★気をもむサクラ ― さやか、冗悟に「青春」を問う★
冗悟:やぁまた来てくれたね、さやかさん、ご機嫌いかが?
さやか:ご機嫌はすぐ良くなると思います、冗悟サンに質問した後で・・・たぶん。
冗悟:この詩に何かしっくりこない点でもある?
さやか:はぃ。だいたいだいじょうぶなんですけど、「たえてさくらのなかりせば」の文句があまりにも破壊的すぎてヘンな感じかなぁー、って。
冗悟:「破壊的」?・・・ははぁ、わかった、多分字面通りに取りすぎてそうなっちゃったんだな。
さやか:というと?
冗悟:おそらく、「たえて」は動詞で「破壊されて、抹殺されて、暴力的に絶滅へと追いやられて」みたいな意味だろうって、さやかさんは解釈してるんじゃない?
さやか:そういう意味じゃないんですか?
冗悟:ちょっと違うね。ここでの「たえて」は動詞じゃなくて、「全然・ちっとも・まるで」の意味の副詞として使われてるんだよ。
さやか:はぁ・・・あぁ、はぃはぃ、それならこの詩、すっきり落ち着きます。
冗悟:それはよかった・・・でもまぁついでに、最初に解釈した、っていうか誤解しちゃった「たえて=破壊的動詞」の線でのこの詩の解釈、もう一度なぞってみるのも面白くない?
さやか:うーん・・・冗悟サンがそうしたい、って言うんなら。
冗悟:例えばこんな詩どうかな? ― 『世の中に<絶えて藪蚊の無かりせば>夏の野山は愉しからまし』
さやか:夏の野山も快適に遊び回れるだろう、もしもヤブ蚊が存在しなければ・・・はい、ほんと、そう思います。
冗悟:じゃ、こんなのはどう? ― 『世の中の<藪蚊の絶えて無かりせば>夏の野山は愉しからまし』
さやか:さっきのと同じじゃないんですか?
冗悟:よーく見て確認してごらん。
さやか:はい・・・あぁ、わかった、確かに違いますね、<藪蚊の絶えて無かりせば>の方は「もし藪蚊が絶滅に追い込まれて存在しなくなれば」なのに対して、<絶えて藪蚊の無かりせば>の意味は「もし藪蚊が全然いなければ」ですね。
冗悟:同じように、さやかさんの最初の感覚では、この詩は<桜の絶えて無かりせば>=「桜という桜がみな切り倒されてこの地球上から消滅すれば」って言ってるんだ、と思っちゃったわけだ。
さやか:なんて暴力的な想像しちゃったんだろう!・・・はずかしい。
冗悟:その恥ずかしさに気付いた分賢くなったんだから、誇りにしていいよ。
さやか:冗悟サンって、やさしいんですね。
冗悟:優しいんじゃなくて正直なだけさ。目の前でさやかさんが賢くなって行く姿を見るのはほんと嬉しいから。自分の助言も少々役立ってるかなと思えば、なおさらね。
さやか:少々じゃなくてとっても、です!(Thanks a lot!・・・字面通りには「ほんとどうもありがとう」の意)
冗悟:どういたしまして。こんなんでよかったら、一緒に詩的冒険の楽しみ味わいにいつでもまた戻っておいで。
さやか:ぜひそうさせてもらいます!・・・って・・・あのぅ、今日はこれでもうおしまいですか?
冗悟:うん?・・・延長戦したいならいいよ、もしさやかさんのほうで他に何も用事がないようなら。
さやか:今日は午後まるまるぜーんぶ空いてます・・・あ、冗悟サンにあまりご迷惑じゃなければ、なんですけど・・・。
冗悟:いいよ、それじゃ、一分一秒たりとも無駄にしないようにしないとね ― 「春宵一刻直千金」 ― 春の夜は大金に相当する、って古い中国の詩にもあることだし。
さやか:まだ夜じゃないですけどね。
冗悟:そうだね。でも思春期のさやかさんにとって、「時」は「春の夜」みたいなものさ・・・あるいは「じきに暮れちゃう遅い午後」って感じかな?
さやか:それって、わたしもすぐに年とっちゃう、って意味ですか?
冗悟:それは俺の言うべきことじゃないな、そうなっちゃった後でさやかさん自身が振り返って言うべき台詞だろうね。
さやかさん:今から数年後に、ですか?
冗悟:我慢・我慢、さやかさん。焦ってすぐに答えを出そうと思わないほうがいいよ。青春時代はしこたま疑問・質問を溜め込むための時期、安易な解答を詰め込む時期じゃない。
さやか:わたし、もうすでに答えの出ない思春期の問題山ほど抱えてます。
冗悟:それはよかった。思春期はやっぱそうでないとウソだよ。残りの人生なんてみんなその宿題解くのに使っちゃえばいいんだから。
さやか:冗悟サンも実際、思春期の宿題解きに人生使ってるんですか? 青春時代はやっぱり疑問や迷いだらけだったんですか?
冗悟:俺の人生は、問いかけと謎解きの連続さ。なかなか解けない謎もちょいちょいあるけど、どんな質問にも問題にも必ず何らかの答えは付き物、って信じて生きてるよ。
さやか:その確信はどこから生まれるんですか?
冗悟:経験、さ。
さやか:うらやましいです・・・
冗悟:さやかさんにもいずれわかるさ、「あぁ、冗悟サンの言ってた通りだわ」ってね。今みたいな調子で疑問・質問ぶつけ続けて生きてれば、きっとそうなるよ。
さやか:だといいんですけど。
冗悟:そうだ、今のこの会話、短歌にまとめてみようか ― 『世の中に絶えて疑問の無かりせば 青春時代は長閑けからまし』・・・どう?
さやか:何の疑問も問題もこの世になければ、青春時代は快適だろう・・・うーん・・・
冗悟:何かちょっと違う感じ?
さやか:よくわかりません。
冗悟:じゃ、『絶えて試験の無かりせば』ならどう?
さやか:わたし、試験は嫌いじゃないです。テストしてもらわないと真剣に勉強しないかもしれないから。
冗悟:それは実にごもっとも。じゃ、これは ― 『絶えて悲恋の無かりせば』?
さやか:わかりません・・・ぁ、つまりその・・・わたし、そういう方面にあまり経験ないんで。失恋したこと一度もないんですよ・・・っていうか、恋愛らしい恋愛ってしたことないんですわたし、恥ずかしながら。
冗悟:問題ないよ。「経験がない」ってのは恥ずべきことじゃない。人生という名の遊園地の乗り物の未使用チケット持ってるみたいなものだからね。その気になった時だけ使えばいい。他の連中がもう乗っちゃったからって、自分まで慌てて乗りに行っちゃダメ・・・さもないと、ほんとの楽しみもわからぬままに、みすみすドブに捨てるようなものだからね。
さやか:いま言われたこと、忘れないようにします。
冗悟:どうせ覚えるんなら、もっと記憶に残る詩の形の方がよくない? 例えば ― 『世の中に絶えて波風無かりせば 人の心や長閑けからまし』・・・さやかさんのご意見は?
さやか:あれこれの出来事や浮き沈みが人生になければ、人の心は平和に落ち着いたままでいられるのだろうか・・・?
冗悟:本当に、そう思う?
さやか:わたし・・・わたしはそうは思いません。喜びや悲しみの波も立たなかったら、それって人生とは呼べないと思います。
冗悟:春もやっぱり、桜の花が咲いたの散ったのをめぐる悲喜こもごもがなかったら、「春」とは言えないだろうね。心からの感動を望むなら、その身を揺さぶられるのを恐れてちゃダメだよね。喜び・悲しみ・出会い・別れ・疑問・問題、何であれ心穏やかではいられないあれこれと、無縁ではいられない・・・だってそれこそが人生を人生たらしめているものだから ― この真実を、春ごとに桜の花が咲いては散るたびに、人は思い起こすわけさ。
さやか:わたしこの短歌、だんだん好きになってきました。正直に言うと、冗悟サンとのこの会話の前まではわたし、たいしたことない詩だなって思ってたんですけど。
冗悟:それはよかった・・・素敵な時をありがとう、さやかさん。今日はこのあたりでお別れしようか? さらなる新たな発見を求めてまた会う明日のために・・・別に来週でも来月でもいいけど。
さやか:明日がいいです! 次はどんな冒険にご一緒できるのか、待ちきれないです!
冗悟:了解、それなら、今日の分の宿題はぜんぶちゃんとやっておくように・・・俺の方もがんばるからさ。
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2)(渚院にて桜をよめる)
よのなかにたえてさくらのなかりせばはるのこころはのどけからまし
『世の中に絶えて桜の無かりせば春の心は長閑けからまし』
『古今集』春・五三・在原業平(ありはらのなりひら)(825-880:男性)
(惟喬(これたか)親王の別荘の渚院で桜について詠んだ歌)
『春は気候ものどかで心底安らぐ穏やかな季節・・・でしょうにねぇ、桜の花さえ気にならなければねぇ。』
(on cherry blossom at Nagisa-no-in)
Spring would make our heart rest so easy… without cherry blossom.
よのなか【世の中】〔名〕<NOUN:the world, our life>
に【に】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(PLACE):in>
たえて【絶えて】〔副〕<ADVERB:not at all>
さくら【桜】〔名〕<NOUN:cherry tree, cherry blossom>
の【の】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SUBJECT)>
なし【無し】〔形ク〕(なかり=連用形)<ADJECTIVE:be absent, nonexistent>
き【き】〔助動特殊型〕過去(せ=未然形)<AUXILIARY VERB(PAST)>
ば【ば】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(CONJUNCTION):if>
…if there was no cherry blossom at all in this world
はる【春】〔名〕<NOUN:Spring, vernal season>
の【の】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(TIME):in>
こころ【心】〔名〕<NOUN:heart, mind, feeling>
は【は】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SUBJECT)>
のどけし【長閑し】〔形ク〕(のどけから=未然形)<ADJECTIVE:restful, peaceful>
まし【まし】〔助動特殊型〕推量(まし=終止形)<AUXILIARY VERB(SUBJUNCTIVE)>
…we would feel restful in Spring
《yononaka ni taete sakura no nakariseba haru no kokoro wa nodokekaramashi》
■桜なければ憂いなし・・・されど、人を人たらしむる喜びも悲しみもなし■
「桜の花さえなければ」 ― と、この詩人は嬉しそうに文句を言う ― 「春の人の心はほんと平穏なのに」・・・だがその言い分には文句めいた響きはない。何故ならこの詩人、実際にはこう言っているのだから ― 「ありがとう桜花、我々をこんなにもしあわせにそわそわさせてくれて!」
春に桜の木々を見ると我々がこんなにもそわそわするのは何故だろう? この疑問に答えるには好都合な平安時代の短歌をひとつお目に掛けようか:
《さけばちるさかねばこひしやまざくら おもひたえせぬはなのうへかな》『拾遺集』春・三六・中務(敦慶親王女:なかつかさ=あつよししんのうのむすめ) 咲けば散る咲かねば恋し山桜 思ひ絶えせぬ花の上かな(咲いた後には散るのが怖い、咲かずにいると開花が待ち遠しい、どっちに転んでも心穏やかではいられない、山桜の身の上であることよ)・・・詞書には「子に罷り後れて侍りける頃、東山に籠もりて(=我が子に先立たれた頃、供養のために東山に山籠もりした時に詠んだ歌)」とある。
どうして我々は(あるいは「日本人は」)桜の花の運命にこうも並々ならぬ関心を寄せるのだろう? この疑問に対してもまた平安時代の(詠み手未詳の)短歌で答えるのがよさそうだ:
《うつせみのよにもにたるかはなざくら さくとみしまにかつちりにけり》『古今集』春・七三・よみ人しらず 空蝉の世にも似たるか花桜 咲くと見し間に且つ散りにけり(無常の世を生きる人間に似ていないでもないね桜の花は。「あぁ咲いた」と思ったらあっという間に散ってしまうとは)
「咲けば綺麗だが散るのも早い」というのは、しかし、桜花に限らず全ての花の運命だろうに、どうして桜だけを日本人の意識はこうも特別扱いするのだろう? それは、桜が春の盛りに開花してあたかも「厳しい冬はもうおしまい」と宣言しているように見えながらも、しごく短い花盛りを過ぎると春の舞台からさーっと消えてしまうからである ― 春の到来を告げると共に、人間存在の栄枯盛衰のさまをも思い起こさせるのが桜なのだ。我々人間は、待ち遠しい思いで桜のつぼみの花開くのを待ち、満開になるとお祝いとばかりに野辺に大挙して繰り出し、あっという間に散って行くその姿を見ては溜息をつく・・・それでいてその同じ桜の木は、咲いては散っての繰り返しを、来年も、次の十年も、ひょっとすれば次の世紀もまた延々繰り返し続けるのである ― 見物人の人間たちがとっくの昔に舞台を去ったその後も、ずっと・・・。
時として我々は、自分以外の何かや誰かの運命に深く心を寄せるあまりに、自分自身の運命について忘れてしまうことがある。春の桜を見る日本人の視線は、まだ危なっかしい足取りで厳しい現実の中にその第一歩を踏み出そうとする幼な子を見守る年長者の目に似たところがあるかもしれない・・・若い連中が成長して自分の足で独り立ちできるようになるのを見守る間にも、年長者たちの方は年老いて弱々しくなって行くというのに・・・次の短歌は、上に挙げた平安時代の数首よりも七世紀分も新しいが、桜花賛歌の別ヴァージョンと言ってもよいかもしれない:
《はえばたてたてばあゆめのおやごころ わがみにつもるおいをわすれて》『類柑子(1707年)』井上河州(いのうえかしゅう) 這えば立て立てば歩めの親心 我が身に積もる老いを忘れて(赤ちゃんがハイハイするのを見れば「さぁこんどは立ってごらん」という気持ちになる;立てば立ったで「こんどは歩いてごらん」と気がはやる・・・そうして我が子が成長して行く間にも、自分自身は老いて行くのを忘れたかのように・・・それが親心というもの)
実際の会話相手の提供はしませんが、「さやかさん/冗悟サン」との知的にソソられる会話が出来るようにはしてあげますよ(・・・それってかなりの事じゃ、ありません?)
現時点では、合同会社ズバライエのWEB授業は、日本語で行なう日本の学生さん専用です(・・・英語圏の人たちにはゴメンナサイ)