31短歌18)愛する人と一緒に長生きしよう ― さやか、いかにして「死の願望」を乗り越えたかを思い出す

18)(人のもとに罷り初めて、朝に遣はしける)

きのふまであふにしかへばとおもひしをけふはいのちのをしくもあるかな

「昨日まで逢ふにし替へばと思ひしを今日は命の惜しくもあるかな」

藤原頼忠(ふぢはらのよりただ)

♪(吟)♪

★愛する人と一緒に長生きしよう ― さやか、いかにして「死の願望」を乗り越えたかを思い出す★

冗悟:さぁこれが「恋の歌・その二」・・・だけどこれ、君にはちょっと難しいナゾナゾかもね、さやかさん。

さやか:もし「このナゾナゾ解いてごらん」って言うのなら、あっさり説明してあげますよ。

冗悟:ほぉー・・・じゃ、俺に代わってしてくれる?

さやか:この短歌がナゾナゾっぽく感じられる主な理由は、「ミッシング・リンク(missing link=本来あるべきものがあるべき箇所に存在しないこと)」です ― 「逢ふにし替へば(=出逢うのと引き替えにできたらいいのに)の前の見えない目的語として「君に」を加えた上で、さらに「替ふ(=交換する)」のもう一つの目的語として「命」と結び合わせれば、「君に逢ふにし命を替へば(=<あなた>に出逢うのと<わたしの命>を交換できたらよいのに、とわたしは願った)」として論理的に解釈できます。言うまでもなく、ここでの「出逢う」とは「あなたと、恋人として、逢う」の意味になります。Q.E.D.(以上、証明終わり)。

冗悟:F-A-B!(エフ・エイ・ビィ!)

さやか:はぃ?

冗悟:「F-A-B」すなわち「FABulous!(ファビュラス:すっばらしい!)」の意味さ。冗悟サンは子供の頃「サンダーバード(THUNDERBIRDS)」に夢中だった、って言わなかったっけ? 特にあのすっばらしい「サンダーバード二号」が大好きだったって!

さやか:「さんダーバード」か「よんダーバード」(yonder birds=あっちの鳥たち)か知らないけど、ひとつ質問があります。

冗悟:この短歌に関して?

さやか:はい。冗悟さん、この短歌知ってます? ― 《きみがためをしからざりしいのちさへ ながくもがなとおもひけるかな》君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな ― これ、わたしの最愛の詩の一作なんです。

冗悟:うぅーん・・・君がこの詩を口にするなんて、嬉しいね、俺も個人的に好きだから ― 藤原義孝(ふじわらのよしたか)の印象深い詩だね。どことなく似たところのある藤原頼忠(ふじわらのよりただ)の今日の短歌、君が苦もなく解釈できたのは、なるほどそういうわけだったんだね。オッケー、それで、君が聞きたいのはどういうこと、さやかさん?

さやか:この短歌もまた例の「お決まりコース」の一つなの?ってことです。

冗悟:つまり、この藤原頼忠の短歌は藤原義孝の美しい恋歌の写し絵(カーボン・コピー)なんじゃないか、ってことだね?

さやか:あるいはその逆なのかも。

冗悟:わかった、それなら、どっちの短歌が先に作られたか調べてみようか?

さやか:はい。

冗悟:ちょっと待ってね・・・えーと、はいデータ出ました ― 藤原義孝は西暦954年に生まれて974年に二十歳で亡くなっている。

さやか:そんなに若くして・・・

冗悟:あぁ、俺たちの好きな彼の短歌の劇的な美しさに彩りを添えるような話だね。一方、藤原頼忠、今日の短歌の作者のほうは、924年生まれ、989年没。義孝より30年早く生まれてるんだから、こっちの頼忠の短歌の方が早く作られた、と考えるのが自然だろうね・・・でも、義孝が二十歳で亡くなった時点で頼忠はまだ50歳で存命中、こんな情熱的な短歌を義孝の美しい「オリジナル」をなぞって作るにはいささか年行きすぎてるけど、それでもまぁ全くあり得ない話とは言えない・・・さて、どう解釈したものかな、さやかさん?

さやか:どっちの詩が作られたのが早いかは、わかりません。

冗悟:君の言う通り。えて言わせてもらえば、どっちがオリジナルでどっちがコピーかを知ろうとすること自体、間違いかもね。この二つの短歌に共通する着想は「以前の自分は、この命、あなたのためなら投げ出しても構わないと思っていました。でもこうしてあなたと相思相愛の仲になった今、あなたと一緒にいつまでも生き続けたいと、自分は望むようになりました」というもので、ドラマチックではあるけれど、その当時としてはとても人気のテーマだったから、同じ着想で作られた似たような詩は他にももっといっぱいあったに違いない。そんな状況下では、どれが本物あるいは原作かなんてことは、あまり問題にならないよ。一つ一つの短歌が君自身に個人的に訴えてくるかどうか、つまり、もしその短歌を君がだれか男の人から受け取った場合に君は個人的にどう感じるか、そっちの方が大事だと思う・・・どう感じる、さやかさん?

さやか:冗悟サンから受け取ったら、さやかとってもうれしいと思う。

冗悟:悪いけど俺はただ君に逢うためだけに命を投げ出しても構わない、とは思わないね、さやかさん。だって俺はすでにもう何度となく君の姿を目にして、君とのおしゃべりも十分満喫してるわけだからね、肉体関係持つ前に・・・って、ぁ、ごめん、ヘンなこと言っちゃった・・・これってただ、ほら、テキトーに想像しちゃっただけだから、話の自然な流れでさ・・・ごめんね。

さやか:気にしないで。わたしもただあなたのこと手玉に取ってみちゃおかな、って思っただけだから。こんなに簡単に乗ってくれて、どうもありがとう、冗悟サン。

冗悟:・・・君は「恋」の歌となると俄然調子が出てくるね。

さやか:冗悟サンは「恋」の話になると高いとこからわたしのすぐそばまで降りてきてくれる感じがします ― わたしそれ好き!

冗悟:ぅんまぁ・・・というわけで、君は義孝の詩のほうが頼忠のより好きなわけだ、オリジナルかコピーかに関係なく?

さやか:はい。冗悟サンの助言のおかげで。

冗悟:ということは・・・今日の会話はこれでおしまい、かな?

さやか:冗悟サン、わたしと「恋」のお話するのを怖がって逃げてるみたいな気がするのは、さやかの気のせい?

冗悟:ぇ・・・そんな気がするの? それはたぶん気のせいだと思うよ。この短歌の謎は君が俺に代わってぜんぶ解いちゃったし、だから・・・だから今日はこれまで、君に何か他の質問でもあれば別だけど・・・何かある?

さやか:はい、質問があります。

冗悟:オッケー、じゃ、言ってみて。

さやか:さやかがどうしてあの藤原義孝の短歌のこと好きになったのか、そのややこしい詩の謎をどうやって解いたのか、冗悟サン、聞きたくないんですか?

冗悟:あぁ、それはとってもいい質問だね・・・うん、知りたい、どうして? それと、どうやって?

さやか:あの短歌、わたしの命の恩人なんです。

冗悟:何だって?

さやか:わたし、今ここで生きてこうして冗悟サンとお話なんてしてなかったかもしれないんです、もしあの時、わたしがひどくヤケになって自殺したい気分になった時に、この美しい詩に出逢ってなかったら。

冗悟:「死の願望」か・・・前に君から聞いたことがあるね・・・子供時代の終わりに自分がいきなり「子供」じゃなくて「女の子」になっちゃったのに気付いた時のこと・・・その当時のこと言ってるのかな?(第十四話参照)

さやか:あの揺れ動く時期とも重なるお話なんですけど、正確にはもう少し後のことです。わたしが学校一活発な子供から普通の女の子に変わって行く頃、わたしの苦難に追い打ちをかけるように、おばあちゃんが交通事故で亡くなっちゃったんです。おじいちゃんはその二ヶ月後になくなりました。ママはおじいちゃんの介護で忙しくて、ちょくちょく家を留守にしてました。パパはいつも夜遅くまで帰って来ませんでした。わたし、自分は一人ぼっちなんだって感じてました ― わたしの周りをぐるぐると、悪い方向へ、幸せだった子供時代から大きくなるにつれてどんどん悪い方向へ、世界は転がり落ちて行くんだと感じてました。

冗悟:君にとってはさぞや大変な経験だったろうね。

さやか:わたし、おばあちゃんが好きでした。おじいちゃんも好きでした。二人ともさやかのこととってもかわいがってくれました。

冗悟:そんな二人を、人生で一番感じやすい一時期に、君は失ったわけだ・・・

さやか:何もかもが去って行く気がしました。わたしを愛してくれたものはすべて去って行く。わたしが愛したものもすべて去って行く。わたし、絶望的になって、もうわたし自身を捨て去ってしまおう、って思いました。

冗悟:「死の願望」だね・・・

さやか:はい。

冗悟:乗り越えてくれて、よかったよ・・・どうやって克服したの? 藤原義孝の詩はどうやって君を助けてくれたの?

さやか:おじいちゃんが亡くなった後で、一つ残ったものがあります ― cockatielです。

冗悟:コカ・・・カクテル(Cocktail)?

さやか:悲しいお話してる時におどけないでください、冗悟サン。

冗悟:ごめん、でもちょっと説明してもらわないと・・・その「コックなんとか」って、何?

さやか:「cockatiel」 ― 日本語で言えば「オカメインコ」です。

冗悟:あぁ、また鳥さんか、君のお気に入りだね。

さやか:はい。おばあちゃんもおじいちゃんも両方亡くなっちゃったんで、彼女の面倒はわたしが見ることになりました。

冗悟:彼女の名前は?

さやか:「あえか」です。

冗悟:不思議な名前だね、その「コカ・・・」なんとかにしては。

さやか:「Cockatiel」。おじいちゃんは「さやか」って名前にしたがったけど、おばあちゃんがダメって言って、それで「あえか」になりました。

冗悟:「あえか」って、日本の古語ではどういう意味か知ってる?

さやか:いいえ。教えてくれますか?

冗悟:あまりにも繊細でもろいから、ほんの少し揺れたりちょっと触れたりしただけで、壊れたり落ちたりしそうな、何か。

さやか:まるであの頃のわたしのこと言ってるみたい。わたし、ほんとに、壊れる寸前、奈落の底に落ちる寸前だったんです・・・そんな時、「あえか」がわたしの人生に入ってきました。

冗悟:その「オカメインコ(cockatiel)」のために生きなきゃ、って君は思ったわけだ。

さやか:長ーいお話を馬鹿みたいに簡潔にすれば、そうなります。

冗悟:ごめんね、君の苦闘の物語を馬鹿っちくしちゃって。

さやか:いいんです。よくよく考えてみれば、ほんとに馬鹿げたお話だから。冗悟サンは「死の願望」って言ったけど、あれってむしろ倦怠、落胆だったんです。怒濤のように押し寄せる変化の波にわたしただもう圧倒されちゃって、そのすべてにどうやって対処したらいいのか、わからなくなっちゃったんです。そんなわたしを救い出してくれたのは、一羽の小さな鳥でした。わたし、この子の世話をしなくちゃ。わたしが世話しないと、この小さな鳥は死んじゃう。この子を死なせてこれ以上わたしみじめな気分になるわけにはいかない・・・あるいはむしろ、この子を死なせてもっとずっとみじめな気分になってやろうかしら、みじめすぎてもうこれ以上生きてられないくらいに? そうだわ、すべてみなあえか次第なんだわ、わたしが生き続けるか自殺しちゃうかは。もし彼女が死んだら、わたしも彼女の後を追って自殺しよう。でも、わたしは彼女を殺したりしない、この子の面倒はわたしがしっかり見る、わたしが生き延びたいからじゃない、この子には生きてもらって、寿命が尽きた時に自然に死んでもらわないと、おばあちゃんみたいな死に方じゃなくて。あえかが死ぬまでは、さやかも死ねない、彼女に生きててもらうために・・・ありがたいことに、彼女、いまでもわたしと一緒に生きてます・・・おバカなお話でしょ?

冗悟:ああ、とってもハッピーでおバカなお話だね。人生はいつだって、バカらしいくらい小さな物事の上に成り立っているんだ。でも、当時の君にとってはそれは全然バカげたことじゃなかった。そんな君の大いなる危機と決意を「おバカ」呼ばわりできるようになってくれて、嬉しいよ ― ちゃんと乗り越えられた、って証拠だからね。

さやか:それで思い出しました ―「あればぞ見ける秋の夜の月」 ― 「死ぬ、なんて死んでも言うな!」、「もうたくさんなんて絶対言うな!」 ― 結局、最後には「おバカな話」だったってことになるんだから・・・でも振り返ってみると「いとおしい」お話でもあるんですよね・・・それもこれもみんな、わたしがまだこうして生きてるからこそ感じること。(第十四話参照)

冗悟:その短歌もすでにもう君の一部になって、まさかの時には君の個人的救い主になってくれるわけだ・・・おっと、俺のほうもそれで思い出したよ ― 藤原義孝の詩のほうはどうなっちゃったのかな?

さやか:あの短歌には「百人一首かるた」の中で出会いました。おばあちゃん・おじいちゃんと毎年一緒に遊んだやつで、二人とも亡くなった後でこれもまたわたしの持ち物になったんです。

冗悟:あの詩の内容、すんなり君の心に届いたのかな?

さやか:すんなり、じゃありませんでした。最初の印象と、二つ目の解釈と、三つ目の修正と、最終的解釈とでは、どれもみな違ってます、その時々で。

冗悟:興味あるね。最初の印象はどんな感じだったの?

さやか:君がため(=あなたに関しては、あえか、あなたのためだけには)惜しからざりし命さへ(=命なんてひどくもろいもの、簡単に壊れちゃうものだって思ってた、だからわたしの命もおばあちゃんやおじいちゃんみたいに今すぐ消えてなくなっちゃえばいいと思ってた、でも)長くもがなと思ひけるかな(=あえか、あなたの命だけは、長生きしてね、って心の底から思ってます)・・・ぜんぜん、違いますよね、これ?

冗悟:他の人達にはね。でも、その当時の君にとっては完璧な正解だったと思うよ。

さやか:はい。

冗悟:二つ目の解釈、聞かせてもらえる?

さやか:君がため(=あなたは25年も生きるオカメインコなんだから、あえか)惜しからざりし命さへ(=わたし自身はそんなに長生きしたいとは思わないけど)長くもがなと思ひけるかな(=あなたを死なせないためにもわたし、そんなに早くは死ねないわ)・・・ある日ふとこんな解釈が思い浮かんでから、わたし、少しだけ自分の個人的危機から遠ざかった気がしました・・・なぜだか、わかります、冗悟サン?

冗悟:他の誰かのために生きようとしている自分に気付いたからだね。最初の解釈では、君はただ「あえか」に長生きしてほしいって望んだだけで、君自身はまるで生きたいって望んでなかった。とっても劇的な展開だね! 第三段階が待ち遠しいな・・・「修正」って言ったっけ?

さやか:はい。君がため惜しからざりし命さへ(=わたしは特に生きていたいとは思わないけど、あえか、あなたにはできるだけ長生きしてほしいから、わたし、自分の命なんて喜んであなたのために投げ出すわ、だってあなたの命はわたしと違って大事なものだから)長くもがなと思ひけるかな(=でも、もしわたしがあなたより先に死んじゃったら、あなたもわたしのせいで死んじゃうかもしれない。あなたに死なれたらわたし悲しい・・・わたしが死ぬのを見たら、あなたも悲しいかも・・・だから、できるだけ長く一緒に生きましょ、どっちも悲しませないため、ただそれだけのためにでも)・・・これがわたしの第三の修正案。これがこの詩の正しい解釈だ、って思ってました ― 今日のこの短歌を冗悟サンに教えてもらうまでは。

冗悟:この藤原頼忠の短歌のせいで、別の解釈、文芸的に正しい解釈に変更せざるを得なくなったわけだね・・・俺に代わって言ってくれる、さやかさん?

さやか:君がため惜しからざりし命さへ(=あなたの恋人になれるなら、わたしの命を投げ出してもかわまないと思っていました)長くもがなと思ひけるかな(=今ではあなたとわたしは相思相愛なので、二人一緒の幸せな人生をできるかぎり長く生きられたらいいなぁと思っています)・・・当初の解釈とはちょっと違うけど、わたしこれ好きです。そういう気持ちにさせてくれる人に出会えたらなぁって思います・・・ひょっとしてもう出逢ってたりして、そう思いません、冗悟サン?

冗悟:まったくだ、俺もそう思うよ ― 「あえか」君、さやかさんと共に長生きしてね!

さやか:(…)でも今日、この詩人、藤原義孝がそんなに若くして、二十歳で死んでたって知って、ショックでした・・・大好きな人と一緒に、もっと長生きしたいって思わせてくれた女性と一緒に、彼にはもっと長生きしててほしかったのに・・・人生って、残酷ですね、そう思いません、冗悟サン?

冗悟:あぁ。でも彼は俺たちにこの美しい詩を残してくれた。それは俺たちにとっては大きな贈り物だよ、それと、個人的危機に陥った全ての人達にとってもね。るべき時にこの詩に出逢ったなら、答えが見つかるかもしれない ― 「何か」のために生きたり死んじゃったりする必要なんてない、「誰か」のために、その「誰か」と一緒に生きればいいんだ、って思えるかもしれない。

さやか:義孝に先立たれた女性はすごく悲しかったでしょうね、この詩だけが彼の残した唯一の形見だったとしたら。

冗悟:人生はそれほど残酷じゃないよ、さやかさん。義孝は彼女に、一人息子も残しているんだ。その息子は成長して当時最高の能筆家の一人と言われるまでになった ― 藤原行成(ふじわらのゆきなりorこうぜい)って言う人だよ・・・それ聞いて、ほっとした?

さやか:はい、少しだけ。でもわたし、愛する人と一緒に長生きしたいです、そう思いません、冗悟サン?

冗悟:「愛する人と一緒に長生きしよう」 ― 実に印象的な標語だね・・・これ、今日のレッスンの締めくくりにしようか・・・いい?

さやか:はい・・・ごめんなさい、冗悟サンのお時間たくさん取っちゃった上に、わたし個人のつまらない思い出話に巻き込んでこの会話の大部分つぶしちゃった。

冗悟:その部分、俺が気に入ってないと思う? 今日の会話で一番感動的な部分だよ。ほんとどうもありがとう、さやかさん。次もまた「恋」の歌で会おうね・・・今度は女性の恋歌で。

さやか:楽しみです。じゃぁまた。


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18)(人のもとに罷り初めて、朝に遣はしける)

きのふまであふにしかへばとおもひしをけふはいのちのをしくもあるかな

「昨日まで逢ふにし替へばと思ひしを今日は命の惜しくもあるかな」

『新古今集』恋・一一五二・藤原頼忠(ふぢはらのよりただ)(924-989:男性)

(女性と初めて親しく逢ったその翌朝に送った歌)

『昨日までの私は、この恋が成就するならば命と引き替えにしてもいい、あなたとの逢瀬が叶えばもう死んでも構わない、とまで思い詰めていたというのに・・・こうして恋が成就した今となっては、あなたと一緒に過ごすこの幸せな命が、惜しくて惜しくて仕方がない、いつまでもずっとこのままでいたい、と感じるようになってしまいました。』

(on the morning after the night when the author visited a woman for the first time)

What did I spare, even my life, to be mutually in love with you?

Now I find my life so dear, because it’s one with my dearest one.

きのふ【昨日】〔名〕<NOUN:yesterday>

まで【まで】〔副助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(TIME):till, until>

…until yesterday

あふ【逢ふ】〔自ハ四〕(あふ=連体形)<NOUN:be in love with each other, go out with, have affairs with>

に【に】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(PURPOSE):for, for the sake of>

し【し】〔副助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(EMPHATIC)>

かふ【替ふ】〔他ハ下二〕(かへ=已然形)<VERB:exchange, sacrifice>

ば【ば】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(WISH):if only, o that, I wish>

と【と】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(OBJECT)>

おもふ【思ふ】〔他ハ四〕(おもひ=連用形)<VERB:feel, hope, wish, imagine>

き【き】〔助動特殊型〕過去(し=連体形)<AUXILIARY VERB(PAST)>

を【を】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(CONCESSION):but, and yet>

…I had thought I could give my life away in exchange for gaining your approval to have a date with me

けふ【今日】〔名〕<NOUN:today>

は【は】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(TIME)>

…now today I find

いのち【命】〔名〕<NOUN:my life>

の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(OBJECT)>

をし【惜し】〔形シク〕(をしく=連用形)<VERB:cannot afford to lose, spare>

も【も】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(INTONATION)>

あり【有り】〔補動ラ変〕(ある=連体形)<AUXILIARY VERB(MANNER OF EXISTENCE):become>

かな【かな】〔終助〕<INTERJECTION>

…my life has become too precious to lose [for the weight of the wonderful time I spend with you]

《kinou made au ni shi kae ba to omoishi wo kyou wa inochi no oshiku mo aru kana》


■「死ぬほど」あなたと相思相愛になりたい ― あなたとの情事のためなら「死んでもいい」 ― あなたとお別れしないためにも「死んでなんていられない」・・・平安調短歌の劇的お決まりコース■

 上に出てきた二つの短歌はいずれも、平安貴族の輪の中ではよく知られた劇的枠組みの共通の鋳型から出てきたものである ― 1)最初、私は恋をして、あなたの恋人になれないなら死んでしまうと思いました、あなたが私に逢ってくれるなら私の命も投げ出して構わないとさえ思いました(この時点でこの男はおそらく相手の女性に直接会ったことはなく、生身の逢瀬を望んでいるだけ、という点に要注意) 2)ついに、あなたは私にあなたの部屋でお逢いする機会をくれました(そして、たぶん、彼らは肉体関係を結ぶことになる) 3)そして今、私はあなたとの愛で幸せいっぱい、あまりに幸せすぎて、この幸せをいつまでも失いたくないのです。

 同じ鋳型から出てきたのだから、そこに独創性もなければ、似たもの兄弟もずいぶん多かったろうが、それでもなおかつこれら二人の詩人たちは、意中の女性の心を動かしたことだろう ― 何故ならそれは「後朝の文(きぬぎぬのふみ=逢瀬の翌朝に届くお礼状)」として彼女の元に届けられたものだから ― 「初デート、素敵だったよ」と男に言われて嬉しく思わない女性がいるだろうか? 他の女性(それも実際かなりの数にのぼる女性)は「後朝の文」なんてまるでもらえなかったのだという事実にみても、男性との初めての夜の一~二日後に届くドラマチックな愛の歌は(紋切型ではあっても)、女性にとってはひたすら素敵に響くに決まっている。

 しかしながら、同じ夜を別の側からき込むと、事態はまるで違って見えてくる。意中の女性と一緒の幸せな人生を「もう失うわけには行かない」と感じる幸運な男が一人いれば、その陰には何人かの(ひょっとすれば何人もの)男達が「あなたに逢えないなら(そしてあなたを恋人として愛せないなら)自分はもう生きていられない」と歎き悲しんでいるわけである。そういう愛に飢えた男からの物欲しげな恋文が舞い込んで来て、「このままでは自分はあなたの薄情さのせいできっと死んでしまうことでしょう」などとあなたに訴えかけてきたら・・・ちょっと想像してみるといい、そういう恨みたらたらの脅迫状めいた恋文が、いかに多かったか、いかに頻繁に来たか、いかにわずらわしくて逆効果な代物だったかを。受け取る女性のことをしんだ上でのそうした想像力に欠ける男は、その女性に会ってもらう(ましていわんや彼女と結ばれる)資格など、ありはしないのだ。

 以下に示すのは、「報われぬ愛ゆえに自分は必ずや死ぬであろう」としつこく言い続けた男(にもかかわらず実際には死にもせずそうした不吉な脅迫状で彼女を悩まし続けるのをやめもしなかった男)に対する、一人の女性からの「お断わり状」である:

源信明、頼む事無くば死ぬべしといへりければ(みなもとのさねあきら、という男が「貴女に懸けた思いがわなければ自分は必ずや死ぬ」と言ってきたので、それへの返答に) 《いたづらにたびたびしぬといふめれば あふにはなにをかへむとすらむ》『後撰集』恋・七〇八・中務(敦慶親王女:なかつかさ=あつよししんのうのむすめ) 徒らに度々死ぬと言ふめれば 逢ふには何を替へむとすらむ(「自分は死ぬ、自分は死ぬ」と何度も何度も言っておきながら一向に死んでない人がいますけど、そうそう度々投げ出しっぱなしの安っぽい命なんて、私、いりません・・・実際私と恋人同士になれるとしたら、その交換条件には ― 安っぽく何度も捨てちゃった命はもう残ってなさそうだけど ― いったい何を持ち出してくるつもりかしら?)

 まともな日本人なら誰一人、「死」という語がそうそう何度も平安時代の文物に登場するなどとは夢にも思うまい。医学も原始的な当時としては、「死」への恐怖は現代よりずっと大きかったのだから。ところが実際には、この種の茶目っ気たっぷりに誇張された「死」は平安調短歌の中では猛威をふるっていて、「こひしぬ(=恋の病で命を落とす)」という言い回しは、八代集約9,700首のうちに20回以上も登場するのである。「たった20回だけ?」とかは言わないように ― 短歌世界にわんさかひしめくこんな陳腐なテーマが、勅撰和歌集の中に数十回も登場することのほうが異様なことだとは思いませんか? 日本の高校生の場合、試験の際には次のことを知っておくと役に立つかもしれない ― 「こひしなむ」や「こひしなまし」というのは「恋し+なむ(=彼/女はひょっとして恋するかもしれない)」や「恋し+なまし(=私は恋したい)」ではなくて、「恋死なむ(=恋のせいで死ぬかもしれない)」や「恋死なまし(=私は恋わずらいで死ぬに違いない/あなたに逢えないならいっそ私は死んだほうがまし)」の意味なのである ― それを聞いたら、現代人はさぞやびっくり仰天することだろうが(・・・そして、平安女性は「なぁに、またなの・・・」とうんざり顔の苦笑を浮かべることであろうが)。

「英語を話せる自分自身」を自らの内に持つということは、「さやかさん/冗悟サン」みたいな会話相手が隣にいるみたいなもの。
実際の会話相手の提供はしませんが、「さやかさん/冗悟サン」との知的にソソられる会話が出来るようにはしてあげますよ(・・・それってかなりの事じゃ、ありません?)
===!御注意!===
現時点では、合同会社ズバライエのWEB授業は、日本語で行なう日本の学生さん専用です(・・・英語圏の人たちにはゴメンナサイ)