『第4回 日経<星新一賞>』グランプリ受賞の弁 by 《OV元年》作者Jaugo Noto(之人冗悟)

…以下は、第4回グランプリ(『OV元年』)作者のひとりごと
(全4作のグランプリ作品の詳細分析はこちら⇒hoshiaward_analysis
(理系/文系線引きつき「星新一ベスト作品123」リストはこちら⇒bunrihoshi
《目の見えない人々には光景を、耳の聞こえない人々には音を、それも生身の人間には味わえない高精度で詳細な関連情報の解説つきで提供する夢のような感覚増強装置「オムニバイザー」・・・当初は身障者専用の補助器具扱いだったこの装置の機能拡充と社会への普及過程を、それぞれの時代の使用者の生の声(+後代の報告者による補注)でたどる、人類の「最終進化」の物語(9999字)》



『第4回 日経<星新一賞>』グランプリ受賞の弁
by 《OV元年》作者 之人冗悟Noto Jaugo
(再配布自由!)(PDFダウンロード)
《せんひきせんゾウのぶんりろん》
 ある日、エヌ氏がテレビをつけると、鼻で絵筆をくわえたゾウが、カンバスにむかって何かかいていた。できあがったものをみると、ピカソの描いた絵のようでもあり、幼稚園児の書いた字のようでもあった。どっちだろうとエヌ氏が頭をひねっていると、テレビの中で司会者が「これはゾウの自画ゾウですね」と言った。言ってから一人でゲラゲラ笑っているところをみると、どうやらダジャレのつもりらしい・・・が、どう見てもそれは象の自画像には見えなかった。
 ここでエヌ氏はふと思った ― 「象の姿を描いたものなら、それは<画像>であると同時に<象形文字>ではないか!」
 (われながら理知的な発想だ!)とエヌ氏は自画自賛したが、客観的に見てこれは先ほどのテレビ司会者の「ゾウの自画ゾウ」と大差ないような気がする・・・それはそれとして、エヌ氏はさらに自らの頭の中で、言葉遊びをエスカレートさせた ― 「象の自画像」⇒「象の自我像」⇒「有象の自我像」⇒「無象の自我雑」⇒「像の自我増」⇒「憎悪のギガ増」・・・
 象形文字とは面白いもので、こうして似たような音や形を持つ言葉をあれこれこね回しているうちに、エヌ氏の想像の中で何か新しくおかしなものがだんだん形を成しつつあった・・・が、絵柄と字面がこんがらがって、先ほどのゾウ画伯の作品みたいに、何がなにやらわからない感じになってきたので、エヌ氏はひとまず頭の中のカンバスに背を向けて、何か関係ないことをボーッと考えることにした ― 昔、星新一が「一見まるで関係ないもの、正反対のものどうしの結びつきから、優れたアイデアは生まれる」みたいなことを書いていたのを思い出したのだ。
「そういえば、星新一に、ゾウが出てくる話があったなぁ、なんだったっけ?」
 それは『友を失った夜』『服を着たゾウ』という物語だったが、エヌ氏はそのタイトルを思い出せなかったので、インターネットで「星新一 ぞう」で検索してみた。検索結果の中に『服を着たゾウ』の文字列を発見したエヌ氏は(あぁ、そうだそうだ、「お前は人間だ!」と人間に催眠術かけられたゾウが「人間らしい振る舞いとは何か?」を真剣に考え誠実に実践するうちに人間以上に人間らしくなって人間相手の商売で大成功を収めて大金持ちのゾウになる話だった)と即座に思い出して納得したが、いくつか並んだ『服を着たゾウ』の下に、エヌ氏としてはいささか納得しかねるヘンな文字列があった ― (いわく)<第4回 日経「星新一賞」公式ウェブサイト・・・理系的発想からはじまる文学賞>
・・・?「<理系>的発想からはじまる<文学>賞」?・・・
 一見、対立的概念を並べたように見えるこの文言も、エヌ氏には、さっきの「ゾウの自画ゾウ」なみの出来の悪いギャグに思えた ― ゾウが自らの絵を描けば、当人(あるいは当ゾウ)が「これは私の<自画像>です!」と言い張っても自動的に「それが<象形文字>というものです!」と言い返されてしまうように、ハイテクだらけの今の世の中を舞台に「文学」を書けば、それは自動的に「理系」の物語になってしまうのではないか? だとすれば「<理系>的発想からはじまる<文学>」って何だ? 「<文系>の<文学>」とどう違うんだ? 人と人との対立葛藤の心理描写だけから成り立つ物語が「<文系>文学」か? だが、その対立し合う人たちのトゲトゲした気持ちの根っこの部分を掘り下げてゆけば、人を人とも思わぬ出来損ないの機械文明がもたらす日常的ストレスの蓄積と人間性の永続的劣化現象がある・・・そう考えれば、今のこの世の中で「<文系>文学と<理系>文学の線引き」なんて、出来ないんじゃないのか?
 エヌ氏は、少年時代に星新一を読みまくって育った(職能的には「文系」の)物書きだったので、テクノロジーの進歩を手放しで礼賛するような種類の人々を斜め上から見下すようなところがあった・・・「進歩/退行」、「科学/迷信」、「優等/劣格」、「恩恵/危害」、「道徳/悪徳」、「上品/下品」、「大人/子供」、「人間/動物」、「宇宙人/地球人」、「正義/邪悪」、「加害者/被害者」、一見まるで正反対のものどうしの間に杓子定規な線引きをしてそのどちらか一方に肩入れ&安住するのは(論理的・倫理的・現実的に見て)間違いの元だし、(文学的に言えば)優れたアイデアが生まれる妨げにもなる ― それが、星新一の幾多のショート・ショートや随筆がエヌ氏に教えてくれたこと ― それだけに、「文系」と「理系」の間に(エヌ氏にとっては不可解な)一線を引いて(「星新一賞」の名の下に!)「<理系>的発想からはじまる<文学>賞」を選ぶという人たちが、「象の自画像」と「象形文字」の線引きをどう演じてみせるのか、エヌ氏としては、ムラムラと(少々意地悪な)興味がわいてきた。
「よおし、それなら、ちっとも<理系的>じゃないけどとっても<星新一的>な<純文系的>(だけど<純文学的>じゃない)物語を書いて、送り付けてやろう ― <理系>と<文系>の間に<星新一賞>選考委員の面々がどう線引きするのか、見せてもらおうじゃないか!」
 実際には「線引きも何もなしにあっさり読み飛ばされて落選するのがオチ」という程度の文学賞に関する世間知も当然備わっているエヌ氏ではあったが、読み飛ばされて落選したって、べつにどうってことはない。一万文字程度の小話を、勝手知ったる星新一タッチで、特別な取材努力もせずに頭の中のイメージだけで書き上げる執筆活動なんて、エヌ氏にとっては「ゾウ画伯の自画像描き」も同然の手軽い芸当だったからだ(もっともそれは人生で一回きり、二度とは出来ない芸当だろうから、千回以上やってのけた「星新一のマネ」と言うのもおこがましい話だが)・・・まぁ、その出来ばえもまた「出来損ないのピカソ絵」か「幼稚園児の手習い」みたいな代物かもしれないが、それはこの際どうでもよかった。要するにこれは、「<星新一的>なるものとは何か?」に関するエヌ氏の純私的な心の自画像なのだ。自画像は描くことそのものに「描き手にとっての意味」がある。「描き手以外の誰かさんにとっての意味」なんてどうでもいい。「象の絵」だろうが「象形文字」だろうが、「理系」だろうが「文系」だろうが、見た人がそれをどう形容・評価しようともそれはそれで正解であり不正解であって、どっちにせよそんなこと、描き手/書き手のゾウ画伯ことエヌ氏自身にとっては、本当に、どうでもいいことだったのだ・・・
 ・・・が、どうやらそのエヌ氏の小品《OV元年》は、「第4回 日経<星新一賞>選考委員」の面々の目には「理系のピカソ絵」に見えたらしい。エヌ氏のもとには、予想外の賞金100万円と「星新一賞グランプリ受賞作家」という嬉しいタイトルが転がり込んできた。前者はすぐにも何やら怪しげな用途に消えてしまいそうだが、後者は一生モノの王冠として、エヌ氏のゾウみたいに毛のない涼しい頭の上に燦然と輝き続けることだろう・・・ただ、その「星新一賞受賞作家」という魔法の勲章のせいで、今後「例の《OV元年》みたいな近未来SFふうショート・ショート書いてください。字数は少なめ、原稿料はお安めでお願いします!」みたいな依頼が舞い込んできたら困るなぁ、というのが、目下のエヌ氏の心配のタネである・・・まぁ実際には(今のこの出版不況の御時世に)そんな心配は杞憂というものだろうが、《OV元年》がグランプリ取っちゃうような思わぬ偶発事件も現に起こっているだけに、所詮は毛がない、じゃなかった、しがないゾウ画伯のエヌ氏としては、ここらで一発、自己弁護の伏線を張っておく必要がありそうだ・・・
 ・・・そもそもあの《OV元年》という作品は、「(今はまだ存在しない未来の理系技術の)アイデアとその先にある物語」でも何でもなく、「いま現に進行中のファクト(事実)とその先にある必然の帰結を淡々と綴ったルポルタージュ(報告文)」であって、その意味でちっとも「理系的」でないのはおろか「SF的」ですらないお話なのである。そんな現実のルポ(おまけにそこにはハッピーなオチ、なし)なんて、いくら純文系で多少ネジ曲がった性格のエヌ氏といえども、そうそう何度も職業的にやり続けたい仕事ではない・・・ぁ、ちなみにそのエヌ氏(正確に表記すれば『Noto Jaugo:之人冗悟:のと・じゃうご』)の本業は『英語(現代世界)&古文(千年昔の日本)の文法+語彙+修辞法+読解法の体系的習得を容易に可能にする語学教材の作成』である(→https://zubaraie.com/・・・そっちの仕事の(教材に織り込むための)手慰みとして「物語作り」には日常的&職能的にいそしんでいるエヌ氏なので、その意味で彼は「職業作家」ではあるものの、「SF作家」ではないし、<きら星ショート・ショート・ワールド>が精神の脊髄&脳髄になっちゃうような育ち方をしてきたエヌ氏は、「<ショート・ショートSF作家>として星新一と張り合おう!」などという無謀な野心からはこの地球上で最も遠い所に身を置く者であること、言うまでもない。そうした純私的脈絡を離れた概括的見地から言っても(いまや陳腐な言い回しながら)「今の世の現実は一昔前のSFワールドよりもよっぽどSF的」なので、「誰も予想だにせぬ未来のブッ飛んだSF的姿」なんて、そうそう思い描けるものではない・・・というか、いま現に目の前にある物事の行き着く先を(多少の脱線含みで)思い描けば、それが「SFになる」以前にまず「ITビジネスになる」御時世なのである・・・からには、「理系的空想ベース」のSF作家になろう、などという頓珍漢な野心を(1960年代以降のSF文学と現実世界のパラレルワールド的相互作用の目くるめく展開を生身で味わい尽くしているエヌ氏が)一切抱いていないのは、当然のことである・・・が、この点の現実認識(&「理系なるもの」を巡るファンタジー)に関して自分とは次元の違う混沌世界に身を置く各種業界筋の皆さんから(この「星新一賞」受賞を機に)「SF書いて!」とか求められた場合、この《エヌ氏こと之人冗悟=のと・じゃうご=Noto Jaugo》は、一体、どうするか?・・・興味ある(&勇気ある)方々がいれば、『おーい でてこーい!』とか、彼の耳元で叫んでみるといいかもしれない・・・後で何が落ちてくるか、それは、落ちてきてからのお楽しみ(あるいは、お慰み・お悔やみ)ということで・・・
 お後がよろしいようで。

・・・以上のお話は ― かなりの部分 ― フィクションである・・・

<補注1)「異質なものどうしの融合から優れたアイデアが生まれる」という星新一のメッセージを下敷きにした話の流れの都合上、上の物語の中では『文系/理系の線引きなんて「星新一的にみてナンセンス」!』と、まぁ何というか嬉しい賞をもらっておいてわざわざそれにケチつけるような罰当たりなことを書いたが、つらつら思うに、「星新一賞」の募集案内に『<理系>的発想からはじまる文学賞』というヘンな文言がある背景には、おそらく次のような事情があるものとこの筆者は推測している ― (想像していわく)『「星新一賞」は、その他の公募文学賞(例えば「太宰治賞」とか)とは、だいぶ毛色がちがいます。どう違うかは、実際に星新一の傑作のいくつかを読んでもらえれば、あれこれ説明されずとも感覚的にスーッとわかるはずです・・・が、近頃はどうも星新一の正体も知らぬままに「賞金100万円!」に引かれて「純文学」とか「私小説」とか「詩みたいなもの」とか送ってくる人々がいたりして、なんというか、そういうことになると選考委員にも応募者当人にも共にあまり気持ちいいことにはならないと思うので・・・それでわざわざ「<理系>的発想からはじまる文学賞」とか、なんともヘンテコな募集案内を「吸血鬼除けのニンニク」みたいにサイト上の玄関先にぶら下げているわけです・・・ホントは、「星新一」という作家は「理系」とか「文系」とか「地球人」とか「宇宙人」とかそういう枠組みの一切を軽~く超越しちゃってる存在なので、そのあたりのことを(彼の作品に夢中になった体験を通して)御存知の方は、どうぞ「理系的/文系的」にはあまりこだわらずに「わたしの考える星新一的な作品」を書いて、ドシドシお寄せください!』・・・と、まぁ、そういうことなのだろうとこの筆者は思う) ― なお、この補注も(関係各位への取材を一切伴わぬこの筆者の純然たる想像に基づく)フィクションである。もっと責任ある意見が聞きたい方は「星新一賞事務局」に問い合わせてみるといいだろう・・・が、この作者の《OV元年》がグランプリ取っちゃうぐらいの賞なのだから、「理系?文系?」のククリをさほど気にすることもあるまい・・・それでもまだ何となくすっきりしない人は、書店に走って星新一の文庫本『ボッコちゃん』一冊買ってきて読めばいい ― 「星新一賞って、どういう作品向けの文学賞なのか」についてはかなりクリアーにわかること、請け合いである・・・が、「星新一って何者なのか?」についてもっとクリアーに感じ取るためには、彼の不思議な作品たちをもっともっと多く(できれば、つまらぬ常識で脳味噌が凝り固まってしまう前の柔らかい感性を持った十代のうちに)じっくりと読んでおいて、後々の人生の中で現実に起こる一見不合理で不可解なあれこれの事件のたびに「そういえば、星新一の作品の中に、これに似たようなこと書いてあったっけ」と思い起こしてみる体験が必要になるだろう ― そして、そういう体験が実際、星新一作品とのみっちりとした付き合いに彩られた幸運な少年・少女時代の持ち主には、ホントにたくさん起こるのである!・・・が、まぁ、今回自分が星新一をマネして書いた《OV元年》みたいな展開だけは、今後の地球人類史の中で実際に起こらないことを、心より願うこの筆者ではあるのだが・・・

<補注2)これはこの筆者が《OV元年》を書き上げた後で今更のように気付いたことなのだが、どうやらあの作品には、幼年期に筆者の精神的自我に刷り込まれた以下の星新一作品のDNAが組み込まれていたようである:
「セキストラ」(in『ようこそ地球さん』)
「肩の上の秘書」(in『ボッコちゃん』)
「妖精配給会社」(in『妖精配給会社』)
「ささやき」(in『おせっかいな神々』)
「鏡」(in『ボッコちゃん』)
「エデン改造計画」(『午後の恐竜』)
「儀式」(in『マイ国家』)
・・・蛇足ながら申し添えておくが、これら星新一の傑作たちをただ読んでマネしたからって「星新一賞」がもらえるような「理系的発想からはじまる文学」が書けるとは限らない。大事なのは(幼年期の星新一作品への没入による)「精神的DNAの仕込み」なのである。それさえあれば後々の人生で「星新一賞」が取れるような物語が書ける、とは言わないが、星新一的メンタルDNAを幼年期に組み込まれた人間が一定数以上存在すれば、地球人類に《OV元年》は決して訪れないであろうことだけは、保証してもよい>



*参考資料1)[日経 星新一賞]公式サイトより
> 生涯で1000以上もの作品を生みだした星新一。
> その中には、理系的な発想力によってつくられた物語が数多くあります。
> 「理系文学」ともいえるそれらの作品は、文学としての価値のみならず、現実の科学をも強烈に刺激してきました。
> すぐれた発想は、いまもまだ読み手の心をくすぐり、次なる発想を生みだしているのです。
> 今、日本に必要なのはこの圧倒的想像力。
> 我々は「理系文学」を土俵に、アイデアとその先にある物語を競う賞、
> 日経「星新一賞」を開催します。


*参考資料2)上でさんざん「理系/文系の線引きなんて、ナンセンス!」とか書いておいてこう続けるのもアレではあるが、「星新一賞受賞作家」の先輩として、この賞への応募を真剣に考える後輩諸君のために(&別の文学賞に送ったほうがよさそうなヘンテコ原稿読まされる選考委員の苦労を減らすためにも)、<之人冗悟(のと・じゃうご)おすすめの(たぶん「理系的」と呼べる)星新一傑作選>を参考までに掲げておくのも、悪い考えではないと思う(『文庫本名』とページ番号は、この筆者が夢中になって読んだ当時の新潮文庫のもの)
・・・賞取りたい人も、ただ単に面白い読書体験がお望みの人も、ぜひ御一読(or御再読)あれ:
『ボッコちゃん』より:
<冬の蝶>P.111 <ゆきとどいた生活>P.169 <肩の上の秘書>P.217
『ようこそ地球さん』より:
<見失った表情>P.221 <殉教>P.347
『悪魔のいる天国』より:
<夢の都市>P.153
『おのぞみの結末』より:
<一年間>P.7
『マイ国家』より:
<うるさい相手>P.17 <調整>P.63 <夜の嵐>P.69 <首輪>P.212 <宿命>P.220
『妖精配給会社』より:
<妖精配給会社>P.89 <ひとつの装置>P.141 <遠大な計画>P.168
『宇宙のあいさつ』より:
<期待>P.161 <治療>P.172 <繁栄の花>P.266
『おせっかいな神々』より:
<ささやき>P.220
『ひとにぎりの未来』より:
<感謝の日々>P.133 <進歩>P.148 <番号をどうぞ>P.159 <ある建物>P.175 <はい>P.241 <フィナーレ>P.285
『だれかさんの悪夢』より:
<問題の装置>P.38
『さまざまな迷路』より:
<街>P.67
『かぼちゃの馬車』より:
<高度な文明>P.92 <確認>P.97 <新しい遊び>P.163
『盗賊会社』より:
<装置の時代>P.78 <仕事の不満>P.94 <夕ぐれの行事>P.179
・・・この他、「(インターネットはおろかパソコンも普及していない時代に)あり得べき未来の対人関係のありよう」として今や既に現実に(&問題に)なっているSNS社会を予見した「理系的」作品として:
<ナンバー・クラブ>(『かぼちゃの馬車』P.127)
なんてのもあります・・・が、「日経<星新一賞>」は、その種の「手っ取り早くカネに結び付く<実現可能な理系的サービスの元ネタ>」を(協賛企業に名を連ねている日本の会社の開発部門が実際に商品化してお金儲けするための参考資料用に)掻き集めるための口実として用意されているわけでは、ないでしょう・・・だって、もしそうなら、そんな「金の卵を産むニワトリ」とも言える理系的アイデアを「文学賞」の名の下に(膨大な研究開発費がかかるはずのネタをタダ同然で!)一般人の想像力の中からちゃっかり拝借しちゃおう、なんてマネは(天下の「日経」や名だたる日本の協賛企業連ともあろうものが)コッ恥ずかしくて出来っこないでしょうからね(・・・ね?)



*参考資料3)当人自身「現代の寓話(=現実離れした舞台設定で、人生の処世訓をさりげなく教えるイソップ物語ふうのお話)」を創作上の理想の一つとして思い描いていた星新一の作品(・・・但し、彼の理想の寓話とは「寓話になっている」ものであって「寓話にしている」ものではない:⇒<SFと寓話>『きまぐれ暦』p.218)には、「寓話的」だけど「理系的」ではない物語もたくさん出て来るわけで、その種の「ファンタジー」や「文明批評」の辛口風味ももちろん「星新一的」ではあるのだけれど、そうした作品群はおそらく<日経「星新一賞」>の主催者側が言うところの『「理系文学」ともいえるそれらの作品は、文学としての価値のみならず、現実の科学をも強烈に刺激してきました。』の対象からは外れる(・・・と この筆者は考える・・・)ので、以下に示すような「<理系的>星新一傑作集」は、「物語のhub(ハブ=放射線構造の中心)」ではなく、ややもすれば機械的で単調になりがちな理系構造物としてのSF物語が読者を飽きさせるノッペラボウな代物に陥らぬよう「端々にちりばめられた破風(はふ)」として、そのピリ辛なケレン味で読者の「人間的(≒文系的)感性」を刺激する隠し味として用いるよう心掛けることで(物語作者的にも星新一賞選考委員的にも)おのぞみの結末に近づける・・・といいんじゃないか・・・とこの筆者は推測する;ので、上に示した「理系的」物語ともども、「星新一って何者か?」を感じ取るためにも(ここで紹介する123編ぜ~んぶ)読んでみてはいかがでしょうか?:
★之人冗悟(Noto Jaugo)的にみて「<星新一的>ではあるが<あまり理系的ではない>」と思われる<きら星ショート・ショート・ワールド>★
『ボッコちゃん』より:
<おーい でてこーい>P.20 <月の光>P.43 <生活維持省>P.87 <鏡>P.124 <闇の目>P.176 <波状攻撃>P.203 <プレゼント>P.213 <欲望の城>P.263
『ようこそ地球さん』より:
<宇宙通信>P.33 <不満>P.83 <待機>P.130 <空への門>P.148 <霧の星で>P.164 <蛍>P.191 <愛の鍵>P.211 <小さな十字架>P.215 <探検隊>P.249 <最高の作戦>P.254 <テレビショー>P.263 <開拓者たち>P.272 <復讐>P.282 <処刑>P.301
『ボンボンと悪夢』より:
<友を失った夜>P.77 <囚人>P.112 <宇宙のネロ>P.141
『悪魔のいる天国』より:
<情熱>P.54 <ピーターパンの島>P.85 <もたらされた文明>P.140 <相続>P.228
『おのぞみの結末』より:
<ひとつの目標>P.19 <要求>P.167
『マイ国家』より:
<儀式>P.26 <語らい>P.61 <商品>P.162 <友情の杯>P.183 <雪の女>P.198 <服を着たゾウ>P.248
『妖精配給会社』より:
<おそるべき事態>P.56 <分工場>P.186 <春の寓話>P.221 <友だち>P.244
『宇宙のあいさつ』より:
<宇宙のあいさつ>P.9 <危機>P.49 <気まぐれな星>P.59 <宇宙の男たち>P.81 <その夜>P.143 <景品>P.199 <適当な方法>P.217 <タバコ>P.244 <奇妙な社員>P.298
『午後の恐竜』より:
<エデン改造計画>P.7) <契約時代>P.25 <午後の恐竜>P.35
『白い服の男』より:
<白い服の男>P.7 <悪への挑戦>P.43
『妄想銀行』より:
<美味の秘密>P.59 <さまよう犬>P.92 <女神>P.94 <海のハープ>P.102 <鍵>P.117 <古風な愛>P.151 <黄金の惑星>P.177
『おせっかいな神々』より:
<笑い顔の神>P.9 <マスコット>P.77 <保護色>P.106 <箱>P.129
『ひとにぎりの未来』より:
<コビト>P.9 <はじまり>P.78 <破滅の時>P.188 <平和の神>P.256
『だれかさんの悪夢』より:
<収支>P.57 <きっかけ>P.125 <飛躍への法則>P.242
『未来いそっぷ』より:
<いい上役>P.93 <やさしい人柄>P.109 <ある夜の物語>P.197 <たそがれ>P.255
『さまざまな迷路』より:
<末路>P.148 <出口>P.178
『かぼちゃの馬車』より:
<なるほど>P.14 <虚像の姫>P.20
『エヌ氏の遊園地』より:
<危険な年代>P.61
『盗賊会社』より:
<善意の集積>P.138 <最高のぜいたく>P.168 <助言>P.190
『夜のかくれんぼ』より:
<支出と収入>P.47 <はじめての例>P.111 <一家心中>P.136 <幸運の公式>P.270
(以上、「日経 星新一賞」とは無関係な、之人冗悟個人の「私撰<ベストきら星123>」でした)
・・・こんどこそホントに、お後がよろしいようで。
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・・・とか言いつつさらにまた、「その筋のプロ」の方々への挑戦状をば、もう一つ・・・
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■アバラノベルとしての《OV元年》・・・完成させるのはアナタかも■
「星新一賞」募集原稿の字数制限が1万字だったこともあって、この作品は「一見<福音>に思える万能機械が、実は(・・・)だった」という遠大なドラマを大急ぎでポンポンと駆け抜けるテンポの良さと引き替えに、そのドラマの節々で展開されていたであろう個々の場面の詳細については具体的に一切語らず読者の想像に委ねる(ただその「想像の方向性=ベクトル」だけは確実に示す)という方針を取っている。物語の核心(ハート)とそれを包む肋骨(あばら骨)だけがあって、それ以外の臓器も皮膜も筋肉も皮膚もない、であるがゆえに逆に読者/映像コンテンツ作成者/役者/演出家が独自の裁量で「肋間形成=行間を読んで自分なりにあれやこれやの場面を補い、魅力的な肉付けをして、自分だけの新たな物語世界を創造する」余地が豊富な作品に仕上げてある・・・いわば「見る者の感性次第で何にでも化ける雲のような物語」なのである・・・作中でキーとなる「avatar(アバター)」というフレーズをもじって言えば、この《OV元年》は「<アバター>ならぬ<あばらノベル>(肋骨小説)」であり、「肋間補充物語」なのである・・・我と思わん想像的独創者の皆さん、自由な肉付けで「原作者 之人冗悟」から堂々とその物語世界を乗っ取ってみませんか?
・・・「のと・じゃうご」との「のっとり的コラボレーション」考えてみようかなって思った人、
そもそもその「Noto Jaugoって何者?」って疑問が浮かんだ人は、
こちらまでどうぞ⇒https://zubaraie.com  project@notojaugo.com
(10500字・・・制限字数オーバーにつき、落選?)
…以上は、第4回グランプリ(『OV元年』)作者のひとりごと
(全4作のグランプリ作品のマジメな詳細分析はこちら⇒hoshiaward_analysis