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31短歌27)人生、死、そして・・・ ― さやかの最悪の、そして最良の一日

27)(き事のみ多く聞こえける頃よめる)

みなひとのむかしがたりになりゆくをいつまでよそにきかむとすらむ

「皆人の昔語りに成り行くを何時まで他所に聞かむとすらむ」

法橋清昭(ほふきゃうせいしゃう)

♪(吟)♪

★人生、死、そして・・・ ― さやかの最悪の、そして最良の一日★

冗悟:こんにちは、さやかさん。今日の気分はいかがか?

さやか:今日はとってもいい気分です、冗悟サン。今日は明るい一日になりそうな予感がします。

冗悟:この短歌を前にしてそういうこと言えるのは君だけかもしれないけどね。

さやか:これってあんまり明るい歌じゃないことはわかります、けど、そんなに暗くもないです。

冗悟:この短歌の意味ほんとにわかった上で言ってる、さやかさん?

さやか:はい。「わたしのかつての知り合いのほとんどはもうってしまって、今ではもう歴史の中にしか存在しない。わたし自身だって、いつまで歴史のこちら側に留まり続けるものかはわからない」 ― 言葉を換えて言えば「わたしが彼らにまた会える日はそう遠くはないだろう、歴史の向こう側で」・・・こんな解釈、いかがですか、冗悟サン?

冗悟:実に君にふさわしい解釈だね、さやかさん。とっても前向きで、何一つ暗いところがない・・・君が言った通りだね。俺、特に好きだな「わたしが彼らにまた会える(I’ll rejoin them)」の部分が。「また会う」ってのは希望に満ちた言葉だね、お墓の向こう側での「再生(rebirth)」を前提とする語だから。それって、君が本当に思ってることなのかな? さやかさんは「死後の世界」を信じてるの?

さやか:はい。おばあちゃんやおじいちゃんに、それとわたしが愛したすべての人達に、あっちの世界に行ったら必ず会えるって信じてます、壮大な同窓会の中で・・・もちろん冗悟サンも一緒ですよ。

冗悟:うぅーん・・・君にそう言ってもらえるとなんだか素敵だね、たとえ俺にとっていかにあり得なさそうなシーンでも。

さやか:冗悟サンはあっち(out there)でわたしと再会したくないんですか?

冗悟:「あっち(out there)」か・・・いい響きだね。うん、確かに君の人生は、こっちを出た後もずっと続きそうだね、さやかさん。

さやか:その口ぶりだと、冗悟サンは「あっち」でわたしにまた会えるだなんて、信じてない感じですね?

冗悟:俺としては「あっち」なんて一切ないと考えたいね。

さやか:どうして?

冗悟:うーん・・・説明が難しいな。

さやか:わたしにわかるように説明してください、いつもしてくれるように。

冗悟:オッケー、それなら、こんな質問はどうだろう ― 君がおじいちゃん・おばあちゃんと「あっち」で会う時、彼らはどんな姿をしてるかな?

さやか:わたしの一番幸せだった子供時代の姿のまんま。

冗悟:そう言うと思ったよ。じゃ、今度は別の質問 ― 君が俺と「あっち」で会う時、俺はどんな姿をしてるかな? あるいは、君は俺にどんな姿でいてほしいかな? 今の俺の姿かな、それともかつての俺、そうだな、二十代前半の俺とか、あるいは今の君と同い年の俺のほうがいいかな?

さやか:ぅゎー、それって楽しそう、冗悟サンとは、クラスメートとして会いたいな! 17歳当時の冗悟サンは今ほど賢くないだろうし、ひょっとしたらわたし、冗悟サンのこと負かしたり、からかって遊んだりしちゃえるかも。

冗悟:ネコがネズミをいたぶるみたいにかい?

さやか:冗悟サンがそうお望みなら・・・若い頃の冗悟サンって素敵だろうなぁ、毎日500回腕立て伏せしてた頃・・・心配しないでね、べつに今の冗悟サンが素敵じゃないって言ってるわけじゃないから。

冗悟:ありがとう、君が俺のことどう思ってるかわかったよ。じゃ、君の両親はどうする?

さやか:(…)

冗悟:君の両親がもっと若返りたいって言ったら、君と同じくらい若くありたい、って望んだら、どうする? それってさやかさんにとっては少々ヘンテコな感じがするんじゃない?

さやか:彼らは彼らで、うまくやると思います。

冗悟:了解・・・さやかさんの「子供」はどうする?

さやか:わたしまだ「子供」はいません。結婚してもいません。恋したことすらありません。

冗悟:このままずっと、かい?

さやか:そんなことわかりません、わかるわけないじゃないですか。それと、わたしに何が言いたいんですか? 要点を言ってください、冗悟サン。

冗悟:俺の話の要点はつまり、「あっち」での俺たちの同窓会は、もし死後の俺たちが自分の望み通りの姿で出席したんじゃ、シッチャカメッチャカになるだろう、ってことさ。

さやか:わかりました、それなら「現実のままの姿で出席」ってことにします。

冗悟:どの時点の現実だい? 死のその瞬間の姿かい?

さやか:(…)じゃぁ「人生の最盛期」の姿。

冗悟:子供のうちに死んじゃってたらどうする?

さやか:そういう人は「あっち」の世界で十八歳か二十歳ぐらいまで成長することにします。

冗悟:そして彼らはその後いつまでも幸せに暮らしました、ってかい? 永遠に若い最盛期の姿で、決して老いず、病気にもならず、死にもせず、悪ガキ時代もなく、不安だらけの思春期もなく、老齢の憂いも関係なく、消し去りたいような不愉快な思い出もなく、ひたすら幸せで満ち足りて、不安や悲惨の概念すらもない状態で? それってとことん無気味じゃないか? いいことだらけ、何一つ悪いようにはならない、100%の満足と幸せの保証付き ― 君はそれを「人生」って呼ぶのかい? それとも「極楽」かな? あるいは「至福」かな? あるいは「理想郷(ユートピア)」かな? 俺に言わせりゃ、そんなもの、「脳死者の理想郷」、完全なる「暗黒郷(dystopia=Utopiaの逆成語)」だね。俺はそんな世界には身を置きたくないな、絶対に!・・・ぁ、いや、俺、別に君を傷つけたかったわけじゃないよ、さやかさん、ごめん・・・傷ついちゃった?

さやか:(…)冗悟さんって時々、あまりに明快すぎて残酷・・・わたしの「死後の世界」は今日、死にました。

冗悟:今日は君にとってとても明るい日になる予感がしてたんじゃなかったっけ?

さやか:わたし間違ってました。その誤り、冗悟サンがすっかり取っ払っちゃいました。

冗悟:で、君はその「あっち」での君達の同窓会、諦めちゃうわけ?

さやか:「あっち」なんてありません、その存在は冗悟サン自身が否定しちゃったでしょ!

冗悟:そう、しちゃったね。俺としては是非とも破壊したかったのさ、この世の写し絵(カーボン・コピー)としての来世なんて、いつまでもずっと永遠に続くカビくさい再放送なんて、脱出口も何もなく永遠に続く「幸せ地獄」なんて、家族全員仲良く囲む食卓で永遠に続く晩餐会で甘いものだらけの食事に付き合わされ続けるなんて・・・そんなの絶対参加したくないって、そうは思わないかい、さやかさん?

さやか:(…)

冗悟:君の一日をこれ以上惨めにしようとしてるわけじゃないんだよ。信じてほしいんだけど、俺は君をその「暗黒郷」からもっとずっと明るい場所へ、救い出してあげたいんだ・・・君さえ俺を信頼してくれれば救い出せるんだけど・・・信じてくれる、さやかさん?

さやか:信じていいんですか? ほんとに冗悟サン、「あっち」にちゃんと何か作り直してくれますか?

冗悟:「あっち」じゃないかもしれないけど、君の中にちゃんと何かを再構築してあげるよ・・・続ける?

さやか:はい・・・

冗悟:それじゃあ、俺がぶち壊した「暗黒郷」の何がそんなにいけないのか、一緒に考えてみようか・・・指摘できる、さやかさん?

さやか:「永遠」。

冗悟:そう、まさにそれだよ。永遠に続いて腐らないものなんて、何一つないんだ。同じことを延々繰り返してなおかつそれを「腐ってる」って感じたくないのなら、君に残された唯一の道は「脳味噌を殺すこと」、頭と心のスイッチを切って、何一つ感じなくなること ― 脳死状態 ― それ以外の答えはないんだ。「脳死状態」にならない限り、「永遠の幸せ」なんて「永遠の苦痛」や「永遠の悲惨」と同じぐらい耐え難いものなんだ。そういう状態で存在することを、何と呼ぶ? ― 脳味噌は死んでいる、君は何も感じない、君は「永遠」の中にいるけど、その状態に「永遠に」耐え続けることができる、何故なら君はそれを感じないし、それが存在していることすら知らないのだから ― それは「死」だよ。それこそが答えなんだ ― 永遠の幸せも永遠の悲惨さも、それに耐え得るのは唯一「死」のみ、あるいは「脳死」のみなのさ。永遠の極楽あるいは地獄の中で「脳死状態」で生き続けるくらいなら、単純に「死んでる」ほうがまだマシってものさ。「死」は、悪夢のような「永遠」からの完璧な解放なんだ・・・俺の話、わかる? まだ一緒に付いて来てくれてる、さやかさん?

さやか:はい・・・今こんなとこでわたしを置いてかないで ― こんな状態で置いてかれたら、わたし耐えられない。

冗悟:俺を信じて、君を絶対一人にはしないからね、さやかさん。さて、じゃ第二段階に行こうか ― 答えておくれ、さやかさん、「永遠」の何がそんなに悪いのかな? 「永遠」を、もっと耐えられる何か、あるいはむしろ理想的な何かに作り替えるには、どうすればいいかな?

さやか:(…)「死」?

冗悟:おぉっと、第一段階の結末に逆戻りだね。うん、「死」も一種の「永遠」だよ、何の変化もないという点ではね、それに「死」は耐えられる「永遠」でもあるよ、何一つ感じないという点ではね、でも、君は「死」を「”理想的な”永遠」と、呼ぶかい?

さやか:いいえ。

冗悟:どうして「いいえ」なのかな? 「死」のどこが理想的じゃないんだろう? この質問、答えられるかな、さやかさん?

さやか:わたし、死にたくありません・・・というか、「死んだまま」なんてイヤです。

冗悟:どうして「死んだまま」じゃ嫌なのかな? 「死」は耐えられる種類の「永遠」だよ。「死」の中でなら「永遠」に、完璧な平和の中で、何一つ感じることもなしに眠り続けていられるんだよ。それでも君はやっぱり「死」は嫌なのかい? その平和で耐えられる種類の「永遠」から目覚めてしまいたい、って思うのかな?

さやか:はい・・・でも、なんでそうなのかはわかりません・・・たぶん、「死」が怖いから。

冗悟:「死」は何一つ恐れるべきものではないって、さっき第一段階で証明されてるはずだけど?

さやか:はい、でも・・・わたし死にたくありません。

冗悟:あるいは、君は「生きたい」か、だね。どっちが君にとって正しく聞こえるかな、さやかさん、「わたしは死にたくない」か「わたしは生きたい」か?

さやか:わたしは生きたいです。

冗悟:よし。生きてるってことは、いいことだよ。でも、ほんとに「いいこと」だって言えるためには、それは「ライヴ(live=生放送)」でないとダメなんだ ― 「再放送(rebroadcast)」ではもう「いいこと」じゃなくなっちゃうんだよ。全くダメとは言わないけど、二度目はそれほどよくはない。最初の時が常に最高、ってことさ。

さやか:「繰り返しとか真似事では、決してオリジナルを越えられない。世の中にはたった一度しか存在し得ないもの、二度存在してはいけないものがある」(第十一話参照)・・・はい、わかりました ― 「生放送(ライヴ:live)」はたった一度きり、「人生(ライフ:life)」は決して二度存在してはいけないものなんですね。「人生」が素晴らしいのは、たった一度きり、「生放送」で生きるからなんだわ! 二度以上繰り返される人生なんて素晴らしくない、それはもはや唯一無二のユニークでオリジナルな存在ではなくなるから。

冗悟:君はまるで稗田阿礼(ひえだのあれ=記憶力抜群の『古事記』編纂者)みたいだね、さやかさん。俺の言ったこと何でも覚えてるみたいだ。

さやか:記憶に残る冗悟サンの発言はみんな覚えてます。その場の状況にぴったりな発言、いつだって暗唱できますよ ― これって「全面的に良い」タイプの「再放送」だと思いますけど。

冗悟:あぁ。もし興味あるなら、もう一つ「全面的に良い」タイプの「再放送」があるんだけど・・・知りたいかい?

さやか:ぜひぜひ。

冗悟:「完全なる忘却の中での再放送」。

さやか:完全なる忘却?

冗悟:あるいは「大部分覚えていない忘却」・・・あるいは「部分的に覚えている忘却」。最高にいいのは「漠たる馴染みの再放送」・・・どういう意味か、わかるかな?

さやか:わかる・・・気がします。

冗悟:じゃ、教えてくれる、さやかさん? 「漠たる馴染みの再放送」って何だと思う?

さやか:わたしがいま「鳥」が好きなのは、この世に女の子として生まれてくる前にわたし自身がかつて「鳥」だったから・・・あるいは、わたしが冗悟サンにこんなにもかれるのは、冗悟サンがかつてわたしの・・・「恋人」、ひょっとしたら「夫」だったから、わたしたちの「前世」で・・・わたしたちは覚えてないけど、もしかしたらわたしたちって「前世」でしていたことを繰り返してるのかもしれないってこと・・・それは「腐った再放送」ではなく、わたしたちの唯一無二のオリジナルな人生だけど、実は一度ならず繰り返されてる人生で、ひょっとしたらわたしたちが気付かないまま無数に繰り返してる人生なんです、「漠たる馴染みの再放送」の形で・・・これが、冗悟サンの言いたかったことですか?

冗悟:君があんまり完璧に俺の言いたいこと知ってるから、俺自身この「漠たる馴染みの再放送」を信じてみたくなってきたよ ― ひょっとしたら君と俺は、この会話を何度も何度も永遠の時の流れの中で繰り返してきたのかもしれないね。

さやか:わたし冗悟サンの言うことぜんぶ信じます。もしかしたらわたしたち、自分の演じるべき役割を、何も知らないまま繰り返してるのかもしれない ― なんて素敵な再放送なんだろう!

冗悟:「漠たる馴染みの再放送」の考え方、気に入ったかい?

さやか:とっても! 素敵!

冗悟:俺は君の「暗黒郷」を最初に全面的に破壊しちゃったけど、今や君の中にもっと素敵な何かの再構築に成功した ― ってことで、合ってるかな?

さやか:完璧に合ってます!

冗悟:君のおじいちゃん・おばあちゃんに、またどこかの人生の中で、子供時代に会えるはず、って気がしてきたかな? この人生では会えなくても、「あっち」で会うことはできなくても、でも確実にいつか、どこかで、全く新しい唯一無二の、それでいて不思議と馴染みのある経験の中で?

さやか:きっと会える気がします。それと、わたしあなたにもまた確実に逢います、冗悟サン、何度も何度も、永遠に!

冗悟:それはよかった。でも、君のおじいちゃん・おばあちゃんは別にして、俺はまだここにこうして君と共にいる。君の両親だってそうだし、君の友達だってやっぱり生きてこの世に一緒にいるんだ ― 「漠たる馴染みのシナリオ」なんて忘れて、今現在をあるがままの形で楽しもうよ、「再放送」とか「お決まりコース」とかじゃなく、生まれて初めて、この世でたった一度だけ経験する何かとして、さ ― それが「人生」、何度目のやつか知らないけどとにかくいずれにせよ俺たちの「人生」本来の生き方ってものさ・・・違うかい?

さやか:そうですね。あぁ、やっぱり、わたしの予感、完全に的中したわ ― 今日はわたしの人生最良の日になりました! ほんとにどうもありがとうございます、冗悟サン、あなたはわたしの良き助言者(mentor)・・・いいえ、それよりずっと大きな存在・・・なんて言っていいのかしら?・・・わたしの救い主、守護天使、わたしの・・・言葉が見つかりません!

冗悟:心配いらないよ、いずれそのうち見つかるさ。俺達の場合、最後には必ず、答えは見つかる。

さやか:はい・・・

冗悟:おっと、君に言うの忘れてた。

さやか:何ですか?

冗悟:この「漠たる馴染みの再放送」ってシナリオは、平安時代の日本人には全く馴染みのない代物なんだ ― 俺の知る限りでは、当時の人々は「人生」も「死」も「再生」も、今日の俺達の会話ほどには真剣に考えてなどいなかった。

さやか:現代人だってほとんど誰一人こんなに真剣に考えてないと思います。

冗悟:まず確実にそうだろうね。だから、この短歌の作者は、というかこの点ではほとんど全ての当時の、あるいは現代の人間たちは、あんまり多くの馴染みの顔に先にかれちゃうと、とにかくひたすら悲しかったんだよ、「あっち」でも「ここ」でももう二度と彼らに会う望みなんてないんだから。

さやか:それじゃぁ、わたしたち、彼らに「お悔やみ」申し上げないといけませんね。

冗悟:そのようだね ― 「皆さんに私より、心からのお悔やみを申し上げます」。

さやか:「わたしたち」よりお悔やみ申し上げます・・・何にも知らないすべての人たちへ、生きてる人も死んじゃった人にも ― みなさんごめんなさいね、こちらはこんなに二人して幸せで・・・それもわたしたち二人だけが幸せで!

冗悟:おっと、ちょっとやり過ぎじゃないか、さやかさん? 過度の哀れみは優雅を通り越して傲慢だよ。

さやか:ごめんなさい、わたしってちょいちょい有頂天になるの、特に冗悟サンと一緒の時は。

冗悟:打ちひしがれてた君がまた有頂天まで戻ってきてくれて、よかったよ。でも、覚えておいたほうがいいよ、さやかさん ― 「漠たる馴染みのシナリオ」なんて、もしかしたらないのかもしれないし、たとえあったとしても、それがハッピー・エンドに終わる保証なんてどこにもないんだから。だから、俺達としてはいずれにせよ必死に頑張って生きるしかない、運命の「見えざる手」が俺達のことを栄光のゴールまで導いてくれるだろう、なんてこと当てにしないでね。いいかい?

さやか:了解です! 運命の見えざる手なんて期待する必要もないわ、冗悟サンがそばにいてくれる限りは。

冗悟:俺が消えちゃったら、どうする? 俺だって永遠には生きちゃいないんだぜ。

さやか:心配しないで、いつか、どこかできっとまた会えるから。

冗悟:わかった。今度また会おう、次の短歌で・・・今日はこんなもんで、おしまい。じゃ、さやかさん、良い一日を。またね。

さやか:ありがとうございました、我が人生最大の啓示(enlightenment)を・・・暫定記録だけど。今度はまた次の「お告げ(revelation)」でお逢いしましょう、冗悟サン。

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27)(き事のみ多く聞こえける頃よめる)

みなひとのむかしがたりになりゆくをいつまでよそにきかむとすらむ

「皆人の昔語りに成り行くを何時まで他所に聞かむとすらむ」

『詞花集』雑・三五九・法橋清昭(ほふきゃうせいしゃう)(?-?:男性)

(他人の逝去の話を聞くことがやたら増えた頃に詠んだ歌)

『私の古い知り合いはあの人もこの人もみな「そういえば、そんな人もいましたっけねぇ」という形で人の口に乗るばかりの昔語りの登場人物になってしまって、もうこの世では二度と会えない人たちばかり・・・そういう三人称の昔話を、この先どこまで私は他人事として聞くことになるのだろう・・・私自身が「昔話の登場人物」として人の口に乗ることになる日も、そう遠くはないのだろうなぁ・・・』

(when news of someone passing away came rushing in to bewilder the author)

People I once knew I hear about only in stories.

In person never could I see them… all gone leaving me behind.

From hear about to being talked about… just how many years away for me?

みな【皆】〔副〕<ADVERB:all, each and every>

ひと【人】〔名〕<NOUN:the people, persons>

の【の】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(SUBJECT)>

むかしがたり【昔語り】〔名〕<NOUN:an old story, history, legend>

に【に】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(COMPLEMENT)>

なる【成る】〔自ラ四〕(なり=連用形)<VERB:become, turn into>

ゆく【行く】〔自カ四〕(ゆく=連体形)<VERB:come to, get to, learn to>

…all the people [that I knew as friends] are getting out of sight, out of this world, into memories of good old days

を【を】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(OBJECT)>

いつ【何時】〔名〕<ADVERB:when>

まで【まで】〔副助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(TIME):till, until>

よそ【他所】〔名〕<NOUN:not my personal business, something happening to someone else>

に【に】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(MANNER):like, as, the way>

きく【聞く】〔他カ四〕(きか=未然形)<VERB:hear it said that, overhear>

む【む】〔助動マ四型〕推量(む=連体形)<AUXILIARY VERB(FUTURE):will, shall>

と【と】〔格助〕<POSTPOSITIONAL PARTICLE(OBJECT)>

す【為】〔自サ変〕(す=終止形)<PRO-VERB:do(=overhear)>

らむ【らむ】〔助動ラ四型〕現在推量(らむ=連体形係り結び)<AUXILIARY VERB(QUESTION):I wonder>

…but just until when would I hear others mourn the dead as someone else’s sad stories [I myself would soon be one of those to be mourned by others]

《minahito no mukasigatari ni nariyuku wo itsu made yoso ni kikamu to su ramu》

ってしまった人達をむのか、取り残された自分自身を歎くのか?■

 「来世」がいかに明るい希望に満ちていようとも、誰だって死にたくはないし、誰かが死んで「この世よりもっと明るいかもしれない場所」へ行くのを見たくもない。もし君がその「来世」に完璧な信頼を置くとしたら、そこへと旅立つ人々にお悔やみ申し上げる必要がどこにある? 答えは単純だ ― 君は死者を哀悼しているのではなく、「取り残されてしまった」自分自身のことを思って泣いているのである。若い頃なら、自分側の友達の方が多いのだから、泣くこともない ― 君はただ単に「我等がパーティー」から出て行く死者に向かって「おかわいそうに」と言うだけだ。君が自分自身のことを思って泣き始めるのは、年を取って、自分の側が数的劣勢に回りつつあることを感じ出してからである・・・周りの友達の数はどんどん減って行き、君の中の活力も情熱もどんどん衰えて行く・・・「哀傷」の詩を見た時は、「誰が為に鐘は鳴る」のか聞き分けるべく、よーく耳を澄ましてみることだ。

《ほどもなくたれもおくれぬよなれども とまるはゆくをかなしとぞみる》『後撰集』哀傷・一四二〇・伊勢(いせ) 程も無く誰も後れぬ世なれども 止まるは行くを悲しとぞ見る(誰もがいずれは必ず辿る死出の旅立ちではあるけれども、そうと知ってはいてもやはり、生きてこの世に取り残される者は、死んであの世へ旅立つ者のことを、悲しい、と思って眺めるものだ)

・・・この人は「死者」のことをんでもいないし、「自分自身の孤独」ゆえに泣き叫んでいるわけでもない ― 御葬式でのお悔やみ文句としては相応しいかもしれないが、詩としては全く無味乾燥な代物である・・・たぶんこの女性はまだ若すぎて真の哀傷の意味を知らないか、あるいは(幸運なことに)あまりにも大勢の人々に囲まれ愛されているが故に「孤独」を感じることもない人なのであろう。

《よのなかにあらましかばとおもふひと なきがおほくもなりにけるかな》『拾遺集』哀傷・一二九九・藤原為頼(ふじわらのためより) 世の中にあらましかばと思ふ人 亡きが多くもなりにけるかな(この世に生きて残っていてほしいと私が望む人の大勢が、すでにもう亡くなってあの世の人になってしまったのだなぁ)

・・・これが本物の「老境の哀傷」である。

《もろともにながめしひともわれもなき やどにはひとりつきやすむらむ》『後拾遺集』雑・八五六・藤原長家(ふじわらのながいえ) 諸共に眺めし人も我も無き 宿には独り月や住/澄むらむ(かつて一緒にあの月を眺めたあの人もすでにもう亡く、やがて私自身も死んでしまったその後で、二人の思い出だけが残るこの宿には、今も昔も変わることのない月だけがその澄み切った光で包み込み、永遠の住人のように振る舞っているのだろうなぁ)

・・・悲しく寂しい短歌である。一連の恵慶法師(えぎょうほうし)の短歌以上に寂しい短歌である ― 《すだきけむむかしのひともなきやどに ただかげするはあきのよのつき》 すだきけむ昔の人も無き宿に 只影するは秋の夜の月(昔は大勢そこに集まっていた人々もいたろうに、今は誰一人宿すこともない野辺の寂しい古い家を、秋の夜の月だけが今も変わらず訪れては、優しい光に包んでいる・・・行き交う人々はみな仮の世の旅人、月日もまた百代の過客なれど、変わらぬものは夜の空の月・・・)(第十三話参照) ― しかしながら、その「人も我も」どこへ行ってしまったのか?・・・「あっち」?・・・一緒に?・・・一人ぼっちで?・・・過去の記憶も何もなしに?・・・何だかわからないがとにかく彼らは行ってしまった ― 「平和に耐えられる永遠」としての「死」の世界へか、はたまた「理想的永遠」としての一連の「全面的に/部分的に/漠然と忘れられた再放送」の中へと。彼らが二人とも、どちらか一人を置き去りにすることもなく行ってしまったのは、幸いである。よくよく考えてみればこの詩は、その作者が明らかに意図していたほどには「悲しくない」のだ・・・そうは思いませんか、さやかさん?

《なきひとをしのぶることもいつまでぞ けふのあはれはあすのわがみを》『新古今集』哀傷・八一八・加賀少納言(?藤原為盛女?:かがのしょうなごん=ふじわらのためもりのむすめ、か?) 亡き人を偲ぶることも何時迄ぞ 今日の哀れは明日の我が身を(死んでしまったひとのことを悲しく思い出すことも、いつの日までのことか・・・今日は他人の身の上を哀悼していても、明日は私自身が他人に哀悼される立場になってしまう、そんな無常のこの世の中で)

・・・これはとても小綺麗な詩ではあるものの、真の情念のかけらもない詩の典型例で、いわゆる『新古今時代』には山ほど見られた代物である・・・さやかさん、君が思い出して述べてくれた見解はまったく正解だったよ ― 「繰り返しとか真似事では、決してオリジナルを越えられない。世の中にはたった一度しか存在し得ないもの、二度存在してはいけないものがある」 ― 短歌の真の目利きにとってのユニークでオリジナルな世界の中だけの話、ではあるけどね・・・誰かさんの御葬式の席上で何か言わざるを得ない羽目になったら、この詩なんかを引き合いに出したり改作したりするといい。その盗用がその場の全員の気持ちを代弁してくれている限り、誰も君に「それって再放送じゃん!」と言ってめたりはしないから。

「英語を話せる自分自身」を自らの内に持つということは、「さやかさん/冗悟サン」みたいな会話相手が隣にいるみたいなもの。
実際の会話相手の提供はしませんが、「さやかさん/冗悟サン」との知的にソソられる会話が出来るようにはしてあげますよ(・・・それってかなりの事じゃ、ありません?)
===!御注意!===
現時点では、合同会社ズバライエのWEB授業は、日本語で行なう日本の学生さん専用です(・・・英語圏の人たちにはゴメンナサイ)

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