31短歌01)冷凍袖付き着物に身を包んでの裸踊り? ― さやかと冗悟の初対面

1)(春立ちける日よめる)

そでひぢてむすびしみづのこほれるをはるたつけふのかぜやとくらむ

「袖沾ぢて掬びし水の凍れるを春立つ今日の風や解くらむ」

紀貫之(きのつらゆき)

♪(吟)♪

★冷凍袖付き着物に身を包んでの裸踊り? ― さやかと冗悟の初対面★

冗悟:失礼、お嬢さん、迷子のようですが、手を貸しましょうか?

さやか:ぁー・・・はぃ、この詩、何が何だかわかりません・・・けど、あなた、誰ですか?

冗悟:私の名は之人冗悟(のと・じゃうご:Jaugo Noto)、ここでのあなたの接待役ですよかわいいお客さん、お名前は、えぇと・・・?

さやか:・・・「さやか」です。フルネーム、必要ですか?

冗悟:名字は不要ですよ、さやかさん・・・呼び方は「さやか」でいいですか? それとも「さやかさん」にしましょうか、あるいは「さやかくん」、ひょっとして「さやかちゃん」の方がいいかな? どれでもお好きなものをどうぞ。

さやか:うーん・・・「さやかチャン」以外なら何でもいいです。

冗悟:了解、さやかさん。ぁ、私のことは「冗悟サン」と呼んでください。

さやか:ジョーゴスン(Jaugoson)?

冗悟:いゃ、尻下がりの「ジョーゴスン」じゃなくて、完全まっ平らな「冗悟サン」、京都の人たちが「舞妓はん」言わはる感じで、あるいは死んだ人の心電図みたいに「フーーーッ」って感じにアクセントなしで・・・頭高々尻すぼみじゃない、高低差なしの「じょーごさん」でお願いします。

さやか:わかりました・・・「冗悟サン」?

冗悟:それと、ここでは、司会者である之人冗悟と対等の条件での口ぶり・振る舞い、OKですから。日本人言うところの「タメ口」きいて大丈夫なので、そのつもりでよろしく。

さやか:「司会者」ってことは、儀式か何かの一環としてこの詩を紹介してる、ってことですか?

冗悟:「Thirty-one Shorty Ones Sure to Turn You On.:ゾクっとさせる31の短編詩」シリーズの冒頭を飾るのがこの詩の一編です。

さやか:31って、日本の短歌の5-7-5-7-7の31文字のことですか?

冗悟:それと31編の詩、いわゆる「八代集=八つの主要な勅撰和歌集」の一万首近い詩の中から選び抜かれた31首、ということですね。

さやか:八つの主要な・・・短歌集?

冗悟:はい・・・まぁ今はあまり気にしないで。選び抜かれた31編を巡って話が展開するうちに、いずれその詩を収めた八代集についても馴染みが深まるはずだから。今はとりあえず、この一編の短歌が何を言わんとしているのか、それだけに集中しましょう・・・さてと、どのあたりが混乱の元になってるのかな・・・?

さやか:始めから終わりまで全部、まるでちんぷんかんぷん「all Greek to me!(ギリシア語だらけでちっともわからん)」の感じです。

冗悟:これはギリシア語じゃなくて語齢千年の日本語だよ。古いとはいえ日本語、さやかさんの母国語、でしょ?

さやか:母国語というより「まま母語」って感じ。

冗悟:名前は「さやか」って日本人風なのに、さやかさんのお口は日本語がれません、ってかぃ?

さやか:今の世の日本語なら読み書きおしゃべりOKだけど、千年昔だとだいぶ勝手が違う感じ。

冗悟:さやかさんが思うほど違いはないと思うよ。意味のデコボコ、一緒に地均ししてみようか? まず最初は「そでひぢて」の意味からだ・・・ここでのsubject(主語)は何?

さやか:何がsubject(主題)なのかさっぱりわかりません。

冗悟:いや「主題」の意味のsubjectじゃなくて、文法上の主語の話、冒頭の「そでひぢて」の主語って、何だと思う?

さやか:「そで」だと思います。

冗悟:形の上ではそうだよね。だけどその動作の背後にいるのは誰? 「そで」が自らの意志で水の中に「ひづ=浸かる」ってことはあるかな? 誰がその袖を水の中に突っ込んだんだろう?

さやか:詩人の男性・・・あるいは女性かしら?

冗悟:性別は気にしなくていいよ、「彼」だろうと「彼女」だろうとここでは同じことだから。

さやか:はい。じゃぁ、「そでひぢてむすびしみづ」は、見えない主語を補って「わがそでひぢてみすびしみづ」にして、「私が袖を濡らしてすくった水」・・・ですか?

冗悟:正解。ここまでは順調だよ、さやかさん。次のチェックポイントは何かな?

さやか:その彼だか彼女だかがどうして袖で水をすくい上げたのかがまるでわかりません。それと、その詩人の袖の中の水がなんで、どのようにして凍ったのかも理解不能・・・袖の中で水が凍ったら冷凍火傷しちゃう!

冗悟:ゎぁー、それはなかなかすごい場面だね。

さやか:でしょ? おバカなくらい非現実的。この詩人の袖って、中に水を入れるような作りになってたのかしら? 例えば水筒みたいな感じで。

冗悟:それはないんじゃないかな。平安時代の日本の着物は、ダイバーのウエットスーツみたいに防水加工されてないと思うよ。

さやか:やっぱりそう思います? それと、もし袖が凍るほどなら、気温もすごく低かったはず、水の結氷温度以下だったはず・・・ですよね、違います?

冗悟:その推測で、物理的には合ってると思うよ。

さやか:それなら、季節は冬、それも真冬ですよね?

冗悟:「冬」はこの詩の中では確かに一役演じているね。

さやか:その氷結した水を入れた冷凍袖は、一体どこに放置されてたんだろう? その水をすくった袖の付いた冷凍着物、この詩人がずっと着たままでいたってことはあり得ないから、少なくとも彼がこの詩を作った時点では着てないはずだから、彼はどこかで着替えしてるはずだけど、それを脱いだ時、どこにこの水入り特性着物を放置したのかが問題・・・衣装棚の中じゃなくて、屋外のどこかに脱ぎ捨てたはず・・・と、思いません?

冗悟:そう思う理由を聞かせてもらえるかな?

さやか:結びの語句が「はるたつけふのかぜやとくらむ」ってことは、この詩人は「今日のこの春の初日の風が、果たして解かしただろうか?」って言ってるわけで、その風が解かした何かというのは「水入り袖の表面または内部の氷」のわけだから、彼はその着物を野外で脱いでそこに放置してるはず、屋内じゃなく、風に当たって氷が解けるような風当たりのよい屋外のどこかに脱ぎ捨てているはず・・・です。

冗悟:面白い・・・この詩人は冬のまっただ中に屋外で着物を脱いだわけだ・・・で、何のために?

さやか:そこなんですよ、わけわからないのは。

冗悟:ひょっとしたら彼女、ストリップ劇場の踊り子さんだったのかな?

さやか:どうして「彼女」なんですか? さっきは「性別不問(no sexes required・・・”性交渉までは求めない”とも誤読可能なアブナい表現)」って言ってたのに。

冗悟:正確には「性別は気にしなくていい(Never mind genders・・・性的意味合い抜きの中立的表現)」だけどね。まぁ冗談はさておき、この詩人、彼でも彼女でもどっちでもいいけど、実際真冬の寒空の下で裸になったと、思う?

さやか:絶対ありえない。

冗悟:でもこの詩はさやかさんには、詩人が野原の真ん中で裸になって脱いだ着物が雨風にさらされて、ってそういうふうに見えるんだよね?

さやか:そう見えます・・・でも、それって絶対ちがうなって気がします。

冗悟:そう、違うよねぇ・・・どこで間違っちゃったんだろう?

さやか:わかりません・・・教えてくれますか?

冗悟:いいよ、じゃぁ、一から出直しといこうか。この詩人、水をすくった時に袖を水の中に突っ込んだわけだけど、そもそも何のために水をすくったりしたんだろう?

さやか:知りません。

冗悟:「知りません」は禁句だな・・・それって「別にどうでも構いません」って言ってるみたいだから・・・さやかさん、この詩が本当は何を言ってるのか、知りたくないの?

さやか:知りたいです、本当に。

冗悟:それなら、ちょっと想像してみようか・・・真剣に想像してみること、素直にやり直してみること、それが詩を正しく味わう決め手だからね。その意味では、人の心全般を読む上でのカギでもあるから、想像してみよう・・・濡れるのも気にせずに素手で水をすくい上げる場面って、どういう時だろう?

さやか:本当に喉が渇いてる時。

冗悟:そうだね。それと、コップや水道から水を飲むことができない場面。季節は?

さやか:夏。とっても暑い時。

冗悟:場所的には、平安貴族の邸宅内やその周辺ではないね。となると、どこだろう?

さやか:野外の、小川か泉の近く、冷たい水が旅人に「乾きを癒やしにおいで」って誘いかけてる場所。

冗悟:そうだね。

さやか:でも、暑い夏の場面なのに、どうして彼女の袖が濡れるんですか?

冗悟:それはもちろん、彼女が水をすくおうと両手を差し伸べたからさ。

さやか:それってヘン。小川や泉からじかに水すくって飲みたくなるほど暑いなら、彼女は袖無しかあっても短い袖のシャツを着てるはずで、長袖じゃないんだから、水浸しになってずぶ濡れになんてならないはずでしょ? 長袖は秋・冬あるいは春物で、暑い夏には着ないんだから。

冗悟:おぉ・・・面白い! なるほど、女の子はそういう風に考えるわけだ・・・で、平安調短歌でドツボにハマるわけだ・・・これは一つまた勉強になったよ、ありがとう、さやかさん。

さやか:どういたしまして・・・って、わたしまだワケわからないんですけど。

冗悟:なぁに、簡単に解けるさ・・・詩の中の氷が解けたみたいにね。ところで、さやかさん、君、着物着る?

さやか:着物着るか、って・・・わたしがハダカに見えます?

冗悟:だといいんだけどね・・・

さやか:何か言いました?

冗悟:ごめんごめん、言い直すよ ― 日本の伝統の「着物」とか「浴衣」とかを、茶の湯や生け花や花火見物の時とかに、さやかさん、時々着たりすること、ない?

さやか:うーん・・・ないです、一度も。でもいつかは着たいなぁ、ってほんとそう思ってます。

冗悟:着物着たら、さやかさん、今よりもっと魅力的になると思うよ。

さやか:学校の制服着てる時よりもっと、ですか?「何も着てない時よりもっと」とか言わないでくださいよ!

冗悟:ぅーん・・・それは何とも言えないなぁ、世の中には実際目で見て確かめてからでないとわからないことがあるからね・・・ま、それはさておき、ちょっと想像してごらん、ハダカのさやかさん、じゃなく、洋服を着たさやかさん、でもなく、日本の伝統的な着物や浴衣を着た自分の姿を・・・短い袖丈や袖無しの衣服、着てるかな?

さやか:えーと・・・いえ、着てません。袖は長くて、手首ぐらいまであります。あー、はぃ、わかりました。昔ながらの日本の着物はみんな長袖だったから、暑い夏に冷たい泉の水をすくった時もその袖が濡れちゃったんだ。

冗悟:ちゃんと想像できました。というわけで、この詩の冒頭部の暑い夏の場面で詩人は小川か泉から直に水をすくい上げて着物の袖を濡らすわけだけど、外はとっても暑いわけだから、その着物の袖がその場で凍り付くわけじゃない。凍り付くのは詩人の着物の袖じゃないんだ・・・となると、何が凍るんだろう?

さやか:泉・・・あるいは小川? いずれにせよそれが凍るのは夏じゃなくて冬・・・あ、待って、泉だわ、「小川が凍る」ってのはあり得ないと思う、だって小川の水は流れていて池の中みたいに止まってないわけだから。転がる石にが生えないように、流れる水は凍らないです。

冗悟:さやかさんは科学者っぽいね、その観察所見は客観的で説得力があるよ。でも、覚えておこうね ― 詩を味わうには多少緩い部分が必要な時もある。池でも泉でも小川でも、とにかく夏に詩人が袖を濡らして喉の渇きを癒やしたことのある場所ならどこでも、この場合はOKなんだよ。

さやか:わかりました。でも、まだもう一つわからない点が残ってます。

冗悟:了解、じゃそれも解きに行こう・・・というか、「春風の助けを借りて解かしちゃおう」か?

さやか:あ、それそれ、そこなんですよ、相変わらずワケわからないのは。

冗悟:つまり「はるたつけふ=春の初日である今日」の天候はまだそんなに暖かくないから、凍った泉や小川の氷が解けるはずがない、ってことだよね?

さやか:そう、それです。もしこれが「春分の日」なら、三月二十一日前後なんで話がわかるんですけど、実際には「はるたつひ=春の初日」って二月の三・四・五日あたりでしょ・・・ですよね?・・・だとすると、氷が解けるにはまだ寒すぎると思いません?

冗悟:さやかさんの推論は実に合理的で、いちいち驚かされるなぁ。

さやか:どうも・・・驚きついでに、何か妥当な説明でもいただけるとありがたいんですけど・・・

冗悟:了解、それじゃ手がかりになりそうな言い回しを一つあげようか ― 「東風解凍」・・・どういう意味だと思う?

さやか:「東風」が「解凍」する・・・何を解凍するんだろ?・・・あ、はぃはぃ、「氷」だ、東から吹いて来た春風が氷を解凍する・・・でしょ?

冗悟:うん、だいたい正解だね。細かいことを言えば「解凍」は「解かすこと」ではなくて、ここでは動詞の「解=とかす」と目的語になる名詞の「凍=氷」とに分断解釈するのが正解だけど。この「東風解凍」という言い回しは古代中国伝来の「七十二候」という季節ごとの特性を言い表わす文言の一番最初のやつで、日本語では「春風、氷を解く=はるかぜ、こほりをとく」と読むんだ・・・何か、ピンと来ない?

さやか:「はるたつけふのかぜやとくらむ」・・・私が袖を濡らして水をすくい上げたあの泉や小川に張った氷を、春の初日の今日の風がすでにもう解いただろうか?

冗悟:おめでとう、さやかさん、これで凍り付いた謎も見事に解けたわけだ。

さやか:・・・ということは、これって詩人の実際の感覚を詠んだ詩じゃなくて、古い中国の言い伝えを引き合いに出してる詩、ってことですか?

冗悟:そうだね、この詩は事実に基づくものというよりはレトリック(言葉を駆使して綺麗な情景を描き出すもの)というべきだね。平安時代の日本の人たちが、まさか実際に「春の第一日目」に東から吹いてくる風のおかげで氷が解けるだろう、などと信じたはずがない。なんたって二月初旬の日本は「春」扱いするのすらどうかと思うほど寒い時期なんだから。

さやか:それってつまり、この短歌は単なるフィクション(虚構・作り物)とみなしていいわけですか?

冗悟:・・・だね。優しい春風の到来を待ちきれない思いで待ち続けている詩人の想像が生んだ虚構、吹くごとに氷を解かしつつ春を運んで来ると(中国では)言われている春風を待ち遠しく思うところから生まれたフィクションだね。

さやか:わかりました・・・だんだんこの詩の全体像がつかめてきました。この詩人は、夏の暑い盛りに野外のどこかの泉で水をすくって飲んだ、その新鮮で冷たい水のことを思い出して、その水は冬の寒さの中で凍ってしまったろうなぁって想像してるんですね。今は二月の初旬だから氷は相変わらず凍り付いたままだろうけど、今日がたまたま「春の初日」に当たるから、詩人は中国の伝説を思い出して、暖かい東風がすでにもう野外の氷を解かし始めているだろう、あるいはそうなっているといいなぁ、と思っている・・・ってことですね。

冗悟:すばらしい! さやかさん、これでもうこの詩に関しては「先生」になれるね。

さやか:わたしが先生なら、生徒たちにひっかかりやすい落とし穴を指摘してあげるところですね。

冗悟:うぅーん、それはいい教師になれそうだね・・・じゃ、さやか先生、ひとつ冗悟クンにご教授お願いします。

さやか:いいですよ・・・まず最初に、冒頭の一句「そでひぢて」に文法上の主語が欠けている点に注意しましょう。これのせいでこの詩が「そで」や「着物」を中心に展開するお話だと勘違いしかねないから。

冗悟:あるいはこの詩人はストリッパーのお姉さんで真冬の野外で脱衣中、とかね。

さやか:脱線はご遠慮ください、冗悟サン・・・実際にはこの詩、性別は関係ありません(not sexually orientedは「エッチな方面の話ではありません」とも誤解可能な言い回し)。詩人は別に「彼」でも「彼女」でもかまいません。誤解しやすい第二の点は、平安時代の日本の人達は、暑い夏でも長袖の衣服を着ていたということ、現代の私たちのように短い袖や袖無しシャツは着ていなかったということです。

冗悟:特に女性の場合は注意しないといけない点だね。

さやか:そして最後の落とし穴は、結びの部分の「はるたつけふのかぜやとくらむ」です。これは「春の第一日目の東風が氷を解かす」という中国の伝説を引き合いに出して「そうなるといいなぁ」と言っているだけで、実際には日本では二月初旬はまだ寒すぎて氷が本当に解けるわけではありません。

冗悟:すばらしい、さやかさん、ほぼ完璧!

さやか:ありがとうございます、冗悟サン・・・ぁれ? いま「ほぼ」完璧、って言いました?

冗悟:うん。

さやか:わたし、何か見落としました? まだ何か抜けてるのかな?

冗悟:そぅ、いまいち、足りないね。

さやか:どこがですか?

冗悟:うーん・・・ま、それはゆったり時間をかけて自分で考えてみることだね。世の中には、誰かから教わるんじゃなく自分の目で発見しないと本当の意味もわからなければ本当の良さも味わえないことが、あるものさ。とりあえずこれだけ言っておくよ ― この詩の解剖学的解釈は以上で完璧、だけど、物理学の基準に照らして完璧な解剖と、心の目で見て完璧な解釈とは、まるで別物、ってこと・・・それにしてもまぁ、君とのおしゃべりはとっても良かったよ、さやかさん。こんなにも知的にソソられる女性が相手だと、いつまでもずっとこの会話続けていたい気分になるけど、他にやらなきゃいけない仕事もあるし、さやかさんだってそうだろうから・・・今日のところはこれでおしまい。君なりの答えを思いついたらまたおいで・・・あるいは、三十一文字のソソられるパズルでまた頭ヒネってみたい気になったらいつでもおいで。

さやか:わかりました・・・また来た時には、今日みたいにわたしを導いてくれますか?

冗悟:それはもう喜んで。

さやか:うれしい! じゃわたし、戻って来ますからね・・・きっとすぐにまた・・・いいですか?

冗悟:再会を心待ちにしているよ。今日は楽しい時間を、どうもありがとう、さやかさん。

さやか:こちらこそありがとうございます、冗悟サン・・・これからも、わたしの疑問をよろしく解いてあげてくださいね。


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1)(春立ちける日よめる)

そでひぢてむすびしみづのこほれるをはるたつけふのかぜやとくらむ

「袖沾ぢて掬びし水の凍れるを春立つ今日の風や解くらむ」

『古今集』春・二・紀貫之(きのつらゆき)(ca.866-945:男性)

(立春の日の詠歌)

『夏の暑い盛りに袖を濡らして掬って飲んだあの山川の水・・・長い冬の間はずっと氷に閉ざされていただろうが、今日は立春、暖かい風に氷も解けて、再び流れ出しているだろうか?』

(on the first Spring day on lunar calendar)

The cool water in Summer that quenched my thirst and drenched my sleeves,

Long asleep in Winter locked up under icy cold,

Might today, the first day of Spring, have molten and woken by gentle vernal wind.

そで【袖】〔名〕<NOUN:my sleeves>

ひづ【漬づ・沾づ】〔自ダ四〕or〔自ダ上二〕(ひぢ=連用形)<VERB:dip in water, make wet, drench>

て【て】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SIMULTANEITY):and>

むすぶ【掬ぶ】〔他バ四〕(むすび=連用形)<VERB:scoop up with both hands>

き【き】〔助動特殊型〕過去(し=連体形)<AUXILIARY VERB(PAST)>

みづ【水】〔名〕<NOUN:the water>

…the water that I scooped up with my bare hands dipping my sleeves [in the mountain streams in the hot Summer when I went out there for hiking]

の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SUBJECT)>

こほる【冷る・凍る】〔自ラ四〕(こほれ=已然形)<VERB:frozen>

り【り】〔助動ラ変型〕存続(る=連体形)<AUXILIARY VERB(PERFECT TENSE)>

…that has been frozen [during cold Winter season]

を【を】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(OBJECT)>

はる【春】〔名〕<NOUN:Spring, vernal season>

たつ【立つ】〔自タ四〕(たつ=連体形)<VERB:start, begin>

けふ【今日】〔名〕<NOUN:today>

の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):-‘s, of, belonging to>

かぜ【風】〔名〕<NOUN:the wind, breeze>

や【や】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(INTERROGATIVE):?>

とく【解く・溶く】〔自カ下二〕(とく=終止形)<VERB:melt, dissolve>

らむ【らむ】〔助動ラ四型〕現在推量(らむ=連体形係り結び)<AUXILIARY VERB(QUESTION):I wonder>

…has it been melted by the warm [easterly] wind on this first day of Spring [as Chinese legend has it]?

《sode hiji te musubishi mizu no kooreru wo harutatsu kyou no kaze ya toku ramu》


■3つの異なる季節を凝縮した31文字の短歌世界■

 この詩はまず、詩人が実際体験した夏の日の追想で幕を開ける。池のほとり、あるいは泉、小川で、詩人は「さぁおいで、一口飲んでごらん」と冷たく誘いかける水を発見する;で、誘いに乗って彼はその水を飲む ― 袖が濡れるのも委細構わずに ― それほど詩人は喉が渇いていたのであり、それほどその日は暑かったのだ。

 その後、夏の心地良く冷たい思い出はすーっと消え失せ、その野外の情け深い恵みの水が、冬の厳しい寒さにさらされて氷の下で固まってしまう想像場面が展開する・・・詩人が実際にその場面にいるわけではない;そこには誰一人おらず、長く冷たい孤独な冬が続くばかり。

 最後にこの詩は、現在の時点へと詩人を引き戻す ― 今は暦の上では春の最初の日、中国の伝説によれば「優しい東風が氷を解かす」という「春立つ日=立春」である。詩人は想像する(あるいは、望む) ― あの夏の日に彼に優しくしてくれた水、その凍り付いた水が、この立春の日に、凍て付く冬の牢獄から解かれて自由の身になった姿を。

 実際のところ、懸案の中国伝説(「東風解凍」=東風が氷を解かす)は ― 日本の春の第一日目は一年で最も寒い二月初旬にやって来るのだから ― 事実というより絵空事である。その点に於いてこの詩は純然たるフィクション(虚構)であり、詩人の願望から生まれた想像の産物である・・・が、それはまた詩人以外の全てのものたちを代弁する願望でもある ― 人々も、水も、長く凍り付いた冬に耐え忍んできた自然の中の全てのものも、この詩人の願望的空想に共感することだろう。

 この詩の内容は確かに少々時期尚早ではあるが、二月に身を置く人々のほとんどは長く憂鬱な一年の四半期を過ごしつつ春の訪れを心待ちにしているわけだから、この詩人のせっかちさを大目に見るだろう。現実性重視の批評家(明治期の正岡子規あたり)ならこの詩の非現実的思い込みに対してブツクサ文句を並べるかもしれないが、人の心に寄り添うタイプの読者であれば文句は言わずに笑って済まし、ひょっとすればさらに「千春(=1000もの春)という名がやたら多いのは日本の東北地方の特徴=春の到来が最も遅いからこそ春を待ち望む気持ちは最も強い」という事実を思い浮かべたりもするかもしれない。心の中から生じた純然たる願望が、外の世界の事実のあれこれに取って代わる図式 ― いわゆる「詩的放縦(poetic license)」 ― を前にすると、文学心に乏しい連中の場合、わけがわからぬ気持ちになったり「そんなバカなことがあるものか!」と怒り出すことも少なくないが、もしもここに紹介した一編の詩を見てその「ウソ」に怒り心頭に発するような人がいたならば、その人は「ビョーキ」だから真剣に考え直してみたほうがいい・・・治療法としては、最良の短歌の数々を目にして心を洗い直すのがよいだろう。あるいは自国の最も寒い地方に行ってみるのもよかろうし、同胞の中で最も厳しい境遇にある人々のそばに行って彼らの(非現実的かもしれないが)切実な望みのあれこれに心を寄り添わせてみるのもよいだろう。想像力の欠如は人間にとって深刻な欠陥であって、「現実」の客観観察をいかに深めようが人の心への配慮を欠いた人間社会の「決まり事」の数々をいかに従順に遵守しようが、「想像力の欠如」という欠陥を補うことはできない・・・この病気を治すための良い治療法は、「良い詩」である。

「英語を話せる自分自身」を自らの内に持つということは、「さやかさん/冗悟サン」みたいな会話相手が隣にいるみたいなもの。
実際の会話相手の提供はしませんが、「さやかさん/冗悟サン」との知的にソソられる会話が出来るようにはしてあげますよ(・・・それってかなりの事じゃ、ありません?)
===!御注意!===
現時点では、合同会社ズバライエのWEB授業は、日本語で行なう日本の学生さん専用です(・・・英語圏の人たちにはゴメンナサイ)