知性水準は決して高くない)一般人にとっては「反感のツボ(≒恐怖の谷)」あるいはそれを超えた「完全無視水準(≒超俗の虚空)」へとストレートに消え去ってしまう危険性も高い、という事実を認識可能な知的水準の高みに身を置く審査員の面々にとっては、この作品を「記念すべき第1回グランプリ作品」に選ぶことによって「日経星新一賞」自体が「理系人種ではない一般人にとっての<恐怖の谷>or<超俗の虚空>のブラックホール」へと一気に吸い込まれてしまうことを危惧する雰囲気もまた当然生じたであろうこと、想像に難くない「問題作」ではある。
☆審査員の参考意見☆

『・・・ただ、この論文スタイルが今後の賞の方向性を決めるものではないことを付言しておきたい。』(朝倉啓)
『科学論文形式の斬新さを買う一方、科学用語や記号がほとんど説明抜きで提示されることへの違和感をどう見るかで評価が変わる。』(滝順一)

・・・「<理系的発想>から始まる文学賞」という謳い文句と「人工知能による創作物も募集対象とする」という風変わりな設定で話題を呼んだ「星新一賞」の初回だけに、「これほどまでに<理系的な書き方>をしないと評価してもらえないのか?!」という一般人の当惑を招いてこの賞自体が<超俗の虚空>へと消え去り無視される危険性を審査員諸氏が真剣な危機感を抱きつつ喧々囂々論じ合ったことを窺わせる寸評である・・・とかく「自らの独自な個性の主張」よりも「他の誰かが醸成したその場の雰囲気への迎合」に走って点数稼ぎ&責任逃れしたがる日本人全般の何とも薄っぺらい金太郎飴的横並び体質を思えば、「うーん・・・困ったなぁ・・・面白いんだけど、これを第1回グランプリ作品として世間に触れ回って、いいのかなぁ?・・・今後こういう<表面的な理系っぽさ>を言い訳がましくクドい説明口調でまくし立てる世間離れした作品一色に塗りつぶされちゃったら、<日経星新一賞>自体がブラックホールの彼方に消滅しちゃいそうだしなぁ・・・」といった感じで悩みまくる選考会場の空気感までありありと伝わって来て、受賞作と選者の寸評の絶妙なコンビネーションプレイがなんとも実に面白い。

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第2回(2014年度)日経星新一賞グランプリ『次の満月の夜には』(相川啓太)
★表向きの「理系」性★
サンゴのDNA構造解析と遺伝子組み換えにより二酸化炭素固定能力を強化した新種を生み出して、二酸化炭素排出権取引(=地球温暖化ガスを撒き散らす「有害な企業活動への罰金」として高額な「環境汚染料」を支払わせる国際的取り決め)の経済的負担に悩む企業への売り込みを図る、という、いかにもありそうな現実味を帯びた仮想理系ビジネスの舞台裏の科学的解説が全文の大部分を費やして行なわれている。
■「文系」的隠し味■
あまり「文系的」というか「文学的」な趣を感じさせる作品ではないが、科学のメスで自然界のバランスを身勝手に切り刻んだ人類の愚行が(人類にとっては自業自得/他の生命体にとっては巻き添えの形で)「変異体サンゴの異常増殖による二酸化炭素の枯渇が招く地球上の炭素循環サイクルの崩壊による地上の全生命体死滅の危機」を招き、もはや逃れられぬと思われた破滅の土壇場で、問題の変異体サンゴを食い荒らす「害獣」たちが(異常増殖した変異体サンゴというエサの潤沢さゆえに)これまた異常増殖して「破滅のサンゴ」を減らす「救世種」の役割を演じてくれたおかげで、愚かな人類はその愚挙の当然の報いとしての絶滅を、辛くも免れる・・・が、最後のオチの部分では今度はまたその「害獣、転じて救世種」の異常増殖が新たな環境激変破滅劇の主役として不気味な存在感を放ち始める・・・という、「浅はかな人智」と「自然の営為」との皮肉な対比を描いている点が、「科学という強力で危険なオモチャを手に我が物顔でやりたい放題の幼稚な人間どもよ、思い上がるなよ、自然の力の前にはお前らなんざちょっとばかり<進化したサルたち>に過ぎぬのだぞ」という(言い古されてはいるが、それだけに普遍的メッセージ性の高い)警鐘を鳴らしている。
★グランプリ受賞の決め手★
「文学的興趣」には欠けるものの、今すぐにも現実化しそうな「暴走する科学の行き着く破滅的結末」への警鐘としての「学術的説得力を感じさせる理系っぽさ」が評価されたのだろう。
☆審査員の参考意見☆

『・・・どうしても説明が多くなる弱点が生じる。アイデアをストーリーに折り込んでさりげなく舞台背景をわからせる工夫が必要。』(谷甲州)
『しっかりした科学的事実に基づき構成された安定感のある作品です。地球温暖化という現代的なテーマを扱い、科学の暴走の危険性を取り上げたのは秀逸だと思いました。こうしたことがありうるのか、科学論争にもなりそうです。』(滝順一)

・・・「ゲノム解読」や「遺伝子組み換え」の招く環境激変の危険性というのは「非理系の一般人」にとっても耳タコの日常的話題だけに、「よく聞く話だけど、実際のところ、どうなんだろう?」という知的興味のツボには上手くハマっている作品だが、テーマとしては新鮮味に欠けるだけに、どうしても「理系的解説の真実味」が最大の評価点となる・・・が、そうした「理系的解説」が前面に出しゃばり過ぎれば「読み物としての面白味」が背後に押しやられる・・・そんな二律背反の構造的弱みを抱えた「理系文学」の難しさを、奇しくも如実に物語る形となった作品のように思う。

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第3回(2015年度)日経星新一賞グランプリ『ローンチ・フリー』(佐藤実)
★表向きの「理系」性★
廃棄された宇宙エレベーターのケーブルを使って高度100kmの宇宙域まで人力自転車(クライマー)で昇る、という一見無謀な冒険が「科学的に可能」であることを解説する記述が全文の大部分を費やして行なわれている。
■「文系」的隠し味■
超人的頭脳と体力と勇気を持った「選ばれし冒険者(the Right Stuff)」の一人として宇宙飛行士を目指すストイックな生き様を貫いていた男が、「どんな凡人でも簡単に地球外領域へ行ける宇宙エレベーターの実用化」という技術の進歩によって「時代遅れ」にされてしまう ― 星新一の『空への門』の主人公を念頭に置いた ― あっけない悲劇の「後日談」という形で、「時代の流れに取り残された旧世代の捨て難き情念のドラマ」を情感たっぷりに描いている。
★グランプリ受賞の決め手★
一般人には到底不可能に思える「人力クライマーでの宇宙域到達」を「合理的判断」により可能にしてしまった主人公の男は、「感情に流されず冷静沈着な計算と機敏な判断で動く理系人間」の極致(≒人間コンピュータ)とも言える存在・・・なのに、その男が最後の最後に下した「極限状況下での<最も合理的な決断>」が、結果的には「<情緒的果断>の極み」の大団円へと向かう物語展開が、「真のサイエンティストは、実は最高のロマンティストである」という(知る人ぞ知る科学的&実証的真理の)小気味良い主張として見事に結実している・・・「理系らしさ」と「文系らしさ」のバランスに於いて全4編のグランプリ受賞作品中ではピカ一である上に、星新一の『空への門』への泣かせるオマージュにもなっている・・・之人冗悟の個人的見解としては、これが過去4作の歴代グランプリのベスト1だと思う。
☆審査員の参考意見☆

『「ザ・ライトスタッフ」を見て涙を流した男の子なら、この主人公に深く共感できる筈です。ディテールの描写も巧みで、文句なしの力作。』(押井守)
『男の矜持、思い。そのために男はただひたすらペダルをこぐ。本当に宇宙が見えました。ただひとつ、より詳しいケーブルの描写が欲しかったです。』(東野司)

・・・これほどの力作でさえなお、「理系的ディテール描写」を本線にした作品の場合には、「どうせ書くならもう少しマニアックな細密描写で魅了して欲しい」という贅沢な注文が付く構造的宿命を免れない、という冷厳なる事実を思い知る上でも、この作品は「<理系的発想>から始まる文学賞」への応募者なら是非とも熟読玩味すべき指標になる、と言えるだろう(・・・とか言いつつ、之人冗悟がこれを読んだのは授賞式のだいぶ後なんだけどね・・・)

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第4回(2016年度)日経星新一賞グランプリ『OV元年』(之人冗悟=この筆者本人)
★表向きの「理系」性★
身障者の体表感覚補助装置として登場した「オムニバイザー」の機能拡充とそれに伴う「人類の進化の過程」を、各年代ごとの使用者手書きの感想文と、後代の報告者の補注の形で述べる(単一主人公の主観的独白の単調な羅列に陥りがちな「純文学的記述」とは対照的な)「表面上の<非文系>性」がある・・・だけで、実はちっとも「理系的」ではない・・・敢えて言うなら「ジャーナリスティック」な乾いた語り口だが、これを「理系文学」と呼べるものなら呼んでごらん、という確信犯的筆致で書いた「エセ理系SF」・・・という筆者自身の告白を聞いた上で読んだなら、さて、あなたはこれをどう感じるだろうか?(サギ?トリック?イル-ジョン?はたまた「これぞまさしく星新一的意外性」?)
■「文系」的隠し味■
対人的プレゼンテーションの「うわべ飾り」ばかりがどんどんスマートに洗練されて行くのに反比例して、「虚飾を剥がれた生身の人間」の中身がどんどん劣悪化して行く過程が、極限まで行き着けば、人類は一体全体どうなるか?・・・元をただせば、星新一の『肩の上の秘書』にインスパイアされた着想を、彼のデビュー作『セキストラ』のルポルタージュ形式を借りて書いたシニカルな文明批評・・・だが、ただそれだけでは単なる「薄っぺらなモノマネ」になるので、以下の点に意を用いて独自の「文系的味付け」を施してある:
●「劣化の坂を転げ落ちる人類」の惨めさを、「手書き報告書の<短文化><漢字使用率低下><感情記号使用率上昇>」といった(現にいま嘆かわしい勢いで進行中の日本人の文章の崩落現象を揶揄しつつ)描く ― 「アルファベット一本槍」の英語じゃできない「かな・漢字交じり」の日本語ならではの ― 「フォーマット操作・・・による読者心理操作」が一番の売り物
・・・読者はまず、一番最初の「そおひらがながきほおこくしよ(総平仮名書報告書)」の(促音や句読点の概念すらない)視覚障害者の稚拙な文章の読み辛さに苦笑しつつも、「自分より明らかに劣る者に対する嘲笑的優越感」を抱くことになる。
・・・その直後に出し抜けに繰り出される二通の重厚な日本語の長文報告書を読まされた段階で、大方の読者は今度は逆に「なんだこの長文はっ!?教科書や学術論文じゃあるまいし、読む側の苦労と迷惑を考えろ、このバカ!」という感情的反感(=自らの読解力&知的スタミナ不足を思い知らされた劣等感の野放図な噴出が招く怒りに近い否定的反応)を抱くことになる。
・・・現代日本に激増しつつある「反知分子(=知的退廃の坂道を転げ落ちているのに当人にはその自覚もないままに<頭がいいことを自慢げにひけらかすエラそうな連中は、数の力で圧殺してこの世から消し去ってしまえ!>的な感情的暴発行動で世の中全体を<自分好みの豚小屋風>に改悪したがる何とも迷惑なanti-intellectuals)」は、これら二通の「長くて迷惑でイケ好かないヤツ」に続く(長くない/漢字も少ない/口語的で感情表現多めで読み易い)「おバカ報告書」の数々を読み進む過程で、徐々にこの作品への親近感を増して行く(=”恍惚の峰”への上り坂ならぬ”満悦の裾野”への安易で心地良い直滑降を演じる)ことになる。
・・・という形で「仕組まれた<堕落行>の心地良さ」こそ、この作者(之人冗悟)の意地悪なmental manipulation(読者心理操作)であると同時に「ヴィロロ星人の遠大な計略」として作品自体のモチーフにもなっており、「内容豊富な(=当然、長くて漢字多くて堅くて読解困難な)文章や知的人間に対する抑え難い反感(=”恐怖の谷”への嫌悪や”超俗の虚空”への徹底無視の心理的反応)」の虜と化した大方の現代日本人が(そう遠くない未来に)行き着く惨めな破滅的結末を、「エンタテインメントのオブラートに包んだ激辛エッセイ」として読ませることこそが、この『OV元年』の(大方の日本人の近視眼には)見えざる創作動機なのである。
★グランプリ受賞の決め手★
これに先立つ3年度分のグランプリ受賞作みたいに「理系的ですっ!」という生真面目な存在証明を全く含まない(&最初から目指してすらいない)作品なのに(いかにもありがちなオチまで含めて)「星新一的でしょ?」という読ませ方の「催眠術」で選考委員各位をんまとハメちゃった「文系的話術(or詐術?)」がキモになる作品・・・あるいはまた、「<理系文学>とは<科学的裏付けのある学術解説が主役>の説明口調の(一般人には縁遠く敷居の高い)文物である」という好ましからざる固定観念が出来上がってしまうことで<星新一賞>の発展可能性にフタをすることを恐れた選考委員の総意として、「こんな<理系っぽくない>作品でも、<星新一っぽい>面白さに満ちていれば、入選するんですよ」という事実を「<非理系>の潜在的受賞者候補の皆さん」に示すことで、「<日経星新一賞>は<バリバリ理系人種&人工知能>以外の<普通人(≒文系人種)>にもグランプリ受賞のチャンスがある間口の広い文学賞です!」というアピールを行なうために敢えて選ばれた風変わりな受賞作、と言えるのかもしれない。
☆審査員の参考意見☆

『「オムニバイザー」というガジェットに新味はないが、報告書形式の構成によって展開される語りがいいです。そこに細かいアイディアがあり、単調になりがちなワンモチーフにバラエティを与えています。』(玉城絵美)
『オムニバイザーの使用感想文を連ねていくことで、どんな機能が付け加えられて世の中がどう変わっていったかを具体的に伝える手法は、まことに読ませる・・・ただし、オムニバイザーのアイデアそのものは、それほど新規性があるとはいえないが。』(本川達雄)

・・・「理系的表層部」という天ぷらの衣をキレイに飾ることには目もくれず、中の具材の「文明批評メッセージ」の読ませ方という「文系的表現技巧」の冴えだけでグランプリ取ってしまった『OV元年』(&之人冗悟)の不届きさ・・・それをきちんと認識しつつも、「でも面白いからやっぱグランプリでしょ!」という(ちぇっ、やられた!)的な嬉しい舌打ちが伝わってくる選考委員各位のメッセージを拝読して、この「日経星新一賞」の(文系っぽい作品にもグランプリ与える)懐の深さと、(理系/文系のサジ加減をきちんと見極めつつ選評を行なう)目利きの確かさ、改めて実感した次第です、はぃ(・・・今更のことで、どうもすいません)

★★★★
 ・・・という感じで「歴代グランプリ作品」の評釈(自分自身の告白含みで)ざぁ~っと並べてみたけれど、やはり結論的には「<日経星新一賞>は<理系っぽさ>よりも<星新一っぽさ>が生命線(<理系の衣>はあくまで脇役)」という事に、なると思う。
 ・・・ただし、いかに「星新一っぽい」作品でも、「理系の衣」もまとわぬ全裸の「文明批評メッセージ」(『おーい でてこーい』とか)や「ミステリー」(『追い越し』とか)や「ファンタジー」(『服を着たゾウ』とか)書いて送っても、「理系文学」とはみなされないから入選は無理。このあたりの「理系/文系」の境界線がはっきり認識できていない状態で書き始めても100%無駄骨に終わるだけだから、自らの「文理分離能力」に自信のない面々は、まずは「(之人冗悟謹呈)理系/文系線引きつき<星新一ベスト作品123リスト>」の再確認から始めることをお勧めする
・・・以上
文責=之人冗悟(のとじゃうご:Jaugo Noto)
合同会社ズバライエ(ZUBARAIE LLC.)代表社員&第4回日経「星新一賞」グランプリ作家
2017年4月1日・・・べつにウソ並べたつもりはありません・・・