23)(年頃逢はぬ人に逢ひて後に遣はしける)
あひみしをうれしきこととおもひしはかへりてのちのなげきなりけり
「逢ひ見しを嬉しき事と思ひしは却りて後の嘆きなりけり」
道命法師(だうみゃうほふし)
★くやんでみせるのはおねだりのため ― さやか、ヘンな恋文におびえる★
冗悟:今日はまたようこそ、「恋の裏側」へ、さやかさん。これは昔の恋人に先日偶然出くわした男が彼女に送った詩なんだけど・・・君がどう感じるか、とっても興味あるケースだね。
さやか:前回の詩の時にたっぷり話し合ったのと同じテーマのような気がするんですけど。
冗悟:そう言うと思った。じゃ、聞かせてくれる、さやかさん、かつて恋したけど今は冷めちゃった相手からこの短歌をもらったら、君、どう感じる?
さやか:相当悲しいと思います。
冗悟:どうして悲しく感じるのかな?
さやか:この男性、「君になんて逢わなきゃよかった」って言ってるみたいだからです・・・ただ単にこないだ、わたしとの恋が終わった後で、再会しなければよかったって言ってるだけじゃなくて、わたしになんて最初から出会わなければよかった、わたしとなんて恋に落ちなければよかった、わたしたちの愛なんて永遠に記憶の中から消し去りたい、って言ってるみたいだから・・・こないだ冗悟サンが言ってたみたいに。(第二十二話参照)
冗悟:君はそれが嫌なんだね?
さやか:彼が嫌い、ってわけじゃないです。一緒に恋に落ちるほど愛した男性のこと、嫌いになりたくないから・・・でも、その彼がそういう考え方するのは、イヤです。まるでわたしのこと彼の記憶の中で殺そうとしてるみたいで。わたしは、彼にも、かつてわたしが愛したすべての人たちにも、記憶の中で永遠にわたしと一緒に生きててほしい。彼らとの出会いも、別れすらも、彼が言うように「嘆きの元」になんて絶対なりません、わたしの場合。彼らとは実生活の中ではいつまでも一緒にいられないことはわかってます、でもそれでも、いいえ、それだからこそ、彼らと一緒にすごしたどの瞬間も大事にとっておきたいんです、わたしが生きてる間はずっと、たとえ彼らはもうわたしと一緒にいなくても・・・冗悟サンの人生からわたしがいなくなったら、わたしのこと忘れちゃいますか? わたしの存在を記憶の中から消し去りたいって思いますか、冗悟サン?
冗悟:もちろん思わないさ。
さやか:これが「恋愛」じゃなくて、単なる「知的会話」だから、ですか?
冗悟:恋愛だろうがなかろうが、何だろうがとにかく、君のことは決して忘れないよ。
さやか:でも前回は、昔の恋人のことなんて忘れちゃいたい、って言ったじゃないですか。
冗悟:「できれば忘れたい、忘れられっこない、とは分かってるけど」って言ったのさ。彼女のこと、記憶の中から消し去ることなんてできないってわかってるからこそ、「彼女と最初から出会ってなければなぁ」なんて想像をもてあそぶこともできるわけだよ。そうして彼女に出会わず彼女と恋に落ちてもいない自分を想像するたびに、彼女が自分にとってどれほど大事な存在だったか、彼女と一緒に過ごした経験がどれほど貴重なものだったか、思い知らされるわけさ。言い換えれば、俺が彼女のこと忘れようとするのは、思い出の中でより一層彼女を強く愛したいからこそ・・・君が俺のこと、ほんわかとした君の記憶の中で懐かしがる以上に、そうなのかもよ・・・おっといけない、またもや君を置いてけぼりにしちゃった・・・今のは忘れておくれ ― 実際失恋するまではわかりっこないことだから。いずれ時が来ればわかるけど、今ここで君に言ったって、君にはあまり意味のないことだから。
さやか:冗悟サンがそう言うなら・・・それでもわたし、この詩人が短歌の中で彼女に「君との出会いは自分にとって将来の嘆きの元だった」なんて言うのは、あんまりだと思います ― 彼女、彼の言葉に深く傷ついてると思う。
冗悟:もし君が彼女なら、傷付いて、そんなこと言うやつは、それ言った分だけ嫌いになるかな?
さやか:たぶん。それでも彼のこと、記憶から消しちゃえ、なんて思いませんけど。
冗悟:でも、彼の方では君のことを記憶から消そうとしている、って君は思う?
さやか:そう思います。それとも冗悟サンは、彼が悲しい記憶の中でわたしのことより強く愛するためにだけ「わたしと会わなきゃよかった」なんて考えをもてあそんでる、って言うんですか?
冗悟:いや。そうした考えをもてあそんでも許されるのは、自分の頭の中だけ、あるいは独り言めいた短歌の中だけの話で、彼女に送った手紙の中でするべきことじゃない。君のこと、空想の世界の中でおもちゃにしてもいいけど、生身の君をおもちゃにしちゃいけないよ。
さやか:わたしもそう思います。
冗悟:「君とは最初から会わなきゃよかった」なんて考えを、君に送った手紙の中でもてあそぶなんてひどい男だって、さやかさんはそう思う?
さやか:もちろんです・・・冗悟サンだってそう思うでしょ?
冗悟:うーん・・・それは実に繊細な問題で、答えるのが難しいな。
さやか:これのどこが繊細なんですか? この手紙には繊細さのかけらもないじゃないですか!
冗悟:「繊細さのかけらもない」って、君には、それと大抵の人には、見えるかもしれないね・・・けど、もし彼が「君には最初から会わなきゃよかった」って考えをただもてあそんでるだけじゃないとしたら、どうする? ひょっとしたら彼は、君と「恋の裏側」でもう一度逢いたい、なんて考え、もてあそんでるのかもしれないよ。
さやか:恋の裏側で?(on the reverse side of love)
冗悟:あるいは、 恋の「再生」と言うべきかな?
さやか:再生?(rebirth)それって、燃え尽きた愛のろうそくにもう一度わたしと一緒に火を灯したい、ってことですか?
冗悟:ひょっとしたら。
さやか:ありえない!
冗悟:どっちの意味かな ― 彼ともう一度恋に落ちるなんて、君には「ありえない!」のか、それとも、そんなわけのわからないやり方で彼のこともう一度愛しておくれなんて君におねだりしてくる彼の振る舞いが「ありえない!」のか?
さやか:わかりません。彼がじっさい何言いたいのか・・・あるいはしたいのか・・・わたしには全然わかりません。
冗悟:君の気持ち、わかるよ。君よりずっと早くずっと深く君への恋に入れ込んじゃう男って、一度目だろうが二度目だろうが、ほんと気味悪いからね。この手紙、もしそれが彼のこともう一度愛してほしいって君におねだりしてたとしたら、さやかさんにとって相当気味の悪い代物に感じられるんじゃないかな?
さやか:そう思います。実際そういう状況にならないと自分がどう感じるかはわからないけど・・・できればそういうややこしい状況にはなりたくないです。
冗悟:ややこしい、うん、確かにそうだね・・・「恋愛」ってやつは説明がつかないほどややこしいよ、大抵の場合。
さやか:教えてください、冗悟サン、この短歌ってほんとうに「恋の再生」を願って詠んでるんですか? 実際彼は、遠い昔に燃え尽きた愛のろうそくにもう一度火を灯してほしい、って彼女におねだりしてるんですか?
冗悟:君がそう感じるなら、そう。感じないなら、そうじゃない。全て君次第さ、さやかさん。
さやか:でも彼はじっさい、「彼」の側としては実際、彼女に対して「愛の裏側」でまたお逢いしたい、って言ってるんですよね?
冗悟:ああ、彼はそう言ってる・・・もっとも彼がそんなこと言ってるなんて気付く人はほとんどいないだろうけどね・・・でもそんなこと彼は気にしない ― 君が、さやかさんさえ気付いてくれて、彼の願いに優しく応えてくれればそれでいいのさ・・・全ては君次第、君一人にかかっているんだよ、さやかさん。もしこの手紙が君の心の中の愛情に再び火を灯したなら、彼は嬉しいだろう。もしこの手紙が君を悲しくさせただけなら、彼もまた君と一緒に悲しむだろう・・・悲しみの質は少し違うけどね・・・そしてその違いが、君と彼との感情温度の違いが、君なしで生きて行かなきゃならない新たな現実へと、彼の目を覚まさせてくれるだろう。どっちに転んでも、彼にとってはいいことなのさ、君にとってはよくないかもしれないけどね。これはそういう詩なんだよ。
さやか:(…)この詩にそんな深い意味があるなんて、知りませんでした。
冗悟:それと、「恋愛」にいかに深い意味があり得るかも、知りませんでした、かな?
さやか:はい・・・ちょっと怖くなってきました。
冗悟:恋文も、君が怖がって逃げちゃったら、失敗作だな。この短歌のメッセージ ― 恋の裏側でもう一度お逢いしましょう ― は、さやかさんに対しては全くの不発だったわけだね・・・無理もないよ、君はまだ恋に破れたこともないんだから、再び恋に落ちるなんて「ありえない!」ものね・・・でもまぁ、何にせよ楽しんでもらえたかな?
さやか:「楽しむ」なんて気持ちじゃ全然ないです、今のわたし・・・ただもうびっくり。
冗悟:安直な一本道ばかりの恋愛なんて退屈だろうから、そこかしこに迷宮が待ち構えてる、ってのも悪くはないと思うよ・・・まぁこれは俺の感じ方で、君には君の感じ方があっていいんだけどね。恋人どうしが何をするにしても全て同じ感じ方でないといけないって法はないんだから。恋の始まりと、終わりと、ひょっとして再生の時だけは、二人同時じゃないとマズいけどね・・・おっと、忘れるところだった ― 君と俺とは「恋人どうし」じゃなくて、ただの「パートナー」だったね、「恋愛」を中心に展開する楽しい(時には怖い)詩的冒険の。楽しんでもらえるといいんだけど・・・冒険はまだこの先も続くからね。
さやか:相手の女性は、彼にどう応えたのかしら? ― 彼らに「愛の裏側」の出逢いはあったんですか?
冗悟:それはわからないね・・・わかってることはただ「そこは俺たちの出る幕じゃない」ってことだけ ― 「恋愛」は、当の本人以外の誰が口出しすべきことでもない。俺たちとしてはただ祈るだけさ、彼と彼女がその後もずっと幸せに暮らしたことを・・・再生した愛の中で、か、過ぎ去りし愛の記憶の中で別々に、かは知らないけどね・・・そんなことで、いいかな?
さやか:わかりました。
冗悟:よしよし・・・ってことで、今日は君が実にチャーミングに戸惑ってる姿見れて、楽しかったよ。この先もいくつか「恋」の歌は続くから・・・どれくらいチャーミングなエピソードになるか、期待したいね ― 期待させてもらって、いいかな、さやかさん?
さやか:どうぞお手柔らかに、冗悟サン。
冗悟:心配いらないよ、たかだか紙の上の「恋愛」だもの、生身のやつじゃないからね。たとえしくじっても、本物の失恋に比べればなんてことないさ・・・いずれそう遠くない将来に、君もその「本物の失恋」に出会うんだろうけどね・・・
さやか:おどかさないでくださいよ、冗悟サン。
冗悟:俺が君をおどかすのは空想の世界の中だけ、言葉の上の楽しい冒険シリーズの中だけさ。残りの旅もどうぞお楽しみに。じゃまた会おうね。
さやか:ありがとうございました。じゃあまた。
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23)(年頃逢はぬ人に逢ひて後に遣はしける)
あひみしをうれしきこととおもひしはかへりてのちのなげきなりけり
「逢ひ見しを嬉しき事と思ひしは却りて後の嘆きなりけり」
『後拾遺集』恋・七七二・道命法師(だうみゃうほふし)(974-1020:男性)
(別れて以来久しく逢わなかった昔の恋人に偶会した後の言伝て)
『あなたとお互い気持ちが通じ合い、深いお付き合いができるようになった頃は、それはもう幸せだったあの頃の私ですが・・・そしてまた今日はそんな懐かしいあなたに久々に再会できて嬉しく思った私ですが・・・それもこれもみな、今にして思えば、お別れした後の嘆きの辛さを増すばかりだったようです。』
(a message to an old sweetheart whom the author met for the first time after several years of separation)
The days I began to spend with you brought me up to the top of the world
Drag me down to the depth of sorrow all the more deadly for the sorely missed joy.
―掛詞(KAKE-KOTOBA):start―
(A)あひみる【逢ひ見る】〔他マ上一〕(あひみ=連用形)<VERB:encounter, happen to see each other>
(B)あひみる【逢ひ見る】〔他マ上一〕(あひみ=連用形)<VERB:be mutually in love with you, have affairs with you>
―掛詞(KAKE-KOTOBA):end―
き【き】〔助動特殊型〕過去(し=連体形)<AUXILIARY VERB(PAST)>
を【を】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(OBJECT)>
うれし【嬉し】〔形シク〕(うれしき=連体形)<ADJECTIVE:delightful, blissful>
こと【事】〔代名〕<PRONOUN:a thing>
と【と】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(COMPLEMENT)>
おもふ【思ふ】〔他ハ四〕(おもひ=連用形)<VERB:regard, consider, feel>
き【き】〔助動特殊型〕過去(し=連体形)<AUXILIARY VERB(PAST)>
…I felt glad when I had an opportunity to see you [and have carnal knowledge of you]
は【は】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SUBJECT)>
かへりて【却りて】〔副〕<ADVERB:on the contrary>
のち【後】〔名〕<NOUN(ADVERB):later, afterwards>
の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):’s, of, belonging to>
なげき【嘆き】〔名〕<NOUN:lament, moan, sorrow>
なり【なり】〔助動ナリ型〕断定(なり=連用形)<AUXILIARY VERB(CONFIRMATION):be>
けり【けり】〔助動ラ変型〕過去(けり=終止形)<AUXILIARY VERB(DISCOVERY):I found out>
…but it turned out to have been not so much a bliss as a source of future grief [for the days I’d have to spend without you]
《aimishi wo uresiki koto to omoishi wa kaerite nochi no nageki nari keri》
■深い韻文、浅薄な散文■
この短歌の作者の道命法師(どうみょうほうし)は、藤原道綱(ふじわらのみちつな)の息子達の一人;道綱はあのとても有名な道綱母(みちつなのはは:??-995年)の息子;道綱母はあのとぉぉーーっても有名な(というか、悪名高い?)藤原兼家(ふじわらのかねいえ:929-990年)という不実で恥知らずな旦那様との決して「満ち足りた」とは言えない結婚生活のことを歎く『蜻蛉日記(かげろうにっき)』を書いた人。道命は、人生の早い段階で俗世を捨てて仏教僧になった人だが、いわゆる「歌僧(かそう=短歌を詠む僧侶)」の常として、世俗的快楽を捨て去った、というわけではない。『後拾遺集』を皮切りに『新古今集』まで実に38首もの短歌が彼の名で収載されていて、当時としては著名人だったことが窺える。
仏教の教える「真の道」から少々逸脱した歌僧としての道命の名声はまた、後の時代の仏教僧の誰かさんの手になるスキャンダラスな物語をも生んでいる ― 創造的想像力もなく文学的正統性への敬意もなくましていわんや全く無根拠で軽薄な側聞以外何一つ知らない有名人に対する個人的敬意も持ち合わせていない、しょーもない作者の手になる代物である。
日本の諸君、これを教訓としてよく覚えておきたまえ ― 諸君の御先祖が有名人の名前を引き合いに出してホザくたわごとになど、一切何の信も置くではないぞ!・・・というわけで、以下、道命が、伝説の恋多き歌人の和泉式部(いずみしきぶ)と並んで登場するお話を紹介する ― バカな話に化かされぬよう、話半分(あるいは数十分の一)で、お塩を一つまみ(あるいは数トン分)用意して、召し上がれ:
(・・・原文・・・)『道命阿闍梨和泉式部の許に於いて読経し五条の道祖神聴聞の事』『宇治拾遺物語』巻一・一
今は昔、道命阿闍梨とて、傅殿の子に色に耽りたる僧ありけり。和泉式部に通ひけり。経をめでたく読みけり。それが和泉式部がり行きて臥したりけるに、目覚めて経を心すまして読みけるほどに、八巻読み果てて、暁にまどろまんとするほどに、人のけはひのしければ、「あれは誰ぞ」と問ひければ、「おのれは五条西洞院の辺に候ふ翁に候ふ」と答へければ、「こは何事ぞ」と道命言ひければ、「この御経を今宵承りぬる事の、生々世々忘れがたく候ふ」と言ひければ、道命、「法華経を読み奉る事は常の事なり。など今宵しもいはるるぞ」と言ひければ、五条の斎いはく、「清くて読み参らせ給ふ時は、梵天、帝釈を始め奉りて聴聞せさせ給へば、翁などは近づき参りて承るに及び候はず。今宵は御行水も候はで読み奉らせ給へば、梵天、帝釈も御聴聞候はぬひまにて、翁参り寄りて承りて候ひぬる事の忘れがたく候ふなり」と宣ひけり。されば、はかなく、さは読み奉るとも、清くて読み奉るべき事なり。「仏念、読経、四威儀を破る事なかれ」と、恵心の御坊も戒め給ふにこそ。
(・・・大意・・・)その昔、道明という色好みの僧がいて、これまた好色で知られた和泉式部と肉体関係を持っていたのだが、ある晩いつものように和泉の寝室で一通り色欲を満たして疲れて寝入った後、夜半にふと目が覚めたので、心を澄まして法華経を八巻読み終えて明け方にまた寝入ろうとしたところ、目の前にヘンな老人の身なりをした妖怪めいたものが現われて「今夜聞かせていただいたこの有り難いお経、一生忘れません」としきりに感謝したので、道明が「僧の私にとって法華経を読むのは日常茶飯事、それを何故今夜に限ってそうしきりに有り難がるのか」と聞いたところ、「日頃のあなたはまず精進潔斎の後にお経を読まれるので、梵天様や帝釈天様といった偉い神様も熱心に聞き入っておられますから、そんな畏れ多い神々に交じって私ごとき卑しき道祖神が聞かせていただく余地などございません・・・が、今宵のあなたは和泉式部との情事に汗を流して疲れて寝入ったその後で、色欲に穢れた身体を浄めることもないまま出し抜けに法華経を読経されましたので、偉い神様は誰もがそっぽを向いてしまい、私のようなつまらぬ者でもこうしてあなたの傍で聞くことができたというわけです、はい」・・・という次第で、読経の際には常に身も心も清く正しく潔斎してから臨まないことには、有り難い神々の御利益もないものと心得なさい、というお話である)
・・・このいいかげんな作り話(日本の仏教説話の典型例)は、「有名な名前」に対する日本人の伝統的態度をよく示している ― 「有名人」なんてものは、テキトーに引き合いに出して自分の話に「もっともらしさ」を添えるためのネタに過ぎないのだ・・・が、そんな君の話を他の人達がちゃんと真に受けてくれるだろうなどと甘い考え抱くとしたら、君はバカもいいところ ― 日本の与太話などより遙かに厳格に「正統性への敬意」を貫く西欧文物に精通する程度の識字能力と文化的素養の持ち主の前では、軽薄与太話バカの日本人なんざ、笑い飛ばされて黙殺されるのがオチなんだから(面と向かってではないにせよ、心の中では確実に、ね)。
「オマエは天罰が怖くないのか、仏陀の教えに反抗するような不敬罪を犯して?」などとホザいてこの筆者を脅そうとする連中に対しては、筆者はあっさりこう言うだけである ― 「有名人の名を、彼らに対して当然払うべき敬意も払わずに引き合いに出すような連中は、これまた確実に仏陀・神・日本・我が国・公共の利益・人類・正義・歴史・その他何でも、自己正当化のためだけに引き合いに出すに決まってる ― そんなことする資格もなしに、そうした無責任な身勝手さの招く結末など考えもせずに ― そんな著名人の名を引き合いに出しまくりの虎の威を借る狐どもには、どちらがお似合いかな・・・<天の恵み>かな、それとも<天罰>かな?」
日本人の「モラリスト(教訓話垂れたがるやつ)」は(昔も今も)大抵が「自殺行為」を演じている ― 人間個人の尊厳を「それを越えたもの」の名目の下に犠牲にすることで ― いかなる客観的批判も「越えたもの」、不当に利用された犠牲者からの個人的抗議の声も「越えたもの」、いかなる普通人の手の届く範囲も「越えたもの」 ― そんな「越えちゃってるどこか遠いところ」から偉そうなこと好き放題ホザくモラリストどもの話なんざ、本来なら話を聞いてもらえたはずの人々も嫌がって逃げて、誰も聞きはしないのだ・・・バカな脳味噌の持ち主以外誰も演じないバカそのものの自殺行為である。
そうしたバカな与太話は、「はぃはぃ、そうですか」と軽く聞き流して終わりにすることである・・・心配はいらない、日本のそこかしこに放り散らされてるそういうクソ同然の書き物なんざ全て無視したとしても、もっとずっと面白くて立派なお話が(教訓話であれそれ以外であれ)世界には山ほどあるのだから。
実際の会話相手の提供はしませんが、「さやかさん/冗悟サン」との知的にソソられる会話が出来るようにはしてあげますよ(・・・それってかなりの事じゃ、ありません?)
現時点では、合同会社ズバライエのWEB授業は、日本語で行なう日本の学生さん専用です(・・・英語圏の人たちにはゴメンナサイ)