★一人の芸術家の夢みたいな人生 ― さやか、夢の中での逢瀬に期待しつつ、冗悟に向かって「おやすみなさい」★
さやか:それじゃぁ・・・これが最後、ですか?
冗悟:そう。これでおしまい。俺達が語り合う最後の短歌は、和泉式部(いずみしきぶ)の、それも夢見る短歌・・・俺達にはお似合いだと思わない?
さやか:それって「つくづくとただ惚れてのみ覚ゆれば」のこと言ってるんですか?
冗悟:いや、違うけど・・・どうしてその「詞書」にこだわるの?
さやか:わたしが冗悟サンに「つくづくほれこんでる」って、冗悟サンがそう思ってるのかなと思って・・・あるいは、その逆とか。
冗悟:あー・・・それはチャーミングな解釈だね。でも参考までに申し上げると、ここでの「惚れて」は「途方に暮れて」の意味であって「惚れ込んで」の意味じゃないんだけどね。
さやか:えーっ、やだ~・・・!
冗悟:そういうこと・・・甘~い誤解を、どうもありがとう、さやかさん・・・で、和泉式部がどうして「つくづく途方に暮れている」のか、わかるかな?
さやか:わたしたちの楽しい会話もこれで終わりだから・・・
冗悟:それで君はつくづく途方に暮れちゃってる、のかな?
さやか:そうでもないです ― わたしが頼めばいつでも冗悟サン逢いに来てくれるって約束したから。
冗悟:したっけ?
さやか:こないだのこと、覚えてないんですか?(第三十話参照)
冗悟:俺が夢のことすっかり忘れちゃうこと、覚えてないの?(第十九話参照)
さやか:はいはい。逢いたい時は夢の中でいつでも連絡しますから、わたしが「来て」ってお願いしたら、いつでも逢いに来てくださいね ― そういうことで、手を打ちましょ。
冗悟:了解・・・俺たちの夢の中で。
さやか:わたしたちの夢みたいな現実の中で!
冗悟:さぁてと、君のほうではこれでその喪失に途方に暮れる理由もなくなったところで、心ゆくまで和泉式部の個人的状況に想像を巡らしてみようか・・・彼女、どうしてすっかり途方に暮れてるんだろう?
さやか:この短歌の内容から判断する限り、それと彼女を取り巻く事情について冗悟サンが教えてくれたすべての情報を合わせて考えると、和泉は「好色な女」としての心ない世間の噂に深く傷ついてるんだと思います。
冗悟:その公算は高いだろうね。
さやか:和泉式部ってほんとはどんな人だったのかしら・・・「女性」としては?
冗悟:オッケー、それじゃ、彼女個人の人生史、追ってみようか?
さやか:はい。偏見ぬきで。
冗悟:あるいは「いい方向への偏見つき」で、彼女の肩を持つ形でね。完全に中立公平な見方で人の個人史を眺めるなんて、構造的に不可能なことだけど、どうせ不公平に偏るなら、彼女の側にかたよって、もう一方の日本の世間の肩は持たないことにしよう。世間は圧倒的多数だけど、彼女は一人ぼっちなんだから。多数派は無視して寂しき者の声に耳を傾けよ ― 後者の声は漫然と聞き流しても耳に入るが、前者の声は注意深く聞き耳を傾けぬ限りわからない。
さやか:彼女の声、冗悟サンを通してしっかり聴きたいと思います ― 彼女に成り代わって語ってください、冗悟サン、わたしの夢の中であなたがそうするみたいに。
冗悟:オッケー、それじゃまず和泉式部の子供時代から始めようか。彼女がいつ生まれたのか、その正確な日付はわかっていないんだけど、西暦978年前後じゃないかと推測されている。彼女の父親は大江雅致(おおえのまさむね)、「受領(ずりょう)」として知られる中流貴族の一人で、京都から遠く離れた任地に配属されて、中央政府に代わって租税徴収の責任を負う一方で、その税額のうちのかなりの部分を私物化することを許されていたので、結構な富を蓄積していた階層だったんだ。和泉はそういう「受領の女(ずりょうのむすめ)」、裕福な中流貴族の御嬢様の一典型だったんだよ。
さやか:母親は?
冗悟:平保衡女(たいらのやすひらのむすめ)。
さやか:本名は?
冗悟:不明。わかっているのはただ、彼女が「平保衡という名の男の娘」だった、ってことだけさ。
さやか:平安時代の日本の女性には、自分の名前はなかったんですか?
冗悟:あったさ。でも、彼女の本名を知るのは彼女にとってとても親密な関係の人達だけ、両親とか兄弟・姉妹とか、それともちろん彼女の恋人や夫たちも知ってたけどね。
さやか:「夫たち」・・・複数形ですか?
冗悟:平安女性の旦那様は一人だけとは限らなかったんだよ、その夫たちにも複数の妻がいても不思議はなかったのと同じでね。「単婚制・一夫一婦制(monogamy)」じゃなく「複婚制・一夫多妻制・一妻多夫制(polygamy)」なのさ。今と当時とでは事情が違う。和泉式部の娘の小式部内侍が、三人の子供を三人の違う父親との間でもうけたってこと、知ってるよね?
さやか:当時の結婚生活って・・・とっても不安だったんでしょうね。
冗悟:疑いの余地もなく、不安だったろうね。平安調短歌の調子から判断するに、「不安」と「嫉妬」は彼らの恋愛の基調音だったみたいだね、男にとっても女にとっても。特に女性は不安で孤独だったと思うよ、恋人の男が自分を愛しに来てくれるのを常に待ち続けるばかりで、自分から出向いて行って彼をつかまえることなんてできなかったんだから。君みたいな「乗り込み型(go-getter)」の女性にとっては、かなりしんどい状況じゃないかな、さやかさん?
さやか:わたし、待てますよ ― 彼がわたしに誠意を尽くしてくれるなら。
冗悟:あぁ、君ならもちろんね・・・でも、和泉はそうじゃなかったみたいだね。
さやか:たぶん、最初の夫が彼女に誠意を尽くしてくれなかったからですよ。
冗悟:もし和泉式部の最初の夫が彼女に誠意を尽くしていたら、彼女は「好色な女」として知られることもなかった、と思うかい?
さやか:たぶん。
冗悟:その場合、俺達がこうして彼女の詩を巡って会話を楽しむこともできなかったろうね、彼女の詩の多くは彼女の「社交界の蝶」としてのアバンチュール満載の人生の中から生まれてきたものなんだから。それって・・・俺達にとっては残念なこと、だよね?
さやか:でも、彼女にとっては幸せなこと。
冗悟:それはどうかな。貞淑な妻・良き母親として、名も知れぬ一介の女性として生きるのは悪いことじゃない、全然悪くないけれど、和泉ほど才能のある女性にとって、それはひどく退屈なこと、実際不可能なことだったんじゃないかな。本物の才能、あるいは天分ってものは、芸術家の内面から表出を求めて物凄い勢いで自己主張してくるものだから、いつまでも無視していられるものじゃないんだよ。和泉に関しては、最初の夫の橘道貞(たちばなのみちさだ:生年未詳-1016年)と結婚したのはだいたい十八歳頃のことで、その数年後には一人娘の小式部内侍(こしきぶのないし)を産んでいる ― そこまではよかったんだけど、西暦999年に彼女の人生に転機が訪れることになる。
さやか:何が起こったんですか?
冗悟:999年の秋、橘道貞は「和泉国」の「受領」に任命されるんだ。そういう場合、妻もまたその新たな任地へ夫に連れられて行くことになっていたんだけど・・・彼女は付いて行かなかった ― 別の女性が付いて行ったんだ・・・和泉は事実上「未亡人」として京都に一人残された・・・そこから、「和泉式部」の伝説が始まるんだ。
さやか:つまり・・・最初の夫以外の男性たちとの交際が始まったんですか?
冗悟:噂によれば、冷泉天皇の第三皇子の為尊親王(ためたかしんのう:977-1002年)と和泉が恋に落ちたのは999年の冬、夫が和泉国に別の女性と一緒に旅立った直後のことだと言われている。
さやか:それって不自然じゃないですよ、だって夫が彼女を一人ぼっちにしちゃったんだもの。彼女、とっても寂しかったから、誰かを愛さずにはいられなかったんですよ、きっと。
冗悟:あるいは「何か」を愛さずにはいられなくなって「短歌」に走ったか、だね。夫に捨てられた二年後の西暦1001年前後から、非凡な歌人としての「和泉式部」の名前が京都の貴族たちの間で知られるようになってくる。
さやか:《くらきよりくらきみちにぞいりぬべき はるかにてらせやまのはのつき》・・・(第二十八話参照)
冗悟:覚えててくれて嬉しいよ、さやかさん。その短歌こそ、和泉の名を人々に知らしめたまさに第一作だ。
さやか:この短歌こそ、わたしの気持ちを代弁してくれる歌なんです ― 「遙かに照らせ山の端の月」 ― わたしのこと「開明の光」で照らし続けてくださいね、冗悟サン、たとえこの短歌談義が終わった後も。
冗悟:遙か彼方から? それとも君の夢の中で?
さやか:どこでも、どうやってでも、いつでも。
冗悟:まぁ、何でもいいや・・・和泉の話に戻っても、いい?
さやか:はい。
冗悟:その文学的名声、そしておそらくは彼女の「女としての魅力」に惹かれて彼女に近づく男たちは何人か、ひょっとしたら何人も、いたけれど、和泉が一番真剣に思っていた相手は、為尊親王だった。
さやか:どんな感じの人ですか?
冗悟:タイムマシンおくれ、ひとっ走り行って帰ってきてから「為尊親王ってこんなふうだったよ」って報告してあげるから;タイムマシンがないなら、噂や事実だけで我慢するしかないね。
さやか:じゃ、事実と噂で、お願いします。
冗悟:彼は和泉とだいたい同い年か、あるいは一~二歳年上で、和泉はこの皇子の訪問をちょくちょく受けてた・・・1002年に彼が疫病で亡くなるまで、ね。親王と和泉の情事はほんの数年しか続かずに、後には噂だけが残った ― 軽薄な皇子が命を落としたのは、京都の町に疫病が大流行してる最中に身分卑しき女のもとに足繁く通うなんて無分別な真似をしたからだ、ってね。和泉について言えば、父親の大江雅致に縁を切られちゃったんだ ― 高貴な身分の親王との不謹慎なお付き合い、へたすれば身分違いの結婚になりかねないその恋愛を理由に、ね。
さやか:そんなー! かわいそうな和泉・・・どうしてですか?! もし自分の娘が王子さまに愛されて子供を産んだら、その子はもしかしたら日本の天皇になるかもしれないじゃないですか。それって家族にとっては大変な名誉ですよね、恥じゃなくて?
冗悟:もしかしたらそれこそまさに父親が娘を勘当した理由かもしれないよ。結婚は単なる「愛」の問題にとどまらず、「生活」のための社会的契約だからね ― 平安貴族たちは「娘」を巡って政治的な綱引きを演じていたんだ。和泉の家系は政治的には全く非力だったから、和泉個人の恋愛のせいで、一族が藤原氏や源氏みたいな強力なライバルとの勝ち目のない政治的綱引きに引きずり込まれるのを恐れたのかもしれない。
さやか: (…)
冗悟:「愛する」ことと「生きて、争って、生き残って、栄える」こととはまるで別物なんだって、これでわかったろ?
さやか:「娘」なんて、一族同士の政争の道具に過ぎなかった、って言うんですか?
冗悟:一族の武器庫の中でもとても強力な武器、だね。だからこそ平安時代のいいとこの御嬢様は、並々の男どもの手が届かないところに大事にかくまわれて、その名前さえも公には知られることもなかったわけだ・・・たった一つの例外を除いては、ね。
さやか:それは何ですか?
冗悟:中央の朝廷に「女房」としての持ち場を与えられた女性達、例えば和泉式部と小式部内侍や、清少納言(せいしょうなごん)や紫式部(むらさきしきぶ)みたいな女性達だよ。彼女達は、宮廷の中の男達が日常的に目にすることのできる唯一の例外的な女性、時々お喋りできる女性、ごく稀に手紙や扇(letters or fans)の交換もできる女性、だったわけだ。
さやか:ファンレター(fan letters)?
冗悟:ちがうよ、文字通りのファン・扇子・うちわ(fans)だよ、自分で自分を冷やすために手で持ってパタパタやって風送るやつさ。平安貴族たちは宮中の女房たちとの間で、親密なお付き合いの印として「扇の交換」をしたんだよ。
さやか:わかりました・・・「ファン(fan)」って語はそこから来てるんですか?
冗悟:いや、そっちの「fan」は「fanatic」の略、「何かにイカれてる」って意味だよ。
さやか:わかりました・・・でもある意味、「ファン(fans)交換」って「わたしはあなたのファンです」に似てる、って思いません?
冗悟:その通りだね、ただの偶然だけど。
さやか:わたし、ハッピーな偶然って大好き。わたしたちの関係もまさにそれ。
冗悟:それは同感。あ、それで思い出した。ある日、宮廷の中で、和泉式部と扇の交換をした一人の男が、彼女からもらったその扇を取り出してみんなに自慢していると、藤原道長(ふじわらのみちなが:966-1028年)がそれを取り上げて、扇の上に「浮かれ女(うかれめ=a party girl・・・パーティ大好き女/座を盛り上げるために呼ばれる女性/売春婦)」って書いたんだ。
さやか:イヤなジョーク! わたし道長、きらい。
冗悟:和泉はこの話を聞いて、短歌を一つ作って、道長に送り返した・・・こんな感じのやつ ― 《こえもせむこさずもあらむあふさかの せきもりならぬひとなとがめそ》 越えもせむ(=一線越えることもあるかもしれない)越さずもあらむ(=ギリギリまで行って踏みとどまるかもしれない)逢坂の(=人との逢瀬の本当の姿は、一線越えた相手にだけ見えるもの)関守ならぬ人(=あなた、恋愛境界線監視員じゃ、ないでしょ?)な咎めそ(とやかく言うのは、御遠慮遊ばせ) ― どうだい、さやかさん?
さやか:でかしたわ、和泉! いい気味ね、道長([It] serves you right, Michinaga)。
冗悟:あぁ、実際、和泉は道長にほんといいサービスをしたものだよ。でも、道長のことそんなに責めないでほしいな。道長は、和泉をオモチャにして彼女とイチャつきたがるそんじょそこいらの男どもとは違うんだから。
さやか:道長の肩持つべき理由が、冗悟サンには何かあるんですか?
冗悟:あるよ。道長こそは、和泉を、娘の小式部内侍ともども、自分の娘の、一条天皇中宮藤原彰子の元に出仕するよう採用した御主人様なんだから。道長は、和泉の「恋多き女」としての噂は十分承知していたけれど、そういう噂も、彼女がその機転で、人生の苦い経験を素晴らしい短歌に仕立て上げるその比類なき才能でもって打ち負かすことを、期待していたんだよ。だからこそ和泉を引き寄せて自分の娘の元での宮仕えに採用したわけだし、ひょっとしたら例のイヤ~な「浮かれ女」の落書きを彼女のファンの扇の上でやらかしちゃったのも、同じ理由からなのかも・・・さて、今度はどう思う、さやかさん?
さやか:わたし、道長すき。お見事でした!
冗悟:それ聞いてほっとしたよ。でも、和泉が宮廷での女房勤めに採用されるのはまだ数年先のこと・・・彼女が、今は亡き為尊親王に先立たれてしまった時点まで話を戻すことにしよう。
さやか:わかりました。次は誰の番ですか?
冗悟:敦道親王(あつみちしんのう:981-1007年)、死んだ為尊の弟だよ。
さやか:兄弟続けて、ですか?
冗悟:そう。弟と和泉との関係は、兄の死後しばらくして始まった。敦道親王は和泉にすっかり惚れ込んでいたから、時折和泉の部屋を訪問するだけでは飽き足らずに、自分の宮殿で和泉も一緒に暮らすようしきりに求めたんだよ。
さやか:ぅわぁ・・・和泉、ラッキー・・・彼、そんなにも彼女のこと愛してたんですね。
冗悟:あるいは、そんなにも妻のこと嫌ってたか、だね。
さやか:彼、和泉以外に奥さんがいたんですか?
冗悟:思い出して、さやかさん、「一夫多妻制(polygamy)」、千年も昔の話だよ。
さやか:はい・・・それで、和泉は王子さまの二番目の奥さんになったんですか?
冗悟:正確に言うと「奥様」ではなくて「召人」。
さやか:「めしうど」って何ですか?
冗悟:高貴な男性の屋敷の中に暮らして、寝床でその殿方に「夜の御奉仕」をする女性。
さやか:(…)
冗悟:平安の世の日本、千年昔の話だよ・・・というわけで、和泉が敦道親王の「召人」となって彼の屋敷で暮らし始めたのは1003年の冬のこと。1006年には男の子が一人生まれて、皇子の正妻は怒って屋敷を出て行っちゃったけど、和泉と皇子は連れ立っていろんな行事に出席した・・・ますます広がる悪い噂をものともせずに・・・でもそれも、1007年に皇子が死んで、和泉が再び一人ぼっちになるまでの話さ。
さやか:かわいそうな和泉、兄弟二人立て続けに・・・どれほど悲しかったかしら・・・
冗悟:悲しすぎたんで、短歌作りと、亡き皇子と過ごした日々の回想録作りとに没頭したんだろうね ― 前者の一連の短歌は「師宮挽歌(そちのみやばんか)」と呼ばれ、後者の物語は『和泉式部日記』と呼ばれてる。今日のこの最後の短歌はそうした亡き皇子を偲ぶ挽歌の一つなんだよ。
さやか:わかりました・・・和泉がつくづく途方に暮れちゃうのも、もっともですね。
冗悟:そうだね。でも、主人を亡くしてただひたすら途方に暮れるだけ、なんて余裕は和泉にはなかった。夫に先立たれてまだ十歳にも満たぬ娘と男の子の赤ちゃんを抱えた自分自身の姿、想像してごらん、さやかさん ― 君ならどうする?
さやか:わたし・・・どうしていいかわかりません。彼女はどうしたんですか?
冗悟:すでにもう話した通りさ ― 短歌と物語を作ったんだよ、自分自身の売り込みのためにね。
さやか:ぇ、つまり、彼女が詩や物語を作ったのは、亡き王子さまの思い出のために、ではなくて、彼女自身が名を上げるため、ってことですか?
冗悟:ある程度までは、そう言っていいだろうね。その当時、文学的才能を持った女性にとって、詩文や、作り物語や、随筆や、さらには日記までも、京都の貴族に読んでもらって女房として宮仕えするきっかけにするつもりで書く、ってのは、ごく普通のことだったんだよ。紫式部は『源氏物語(1008年)』でそれをやった。清少納言は『枕草子(996年頃-1002年)』を書いて名を上げた。もっとも彼女がこの随筆を書いたのは宮仕え開始後のことで、この作品は今は亡き中宮定子(ていし:977-1001年)への追慕としての色彩も濃いけどね。そういうわけで、その当時の書き物の大部分は、たとえいかに個人的性質のものであったとしても、「見世物」として書かれていたものだ、ということは覚えておかないといけないよ。
さやか:なんか、ツイッターやインスタグラムにとんでもない言葉や写真のせて世間の注目集めようとする人たちのこと思い出しちゃいました。
冗悟:ああ、平安女性たちもそれと同じ事をやっていたんだよ、ただし、ずっと洗練された形で、ね。全ての始まりはあの有名な『蜻蛉日記(かげろうにっき)』 ― 藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは:936年頃-995年)があれを書いて、京都の御公家さんたちの間でただならぬ人気を博したのがきっかけだった・・・まぁ、あれがあれほどの評判を取ったのは、それが道綱母と藤原兼家(ふじわらのかねいえ:929-990年)との不幸な結婚生活を赤裸々に綴ったスキャンダラスな暴露話だったから、ってのが大きいけどね。なんたって兼家は当時最大の政治権力の持ち主で皇室との関係に於いてすら強権発動型の強引なやり口で知られた超有名人、京都の御公家は有名人を巡るゴシップ話が何より好きな人種なんだから。当然のごとく、和泉式部だって自らの名を上げようとしたわけだよ、卓越した詩才と、今は亡き皇子との日々を中心に展開する幾分虚構的な日記文形式の歌物語でね・・・御公家さんたちの注目を集めるにはこの上ないテーマだったわけだから。
さやか:そして和泉は藤原道長の注目を引くことに成功したんですね?
冗悟:そう。1009年、敦道親王が死んだ二年後、和泉式部は道長の娘の中宮彰子付きの女房として宮廷に入ることを許されたんだ ― 娘の小式部内侍と共に、ね。
さやか:その時、小式部は何歳だったんですか?
冗悟:まだ十歳そこそこ。
さやか:そして彼女は、宮廷内の高貴な殿方のまっただ中で成長して行くんですね?
冗悟:それも、あの有名な和泉式部の娘として、ね。平安時代の少女としては、これはもうとびきりの人生だよね・・・どうりで、大きくなってから、三人の子を、三人の別々の父親との間にもうけたりするわけだ。
さやか:道長に拾ってもらった時、和泉は何歳だったんですか?
冗悟:二十代後半ってとこかな。ひょっとして三十代前半かもしれないけど。
さやか:彼女、相変わらず「女」として魅力的だったんですか?
冗悟:タイムマシンおくれよ、俺、個人的に行って確かめてくるからさ。
さやか:だめーっ! 彼女が相変わらず男たちの間で「人気者」だったかどうかだけ教えてください。
冗悟:短歌の天才としての彼女の人気の方が、女としての彼女の魅力よりも、当時はもう勝っていたんじゃないかと思うけどね。
さやか:ということは・・・彼女の人生、ようやく落ち着いたわけですね。
冗悟:ある程度はね。1013年、数年の宮仕えを経て、和泉は藤原保昌(ふじわらのやすまさ:958-1036年)と二度目の結婚をして、夫に付いてその任地の丹後へと旅立っている。保昌は武勇で知られた男でね、この婚儀は道長から和泉への感謝の印、史上最も垢抜けした「浮かれ女」としての御奉公への御褒美としての色彩が濃かったんだよ。
さやか:ってことは、道長は和泉のこと、ほんとうに気にかけてくれてたんですね?
冗悟:俺はそう思うけどね。もっとも、道長が彼女のどこに引かれてたのかはわからないけど ― 和泉の「女」としての魅力か、「詩人」としてのそれか、あるいは道長の娘の元へと人々の注目を集める「社交界の蝶」としての魅力が大きかったのか・・・いずれにせよ、和泉の評判は徐々に「何かとふしだらな噂の多い女」から「比類なき詩の天才」としてのものへとその性質が変わって行ったことは確かだね、彼女が道長の娘の彰子の元での宮仕えを始めてからは。
さやか:和泉の後半生の、幸せな展開ですね。
冗悟:あぁ、そう言っていいだろうね・・・娘の小式部内侍が1025年に死ぬまで、は。
さやか:あ・・・そうだった・・・かわいそうに。
冗悟:あぁ、俺もそう思う。そうして、1027年が、和泉の短歌が公式に記録された最後の年になる。その後の彼女の人生がどんなものだったかは、誰も知らない・・・藤原保昌と共にいつまでも幸せに暮らしました、のか、それ以外の男と一緒だったのか、あるいは一人ぼっちだったのか・・・俺達にはわからない。
さやか:和泉の一人息子、亡き王子さまとの間にもうけた男の子は、どうなりましたか?
冗悟:永覚(えいかく)という名の仏教僧になった。
さやか:彼と母親とは、ちゃんと連絡取り合ってたんですか?
冗悟:わからないね。彼らにとって最善の展開を、祈ろうよ。
さやか:はい・・・すごいお話。ドラマチックすぎて、わたしには耐えられない。
冗悟:誰にも耐えられるものじゃないよ、自らの人生を「ドラマ」として、あるいは「夢」として生きる決意をした芸術家以外には、とてもとても。
さやか:和泉式部は、そういう意識的に決意を固めた芸術家だったんですね・・・あるいは「夢見る女」かしら。
冗悟:まったくその通り。でも、和泉ほど意志的に決意を固めた芸術的夢世界の住人でさえも、時にはその「夢」から覚めて戸惑うことがあるわけさ ― 「私は一体どうしたの、夢見るみたいに人生を過ごしたりして? 一体私は何になっちゃったの? これからどうすればいいの? 私は本当に人間なの? 私は本当にこの世の者なの? 私の属する世界は何処? 芸術? 夢? 他の世界? それとも、どこにもないの?」・・・この短歌は、全ての本物の芸術家の心情を、「夢」として生きる自分自身の人生を材料にとてつもない芸術を創り出す全ての意志的夢見人の真情を、代弁してくれているように思えるね。
さやか:冗悟サンもその一人ですか?
冗悟:ああ。そして君もだよ、さやかさん。
さやか:わたし? とんでもない! わたし、ぜんぜん芸術家じゃありません。
冗悟:でも君は、「夢見る人」だろ。
さやか:だけどわたし、自分の人生あるいは夢を材料に芸術を作るなんて、そんな覚悟はありません。
冗悟:信じようが信じまいが、君は自分の夢を材料に一片の芸術を作り出しているんだよ ― 君の夢そのものがそれ自体一片の想像的芸術なんだ。平安調短歌を巡るこの一連の会話だって、一種の芸術作品だよ・・・そして、もしかしてその会話自体が「夢」だったかもしれない・・・「夢」の中の・・・そのまた「夢」の中の「夢」の・・・夢見る人は誰もがみな、潜在的芸術家なんだ。
さやか:でもわたし、夢見る芸術家よりは、幸せな結婚をしていい母親になりたいです。和泉や小式部みたいな運命にはとても耐えられない。
冗悟:心配いらないよ、さやかさん。本当に「芸術家」と呼べるような芸術家は誰もみな、「芸術家になる」わけじゃない ― 本物の芸術家は「芸術家として生まれる」ものなんだから。才能・天分は生まれる前からその人の運命の中に組み込まれているもの、芸術家自身の中で表出を求めて大声上げるものなんだ。芸術家の生まれ持った本性の中に内在的に備わっているものなのだから、芸術家が自分の中に最初から刻み込まれているものを世に出すための営みに素直に身を任せるのは、ごくごく自然なことなんだよ。芸術家としてはただ、自らの内なる声に耳を貸し、外界からの騒音には耳をふさぐだけでいい・・・もっとも、それこそが、どんな芸術家にとっても最大の難関かもしれないけどね、だって彼らは「芸術家」である以前にまず「人間」なんだから・・・でも、残念なことに、彼らはその両方にはなれないんだ ― もし彼らの才能、あるいは天分が、本物だった場合には ― 彼らは「人間的に幸せな暮らし」か「純粋に芸術的な生き様」を選ばねばならない・・・あるいは「夢」を、ね。
さやか:(…)
冗悟:・・・さぁーてと、楽しんでもらえたかな、さやかさん、芸術的夢見人の人生を駆け足で眺める旅、あるいはこれまでの一連の楽しい詩的談義の数々を?
さやか:楽しかったです;楽しすぎてまだまだ足りないくらい。
冗悟:でも、これでおしまいなんだ。
さやか:もっと続ける方法、何かないですか?
冗悟:夢に見るといいよ。
さやか:夢、見れない時は?
冗悟:その時は、ネット上にある俺のWEBサイト訪ねればいいよ ―
さやか:わたし、もう入会してたの、知ってます?
冗悟:あ、そうなの? ちゃんと「質問コーナー」に掲載されてみんなの目に触れるような面白い「質問」投稿してくれないことには、「君、そこにいたの?」なんて、わからないよ。
さやか:じゃぁ・・・わたしたち、人前でおしゃべりするわけですね?
冗悟:そっちのWEB授業の方では、ね。
さやか:それ以外では?
冗悟:夢の中で俺に聞いてごらん・・・逢瀬の方法は、もう知ってるね?
さやか:はい・・・ありがとうございます、冗悟サン、素晴らしい時を・・・こ・れ・か・ら・も・過ごさせてもらえて。
冗悟:こっちこそありがとう、さやかさん、俺にとってもとても楽しくて見識の深まる冒険だったよ・・・この続きは、「夢」の中で個人的に楽しませてもらおう・・・おやすみ。
さやか:おやすみなさい・・・また、お逢いしましょう・・・
冗悟:きっとまた会おうね ― どこでも、どうやってでも、いつでも・・・いつまでも・・・いい夢を。
----------
31)(つくづくとただ惚れてのみ覚ゆれば)
はかなしとまさしくみつるゆめのよをおどろかでぬるわれはひとかは
「儚しと正しく見つる夢の世を驚かで寝る我は人かは」
『和泉式部続集(・・・当然「勅撰和歌集」ではありません・・・)』九六三・和泉式部(いづみしきぶ)(978-?:女性)
・・・This fabulous TANKA ― lonely anthem for all authentic artists ― is too truly artistic to find its place in any of the so-called Imperial TANKA anthologies of Japan.
(ただひたすら茫然自失の心地で)
『この世の中は儚いもの、夢みたいに呆気なく過ぎ去るもの、と人は言う・・・言うけれど、実際そうしてこの世の中を夢みたいに過ごして一生を終える人なんて、そうそういるとは思えない・・・それなのに、素晴らしい夢が叶ったかと思えばたちまち儚く崩れ去る、現実離れした夢みたいな出来事の連続を、「私の人生って、そういうもの」と、驚きもせずに受け入れて、人並みの現実に戻ろうともせずに夢また夢の数奇な運命に粛々と身を任せてきたこの私という人間は・・・実際、人、なのかしら? それともそれ以外の何かなのかしら? 夢に生き、夢のように儚く消える人なんて、この世ならざる何か、なのかもしれない・・・』
(when being totally at a loss)
Some say life is as fleeting as a dream.
I know… my life is too dreamy to be real.
I don’t know whether I’m awake or in a dream.
I don’t care whichever… it’s dreamy after all.
Is this my reality or something else than that?
Is this my self a reality or something else… then, what?
はかなし【儚し】〔形ク〕(はかなし=終止形)<ADJECTIVE:fleeting, evanescent, dreamy>
と【と】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(COMPLEMENT)>
…[not seldom have I heard it said that life is] fleeting, never to last long, soon to slip away, [a dream after a dream in a series of seemingly real yet essentially immaterial events]
まさし【正し】〔形シク〕(まさしく=連用形)<ADVERB:really, truly>
みる【見る】〔他マ上一〕(み=連用形)<VERB:see, view, regard, consider>
つ【つ】〔助動タ下二型〕完了(つる=連体形)<AUXILIARY VERB(PERFECT TENSE)>
ゆめ【夢】〔名〕<NOUN:a dream, an illusion>
の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(POSSESSIVE):’s, of, belonging to>
よ【世】〔名〕<NOUN:the world, life, reality>
…that’s exactly how I’ve found this dreamy life of mine to be
を【を】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(OBJECT)>
おどろく【驚く】〔自カ四〕(おどろか=未然形)<VERB:be surprised, astonished, awoken, disillusioned>
で【で】〔接助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SITUATION):without -ing>
ぬ【寝】〔自ナ下二〕(ぬる=連体形)<VERB:sleep, dream on>
…all the same, I’m not surprised, I’ll not wake up, and I keep sleeping in this dreamy life of mine [or rather, in a series of dreams that I mistake for my reality]
われ【我】〔代名〕<PRONOUN:I, myself>
は【は】〔係助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SUBJECT)>
ひと【人】〔名〕<NOUN:a human being>
かは【かは】〔終助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(QUESTION):am I?>
…I wonder if I am really a human being? [or something other than human belonging to some alternate reality?]
《hakanashi to masashiku mitsuru yume no yo wo odoroka de nuru ware wa hito kawa》
実際の会話相手の提供はしませんが、「さやかさん/冗悟サン」との知的にソソられる会話が出来るようにはしてあげますよ(・・・それってかなりの事じゃ、ありません?)
現時点では、合同会社ズバライエのWEB授業は、日本語で行なう日本の学生さん専用です(・・・英語圏の人たちにはゴメンナサイ)