31短歌03)動物の歌 ― さやか、詩文をいくつもそらんじて冗悟を感心させる

3)(題しらず)

みれどあかぬはなのさかりにかへるかりなほふるさとのはるやこひしき

「見れど飽かぬ春の盛りに帰る雁なほ故郷の春や恋しき」

よみ人しらず

♪(吟)♪

★動物の歌 ― さやか、詩文をいくつもそらんじて冗悟を感心させる★

さやか:わたし、この歌好き!

冗悟:気に入ってもらえて嬉しいよ、さやかさん。この歌のどこがそんなに気に入ったのか聞かせてくれるとなお嬉しいんだけど。

さやか:これって「」が主役の短歌だから。わたし鳥、好きなんです。

冗悟:そうなんじゃないかなと思ってたよ。

さやか:え、そうですか? なんで?

冗悟:君はネコに似てるから。猫は地上で最も凶暴な鳥好き動物だからね。

さやか:(…)冗悟サンは猫に似てません・・・ってことは、鳥は嫌い?

冗悟:実のところ、鳥は大嫌いでね。

さやか:信じられない ― 冗悟サンってそんなこと言う人なんですかー? 鳥のどこがそんなに嫌いなんですかー?

冗悟:鳥はあの油っこいのがイヤだね。口の中にいつまでもまつわりつくあの食べ心地もイヤだし「骨が付いたまま手づかみで食べなさい」って出し方もイヤだな、食欲が湧く前にまずグロテスクすぎて引いちゃう・・・「七面鳥の丸焼き」なんて乗ってると思わずもう食卓離れたい気分になっちゃう!

さやか:(…)冗悟サンが鳥肉嫌いなのはよくわかりました。鳥の詩のほうはどうですか?

冗悟:この詩? うん、まぁとってもいいと思うよ、好きだよこれ。

さやか:気に入ってもらって嬉しいです。できればこの歌のどこがそんなに気に入ったのかも聞かせてくれるとなお嬉しいんですけど ― 「肉的」じゃなくて詩的観点からお願いします。

冗悟:これは鳥のことを歌った詩だから。

さやか:それはわかってます。

冗悟:ほんとにわかってる?

さやか:わかってるつもりですけど・・・わたし何かこの詩で見落としてるとこ、あります?

冗悟:うぅん、別にないと思うよ。オッケー、それじゃ質問の仕方を変えようか。この詩以外の平安時代の短歌で、鳥を中心に展開するもの、他に何か知ってる?・・・まぁ鳥以外でも、猫や犬や馬や鹿や蜂やや魚や海豚でもいいんだけど、とにかく人間以外の動物が注目の的になってる短歌、何か思い浮かぶ?

さやか:いくつか思い出せそうなんですけど・・・ちょっと待ってくださいね・・・あぁそうだ、思い出しました:『痩せ蛙負けるな一茶此処に在り(やせがえるまけるないっさここにあり)』。

冗悟:うーん・・・それは「短歌」じゃなくて「俳句」だけどね。

さやか:言われてみれば、そうですね・・・

冗悟:それも、平安時代よりずっと後の江戸時代のやつだね。

さやか:そうなんですか? わたし小林一茶って明治時代の日本人だと思ってました。

冗悟:それに詩人が自己宣伝のために叫んでるし ― 「おい君、そこのヤセたカエルくん、くじけるんじゃないぞ、逆境に負けるなよ、君の私設応援団、小林一茶がここにいるぞ」・・・結局、この俳句の注目の的って、誰なんだろうね?

さやか:うーん・・・それじゃ、これはどうですか? ― 『雀の子其処退け其処退け御馬が通る(すずめのこそこのけそこのけおうまがとおる)』

冗悟:またまた小林一茶(1763-1827)、さやかさん、一茶が好きみたいだね。

さやか:べつにそうじゃないんですけど、たまたま思い浮かんだので。

冗悟:いいねー、おかげでこっちで紹介する手間が省けたよ。

さやか:・・・ってことは、この俳句、冗悟サンも引くつもりだったんですか?

冗悟:実はそうなんだ。こっちの心を読んでもらって、どうもありがとう、さやかさん。

さやか:冗悟サンの心、読めたらいいなぁ・・・そうすれば、どんな短歌も難なく解釈できちゃう!

冗悟:もしそう思うなら、もう少し俺の心読んでごらん ― この「すずめのこ」の俳句、どうして俺が引こうと思ったか?

さやか:実は冗悟サン、雀好きだから?

冗悟:うん、生きたスズメは大好きだよ、だからスズメの唐揚げが枝豆やビールと一緒に並んでる図は見たくないね・・・でも今さやかさんとお話したい話題はそういうことじゃぁない・・・最初の質問、覚えてるかな?

さやか:平安時代に作られた短歌で動物中心に展開するやつ、知ってますか?

冗悟:そう、それ ― 改めて同じ質問 ― 知ってますか?

さやか:うーん・・・

冗悟:回答不能の質問だったかな?

さやか:うーん・・・ちょっと待ってくれますか・・・あぁ、そうだ、これこれ ― 『白鳥は悲しからずや空の青 海の青にも染まず漂ふ(しらとりはかなしからずやそらのあを うみのあをにもそまずただよふ)』・・・冗悟サン、ご感想は?

冗悟:感想?・・・素ッ晴らしい! さやかさんは本当に鳥が好きなんだね。それと、思ったよりずっと「詩人」なんでびっくりしちゃったよ。

さやか:そう言ってもらえるとうれしいです。今度の答えは、的外れじゃなかったですか?

冗悟:ど真ん中、とまではいかなかったね。この詩は近代詩人の若山牧水(わかやまぼくすい:1885-1928)の作品だから。

さやか:もぅ、ゃだ、またやっちゃった!

冗悟:そうヘコまないで、さやかさん、助っ人としての君の働きぶりは見事だったよ。

さやか:ほんとですか?

冗悟:あぁ。さやかさんが引っ張った「動物が注目の的」の詩はどれもみな、平安時代の日本じゃなく、もっとずっと後の時代のやつばかりだね。

さやか:はい。

冗悟:実を言うと、一万首近い八代集の短歌のうちで、「雀」や「猫」を含む歌は一首もないんだよ。

さやか:平安時代の日本にはネコはいなかったんですか?

冗悟:いたよ。「唐猫」って呼ばれて宮廷女性たちにネコっかわいがりされてた。『枕草子(996年頃-1002年)』や『源氏物語(1008年)』あたりの散文作品を見ればわかる通りに、ね。それなのに、八代集の中には「猫」が話題の中心の短歌は一首も出てこないんだ。

さやか:「犬」はどうなんですか?

冗悟:「犬上」ってのが出てくる短歌が一つあるけど、これはどこかの地名で、動物としての「犬」のことを言ってるわけじゃない。本物の「犬歌」としては「繋ぎ犬」ってのが入ってる短歌が後にも先にも一つだけ・・・だけどこれがまた「物名」と呼ばれる冗談めかした言葉遊びで、本物の短歌とは呼べない代物でね。

さやか:「もののな」?・・・何ですかそれ? わたし初耳です。

冗悟:「物名」は、真面目な短歌じゃなく、何らかの単語や言い回しを含むためにだけ作られた一連の文字列のこと。さっき言った「もののな」は《たかかひのまだもきなくにつなぎいぬの はなれてゆか<むなくるま>つほど》 鷹飼ひの未だも来なくに繋ぎ犬の 離れて行かむ汝来る待つ程(鷹飼もまだ来ないうちに繋がれた犬が放れて行ってしまうだろう君が来るのを待つ間に)・・・「むなぐるま(空車)」という文字列を入れるためにだけ、このまるで無意味な文字の羅列を作り散らしてるわけさ。

さやか:なんかヘンな感じ・・・どうして平安時代の短歌には「猫」や「犬」が出てこないんですか? 「」は出てくるのに・・・今話してるこの短歌がもしかして「カリ」含みの唯一の例、ですか?

冗悟:とんでもない、これは「」含みの短歌115分の1だよ。

さやか:115羽のカリ!?・・・ネコ0匹、冗談イヌ1匹に対してカリは115羽?! わけわからない、どうして?!

冗悟:それが百万ドルクイズの問題だね・・・さぁ、さやか嬢の解答は?

さやか:たぶん「」にはちょっと見ではわからない深い事情があるんですよ。

冗悟:正しい推論だね。で、その「」に隠された特別な意味、わかるかな?

さやか:は渡り鳥だから・・・何らかの伝言を運ぶ鳥と思われていた、とか?

冗悟:当たり。

さやか:百万ドル獲得ですか?

冗悟:まだまだ。その「」の運ぶ伝言って具体的にどんなメッセージだったか、わかる?

さやか:うーん・・・「冬が近いよ」?

冗悟:はぃ、もう1ポイント獲得・・・それ以外のメッセージは?

さやか:もう降参、万策尽きました・・・それ以外のメッセージって何ですか?

冗悟:平安時代の短歌が「」を引っ張る時は、来るべき冬、自分の所在地を告げる秘密の手紙、私信全般、さらには死者の世界への伝言役、といったシンボルとして引き合いに出すんだよ。

さやか:なんで「死者の世界の伝言役」なんですか? かわいそうな、鳴き声が平安時代の日本の人たちには無気味に聞こえたのかしら?

冗悟:いや、音声の問題じゃなくて、帰るの飛んで行く方向の問題だね・・・どこへ飛んで帰るか、わかる?

さやか:北です・・・「死者の国」って北にあるって考えられてたんですか?

冗悟:その通り。平安時代の貴族たちが今の日本の東北地方のことを何て呼んでたか、知ってるかな?

さやか:うーん・・・みちのく?

冗悟:その通り。「みちのく」の元々の意味は「みち・の・おく」だから、その「道の奥(=この世のどん詰まり)」のそのまた向こうの領域は当然「死者の国」とみなされたわけさ・・・本当はシベリアなんだけど、平安時代の人々は、は死者の国へと飛んで行く、と思っていたんだ・・・ぁー・・・だんだん退屈な話になってきちゃったかな、さやかさん?

さやか:正直言って、はぃ、ちょっと・・・わたし鳥は好きだけど、そういうについての古い伝説とかにはあまり興味なくて・・・ごめんなさい、正直すぎて失礼しました。

冗悟:興味のない物事は正直に拒むのが、本当に興味ある物事を見つけるための一番確実な第一歩だからね。俺の前ではいつだって真剣に正直でいてね、さやかさん・・・ただし、他の連中の前ではダメだよ・・・本当に興味あることに真剣に興味を持ってるようには見えない連中の前でだけは、ネコかぶっとくといい。

さやか:そういうこと言う人、初めてです・・・

冗悟:ショックを受けたかな・・・それとも感動、した?

さやか:すっごく感激してます!

冗悟:それはよかった・・・じゃぁ、八代集約一万首の中に登場する115羽のに関する退屈なお話に戻ろうか? 平安時代の短歌に人間以外の動物が登場する場合はほぼ確実に、その動物そのものではなくて、その生き物の背後にある何らかの象徴的な意味を引っ張るために登場させているんだよ。言い換えれば、そういう動物たちは歌の中の注目の的ではなく、何らかの隠れたメッセージの影法師として存在しているだけなんだ。その意味で、彼らはまるで「生きてない」、ただのメタファー(隠喩)でしかない、壁に描かれた絵も同然で、言葉の上だけの存在、我々人間みたいに生き生きと描かれてはいない。実際、平安時代の詩人が「」を詩の中で描く時、彼らは生きて野にある本物のカリを目にする必要なんてまるでないんだ。平安時代の短歌の中での人間以外の実質上全ての生き物たちの存在の様態は、単なる「概念」でしかない。短歌の中で描くに足るような独自の感情だの生きる目的だのを持った「本当の生き物」としては存在していないんだ・・・さぁ、これでもうわかったんじゃないかな、平安時代の短歌に「犬」も「猫」も存在しない理由が?

さやか:もしかして、犬や猫には独自の意志や感情がありそうだから、何かありきたりなイメージへと単純化して描くことはできない、ってことですか?

冗悟:まさにその通り! さぁ、改めてこの詩をよく見てごらん ― この詩の中の「」は、「死んでる」かな?「生きてる」かな?

さやか:生きて見えます・・・この詩は、故郷に飛んで帰るの気持ちの方へと歩み寄ってる感じがします。じゃなくて詩人が言いたい何かを伝えるためにカリをダシに使ってるだけじゃない感じ。

冗悟:そうだね、だからこそさやかさんはこの詩が好きなんだし、俺も同じ気持ちだよ ― これは「詩人の詩」ではなく「鳥の歌」なんだ。平安時代の短歌にしてはとても珍しい例で、人間以外の対象物に向かって歩み寄りながらその心の内面へと感情移入しているんだ、詩人自身の主観的見解など一切交えずにね。

さやか:それって、平安調の詩には珍しいことなんですか?

冗悟:まさにその通り。とても、とっても、とぉぉーーーっても珍しい例なんだ。「感情移入の詩」とでも呼んでおこうかな。

さやか:「感情移入」の詩・・・対義語は何ですか?

冗悟:対義語?・・・そうだなぁ・・・「主観投影の詩」ってのはどう?

さやか:うーん・・・はぃ、よさげな感じです。

冗悟:もしよければ、注目の方向性が正反対の二つの古語のペアもあるんだけど・・・興味ある?

さやか:はぃ、もちろん。教えてください。

冗悟:「見遣り(みやり)」と「見遣し(みおこし)」って言うんだ。前者は他人の気持ちへと自ら歩み寄って行く感情移入型の態度、後者は他人の注目を自分の方へ引っ張ろうとする自己中心的な企て・・・さやかさんの好みはどっちかな?

さやか:「見遣り」です・・・それって「思い遣り」にも通じる態度ですか?

冗悟:その通り・・・真の平和や本当の愛情や魅力はことごとくみな、この「見遣り」に発するものなんだ・・・と、俺は感じてるんだけどね。もっとも、最近はたいていの連中がその真逆の態度の「見遣し」に断固として張り付いてるように見えるけど・・・誰も彼もが叫んでる ― 「こっちを見ろ! ほーら、自分はここにいるぞ! フォローするがよい! 我こそは我が知る限りのこの世の中心であるぞ!」

さやか:そういう人たち、わたし嫌いです・・・

冗悟:・・・で、こういう詩が好きなんだね?

さやか:はい。

冗悟:それなら、君と俺の間には一脈通じるものがあるね。だからこそさやかさんとのおしゃべりはこんなにも楽しいわけだ。

さやか:わたしもおんなじ気持ちです、冗悟サン・・・でも、この会話が大好きな気持ちは、わたしの方が冗悟サンよりぜったいに強いと思います!

冗悟:そう言われると嬉しいな。天秤のバランスがトントンからこっち優位の間は、いつでも俺の方から君のほうへと歩み寄って行くからね、さやかさん・・・さてと、今日はこのへんにしとこうか。

さやか:これからももっと「見遣り」の詩、出てきますか?

冗悟:あぁ、約束するよ。じゃ、また会おうね。

さやか:ありがとうございました。じゃぁまた。


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3)(題しらず)

みれどあかぬはなのさかりにかへるかりなほふるさとのはるやこひしき

「見れど飽かぬ春の盛りに帰るなほ故郷の春や恋しき」

『拾遺集』春・五五・よみ人しらず

『我々としてはいくらでも見ていたい、見飽きることなどあり得ない、見事な桜の満開の時期だというのに、そんな花に背を向けて古里へと帰る渡り鳥の雁の群れ・・・やっぱり、生まれ育った懐かしい土地の春が、恋しいのかな?』

Cherry trees in full bloom, endless feast to our eyes,

Seem powerless to stop wild geese flying home to their country’s Spring.

みる【見る】〔他マ上一〕(みれ=已然形)<VERB:view, watch, enjoy seeing>

ど【ど】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(DEGREE):no matter how…>

あく【飽く】〔自カ四〕(あか=未然形)<VERB:get weary, be tired of, be fed up>

ず【ず】〔助動特殊型〕打消(ぬ=連体形)<AUXILIARY VERB(NEGATIVE):not>

はな【花】〔名〕<NOUN:flowers, especially cherry blossom>

の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):’s, of, belonging to>

さかり【盛り】〔名〕<NOUN:the best time, prime>

に【に】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(TIME):at the time of>

…at the prime of cherry blossom we humans couldn’t see enough of

かへる【帰る】〔自ラ四〕(かへる=連体形)<VERB:go back>

かり【雁】〔名〕<NOUN:wild geese>

…wild geese travel back [in the sky to their country]

なほ【猶】〔副〕<ADVERB:still, all the same>

ふるさと【古里】〔名〕<NOUN:their hometown>

の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):’s, of, belonging to>

はる【春】〔名〕<NOUN:Spring, vernal season>

や【や】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(INTERROGATIVE):?>

こひし【恋し】〔形シク〕(こひしき=連体形係り結び)<VERB:be fond of, be attached to>

…[for all the beauty of our cherry flowers] do they still feel more attracted to their own country’s Spring?

《miredo akanu hana no sakari ni kaeru kari nao furusato no haru ya koishiki》


■平安調短歌の中にあっては極めてな「感情移入型詩文」■

 日本の春の桜の花盛りに、北の故郷へ向けて飛び行くは、平安調短歌の中に古来根付いた伝統的風物である。はまた晩秋から初冬にかけて渡りをすることで知られる鳥である。空を行くの姿は、その物寂しげな声とも相まって季節の変わり目の象徴的存在、あまりにも印象的な鳥なので、八代集約9,700首中にあって「」は何と115首もの歌の中に登場する。270回の登場回数を誇る「郭公」に次いで、「」は平安貴族のお気に入りの鳥ナンバー2の座を占めている。

 しかしながら、平安の歌人が「」を愛するのは、英国人が「robins(コマドリ)」を愛するのとはかなり勝手が違う。コマドリを「コマドリ」として愛すること ― 彼らなりの感情や人生設計を持った、我々人間の小さな友人としてコマドリを見るという態度 ― は、平安調短歌の中にはまったく見られないと言って差し支えない。平安の歌人が人間以外の生き物に言及する時、彼らは「自分自身の主観的感情の投影」として機能する何かのシンボル(象徴的図柄)としてその名を引いているだけなのである。言うなれば、平安調短歌の中にあってそうした生き物は「生きている」とはまるで言えない存在なのである・・・少なくとも英国に於ける「コマドリ」のようには「生きていない」し、ずっと後代の江戸時代の小林一茶(こばやしいっさ:1763-1827)の有名な俳句「雀の子其処退け其処退け御馬が通る(すずめのこそこのけそこのけおうまがとおる)」が「雀」や「馬」を生き生きと活写しているほどには「生きていない」のだ。

 良かれ悪しかれ、平安調短歌の構造は主観的である。今日に於いても、咲く花を見る時、我々人間は「綺麗だな」と感じるけれども、花そのものには「美しく咲いてやろうという意志」があるとは感じない。花がしおれて行くのを見る時、我々は残念に思うけれども、花そのものが「残念だ」とか「つらい」とか感じているようにはついぞ感じぬものである。花がれ行くさまを見て我々が「つらい」と感じるのは、やがて死に行く我々自身の運命を、れ行く花の上に重ねて見るからこそである。美しい花を見て嬉しく感じる我々の気持ちの中には、美しいものを見て美しく感じる感性が自分の中にあることを発見して嬉しい、という思いも一部含まれているのである。れ行く花を見て我々が哀れを催す対象は、「花そのもの」ではなく「我々」 ― 同じ衰亡の道をいつかは辿ることになる自分自身の姿なのである。この観点に照らして見れば、人間の意識の中に於ける「花」は「花そのもの」として存在するわけではなく、我々人間自身の主観的感情を反射投影する「鏡」として存在するのである。同じことは、「月」や「星」や「木々」のように自分自身の感情など明らかに持たぬ存在に関しても言える。同様のことが言える対象物としては他に「微生物」や「ミミズ」がある・・・「尺取虫」や「」や「甲虫」もそう・・・であろうか? 「いや、ちがう!」と言う人たちもいるかもしれない。その種の虫たちを熱愛するあまりに、彼らを単なる「客観的観察対象」や「主観的感情の投影対象」として眺めることに我慢ならず、彼らのあるがままの存在そのものへと歩み寄り、彼らの心の内面にある彼ら独自の感情や思惑へと思いをはせる人たちもいるかもしれない。物言わず感情も持たぬかに見えるそうした人間以外の存在に対しあまりにも深く入れ込むあまり、物言えぬ彼らの気持ちを人間の言葉で代弁するに至るほどの思い入れの深い人たちだって、いないではないのだ。「カブトムシ」や「チョウチョ」の代弁者を演じる人間の数は少ないかもしれないが、「コマドリ」の代弁者を演じる英国人の数は多いだろう。西欧人の大部分は「イルカ」や「クジラ」に深く感情移入するから、「イルカ殺しの日本人」や「鯨肉喰らいの日本人」には我慢ならず、「日本人」という連中は海の中の人類の親友に対する感情移入能力ゼロなのか、あるいはひょっとして西欧の人類社会に対する共感すらあの「日本人」という連中には皆無なのかもしれないぞ、と感じてしまうわけである・・・とにもかくにも、「人間とそれ以外のもの」との間を隔てる感情移入の境界線は、この日本では(平安調詩文に於ける表出例から判断するに)信じ難いまでに「人間寄り」 ― あるいは京都の朝廷に於ける至上の場である「清涼殿寄り」? ― に偏り過ぎていて、「人間以外の生き物」(あるいは「標準以下の人間たち」)のほとんど全ては、「木々」や「お空の星々」同様、何の感情も持たぬ「主観的感情の写し鏡」としての位置付けしか与えられていない感じなのである。

 それとは対照的に、ここに引いた平安調短歌に於ける「」は「自らの感情や人生設計を持って生きている何か」として描かれており、「季節を伝える絵になる背景」や「詩人自らの主観的感情をぶつける的」として「非感情的・客観的」に描かれてはいない。わかりやすく言えば、これは「詩人の詩」ではなく「鳥の歌」なのである。この詩は極めてな例外的作品として覚えておくことをお勧めする。こうした例外を別にすれば、平安調短歌の一般原則は「一部の限られた人間以外は、感情を持った存在としての自己主張を許されず、詩人自らの感情の主観的投影として言及されるのみ」ということになる。

 対象物の置かれた状況へと歩み寄る感情移入型の態度のことを、日本の古語では「見遣り(みやり)」と呼び、これと正反対の態度を「見遣し(みおこし)」と呼んだ、ということもまた覚えておくとよいだろう。いずれの古語も現代日本語では死語と化している・・・後者(=みおこし)の「あちら」から「こちら」(=「我々日本人」や「場の空気」等)へと歩み寄って来るのを当然のごとく求める態度が「デ・ファクト・スタンダード(実質上の標準)」と化してしまったために、前者(=みやり)などまるでなくなってしまったこの国では、「みやり」と「みおこし」の区別自体が必要なくなったために両者ともに死語と化した、という見立ても可能かもしれない。生来似たもの同士で同様の思考形態/行動様態を持ったこの日本人、「部外者」(=「人間以外の動物」・「日本人以外のガイジン」・「日本人のくせに周囲に合わせようとしない日本人」等々)が各人各様に持つ異なる立場に対する感情移入の能力が(西欧人の基準から見れば)信じられないほど乏しいこの日本人・・・その種の「(日本にとっての)別物」は、とりわけ国内が難題を抱え混沌最中にある時代には、「非国民」・「人非人」・「余所者」といった軽蔑調のレッテルを張られることになる。もしも、きちんとした知性と感情移入能力を備えた日本人が大胆にもこの恥ずべき日本の国民的偏向性を同朋の日本人たちに指摘して、非人間的残虐行為に走りかねない彼らに対する心からの警告を試みた場合、どうなるか?・・・そんな気の利かぬ馬鹿野郎なんざ、「お前はそれでも日本人か!?」という例の国民的決まり文句の一言をもって苦々しく切り捨てられて、おしまいである。そういう時の日本人は必ずや「日本人の仲間に加わる」か「日本人の身内集団の外で、”人間”として生き続ける」かの二者択一を迫ってくる。日本人が自分達の集合体へと君を同化する腹積もりを固めている以上、君にはただ服従あるのみ・・・抵抗は無意味である。何の疑いもなく発揮される日本人集団の同調圧力の凄まじさは、連中の真っただ中に組み込まれて実際それを体験した者にしかわからない(本質的に個人の尊厳を重んじる西欧文明社会の市民には到底信じ難いほど、それはもう強烈なのである)。

 この「」の詩は、そうした非感情移入型平安調短歌の中にあってはポツリと浮いた「黒い白鳥(black swan・・・仲間外れ)」の一作であり、日本人社会の中にあっては「黒い山羊(black sheep・・・持て余し者)」のこの筆者(=之人冗悟:のと・じゃうご:Jaugo Noto)の非順応的精神傾向へとすんなり歩み寄ってくるタイプの作品である・・・と言ったところで、この筆者が一体何を言わんとしているのか、大方の日本人にはさっぱりわからないことだろうし、「見遣り歌(みやりうた=他者の方へと歩み寄るタイプの詩)」が「見遣し歌(みおこしうた=他者から自分への歩み寄りをひたすら求めるタイプの詩)」と一体どう違うのかについても、大方の日本人は理解できまい・・・。

 この短歌と、以下に示す(とことん平安的&日本的な)「本歌取り(=誰にでもはっきりと”過去の有名作品からのイタダキ”とわかる芸当を誇らしげに演じるやつ)」との本質的な違いを確認し、しっかりと覚えておいていただきたい。以下に示す作品のやっていることといえばそれはただ、二つの著名な短歌を引き合いに出すことで歌人自らの「文芸的嗜みの深さ」を誇らしげにひけらかしているだけ、垢抜けしたひそひそ声で君にこうきかけているだけ ― 「私が何を言わんとしているか、あなた当然、御存知よね?(もしあなたも”私たち”の一員なら、当然御存知のはずよ)」・・・さて、ここで君に質問 ― そんな”彼ら”の集合体に同化されることを、君は本当に望むのか?・・・あるいは「コマドリ」や「」の真の友であり続けたいか? 鈍感で満足げな蜂の巣の群れの一員として確立されたパターン行動の反復に身をねるのが大好物の狂った俗物の群れから離れて・・・君自身の心をき込んでから答えを決めたまえ ― 以下に示す、過去の大成功例からのイタダキ短歌を(何十回も!)繰り返し口ずさんだ後で、自分なりの態度を決めるといい・・・一読した時点で、君は拍手を送るかもしれない・・・その詩そのものが詩的に優れているから拍手するのではない。この盗作が引き合いに出している原作を思い浮かべられるだけの文化的たしなみが自分にはあったのだ!という喜びに、拍手するのである。だが、改めてもう一度(あるいは、三度、四度、十度・・・)考えてみれば、この種の安直な拍手の罪深さを君も悟ることだろう ― 日本の人々は全員、改めて考え直した方がいい ― ごく普通の文化的西欧人の目に「バカな連中」と映りたくない、というただそれだけの動機からでもいいから、考えを改めた方がいい(・・・願わくば、日本人の「俗物根性丸出しお決まりコース迎合症候群」に歯止めをかける意味でも、再考が望ましい)・・・ということで以下、誇らしげなる和風<盗作>短歌、ごらんあれ:

《ふるさとのはなのにほひやまさるらむ しづこころなくかへるかりがね》『詞花集』春・三三・藤原長実母(ふじわらのながざねのはは) <古里の花の>匂ひや勝るらむ<静心なく><帰る雁>がね(ここ日本では春の桜の花盛りだというのに、落ち着かない心持ちで北へと飛び帰る雁たちは、故郷の花が恋しくてたまらない、とでも言わんばかりのせわしなさである)

・・・参照例:《ひさかたのひかりのどけきはるのひに しづこころなくはなのちるらむ》『古今集』春・八十四・紀友則(きのとものり) 久方の光長閑けき春の日に静心無く花の散るらむ(穏やかな春の日、のどかに流れる時間の中で、桜の花びらだけが、落ち着かぬ心持ちで散るを急ぐのは、いったいどうしてなんだろう?)

「英語を話せる自分自身」を自らの内に持つということは、「さやかさん/冗悟サン」みたいな会話相手が隣にいるみたいなもの。
実際の会話相手の提供はしませんが、「さやかさん/冗悟サン」との知的にソソられる会話が出来るようにはしてあげますよ(・・・それってかなりの事じゃ、ありません?)
===!御注意!===
現時点では、合同会社ズバライエのWEB授業は、日本語で行なう日本の学生さん専用です(・・・英語圏の人たちにはゴメンナサイ)