★自分から乗り込んで行って相手を捕まえるタイプ、対、夢の中でじっと待つタイプ ― さやかと「小町」の出会い★
冗悟:女性の手になる恋の短歌としては、ここで扱うのはこれが初めてだね。「恋しい思いが強いと、相手が夢に現れる」ってのは当時の迷信らしいけど、夢の逢瀬がよっぽど素晴らしかったのか、この女性は「ずっと眠り続けていたかった」なんて言ってる・・・どう思う、さやかさん?
さやか:こういう夢から覚めた後なら、わたしならそういう感じ方はしないと思います。
冗悟:じゃ、さやかさんならどういう感じ方?
さやか:わたしなら、夢じゃなくて現実世界で彼に逢いたいです。
冗悟:もっともな話だね・・・もし君が彼と相思相愛なら。
さやか:たとえまだ相思相愛じゃなくても、わたしなら生身で会って現実に彼の愛情を射止めたいって思います。
冗悟:いかにも君らしい答えだね、さやかさん・・・君は「乗り込み型(go-getter)」の女性だから。
さやか:「攻撃的」って意味ですか?
冗悟:あぁ、いい意味でね。「強欲」とか「物欲しげ」とかの意味じゃなくて。
さやか:わたし「自分自身に対して完璧かつ徹底的に誠実」なんです。
冗悟:うぅーん・・・君、哲学者みたいなこと言うねぇ。
さやか:「のと・じゃうご」って名の哲学者みたいでしょ ― これ、前に冗悟サンがわたしに教えてくれた言い回しですよ、覚えてます?(第十六話参照)
冗悟:へぇ、そうなの?
さやか:こんな印象的なせりふ、どうして忘れちゃうんですか?
冗悟:人は、夢の中で言ったこといちいち覚えてたりしないんだよ。
さやか:冗悟サンそれ、わたしたちの会話の中で言ったんですよ、わたしの夢の中でじゃありません。
冗悟:へぇー、俺って君の夢の中にまで登場してたの?
さやか:何度も何度も出てきます。
冗悟:知りたいなぁ、俺って君の夢の中でどんなことしゃべってるの?
さやか:冗悟サンの想像もしないようなこと。
冗悟:例えば?
さやか:「ほんとにその夢かなえてあげる」って約束してくれないかぎり、教えてあーげない。
冗悟:俺自身想像もしないような約束事、どうして「叶えてあげる」なんて約束できるもんか。
さやか:だから言ったでしょ、「教えてあげない」って ― かなうかどうかはわたし次第なの・・・そんなことより、この夢みたいな短歌の現実的なお話、しません?
冗悟:あぁ、それがいい。これ書いた女性、誰だか知ってる?
さやか:「小野小町(おののこまち)」って、冗悟サンここに書いてます。
冗悟:彼女のこと、何か知ってる?
さやか:あまりよくは知りません。彼女は信じられないほど美人で、ものすごく大勢の男の人から言い寄られて、ものすごく大勢の男たちをフッっちゃって、自分の恋人になれるほど魅力的な男なんてほとんど見つからないうちに、ある日気付いてみたら、昔ほど若くも美しくもなくなっちゃってて、晩年は一人寂しい人生を送りましたとさ ― みたいな感じです。
冗悟:「小野小町」は、さやかさんが自分自身を重ねられるタイプの女性じゃないみたいだね。
さやか:女盛りを夢みたいに棒に振って後々一人で後悔する人生なんて、望む女はいませんよ。わたしのモットーは「愛する人と一緒に長生きしよう」です・・・覚えてます?(第十八話参照)
冗悟:君は、印象に残る標語の宝庫だね、さやかさん。
さやか:冗悟サンの記憶の保管庫には穴があいてるみたいですね。
冗悟:別に問題ないさ、穴からこぼれるたびにすくい取ってくれる人がそばにいてくれる限りは、ね。
さやか:冗悟サンには忠実な助っ人が常に必要みたいですね。
冗悟:おかげさまで今のところそっち方面は間に合ってる。神様に感謝しなくちゃね。
さやか:神様じゃなくて、もっと別の誰かに感謝したほうがよくありません?
冗悟:あぁ、ありがとう、さやかさん、君のおかげで思い出したよ、俺、無神論者だった。
さやか:冗悟サン、信仰のない人なんですか?
冗悟:特定ブランドの神様や宗教は信じてない。「小野小町」の実在も信じてない。「彼女」はたぶん『古今集(905年)』の編者達の手で作り出された「ヴァーチュアル・アイドル(架空の偶像)」だと思ってるよ、俺。
さやか:彼女にまつわる伝説は全部作り話だ、って言うんですか?
冗悟:とてもよく出来た作り話だけどね。別に俺、紀貫之(きのつらゆき)とその仲間達が「小野小町」と呼ばれる架空の歌人をデッチ上げたこと、責めてるわけじゃないからね。むしろ俺としては拍手してるわけさ、全ての日本人に「彼女」の存在を信じ込ませることにまんまと成功したことに・・・たった一つの短歌の力だけでね・・・何のこと言ってるか、わかるよね、さやかさん?
さやか:《はなのいろはうつりにけりないたづらに わがみよにふるながめせしまに》。
冗悟:綺麗な詩だと思わない?
さやか:きれい、というよりわたしには悲しい詩です。「花の色は移りにけりな(=花の美もすでにもう色褪せてしまった)」なんて気付かされるの、わたしはイヤだな、「徒らに我が身世に経る眺めせしまに(=人生が何の意味もなく過ぎ去って行くのをぼーっと眺めながら夢見るように日々を送っているうちに)」。
冗悟:それに君は、小町のこの夢見がちな短歌にも、あまり魅力は感じないんだね?
さやか:感じません。冗悟サンは?
冗悟:ああ、感じるよ、両方とも・・・ゾクって来るね。
さやか:冗悟サン、こういう詩を見て性的に興奮するんですか?
冗悟:いや、肉体的興奮じゃなくて、ただ、こういう女性の弱々しげな感情には、思わず「かわいそうに」って気になる、ってことさ。
さやか:そういう「弱々しげな」女性に、哀れみを感じるんですか?
冗悟:男ならみんなそうだと思うよ。
さやか:そういう「哀れみ」って「愛情」に近いですか?
冗悟:それは言えてるかもね。
さやか:(…)
冗悟:ぁー・・・俺、何か君の気に障るようなこと言っちゃったかな、さやかさん?
さやか:べつに何も。わたしただ、考えてたんです・・・
冗悟:考えるって・・・何を?
さやか:冗悟サンの言ったこと、本当かしら、って。
冗悟:男はみんな、女性の弱々しさに哀れみを感じて魅了される、ってこと?
さやか:いいえ。冗悟サンがそう言うんだから、男の人はみんなそう感じるんでしょ、きっと。わたしが考えてたのは、「小野小町」がほんとにそういう短歌を作ったのかしら、ってこと・・・そんな素晴らしく魅力的な、男性読者には都合良く魅力的な詩だけど、わたしの耳には全然魅力的じゃないやつを。
冗悟:うゎぉ、鋭いね「冴やか」さん! もっと言ってくれる?
さやか:もし彼女の詩がどれもこれもみんな男性にとっていかにも魅力的で、あまりにも都合良く「女らしい」やつで、いかにもそれらしすぎて逆に本物の女性にはちょっと疑わしい感じなら、その場合、冗悟サンが言ったこと本当かも、って気がします ― 「小野小町」は、男の人たちが「女性とはこうあるべきだ」という自分たちの理想のイメージに合わせて作り上げた「ヴァーチュアル・アイドル(架空の偶像)」だって。冗悟サンは、小野小町の作ったとされる詩、ぜんぶ知ってるんですか?
冗悟:あぁ、全部知ってる、全部味見してる ― 八代集の中にある28首ぜんぶね。
さやか:それで、実在の女性の手で作られたにしてはあまりにも都合良く「女っぽすぎる」って感じたわけですか?
冗悟:いや、必ずしもそうじゃなくて、どれもみなあまりにも小綺麗に整いすぎてる気がしたんだよ、「小野小町なら、こう詠むだろう」みたいな確立されたイメージに忠実な型通りにね・・・で、これは現実の単一女性の手になるものではないな、と思ったから、そうした歌の作者は一人じゃなく複数、男性もいれば女性もいて、みんなして一人の「ヴァーチュアル・アイドル(架空の偶像)」を、理想的に詠まれた一連の詩を通して出来上がったイメージの中だけの存在として、作り上げたんじゃないか、ってね。そういう詩が、現実の女性の耳にどう響くかについては俺にはわからない。毎日100回の腕立てを今でもせっせとやってる男には、そういう繊細な仕事は手に余るんでね。(第十六話参照)
さやか:わたし、お役に立てると思いません?
冗悟:俺の代わりにやってくれる、って言うの?
さやか:わたしを誰だと思ってるんですか? ― あなたにぴったり付いて離れない忠実な助っ人なんだから!
冗悟:君がそばにいてくれること、神様に感謝しなくちゃね。
さやか:わたしの記憶が正しければ、冗悟サン、特定ブランドの神さま信じてなかったはずですけど?
冗悟:どんな神様でも俺に優しいやつなら信じるさ。俺は「何も信じない」んじゃなくて「何でも信じる」男なんだよ。とにかく、気前良く引き受けてくれてほんとどうもありがとう、さやかさん。君のその気前の良さへの感謝の意味を込めて、全部で28首の「小町歌」のリスト、俺なりの解釈も添えて、用意してあげるよ。
さやか:親切なご配慮、ありがとうございます、冗悟サン。
冗悟:でも、君は忙しい高校生なんだから、全部の短歌を慌てて一気に通し読みする必要はないからね。自分の好きな時に、ゆっくり時間をかけて味わってくれればそれでいい ― 君の「本物の女らしい」感覚に従ってね。報告書もいらないし、これといって決まった結論も出さなくていい。ただ楽しんでくれればそれでいいんだ、それが本物かどうかとか実際の性別は女か男かなんて気にしなくてもいい・・・俺が個人的に申し添えた意見なんかも無視していいからね。
さやか:じゃ、そうさせてもらいます。素敵な贈り物、どうもありがとうございます、冗悟サン。
冗悟:こちらこそ、その素晴らしい好奇心に感謝するよ、さやかさん。じゃまた別の「恋」の歌で会おうね。
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19)(題しらず)
おもひつつぬればやひとのみえつらむゆめとしりせばさめざらましを
「想ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば醒めざらましを」
『古今集』恋・五五二・小野小町(をののこまち)(c.825-c.900:女性)
『恋しい、恋しい、と思いながら寝入ったせいかしら、あの人が夢に出てきたのは・・・あぁ、夢だとわかっていたならば、目覚めて再び一人ぼっちの現実に戻るようなまねはしなかったはずなのに。』
My passionate love toward you brought you into my dream, it seems.
Had I known it was a dream, I shouldn’t have woken up again
Into this solitary life I spend without you in sight.
おもふ【想ふ】〔他ハ四〕(おもひ=連用形)<VERB:yearn for, pine after>
つつ【つつ】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SIMULTANEITY):while>
ぬ【寝】〔自ナ下二〕(ぬれ=已然形)<VERB:go to bed, fall asleep>
ば【ば】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(REASON):because>
や【や】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(INTERROGATIVE):?>
…is it because I slept thinking about him
ひと【人】〔名〕<NOUN:the one I love>
の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SUBJECT)>
みゆ【見ゆ】〔自ヤ下二〕(みえ=連用形)<VERB:appear, make one’s presence>
つ【つ】〔助動タ下二型〕完了(つ=終止形)<AUXILIARY VERB(PERFECT TENSE)>
らむ【らむ】〔助動ラ四型〕現在推量(らむ=連体形係り結び)<AUXILIARY VERB(SUPPOSITION):I imagine>
…I’ve seen the man I’m so much in love with in my dream
ゆめ【夢】〔名〕<NOUN:a dream>
と【と】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(COMPLEMENT)>
しる【知る】〔他ラ四〕(しり=連用形)<VERB:know, realize>
き【き】〔助動特殊型〕過去(せ=未然形)<AUXILIARY VERB(PAST)>
ば【ば】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(CONDITION):if, when>
…if I had known it was a dream
さむ【覚む】〔自マ下二〕(さめ=連用形)<VERB:wake up, break away from a dream>
ず【ず】〔助動特殊型〕打消(ざら=連用形)<AUXILIARY VERB(NEGATIVE):not>
まし【まし】〔助動特殊型〕推量(まし=終止形)<AUXILIARY VERB(SUBJUNCTIVE)>
を【を】〔間投助〕<INTERJECTION>
…I would never have woke up from the dream
《omoi tsutsu nure ba ya hito no mie tsuramu yume to shiri seba samezara mashi wo》
■ニセモノか本物か? ― 決めるのは君だ ― 「小町歌」のすべて、お楽しみあれ■
***「小野小町」作とされる28首の短歌のすべて***
●『古今集(905年)』より18首:
1)春・一一三《はなのいろはうつりにけりないたづらに わがみよにふるながめせしまに》 花の色は移りにけりな徒らに 我が身世に経る眺めせしまに(美しかった花の色も、もう色褪せてしまったみたい・・・結局、何もないままに・・・春の長雨が降るうちに・・・ぼんやりと物思いに沈んで日々を過ごしている間に・・・いつの間にか齢をとってしまったこの私みたいに)
・・・上のエピソードの中でさやかさんが詳しく述べてくれた「小野小町」の伝説への貢献度が最も高い短歌が、これ。
2)恋・五五二《おもひつつぬればやひとのみえつらむ ゆめとしりせばさめざらましを》 思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを(恋しい、恋しい、と思いながら寝入ったせいかしら、あの人が夢に出てきたのは・・・あぁ、夢だとわかっていたならば、目覚めて再び一人ぼっちの現実に戻るようなまねはしなかったはずなのに)
・・・この短歌は、 1)小町は誰かに片思い中 あるいは 2)小町の思い描く男性の理想は現実離れして高すぎるので、そんな男に出会えるのは彼女の夢の中ぐらい、と言っているようです。
3)恋・五五三《うたたねにこひしきひとをみてしより ゆめてふものはたのみそめてき》 うたた寝に恋しき人を見てしより 夢てふものは頼み初めてき(うたた寝の夢の中で恋しいあの人に出会って以来、「夢」というものに期待をかけるようになってしまった私です)
・・・一つ前の短歌と明らかに同じ作者(小町であるか否かは別にして)の手になるもう一つの「夢」の詩。
4)恋・五五四《いとせめてこひしきときはうばたまの よるのころもをかへしてぞきる》 いとせめて恋しき時は鳥羽玉の 夜の衣を返してぞ着る(恋しくて恋しくて仕方がない時には、夜の寝間着を裏返して着ます・・・そうすると、夢の中で恋しい人に逢えるんですって)
・・・この短歌は「小野小町」個人の性格描写ではなく、「夢の中で恋しい誰かに出会う方法」として当時広まっていた伝説・風習を読者に紹介しようとしたもの。
5)恋・五五七(離れている間、小町に逢えない悲しさに「着物の袖が涙で濡れている」と言ってよこした男への返答として)《おろかなるなみだぞそでにたまはなす われはせきあへずたぎつせなれば》 疎かなる涙ぞ袖に玉は成す 我は堰き敢へず滾つ瀬なれば(「涙の玉が着物の袖にいっぱい」なんて、それは落ちる涙の量が少ないからでしょうよ。私なんて、こらえきれない涙が洪水のように溢れてもう溺れそうなんですから)
・・・あー、小町さん、このお話の中ではもう「人妻」になっちゃってますね。この短歌の作者は「普通の男には手の届かない孤高の美人」という小町の伝説には詳しくないか無頓着な人だったようです・・・あるいは、この歌人がこんな短歌を作ったのは(次のエピソードの最後に紹介する予定の)『伊勢物語』「身を知る雨」(=愛の深さを測る雨)の有名なお話に触発されて、自らの文学的知識を誇らしげにひけらかす勝利のトロフィー(trophy=記念碑)としてのことなのかもしれません。(第二十話参照)
6)恋・六二三《みるめなきわがみをうらとしらねばや かれなであまのあしたゆくくる:mirume naki wa ga mi wo ura to shiraneba ya kare nade ama no ashi tayuku kuru》 海松布/見る目無き我が身を浦/心と知らねばや 枯/離れなで海人の足弛く来る/明日行く来る(「私との逢瀬なんて夢のまた夢」ってことを知らないからかしら、飽きもせず、ご苦労様にも、足繁く通ってくるわかってない男たちの行列が今日も明日も引きも切らない)
・・・うーむ・・・この短歌の作者(100%間違いなく「男」)は明らかに「薄情な女」への恨み辛みを抱えてますね(おそらく自分自身の過去の苦い経験の結果として)。おそらく彼(間違っても「彼女」ではない)は、先々への布石を打っているつもりなのでしょう ― 「若い頃に人気がありすぎた女には、その後半生に悲しく寂しい運命が待っている」と・・・もっとも、こんなひどい歌じゃそれは小町伝説に「クソをボトボト落としている」みたいなもんだけど。
7)恋・六三五《あきのなもなのみなりけりあふといへば ことぞともなくあけぬるものを》 秋/飽きの夜も名のみなりけり逢ふと言へば 事ぞともなく明けぬるものを(夜長の代名詞の「秋」、「飽きが来る」の掛詞の「秋」、そんなの関係ないわね、愛しい人とお部屋の中で過ごす秋の夜は、まだまだ飽き足りないうちに「もう明けちゃったの?」ってぐらい呆気なく早く夜明けが来てしまうんだから)
・・・おめでとう小町さん、君はようやく夢にまで見た彼氏と「夢」の中ではなくお部屋の中で(あるいはベッドの中で)愛し合えたわけだ!・・・短歌としてはまぁ、良い作品です;が、小町伝説のエピソードとしては取り立てて興味ある代物ではありません。
8)恋・六五六《うつつにはさもこそあらめゆめにさへ ひとめをよくとみるがわびしさ》 現には然もこそあらめ夢にさへ 人目を避くと見るが侘びしさ(現実の中では人目を気にして逢えないのも我慢するけれど、人目をはばかることもない夢の中でさえ私に逢いに来てくれないのか、私のことなんて気に懸けてもくれないのか、と思うと、悲しい気持ちです)
・・・「夢見る小町」と、次に示す藤原敏行(ふじわらのとしゆき)の短歌のコラボレーション(共同制作):
《すみのえのきしによるなみよるさへや ゆめのかよひぢひとめよくらむ》 住江の岸に寄る波夜さへや 夢の通ひ路人目避くらむ(住吉の岸辺に打ち寄せる波・・・寄せては返す波のごとく、私の心も揺れています ― どうしてあなたに逢えないのだろう、と・・・昼日中には会えぬまでも、せめて夜の夢の中ぐらいは逢ってくれてもいいでしょうに、その通い路さえも閉ざされているなんて・・・辛すぎます)
9)恋・六五七《かぎりなきおもひのままによるもこむ ゆめぢをさへにひとはとがめじ》 限りなき思ひのままに夜も来む 夢路をさへに人は咎めじ(もしあなたが/わたしが、お互いのことを思っているのなら、その思いのままに夜の夢の中で心ゆくまで逢いましょう。昼日中の逢瀬にはうるさい世間の人達も、夢の中まではとやかく言わないはずだから)
・・・「小町と敏行のコラボレーション・パートII」・・・必ずしも彼らの手になるものではないけどね(恐らくは『古今集』編者(たち)の作ったもの)
10)恋・六五八《ゆめぢにはあしもやすめずかよへども うつつにひとめみしごとはあらず》 夢路には足も休めず通へども 現に一目見し如はあらず(夢の中ではたゆまず通い続けて何度も何度もお逢いしたあなたでしたが、現実の逢瀬の中で一目見たあなたの素晴らしさに比べれば、夢の中のあなたなどものの数ではありませんでした)
・・・むーん・・・この短歌の作者、小野小町の「性別」及び「伝説」には無知の様子・・・さもなくば「彼」(絶対に「彼女」ではない!)の作った架空の「後朝の文」のあまりの素晴らしさにうぬぼれて、その(「男」の立場で詠んだはずの)歌を「幾多の男性求愛者に対する冷たい態度で伝説となった女性」の名で世に出す衝動を抑えきれなくなった模様・・・何にせよズサンな仕事っぷり。
11)恋・七二七《あまのすむさとのしるべにあらなくに うらみむとのみひとのいふらむ》 海人の住む里の標にあらなくに 浦見/恨みむとのみ人の言ふらむ(漁師の里でもあるまいに、「浦(=浜辺)見ます」ならぬ「恨みます!」と人々が口々に言うのは、いったいどういうわけかしら?)
・・・それは、貴女が「並々の男の恋人になんてならないほどに美しく魅力的な女性」ということに世間ではなっているからだよ、小町さん。
12)恋・七八二《いまはとてわがみしぐれにふりぬれば ことのはさへにうつろひにけり》 今はとて我が身時雨に降/古りぬれば 言の葉さへに移ろひにけり(私の人生の春・夏・そして秋さえもすでにもう過ぎ去ってしまい、今はもう時雨の季節、寂しい秋の終わりを告げ、木々の緑は黄色から赤へ移り変わり、かつては伝説にまでなった私の女性美も、私の若々しい愛を求めて殺到したおびただしい数の恋文も、今はもう過去のもの、その面影もない)
・・・ここで突如、小町は自分がもう若くなく、悲しく寂しい身の上となっていることを悟る・・・うら若き乙女たちよ見るがよい、光陰矢の如し・・・花実は摘めるうちに摘め!
13)恋・七九七《いろみえでうつろふものはよのなかの ひとのこころのはなにぞありける》 色見えで移ろふものは世の中の 人の心の花にぞありける(花ならば徐々にその色合いも変わるもの・・・だけど、男の人の愛情なんて、色も見せずにいきなりさめてそれっきり、後は見向きもしなくなるもの)
・・・自分がかつてほど若くも美しくも人気者でもなくなってしまったことに気付いた後で、小町さんは男の愛情の移ろいやすさを歎いています・・・たぶん彼女は、自分の愛情を求めて必死に言い寄ってきた男達に対して自分がいかに冷淡な態度を取ったかなんて、もう忘れているんでしょう。
14)恋・八二二《あきかぜにあふたのみこそかなしけれ わがみむなしくなりぬとおもへば》 秋風に逢ふ頼みこそ悲しけれ 我が身空しくなりぬと思へば(春の若々しさ、夏の情熱、そんなのもう今の私には期待できないことは知っています。せめて涼しげな秋の風みたいに優しい男の人が現れて、こんな私をどこかへ連れて行ってくれ・・・ない、でしょうね、もはや人生の秋・冬の段階を迎えた女のことなんて、男の人が構ってくれるはず、ないですものね)
・・・小町さん、人生の秋の最終段階にあって、自分を拾い上げてくれる男性はいないものかしら、と必死になってます;が、愛する伴侶もいない孤独な冬の到来も、薄々感じているようです。
15)雑・九三八・文屋康秀(ふんやのやすひで)が「三河の豫:みかわのぞう」という地方官となって「田舎見物においでになる気はありませんか?」と尋ねてよこしたその返事に詠んだ歌 《わびぬればみをうきくさのねをたえて さそふみづあらばいなむとぞおもふ》 侘びぬれば身をうき草の根を絶えて 誘ふ水あらば往なむとぞ思ふ(私もすっかりくたびれてしまいました。まだ誰のものにもなりきれずに水の中をふわふわ漂う浮き草みたいな悲しい一人身ですが、こんな私でも誘ってくれる水があれば、この際、住み慣れた場所からも根を引っこ抜いて、誘われるままにどこへでも行こうという気分になっています)
・・・あわれ小町さん、自分で自分の投げ売りを始めました・・・「或る阿呆女の一生」にはふさわしい幕切れ、ということでしょうか?・・・少なくともそれが「小野小町、その美、恋、そして人生」の劇的展開に関する後代日本人全般の解釈のようです。
16)雑・九三九《あはれてふことこそうたてよのなかを おもひはなれぬほだしなりけれ》 哀れてふ事こそうたて世の中を 思ひ離れぬ絆しなりけれ(辛く苦しいことだらけのこの俗世間を嫌い、仏の道に入ろうと思っても、なかなかそう思い切れないのは、「あはれ」という感情を捨てきれないからこそだ、とわかりました)
・・・宗教の道よりも人間的情念を好んだ一人の詩人が、「彼」(それとも「彼女」?)の個人的信念を世間に知らしむる上で、有名な「小野小町」の名をもって世間の耳目を集めようとしたもの・・・あるいはひょっとすれば、小町の人生を「或る阿呆女の一生」扱いしてしまった罪滅ぼしをしたいと考えた「彼」(『古今集』の男性編者の一人で、恐らくは紀貫之)が、彼女の姿を少しばかり哲学的に演出してあげようと欲したもの、か?
17)俳諧・一〇三〇《ひとにあはむつきのなきよはおもひおきて むなはしりびにこころやけをり》 人に逢はむ月の無き夜は思ひ掟て 胸走り火に心焼け居り(月明かりもないために愛する人が私の部屋を訪れてくれる当てのない夜でも、私の胸は今度逢う時のことを思い、逢えぬ辛さと逢った時の期待とで、ドキドキ高鳴りメラメラ燃えているのです)
・・・これはあらゆる「小町歌」の中で一番「女らしい」と言ってよい歌・・・なのに「俳諧歌(はいかいうた=冗談ソング)」の一編として片付けられているのは何とも奇妙。
18)物名・一一〇四(「おきのゐ」・「みやこしま」を詩文中に含ませるもの)《<おきのゐ>てみをやくよりもかなしきは <みやこしま>べのわかれなりけり》 燠の居て身を焼くよりも悲しきは 都島辺の別れなりけり(炭火の燃えカスの「おき」の居る情景、じゃないけれど、身を焼くよりも悲しい思いがするのは、遠く離れた島へと去るあなたと別れて都に居残る私の境遇です)
・・・この短歌は軽い言葉遊び、その唯一の目的は「お・き・の・ゐ」・「み・や・こ・し・ま」という文字列を内包すること。おそらくそれは古い日本の地名なのだろうけど、それが何処かは、どんな学者さんの資料にも想像の枠内にもありません・・・ひょっとすればこの短歌は「九三八番歌の続編」として作られたもので、小野小町が結局(三河へ行った)文屋康秀に捨てられて居残ったことを示唆するものなのかもしれません。
・・・かくて「若い頃には大変美人で魅力的だった女性が人生の後半生ではひどく絶望的で孤独な状況に陥る」という教訓話は完結した・・・ので、以下のリストは「小野小町」の名を安直な客寄せパンダとして使おうとするどこぞの歌人どもの気まぐれによって付け加えられただけのどうでもいい余分なエピソード群(・・・と、之人冗悟は自らの詩的感性以外何の証拠もなしにそう断言するのであった)。
●『後撰集(953-958年)』より4首:
19)恋・七八〇《こころからうきたるふねにのりそめて ひとひもなみにぬれぬひぞなき》 心から浮きたる舟に乗り初めて 一日も波に濡れぬ日ぞなき(心の浮き沈みに合わせて揺れ動く船に乗ってしまったみたいなこの恋愛の始まりからずっと、私の着物の袖が辛い涙に濡れない日は一日だってありません)
・・・まぁ確かに良い短歌です。その詠み手もおそらくそう確信したので、彼/女自身の作品を伝説の「小野小町」名義で出してしまおうと思い立ったのでしょう。この当時(『古今集』から半世紀後の『後撰集』の時代)には、先行する『古今集』の18の短歌によって「小野小町」のイメージはすっかり確立されていたのでした。
20)雑・一〇九一《あまのすむうらこぐふねのかぢをなみ よをうみわたるわれぞかなしき》 海人の住む浦漕ぐ舟の舵を無み/波 世を海/倦み渡る我ぞ悲しき(漁師の住む浜辺を漕ぎ進む船の舵が無くなったような状態で、あてもないこの世の中で憂鬱に生き続けている私の身は、悲しいものです)
・・・『古今集』六二三番歌および七二七番歌のお話に関連するもの、かもしれません。
21)雑・一一九六・いその神といふ寺に詣でて日の暮れにければ、夜明けて罷り帰らむとて留まりて、この寺に遍昭侍ると人の告げ侍りければ、物言ひ心見むとて言ひ侍りける(石上という寺に参詣して、日没になったので、一晩泊まって夜明けに帰ろうと思って逗留したところ、その同じ寺に僧正遍昭(そうじょうへんじょう)が居ると誰かが小町に告げたので、このかつての伝説の色男に誘いかけてみて彼がどんな人物か確かめてみようと思って、詠んだ歌) 《いそのかみにたびねをすればいとさむし こけのころもをわれにかさなむ》 岩の上に旅寝をすればいと寒し 苔の衣を我に貸さなむ(旅の空なので寝る時の枕も岩の上・・・私、とても寒いです。そばにある苔が私に覆いかぶさって暖めてくれればいいのですけれど)
・・・小町さん、旅に引っ張り出されてます ― 理由はひとつ ― この短歌の作者が「”男喰らいの”小野小町」と「”女ゴロシの”僧正遍昭」という豪華な色好みカップルを誕生させてみたかったから・・・なんとなく「エイリアン対プレデター(Alien vs. Predator)」や「キングコング対ゴジラ(King Kong vs. Godzilla)」や「ブルース・リー対宮本武蔵」に似てなくもない取り合わせ・・・日本の伝説の中の有名人たちは ― 昔も今も ― こんなどこの馬の骨が放り散らかしたか知れたもんじゃないデタラメ話(を、みんなしてなぁーんにも考えずに鵜呑みにしたもの)に対して抗弁する権利も何も与えられていないのであります。
22)羈旅・一三六一《はなさきてみならぬものはわたつうみの かざしにさせるおきつしらなみ》 花咲きて実ならぬものは渡津海の 頭挿に挿せる沖つ白浪(花は咲いても実はならない、その虚しさは、海の上で白く泡立つ波頭の上に咲く水しぶきも同じ・・・そして、この私の境遇も)
・・・『後撰集』当時には、「小町」に関する伝説にはどうやら「海」にまつわる何かが付き物だったようです。
・・・最初の二つの勅撰和歌集(『古今集』・『後撰集』)以降、短歌作者たちは「小町」の名前をもてあそぶことはしなくなりました・・・「小野小町」の名前(と作品)は、以後の勅撰集ではパッタリと登場しなくなったのでした・・・八代集最後のやつがこの伝説の「平安調短歌のヴァーチュアル・アイドル(架空の偶像)」への賛辞をたぁーんまりと注ぐまでは:
●『新古今集(1210-1216年)』より6首:
23)秋・三一二《ふきむすぶかぜはむかしのあきながら ありしにもにぬそでのつゆかな》 吹き結ぶ風は昔の秋ながら ありしにも似ぬ袖の露かな(私の着物の袖に吹き付ける風は、今も昔も変わらぬ秋の風、だけど今の私は昔の美しい私とは似ても似つかぬとうのたった女、その袖も悲しい我が身を歎く涙で濡れている)
・・・たぶん『古今集』八二二番歌に触発されたもの。
24)秋・三三六《たれをかもまつちのやまのをみなへし あきとちぎれるひとぞあるらし》 誰をかも待つ乳の山の女郎花 秋と契れる人ぞあるらし(誰を待ってるのか、どんな女のおっぱいをしゃぶりたいというのか、「待乳山(オッパイまつ山)」というエロチックな名の土地で、これまた官能的な「女郎花(美女のお花)」と愛の営みを交わした男がいるらしい・・・人間が一人か二人、体重かけて押し倒したみたいにこの「美女の花」が寝転がっているからねー(ほんとは風に倒されただけなんだけどさー))
・・・文字通り訳せば「待乳山」と「女郎花」はそれぞれ「ママの胸からおっぱいしゃぶるのを待ってる山」と「ご婦人の花」である・・・行儀作法もわきまえず、この短歌の作者はどうも「乳(=ちくび)」だの「女(=びじん)」だの「小野小町(おののこまち=最高にセクシーな男のオモチャ)」だのといったなまめかしい語句が引き起こすとりとめもない想像に、性的興奮を覚えちゃったらしい。
25)哀傷・七五八《あはれなりわがみのはてやあさみどり つひにはのべのかすみとおもへば》 哀れなり我が身の果てや浅緑 遂には野辺の霞と思へば(私のこの身のなれの果ては、官位を示す衣服の色も「緑」の低い身分のまま、ついには野辺送りの虚しい煙と消え果てるのかと思うと、我ながら哀れを禁じ得ない)
・・・なんとヘンテコな詩だろう!・・・この短歌の作者は「彼」の朝廷に於ける低い地位を歎いている ― 「浅緑」の色は公職のシンボルカラー中最低の色なのだ ― 本来ならこの人、仮りにも「小野小町」を名乗るからには、「彼女」の過ぎ去りし美についての嘆き節繰り広げてないとダメなのに。
26)哀傷・八五〇《あるはなくなきはかずそふよのなかに あはれいづれのひまでなげかむ》 在るは亡く亡きは数添ふ世の中に 哀れいづれの日まで歎かむ(かつて存在した人はもうこの世になく、すでにこの世を去ってしまった人の数ばかり増して行くこの世界に、取り残されて寂しく泣く日々を、私はこの先いつまで続けることになるのだろうか?)
・・・「喪失」を悼むだけの歌、というのでは「小野小町」の名を冠するにはあまりにも漠然としすぎている ― 文学的に言って「小町歌」の悼む「喪失」対象はその伝説的な「美の喪失」に限定しないと話にならないのだから・・・小町伝説に対する十分な知識も敬意も持ち合わせぬ思い上がった歌人どもの手で作り散らされたニセモノ・・・こういう嘆かわしい代物が、時代を下るにつれてどんどん増えて行くわけだ。
27)恋・一四〇五《わがみこそあらぬかとのみたどらるれ とふべきひとにわすられしより》 我が身こそあらぬかとのみ辿らるれ 訪ふべき人に忘られしより(私の部屋までの道のりを辿って来てくれて当然の男の人はもう、私のことを忘れてしまった・・・以来、「私って、本当に生きてこの世に存在しているのかしら?」と思って我が人生の痕跡ばかり思わず探してしまう今の私なのです)
・・・「辿る」(=道を通って誰かの所へ行く/かつての存在の痕跡を追跡調査する)という語句を注目の的に据えて、トンチを効かせた短歌・・・ただそれだけ。
28)雑・一八〇二《こがらしのかぜにもみぢてひとしれず うきことのはのつもるころかな》 木枯らしの風にもみぢて人知れず 憂き言の葉の積もる頃かな(秋の木の葉を枯らして散らす木枯らしの風に紅葉も散って、木々の上にあった頃にはその艶やかな色合いで人々の耳目を集めたものの、今はもう誰にも見向きもされない落ち葉としてただただ地べたを這って朽ち果てるばかり・・・そんな哀れな木の葉にも似た今の自分の境遇を歎く言葉ばかり積もり積もってしまった私です)
・・・うん、まぁこれは「小町歌」<冬ヴァージョン>としては悪くない短歌かな・・・もっとも、人々があんなにちやほやもてはやして大事に心にしまっているのは<春ヴァージョン>(『古今集』一一三)のほうだけど・・・でも、この歌(「彼女」かな?)、個人的には好きです。
***オマケ-1***
・・・「小町が姉」(小野小町のお姉さん)が作ったとされる短歌
ex-1)『古今集』恋・七九〇《ときすぎてかれゆくをののあさぢには いまはおもひぞたえずもえける》 時過ぎて枯/離れ行く小野の浅茅には 今は思ひぞ絶えず燃えける(時が流れ、木々も枯れ、人の思いも離れて行くばかりの小さな野原の低木の上には、忘れ去られた悲しい女の思いばかりが常に燃えくすぶっているのです)
・・・何故「小野の浅茅」なのかって? ― 「小野」だから・・・ただそれだけ。
ex-2)『後撰集』恋・六一七《わがかどのひとむらすすきかりかはむ きみがてなれのこまもこぬかな》 我が門の一叢薄刈り飼はむ 君が手馴れの駒も来ぬかな(あなたが訪問しやすいように、私の家の門の周りの薄の群れを刈り取りましょう。刈り取った草はお馬さんの餌として取っておきましょう。この刈り草が食べたくて、あなたの飼い慣らした愛馬も来てくれるかしら?)
・・・うぅーん・・・かわいい歌、冗悟サンの目にはこれぞ「本物の女歌」と映るのだけれど・・・どう思う、さやかさん?
ex-3)『後撰集』恋・八九六《ひとりぬるときはまたるるとりのねも まれにあふよはわびしかりけり》 独り寝る時は待たるる鳥の音も 稀に逢ふ夜は侘しかりけり(あなたも来てくれず、私一人で寂しく独り寝の夜には、早く夜明けにならないかなぁと待ち遠しい鶏の朝の一声も、たまにあなたが来てくれて愛の一夜を一緒に過ごす時には、いつまでもずっと愛し合っていたい私の気持ちに水を差すように「もう朝ですよー、コケコッコー!」なんて早くも鳴いて、悲しい気持ちにさせるもの)
・・・「伝説の美女の姉」を自称する女性にはふさわしい官能的で色っぽい歌。
ex-4) 『後撰集』雑・一二九一《よのなかをいとひてあまのすむかたも うきめのみこそみえわたりけれ》 世の中を厭ひて海人/尼の住む方も 浮/憂き目のみこそ見え渡りけれ(俗世に背を向けて尼寺に入ってもなお、私を見る世間の辛い目ばかりはずっと付いて回るのですね)
・・・この短歌の作者にとっては、尼寺こそが「伝説の娼婦の姉」としてひどく辛い扱いを受けた女の落ち着き場所にはふさわしい、と感じられたのでしょう。
***オマケ-2***
・・・「小町が孫(こまちがうまご)によって作られたとされる短歌」
『後撰集』雑・一二六八・あだ名立ちて言ひ騒がれける頃、或る男仄かに聞きて、哀れ、如何にぞ、と問ひ侍りければ(浮気の噂が立って騒がれた時、ある男がそれを小耳に挟んで「なんてことを、それって本当なのか?」と聞いてきたので)《うきことをしのぶるあめのしたにして わがぬれぎぬはほせどかわかず》 憂き事/言を忍ぶる雨/天の下にして 我が濡れ衣は干せど乾かず(辛い醜聞が立つ世の中をじっと耐え忍んで生きている私ですが、根も葉もない噂の辛さに流す涙に私の袖は濡れ衣状態、乾く暇もありません)
・・・「小町が孫」としての穢れた風評は、「小町」と一言口にしただけでたちまち火がつく無根拠な(それでいて不思議と「いかにもありそうだな」と思わせる)イメージのせい ― この短歌の作者も放火魔の一人 ― だと思うのだけれど・・・いかがお考えでしょうか、我が愛しの読者[たち]は?
実際の会話相手の提供はしませんが、「さやかさん/冗悟サン」との知的にソソられる会話が出来るようにはしてあげますよ(・・・それってかなりの事じゃ、ありません?)
現時点では、合同会社ズバライエのWEB授業は、日本語で行なう日本の学生さん専用です(・・・英語圏の人たちにはゴメンナサイ)